遊び

「子どもは遊ぶことが仕事」とよく言われます。しかし、現在、塾や習い事で子どもたちの遊ぶ時間が少なくなってきています。では、子どもたちにとって「遊び」とはどういった意味があるのでしょうか。このことについて1966年アメリカ ヒューストンの精神科医のブラウン氏がテキサス州から顧問精神科医に選任されたことで、行われた調査であることが見えてきたのです。

 

それはブラウン氏は様々な試験的研究のために、テキサスで殺人罪で有罪判決を受けた受刑者26人から聞き取り調査を行った時のことです。受刑者の聞き取りから殺人者の大部分には共通する特徴があることが分かりました。彼らは家族から虐待を受け、子どものころに遊んだことがなかったということです。そのときブラウン氏はどちらの要素がより重要なのかはわからなかったのですが、42年にわって、約6000人に幼年期についての話を聞いて集めたデータからわかったのは、子どもの頃、ルールのない、空想に任せた遊びをしたことがないと、周囲に適応した幸せな大人に育ちにくいということでした。科学者はこうした遊びを「自由遊び」と呼んでいるが、社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要だというのです。このことは動物行動の研究により、遊びの恩恵が確認され、また、進化的にも重要であることが明らかにされている。根本的に遊びは、人間を含む動物が生き残りと繁殖のためのスキルを身につけるのを助けてくれるのです。

 

しかし、ほとんどの心理学者が、遊びには良い効果があり、その効果は成人期まで続くと考えているが、遊びを経験したことのない子どもにどの程度の害が生じるかについては必ずしも意見が一致していない。それはなぜか、それはたっぷり遊ぶ時間もなく成長する子どもというのは、過去にほとんどいなかったからです。ところが現在では、子どもがみな自由に遊びにいそしむとは言えなくなってきています。2005年にArchives of Pediatrics & Adolescent Medicine誌に発表された論文によると、子どもの自由遊びの時間は、1981年から1997年までに3/4に減ったと発表しています。子どもをいい大学に入れるため、両親は遊びの時間を削って、子どもにもっと系統だった活動をさせるようになっているというのです。いまでは、幼稚園から、子どもたちの放課後の時間は音楽やスポーツのおけいこ事で埋め尽くされているのです。

 

日本の幼稚園や保育園でもここまで極端ではないにしても、習い事というのは昔からありましたし、最近ではその種類は多様になってきています。幼児期からスイミングなどを習っている子どもも少なくはありません。しかし、心理学の観点から見ると遊びの時間こそ、想像性や協調性を伸ばすことになるのにもったいないことと捉えられるようなのです。そして、このことはブラウン氏が研究してく中でよりしっかりとした裏付けがされてくるだけではなく、より深刻な結果が待っているのではないかと警鐘を鳴らしています。

言葉から環境

赤ちゃんは身振り手振りを通して、養育者とのやり取りができるようになってきます。そののちに、意味内容を持ったことばを理解し、ことばによるコミュニケーションを行うようになります。そして、子どもと大人、その2者関係の外にあって、2人が注意を共に向けている事物の3項関係の成立はことば獲得の基盤となります。

 

トマセロは1997年に、語彙獲得の認知基盤として ①他者が何について話しているのか、その指示対象を認知し、カテゴリーを作ることを可能にする子どもの能力 ②他者が言語の様々な部分を使用している際に、その他者の意図がなにかを理解できる子どもの能力を挙げています。子どもは前言語コミュニケーションでの大人とのやり取りの中で、他者や他者の意図的な動作について深く広範な理解を行い、この上に、語の学習を行っていきます。

 

幼児は言葉を学び始めると同時に、視線の追随、社会的参照、模倣学習をさらに発達させていきます。これらのスキルは、他者とは外界の事物に対する注意や情動や行動について、能動的に追随し、かつ共有することができるような意図をもつ主体であると理解する能力の反映することができます。言葉の獲得は共有した意味や共有した注意の対象をさらに広げ、洗練させていきます。

 

このように言葉の発達ははじめは大人や養育者との身振りや手ぶりといった方法をとって関わりをもたせ、その関わりの中から、次第に2者関係から3者関係、そして、さらにその他者における意図の理解といったことへと理解の幅が広がっていくなかでことばの発達が見えてきます。つまり、ここで言えるのは、ことばは勝手に話すようになるのではなく、その根底には相手に伝えようとする意欲や意図があるからということが分かります。そして、そのためには伝えようと思う相手との関わりや愛着関係が土台に必要であるということも同時に見えてきます。ということは、乳幼児期において、必要になってくる環境というのはこういった関わりのある環境構成がなければいけません。そして、乳児期においてははじめは保育者であるというのは分かります。自分の意図を察してくれる人として大人があるのです。そして、そこから、友だちへと関係性は広がっていきます。

