創造的思考

子どもたちの自由遊びはストレスの緩和と社会的スキルに影響を与えるのが分かってきました。ほかにも「遊ぶ」というのは創造的思考や問題解決能力にもつながるということが分かってきました。

 

これは1973年 Developmental Psychology誌に掲載された研究ですが、研究者は90人の就学前児童を3つのグループに分けました。そして、①ペーパータオルの山やドライバー、木の板、クリップの山といった日用品で自由に遊ばせるグループ ②その4種類の品物を使用する実験者の真似をさせるグループ ③テーブルに座って、何も見ずに自由に絵をかかせたグループ とそれぞれ違った遊びをさせました。10分ほどこの活動をした直後、これらの品物の一つを指して、それをどう使うかを子どもたちに考えてもらいました。

 

すると、品物で遊んだ子どもは平均すると他の2つのグループの子どもの倍も一風変わった創造的な使い方を挙げました。つまり、自由に遊ぶことで、子どもたちの創造的思考が伸びたのではないかというのです。

 

ほかにも戦闘ごっこも、問題解決能力を育てると言っています。1980年にペレグリーニが発表した論文によると、小学校の男児のうち、大暴れして遊んだこの方が、社会的な問題解決のテストでの得点が高かったのです。そのテストというのが、研究者が子どもたちに対して、「仲間の子どもからおもちゃを手に入れようとする子どもの写真5枚と、母親に叱られないようにしている子どもの写真5枚を被験者の子どもたちに見せ、それから被験者の子どもたちに、それぞれの社会的問題を解決できる方法をなるべくたくさん挙げてもらった。そして、その結果を戦略バラエティに基づいてスコアを決めたところ、戦闘ごっこをした子どもはスコアが高い傾向があったのです。

 

オモチャを自由に使うことや戦闘ごっこなどを子どもたちが自由に遊びながら進めていくことで、創造的思考にも大きな影響が出ていたのですね。そう考えると、普段現場で起きている子どもたちの遊びにはそれぞれ意味があるように思えてきてなりません。本当に無駄な活動をしていないだろうとも思います。自分が子ども時代においても、戦闘ごっこのようなものをしていました。そこでは特に創造的な思考を駆使した覚えは全くもって感じてはいませんでしたが、後々のひらめき力や創造的な思考というのはその時に養われていたのかもしれません。「遊ぶ」というのは一見単純に見えますが、その裏には子どもたちが社会に出るときに必要となる力を同時に遊びという活動を通して、培っているのですね。

 

では、逆に遊びが不足すると問題解決スキルの発達がさまたげられるのでしょうか。

遊びとストレス 2

遊びがストレスや不安を軽減するということが分かってきましたが、それ以上に興味深いのは仲間と遊んだ子どもより、一人で遊んだ子どものほうが、より一層落ち着いたということです。そして、一人で遊んだ子どもは空想的な遊びを通して、子どもは幻想を築きあげることができ、それが困難な状況に対処するのに役立ったのだろうと研究チームは推測しています。空想的遊びはひとりでいるときに最もうまくできるのです。

 

空想遊びは子どもたちの発達にとって大切な意味があるのですね。ここでは「空想遊びは幻想を築き上げることができ、それが困難な状況に対処するのに役立った」と研究チームが推測したとあります。子どもたちは様々な部分で見立て遊びをすることがありますし、空想上の遊びをします。子どもたちの遊びの様子を見ていると、まるで将来自分が大人になったときの予行練習をしているように感じます。以前にも、ブログに書きましたが、ごっこ遊びやままごと遊びなどは役割を交代したり、時に負けたりと、人との関わりの中で起きることですので葛藤も同時におきます。そのことが大切なのと同時に、今回のように一人で行う空想的遊びはそういった葛藤は起きません。その中で自分なりに想像力を働かせ、自分の思うように遊ぶということは確かにストレスを緩和することにも繋がるのだろうと思います。

 

この遊びがストレスを緩和するいうのはラットを使った動物実験でも実証されています。2008年にゲティスバーグ大学の神経学者シヴィ氏の研究で複数のラットを一つの箱にいれて、猫がつけていた首輪を箱の中にいれる実験をしました。はじめ、その匂いを感じ、ラットが不安を示したのですが、その後、箱を清掃し、ラットを戻しても、ラットは不安を示しました。おそらく、箱といった場所と猫を関連付けたのでしょう。ところが、その箱に不安を感じているラットと不安を感じていないラットを入れると、追いかけっこしたり、転げまわったり、じゃれあったりと遊び始めました。そして、不安を感じているラットはリラックスし、穏やかになったのです。つまり、遊びがラットの不安を軽減させるのを助けたと思われるのです。

