PISAの始まり

国際的な学力調査で有名な「PISA」ですが、現在紹介しているアンドレアス・シュライヒャー氏はそのPISAを生み出した人でもあります。では、PISAというのは何を目的としてつくられたのでしょうか。そもそもPISAは1990年代後半にOECDにおいて、教育政策の厳密さを適用してはどうかという考えから作られました。1995年のパリでのOECDの本部では28カ国の代表と教育省高官とで最初の会議が行われました。そこで、アンドレアス氏が自国の教育システムを世界各国と比較できる国際的なテストについて提案をします。大多数は「それは不可能だ」「行うべきではない」「国際機関の時間ではない」という意見がでたのです。OCEDはそれまでにも教育比較に関する多数の調査結果を発表していました。しかし、それらは主に就学年数の測定に基づくものであり、必ずしも学校で学んだことで実際に何ができるかを示す指標にはならなかったのです。

 

「PISAにおける私たちの狙いは、トップダウン組織にさらなる層を作ることではなく、学校や政策立案者が官僚制度の中で上に向けていた目線を、次世代の教員、学校、国のために外部に向けるようシフトさせることだった」とアンドレアス・シュライヒャー氏は言っています。そして、「高精度のデーターを集め、それらをより広範な社会的結果に関する情報と結びつける。そして、教育者や政策立案者がより多くの情報に基づいて、決定できるように、これらの情報を提供する」と言っています。

 

そして、その本質は「学ぶことの情熱を育てること、想像力を刺激し、未来を築くことのできる自立した意思決定者を育成することだと考える。したがって、教師に習ったことを生徒に再現させて、習得の度合いを評価することには重点を置きたくなかった。PISAで高い得点を取るためには、生徒は知っていることから推測し、学校で習う教科を横断して考え、未知の状況に対して自分の知識を応用しなければならない。私たちが知っていることを生徒に教えることだけでは生徒は教員の足跡を追えばよいと思うだろう。しかし、学び方を教えれば、生徒は自分の行きたい方向へいくことができるのだ」と言っています。

 

このことを受けて、現場ではどうでしょうか。アンドレアス氏の言葉を使わせてもらうとすると未だ教師に習ったことを生徒に再現させて、習得の度合いを評価するというのはスタンダードです。これは小学校のみならず、乳幼児教育においても、先生の言うとおりに、政策をさせたり、一辺倒な作り方や指導中心の教育方法が行われています。それを行うことで「横断的な考え」ということができるのでしょうか。これからの社会では「関連する力」が必要だと言われています。それぞれの知識をつなげ、関連付けることでイノベーションが図られるのです。そして、そのためには教えられてできるということよりも、自分で考え動くという、考える力が必要になってきます。PISAの学力調査はそもそも、そういった各国の教育の粋を集め、より良い教育のありかたを模索することが中心にできたものなのですね。現在ニュースでも国際的な学力調査において、順位の推移ばかりが取り上げられますが、成績ばかりに注目するのではなく、その裏側にある。本質としての教育というものをしっかりと見ていかなければいけないということを感じます。

変革

アンドレアス・シュライヒャー氏はこれからのデジタル技術により、経済や社会の体制は大きく変化してくると言っています。そして、その時に「エージェンシー」(自ら考え、主体的に行動して、責任を持って社会に参画し、変革していく力)が必要になってくると言っています。そして、そのために、いかに協同し、体系的に対応するかにかかっていると言っています。そのためには、学校教育の大幅な改革が必要になります。

 

そのためにアンドレアス氏は思い切った展望と賢明な戦略と効率的な制度が必要だと言っています。しかし、現在行われている教育の現場は新たな社会が予想されている現在においても、旧態依然としたままだと、アンドレアス氏は言っています。彼が著書にはこうあります。「現存の学校制度は、産業化時代に生み出されたものである。その時代は画一かと規則遵守が重んじられ、生徒を集団で教育し、教員を在職期間にただ一度だけ訓練するのが効果的かつ効率的とされていた。生徒が学ぶべき事柄として、ピラミッドの頂点で作成されたカリキュラムは、しばしば政府の複数の階層を通過した上で、指導書、教育員の育成、学習現場に向けに翻訳され、ようやくここの教員によって教室で実施されていた」と言っています。

 

このことを見ても、「自立」を求められる時代に対して、実に「他律」が基本とした学校制度がいまだに行われているということが分かります。アンドレアス氏はこのことについて「急速に変化する世の中に反してほとんど旧態依然のまま」と言っています。しかし、社会の変容は、現行の教育システムの対応能力をはるかに凌いでいたのです。このことから脱却するためには、「教員や学校のリーダーたちのノウハウを集め、優れた政策と実践に落とし込むことが課題だ」とアンドレアス氏は言っています。

 

しかし、そこには「教員と学校の自由な創造を促し、変革のための資質能力を身につけられる環境を緻密に整備する必要がある。また、生徒を差し置き教育者や行政の利益や慣習に囚われがちな組織構造に挑むリーダー、社会変革に真摯に取り組み、想像力に富んだ政策を策定し、これまでに築いた信頼を効果的な変革に活動できるリーダーが必要だ」と続けて話しています。