 

特に関わりが始まる1歳児の子どもを見ているとよくわかります。物の取り合いやトラブルも他児がいる環境であると起きます。その中で、自分の欲求が通らないことも起きます。その時に養育者にとられたものを指さしたり、抱き上げてもらいにきたりとサインを出してるのが分かります。養育者はそういった時に応答的な関わりを持たすことで、また、気持ちを切り替えて関わりに行きます。葛藤の中で、自分の意志を伝えることを覚えていき、その延長線上にことばがあるということがよくわかります。ここに、乳児からの保育を受けている子どものほうが言葉の理解が早いのが分かります。つまり、「使う機会」が他児と一緒に過ごすことで必要になるからなのだろうと思います。家庭では母親と関わることが多くおおくは予測できます。そのため、ことばを発さなくてもいいのです。環境の必要性はことばにも表れてくるというのが分かります。

指さしから象徴機能

指さしには、ことばと共通する記号的な働きがあると言われています。指によって、指すものと指されるものが分化していくのです。しかし、生後12-15カ月児の指差しは指さされるものを代表しているわけではないので、ことばの中心的な働きである表象機能を欠いています。つまり、その指差しは指をさされた対象を表すために示しているのではなく、あくまで、指示をする道具に過ぎないのです。

 

このことについて、ウェルナーとカプラン(1963/1974)は指差しは社会的文脈の中で産出される指示的行為なので、目の前の具体的対象を指示するにすぎませんが、対象の特徴から抜き取られて別の素材からなる媒体(身振りや言葉など)で表示される真の象徴に向かう第一歩だと考えたのです。赤ちゃんは指差しを通して、養育者を支持し、そのやりとりの中からそのもの本来を理解することにつながるというのです。そのため、指差しを行い、それに応じて応答することで象徴機能が備わってくるというのです。

 

では、相手との共有や共感が取りにくい自閉症の子どもにとってはどうなのでしょうか。自閉症児の場合は、原命令の指差しの理解、表出は可能ですが、原叙述の指差しは理解、表出とも困難であると言われています。また、人間に育てられた大型猿人類は原命令の指差しはありますが、原叙述の湯伊佐氏はないとの報告があるといいます。つまり、指示的に指差しはするが、それがどういった意味があり、相手との気持ちの共有、驚いたことを伝えたり、お気に入れのターゲットを知覚し伝えたりするということはできないというのです。こういった気持ちのやり取りも乳児は指差しによって行っており、この相手に見たものを知らせようとするモチベーションにより原叙述の指差しが行われるのです。そして、そのモチベーションが言葉につながっていくのです。

 

トマセロ(2008/2013)は指差しには、共有する(他者と感情や見方を共有したい)、知らせる(他者に役立つことや面白いことを知らせて助けたい)、要求する(他者に自分が目標を達成するのを助けてほしい)という、たしゃを助ける・助けられることと共有するという、ことばの基盤ともなる協力に基づく基盤構造が働いているとしていると言っています。

 

赤ちゃんは「人を助けたい」という基盤構造があるとトマセロは言っているのです。そして、いかにして「人とつながるのか」ということを赤ちゃんは能動的に取り組んでいるのですね。このことを見るといかに「ネグレクト」というのが一番虐待の中でひどいと言われているのかということが分かります。「ヒトと関わる」という行為はヒトが生まれ持った力であり、人の根源となる力でもあるのだということです。「ネグレクト」はそのやりとりを切っていく行為です。一番の赤ちゃんの強みであり、学習であり、サインであるということを切ってしまうと、それが精神的にも発達的にも大きな影響を与えてしまうというのは容易に想像がつきます。やはり、乳児期の応答的なかかわりというのは非常に重要な意味があるのですね。

関わりから指差し

6か月頃になると乳児はますます環境に関心を持つようになります。ときには見慣れたパートナーへの関心だけでなく、環境の中の他の事物へ関心を写していきます。乳児のコミュニケーションへの注意や関心を高めるのに、パートナーはリズムのある発声をしたり、突然変化させたり、終わりにしたりします。歌や手遊びや身体を動かすリズミカルなおきまりのやりとりやゲームは社会的なルールや文法ルールの獲得に結び付いていくと言われています。こういった養育者とのやり取りや関わりは今後の社会的なルールや文法のルールの獲得に結び付くのですね。よく幼稚園と保育園では子どもたちの育ちは違うと言われることがあります。保育園の子どもの方がたくましいと言われることも多くあります。それはもしかすると預けられる期間の違いかもしれません。低年齢での周囲の環境から大きく影響があるのかもしれません。

 