 

どの動物においても、「遊び」という活動は大きく影響しているのだということがわかります。これはマシュマロテストと同様の意味合いもあるのかもしれません。つまり、「遊ぶ」という活動を行うことで、「気を紛らわせている」のでしょう。気を紛らわせることで、目の前にあるストレスを緩和し、実行機能を使って切り替えているのだろうと推測できます。なににおいても、どうやらストレスと遊びというは大きな関連があるのですね。

遊びとストレス

遊ばないと社会的スキルが身につかないという考えを裏付ける動物実験の結果があります。1999年に行った研究で、ラットを生後4~5週の最もよく遊ぶ発達時期に2週間隔離しておき、その後に他のラットといっしょにすると、同時期に隔離されなかったラットと比べて社会的な活動が非常に少なかったといいます。2002年の別の研究では幼若時に隔離して育てられた雄のラットから繰り返し攻撃を受けても、正常な回避行動を示さないことが分かった。これが遊びの欠如によっておこった原因が、社会的隔離か、社会的問題かはまだはっきりとはしていないそうです。

 

別の研究では、遊びが、情動反応と社会的学習に関わる「高位の」脳領域での神経の発達を促すことが示されています。戦闘ごっこをすると、新しいニューロンの成長を促進する脳由来神経栄養因子(BDNF)というたんぱく質がそうした領域で放出されることが2003年に報告された。対照群として13匹のラットを3.5日間自由に仲間と遊ばせる一方、同じ期間、別の14匹のラットを1匹ずつ隔離しておいた。ラットの脳を調べたところ、遊ばせたラットに比べて、はるかに高い濃度のBDNFを含んでいた。この論文の共著者であるワシントン州立大学の神経科学者パンクセップは「遊びには脳の行為の領域を社会化する重要な作用があると考えられる」といっています。

 

さらに心の健康にも遊びが極めて重要であることを示す研究結果がある。おそらく、子どもは遊びによって不安やストレスに対処できるようになるのだろう。1984年に発表された研究では、3歳児と4歳児の計74人を対象に、幼稚園の入園初日の不安の度合いを調べました。不安レベルを測る指標として、駄々をこねる、めそめそ泣く、懇願するといった子どもたちの行動と、手のひらの汗の量を用いた。研究者の観察に基づき、子どもたちひとりひとりについて、不安状態にあるかないかを評価した後、74人の子どもを無作為に4つのグループに分けた。

 

半分の子どもたちはオモチャでいっぱいの部屋に連れて行かれ、一人で、あるいは仲間の子どもたちと15分間遊んだ。残り半分は、一人または複数の子どもと一緒に小さなテーブルに座らせ、15分間教師が語る話をきかせました。その後、子どもたちの不安レベルを再び評価した。すると、もともと不安だった子どものうち、遊んだほうの子どもは、話を聞いた子どもに比べて不安レベルが半分以下に下がった(初めから不安を感じていなかった子どもの不安レベルはほぼ同じままだった。)と言います。

 

子どもたちは遊んでいる中で、さまざまな影響を受けているのですね。あそびは大人にとってもストレス解消になるというのはこれまでも話してきましたが、解消するだけではなく、不安レベルに対する耐性のつくということも分かってきました。いかに子どもが自由に発想し、遊ぶことが子ども期には必要でそういった時間を確保すること、保障することが大きな影響をあたえるのかということが分かります。また、この実験において、非常に面白いことが分かってきました。それは遊ぶための関係性と遊びの種類です。

遊びと社会的発達

ペレグリーニは社会的スキルの中でコミュニケーションはほぼ間違いなく最も価値の高いものだと言っています。そのため、社会的スキルの発達においても仲間との遊びは非常に価値のある者だと言うのです。いくつかの研究において、子どもたちは大人と遊ぶときよりも、子ども同士で遊ぶときのほうがより洗練された言語を使うことが分かっているそうです。

 

例えば、ごっこ遊びでは「実際には存在していないものについて話し合わなければならないので、仲間に自分が言おうとしていることをうまく伝えられるように、込み入った言葉を使わなければならない」と言います。ところが相手が大人であると、大人の方が足りない部分を補ってしまうので、子どもは楽をするというのです。このことは保育の中でも、多々あります。大人はニュアンスで理解してしまうのに長けています。そのため、子どもの言葉を最後まで聞くのではなく、先回りしてしまうことすらあるのです。それでは、子どもは自分でどのように伝えるのがいいのか、ということを考えなくなります。私の園では異年齢で過ごしているので、年長児が年少の子どもたちに話しかけている姿を見ると、同年齢の子どもと話しているのでは、話し方も話す速さも違っているのが分かります。