 

特に「生徒を差し置き」というところは耳が痛いところです。しかし現場を見ていると、決して「さしおいて」いるつもりはないのです。ですが、実際は現存の学校制度のままです。何が言いたいのかというと、いかに我々がこういったことに「気づく」ことができていないかということです。そして、いかに「刷り込まれた」ものがあるのかということです。保育の中においても「子どものため」という名の「不必要な介入」や「意図のない活動」がよくあります。また、「これまでそうだったから」や「伝統だから」といった中身のない慣習によった活動もいまだ多く起きています。アンドレアス氏は「リーダーシップ」の重要性を説いていますが、確かに現場の教員や職員においても、こういった変革における必要性と重要性の理解をしてもらうだけのリーダーシップはますますこれから必要とされていくのだと思います。

これからの社会

2020年日本では教育改革が行われるというのは2018年にベネッセが出した「2020年教育改革」という資料にあります。そこでは「21世紀の社会を生き抜くために必要な能力は大きく変わる」と言われています。その根拠となるのがオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン助教授の2015年の研究で「あと10~20年で、49%の職業が機械に代替される」というものでした。ほかにもニューヨーク市立大学大学院センター教授のキャシー・デビットソンの「2011年にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は今は存在していない職業に就く」という発表です。また、2013年のディスコキャリアサーチの「外国人社員の採用に関する企業調査」では約1/3の企業が外国人留学生を採用し、特に1000人以上の企業では2社に1社とその割合は増加する」と言われています。こういったデータを見ているといかにこれからの時代が、今生きる子どもたちにとって、今以上に変化のある将来かということが分かります。そして、今、当たり前の社会が非常に速いスピードで変化を起こしているということも分かります。

 

それはこのコロナ禍も一つの契機となっていたかもしれません。コロナ禍以前は、テレワークというのは新しい仕事スタイルとして、認知はされていたものの、まさかこれほどまでに社会で当たり前になったとは思わなかったでしょうし、遠隔での会議も今では当たり前のようになってきましたが、コロナ禍が起こったつい半年前では考えられないことだったと思います。コロナウィルスの流行で仕事様式や生活様式の変化に拍車がかかったようにも思います。そういった変化が起きている時代の中では、どういった教育が求められるのでしょうか。

 

現在OECD(経済協力開発機構)で教育・スキル局長でもあるアンドレアス・シュライヒャー氏は著書「教育のワールドクラス」でこう言っています「これからの学校は、生徒が職場でも、市民としても、他者に共感し、自ら考え、他者と交流する手助けをする必要があるだろう。学校は生徒がゆるぎない善悪の判断力をもち、他者から自分に向けられた主張に配慮し、個人と集団行動の限界を理解できるよう支援しなければならない」と言っています。

 

そして、「職場、家庭、地域で、私たちは異なる文化や伝統の下で他者がどのように生活し、どのような考え方をするのかを深く理解する必要がある。機械が人類からいかなる仕事を引き継ぐにしろ、人類が社会的市民的生活において、意義のある貢献をするための知識とスキルはさらに必要性を増すだろう」と言っています。つまり、いくら機械に代替される時代が来たとしても、人が社会を形成することに代わりがないのであって、ではその本質は変わらないと言っているのです。そして、その本質というのが機械によって代替えされることによってより、鮮明に必要とされてくるということを言っているのです。

 

シュライヒー氏は「私たちにはエージェンシー(自ら考え、主体的に行動し、席員を持って社会に参画し、変革していく力)がある。今後デジタル技術において、いかなる影響を受けるかは、これらの破壊に対し、私たちがいかに協同し、体系的に対応するかにかかっている」と言っています。つまり、この「エージェンシー」というのが一つのキーワードになり、これからの時代に重要な要素になっていくということが分かります。

 

未来に向くため 2

4つ目は「食事。睡眠、運動、マインドフルネスを活用する」です。特に重要なのは「睡眠」です。睡眠が不足すると仕事への集中力が奪われやすくなりますし、自制心の失われやすくなります。つまり無礼さへの対処がうまく働くなるのです。次に運動です。運動を行うことで、ネガティブな感情に対してうまく対処できるようになるのです。そして、自分の体験を良いほうに解釈でき、自分を悪い方向に導きそうな良くない思考、感情を即座に捨てることができるのです。運動は、うつ病の治療にも使われるセルトラリン(ゾロフト)という薬よりも、治療効果が高いという結果が得られたのです。ほかにも、健康を保つための食事が良ければ、まともに食べられず、飢えている状況に比べ、ストレス耐性は大きく変わります。マインドフルネスは自分の状況を意識的にゆっくりと見つめることができます。こういった姿勢を保つことで、ストレスのたまりそうな出来事に対して、心穏やかで入れるのです。

 

5つ目は「仕事に意味を見出す」です。自分が成功していると感じていると、たとえ無礼な人ばかりのチームで働いても、高い生産性を維持することができるのです。また、自分のしている仕事に意味があると感じられれば、さらに無礼さへの耐性は強くなるのです。相手の無礼な態度によって感情を乱される以上に、回復する力の方が強くなるのです。