8-12ヶ月頃になると、乳児は他者の注意を理解し、心が意図を持っていることを理解しているような行動をします。子どもは自分の方から、物を渡したり、見せびらかして、他者の注意を引きつける行為を繰り返したり、他者が他のものを見ているときに他者の視線を追ったり(追随凝視)、見知らぬものやヒトに遭遇したときに近づくべきか避けるべきかを決めるのに、養育者や他の人の反応や表情をモニターして情報を集めたり(社会的参照)、じらしたりして(teasing)、関心を他者へ広げていきます。子どもからの意図的な話題を含むコミュニケーションが行われ、大人、子ども、物の三項関係が成立する段階です。社会的相互作用、共同注意、依頼行動といった非言語的コミュニケーションスキルはこの段階に達するといいます。

 

そして、こういった発達を受けて12-15ヶ月頃になると乳児はターゲットへ直接注意を向けようとして指差しを行うようになります。原命令の指差しと原叙述の指差しの2種類があると言っています。原命令の指差しは、要求の指差しとも言われ、たとえば、自分では取れない玩具が欲しいときに、それが置いてある玩具棚の方を指さし、助力を求める身振りです。原叙述の指差しは、たとえば、珍しいものを見つけたときに一緒に大人に見てほしくて、指差しをして、他者の注意を事物へ向けようとするものです。

 

どちらの指差しもターゲットをさし、パートナーの顔を振り返り、パートナーが身振りや指されているターゲットに注意をしているかどうかをチェックします。この指差しという行為ですが、この行為は言葉と共通する記号的な働きもあると言っています。指によって、さすものとさされるものとに分化されます。

 

では、それはどういったところにあるのでしょうか。

言葉とコミュニケーション能力

では、赤ちゃんは言葉が出るまでにどのようなやりとりを養育者としているのでしょうか。コミュニケーション能力はどのように発展していくのでしょうか。

 

コミュニケーションには、人と人との情動性に富んだ、間主観的で対人的な調合的統合(親交:communion)のプロセスと、人と人との間の情報の流れ(伝達:transmission)のプロセスが含まれると言われています。つまり、対人的にお互いの気持ちを調整するというプロセスと、お互いに情報を共有するというプロセスがあると言うのです。

 

子どもは言葉でのコミュニケーションにつながるまでに、表情、視線、目の動き、音声、身振りなどでコミュニケーションします。これらの関わりを養育者や他児を通して行っています。そして、こういったことを通じて言葉につながっていくのです。逆にいうと、こういったことができるような環境がなければ言葉の表出につながらなくなる可能性があるということも言えるのです。

 

では、乳児期はどのような発達段階にあるのでしょうか。乳児は誕生時から、人間の顔、音声、スピーチへの関心を示し、生後数分でいろいろな顔の仕草や音を模倣すると言われています。そして、誕生直後の乳児でも人間の言語音と他の音、さらには母親の声を区別して反応できると言われています。視覚的にも人の顔を長い時間凝視します。人は生まれながらにして人に反応する能力を持っているのです。この人の「反応を見る」ということは人間の持って生まれた社会的能力なのです。そして、この能力を使って、養育者や周囲の人とコミュニケーションを取るようになってきます。

 

その後、赤ちゃんは3ヶ月くらいまでに養育者とのやり取りの中で、足、発声、凝視、表情など、全身で行動します。これは、大人の会話の非音声的側面のダイナミックな特徴と類似しているので、「原会話」と呼ばれます。つまり、身振り手振りといったものですね。では、その原会話の特徴はどういったものがあるのでしょうか。その一つは乳児があらわすコミュニケーション行動(たとえば、微笑)は単一の行動だけで起こるのではなく、乳児自身の他の行為(発声、手の身振り、凝視)と協応し、また、パートナーの発声、凝視、微笑などの行為とも協応しています。第二に、乳児は大人を単純に模倣しているだけではなく、大人の方も乳児を模倣します。第三に、情動や注意を力動的にお互いに調整しています。第四に乳児は相互作用をうまく維持しているだけでなく、いやなときにはその関係をうまく避けますと言っています。

 

このことから見ても赤ちゃんはうまく大人とのコミュニケーションを取っていることが分かりますし、「大人からだけ」や「赤ちゃんからだけ」といったやりとりではなく、あくまで「相互作用」の中で関係性が繰り広げられ、そのことが子どもの非言語(身振りや手ぶり、表情や音声)といった表現につながるということがわかります。そのためには養育者と子どもとの信頼関係や愛着が重要になってきます。このことが、保育所保育指針や幼稚園教育要領にある「応答的かかわり」の重要な意図の部分なのだろうということが分かりますね。しかし、この段階のコミュニケーションは感情の表現であり、意図的なものではないと言われています。