 

このように遊びが子どもの社会化を助けるなら、遊びの不足は社会科的発達を妨げるはずです。それを示唆する研究が、ミシガン州イプランティの教育研究財団 ハイ・スコープ・エデュケーショナル・リサーチ・ファンデーションが1997年に発表した論文です。この論文では落ちこぼれになる可能性が非常に高い貧しい家庭の子どものうち、遊びを重視する保育園に通った子どもは、絶えず教師によって命令される幼稚園に通った子どもよりも、大きくなってから、より社会的に適応していることが示されました。教師から絶えず指示される幼稚園に通った子どもの1/3以上は、23歳までに重罪で逮捕されていたそうです。一方、遊びを重視する保育園にいた子どもたちの場合は、逮捕者は1/10に満たなかった。そのうえ、遊び重視の幼稚園に通った人のうち大人になってから停職処分を受けたのは7%未満なのに対して、直接教師から命令を受けていた人たちの1/4以上が停職処分を経験していたのです。

 

逮捕者や停職処分を受けた人がこれほどまでに数が違っているのか、そこには自由遊びが大きな要因であると言っています。実際のところは、子どもたちが主体的に考え、関わり合いながら自分たちで問題を解決したり、決めていくということが大切になってくるというのが分かります。そして、そこで培った非認知能力などの社会的スキルが社会に出たときに大きな力となり、子どもたちの人生に影響が出てくるというのです。そして、そういった力を得やすい環境というのが「遊び」であり、自由遊びは文字の通り、「自由」なだけに、より子どもたちの能力を発揮しやすい環境となるのでしょう。「自由」というのはなかなかに難しいものです。「なんでもいい」と言われるよりも「ある程度の条件」を出してもらった方が楽だったりします。「自由遊びは目的がない」とこれまでもありましたが、目的がなくできることというのは意外にも難しいものなのです。その目的を自分で見つけることや、価値を見出すということは確かにとても重要な経験になるということが分かります。

遊びの本質 2

どうやら、自由遊びには系統だった遊び以上に、自発性が保障されており、そのことが非常に重要な意味があるということなのですね。子どもたちは自由遊びをする中で、想像力を使って、新しい活動や役割を考え出すことを行います。そして、それだけではなく、社会的スキルも同時に発達するというのです。

 

ペレグリーニは「先生の言うとおりに行動しているだけでは、社会的競争力を見につけることはできない」そして、「そういったスキルは仲間と交流して、何が許容され、何が許容されないかを学ぶことで習得するのだ」と言っています。子どもたちの遊びを見ていると、大人が設定する活動を見ていると、子どもたちの質問は当然、それを示した大人にします。しかし、遊びの中でうまくいかない時は当人同士で話合うことになるのです。こういった子ども同士が遊びの中でお互いの意見を調整し合うことで、子どもたちは公平さや、交代することを学ぶのです。

 

自分のやりたいことだけを主張し、他の友だちの意見を聞かない子は遊び仲間を失ってしまいます。ペレグリーニは「子どもたちは遊びをずっと続けたいので、喜んでちょっと我慢して、他の子の願望を満たしてやるのだ」と言っています。子どもたちはその活動を楽しんでいるため、欲求不満に直面しても、算数の問題が解けない時と違って、簡単にあきらめたりはしない、こうして粘り強さと、交渉能力が育っていくのです。

 

このことは最近よく言われ、これまでのブログでも紹介した「非認知能力」というスキルです。つまり、子どもたちは自由遊びの中で、特にこの非認知能力を得ているというのです。ここから言えるのは、これまでも非認知能力の大切さは話してきましたが、大人だけの力では育たないということです。前回、森口佑介氏の「自分をコントロールする力」という中では、大人のアタッチメントが言われていたり、子どもたちに対して、応答的な関わりをもつことが大切だと言っていました。それはなぜなのか?なぜ、応答的な関わりを持つことが大切なのかということはここで言われているように、自分で考え、判断し、周りの意見と調整することが大切だからなのです。そのため、大人の介入は必要以上に入ることはかえって弊害をもたらしかねないのです。子どもにとっては、先の成長を考えると「大きなお世話」になってしまうのです。

 

子どもの世界を保障し、子どもが不安になった時に支えてあげられることが大切なのです。遊びにはそういった意味があり、こういった遊びの本質に関わる内容が研究されていることを知ることは大切ですね。また、ここで繰り広げられているコミュニケーションについてより、もう少し掘り下げてペレグリーニは言及しています。