 

6つ目は「社内外で良い人間関係を築く」です。良くない関係は良好な関係よりも4倍から7倍の影響力をもつと言われています。そのため、自分の周囲にエネルギーを配給してくれるような人を何人か置く必要があるのです。その人は自分を笑顔にしてくれる人、気分を上向きにしてくれ人であり、そういった人たちとできるだけ多くの時間を過ごすようにすることで、悪い人間関係にエネルギーを奪われても自分を保てるようにするのです。

 

7つ目は「社外の活動で成功を目指す」です。会社員を対象にクリスティーン氏が行った調査で、仕事の業績と、仕事以外の人生の充実ぶりとの間には強い相関関係があるという結果が得られたそうです。つまり、仕事以外の活動に熱心に取り組むと、自分は新しいことを学んでいる、成長しているという自覚が得られ、その分感情にゆとりが生じるのです。それはたとえ職場で無礼な扱いを受けても、仕事以外の活動が充実している人はそうではない人に比べ、健康を維持しやすいのです。

 

これら前回紹介したものを含め7つの観点で物事を見ていくと、「未来に目を向けることになる」平たく言うと「ポジティブ」な考えになりやすいというのです。考えてみると、自分自身が現在いろんなことがありながらも、ポジティブに入れるのはここで紹介されていることをいくつかできているからなのかもしれません。心当たりはありますし、実際実感としてもあることです。あまり、一つの仕事に固執しすぎると逆に物事はうまくいかないのかもしれません。どこかで息抜きであったり、他に目が向く外の世界があったほうが、無駄なストレスをためずに済むのかもしれません。そして、それ自体がストレス発散にもなり、ストレス耐性にもつながるのでしょう。しかし、現在社会では働く時間が長くなり、その時間が持てないこともしばしばあります。余裕がない時代なのかもしれません。物は豊富で便利になっていますが、だからといって、余裕がなくなっているというのは残念なことです。

未来に向くため

無礼な態度をとる人はどこにでもいますし、人と関わって生きていく以上避けて通れない部分でもあります。問題はそん時にどう乗り越えるか、そして、自分自身もその人の影響を受けず、礼節を保っていれるかということです。最近、自分自身の影響を受けたり、発信してしまっていたりすることに気が付きました。自分がイライラしているとその影響が周りに出てしまい、ギクシャクした環境になっていました。その時自分自身が「無礼な人」になっていただろうと今となっては思います。組織風土というのは長く蓄積されたものですが、リーダーとなる人の印象やあり方でその雰囲気というのは大きく変わってくるというのを感じます。そのためにも、自分自身が冷静であるということと、周りの環境や状況に影響を受けないように心がけることも必要になります。

 

しかし、人はそうはいっても無礼な態度をとる人はいますし、動揺してしまうのはある程度仕方のないことです。問題は先ほども言ったように自分は大丈夫といかに保ち続けれるかです。クリスティーン氏はそういった無礼な態度を取られた場合、「何度も思い返すのをやめる」というのを提案しています。そうはいっても、どうしてもそういった出来事は腹が立ちますし、頭をめぐります。しかし、その時間をなるべくなら少なくしようというのです。そのため、たとえば日記にして、文章化することなども一つの方法です。文章の形であれば、他人に向けることもないですし、無礼な扱いを受けた人が別の人を無礼に扱い、またその人が別の人へという悪循環に陥ることも防げます。ほかの方法では、「自分は過去のために戦うべきなのか、未来のために戦うべきなのか」と問う方法もあるとクリスティーン氏は言っています。つねに未来に向けて問題に向き合うのです。

 

そのためにクリスティーン氏は7つの方法を提案しています。

1つ目は「目標を定め、進歩を実感する」まずは、自分自身が「進歩している」という感覚を持つことが重要です。この感覚があることで、ポジティブになり、やる気を高める効果につながります。

 

2つ目は「自分を成長させてくれるものを見つける」ことで、それは職場だけでなく、組織外の活動に見出すのも大切です。趣味、スポーツに打ち込むことも一つの方法です。そこでの成長や進歩も自分の中で実感として得られることが大切なのです。これは私も実感としてあります。職場外での活動は仕事や無礼な人間とのかかわりなど負の感情を軽減してくれ、自分の置かれた状況をどうすればいいかをじっくりと考えることにも繋がります。なんでもいいので、新たに何かを学び、同じ職場で働く誰かを、自ら進んで手助けるというだけでもいいから、自分を成長や進歩させることができるものを見つけることが良いといいます。

 

3つ目は「メンターの助けを得る」でメンターとは「良き師」ということです。そういった人を見つけることで、無礼な人たちの多い環境でも、精神の安定を図っていい仕事をすることができるのです。これはどこにでもいる「頼れる人」ですね。自分自身が学べる仲間や同僚がいることはそれだけでありがたいものです。

では、残りの4つにはどんなものがあるのでしょうか。