情報処理

アンドレアス氏は「人々を情報から守るのではなく、受け取った情報を扱う人々の能力を強化するほうが有益かもしれない」と言っています。これからの学習者は、信頼できる情報源と信頼できない情報源、事実とフィクションを区別できる必要があるのです。これからにおいては、現在受け入れられている知識や慣習に疑問を感じたり、改善しようとする能力を持つ必要があるのです。

 

20世紀までのリテラシーは事前にコード化された情報を抽出して処理することでした。21世紀のリテラシーとは、知識を構築し、検証することがあるのです。たとえば、これまでの教員は百科事典で情報を調べ、その情報が正確かつ真実であると生徒へ教えることができた。今日、例えば、グーグル、バイドゥ、ヤンデックスは、あらゆる質問に対して何百万という回答を提示します。そのため、私たちの役割は、こういう提示された答えに対し、多角的に分析し、評価し、知識を構築することが求められます。つまり、これからの社会においてはこれまでの学習方法では求められない部分に大きな意味が出てくるのです。

 

さらにアンドレアス氏は「個人、地域、社会にとって現代生活の複雑さが増すことで、さまざまな問題に対する解決策も複雑になってきます。構造的に不均衡な世界では、時にはグロバルな影響を伴うローカルな環境において、多様な視点や利益を調和させることが不可欠であるため、若者はジレンマ、トレードオフの扱いに熟達する必要がある。互いにぶつかり合う公平と自由、自治とコミュニティ、イノベーションと持続性、効率性と民主的なプロセスの間のバランスを取ろうとすると、二者択一または単一の解決策はめったにない。個人は、相互のつながりを意識した、より包括的な方法で考える必要がある。これらの認知スキルを支えるのは、共感(他者の視点を理解し、直観的または情動的に反応する能力)。適応力(未知の経験、新しい情報、さらなる洞察を踏まえて、認識、実践、意思決定を再考し、変更する能力)、そして、信頼である」というのです。

 

このことについては、実際働いている中で感じることが多いです。割と今の人で多いのが「0か100で考える」ことが多いように思います。どっちがいいのかをはっきりとさせたがる様子を見ることが多く、「良いところを尊重し合い、新しい価値観を考えること」がなかなか難しいような様子を感じることが多いのです。今の時代、さまざまな価値観があり、情報も多々ある時代において、こういった相互なつながりを意識した、より包括的な方法で考える視点はより必要な時代になってくるのだと思います。このことは良い変えるといわゆる「思いやりの精神」でもあるように思います。お互いの気持ちの尊重をしながら、落としどころを見つけていく。子どもたちの日々の生活の中では喧嘩や言い合い、意見の食い違いが多くあります。その時に教員や保育者の介入は非常に大切になってしまいます。よく職員が入って「ごめんなさい」までを一つのパッケージのようにして関わらせることがありますが、それがいかに「もったいない」ことをしているのかということが分かります。子どもたちは日々の子ども同士の中で関りあい、葛藤を日々感じています。こういった自分と向き合い、乗り越えていくことが、結果としてこれからの社会に貢献する力となるのです。そのとき、大人がやらなければいけないことは「導く」や「指導」ではなく、「みまもる」ことなのでしょう。子どもは自分の中で考える力があり、人格者だということを改めて考えなければいけませんね。

情報

今の時代、さまざまなところから情報を入手することができます。インターネットやSNSはこれまでのPCによらず、スマートフォンやタブレット端末などの登場でより手軽に情報を取るツールが出てきました。テクノロジーの進化は情報の検索とアクセスを可能にしています。それに対して私たちの知識が増えるほど、深い理解と深く理解する能力が重要となるとアンドレアス氏は言います。理解には、知識と情報、概念とアイデア、実践的なスキルと直観を含みます。しかし、基本的には、学習者の状況にあった方法で、それらを結びつけること、それらを統合して活用することが理解には必要になります。また、それと同時に過去の出来事、すなわち社会が直面した課題、発見された解決策、長年にわたって築かれ、守られてきた価値観を理解して、私たちの希望を未来に伝える能力も必要になってきます。

 

今の時代、またはこれから直面する時代は「ポスト真実」の時代とアンドレアス氏は表現していますが、その時代は情報の質よりも量に価値があるように見えると言っています。「正しいと主張している」が実際には根拠のない主張が、事実として受け入れられることがあるというのです。自分の考えと近しい人たちが集まり、自分たちの考え方を増幅するソーシャルメディア反響室を作り出し、私たちの信念を変えるかもしれない反対意見の情報を伝えず、私たちを隔離する。こういったバーチャルバブルは主張を均質化し、社会を偏ったものにするのです。かつては、「陰口」と言われたものが、SNSやインターネットによって増幅されるというのです。これは昨今のニュースを見ていてもとても感じます。これまで、それほどまで言われていなかった小さな事件が大きな事件として捉えられていたり、最近のテレビでもよく言われる「コンプライアンス」というのがとても厳しい時代になっているのはこういったソーシャルメディアの仕組みによって起きているのです。

 

人の風評というのは昔からあり、今でもその本質は変わっていません。しかし、ツールの発展とともに、噂や風評というもの自体も多種多様に変化しています。インターネットでも、商品紹介だけではなく「口コミ」の評価が重要になっていたと、挙げればきりがないほど今の時代、情報の多さは過去とは比べものにならないくらい膨大になっています。そして、これからはそういった時代の中でいきていかなければいけません。このことを踏まえ、そして予測して教育や保育を行っていかなければいけないのです。

 

アンドレアス氏はこう言っています。「人々を情報から守るのではなく、受け取った情報を扱う人々の能力を強化するほうが有益かもしれない」

高等専門学校と教科横断

アンドレアス氏は「イノベーションと問題解決には、異質なものを組み合わせ、つなぎ合わせ、今までにない想定外のものを想像することが重要である」と言っています。そして、そのためには「オープンマインド、今まで関係なかったアイデアの結合を含み、さまざまな分野に精通していることも必要なことだ」と言っています。それは一つの事柄について学んでいるだけではつく力ではありません。総合的な分野の知識も知っておき、なおかつ、関連付ける力も必要になってくるのです。そうすることで独創的なスキルが得られることになるというのです。では、そういった力をつけるにはどうしたらいいのでしょうか。PISAはそのために、生徒が学校の教科の枠組みを超えて考えることが必要だと考えていました。しかし、実際に教科横断的な課題を解決することの困難さが見えてきたのです。

 

そういった教育の実現はできないのでしょうか。アンドレアス氏は「それでもいくつかの国では、教科横断的な能力を育成しようとしている」と言っています。その例として、日本の国立高等専門学校機構(高専機構)を挙げています。2018年にアンドレアス氏は高等専門学校の東京キャンパスを視察したそうです。そこでは実践的で協働的なプロジェクト学習が多いため、一見するとキャンパスは専門学校のように見えたそうです。しかし、高専は別物だといいます。アンドレアス氏は「全国51の高専は実際には日本で最も精選された高校やカレッジの一つであり、そのカリキュラムは技術や科学と同じくらい一般教養も重視している。卒業生の約40%は、大学に進学して学び続ける。高専から直接就職する生徒は、日本で最も引く手あまたのイノベーターやエンジニアとして平均で一人当たり20件もの旧人を得ている」といいます。

 

では、その高専の特徴はどういったところにあるのでしょうか。それは「教室での学習と実践的なプロジェクト学習のユニークな一体」であると言います。そこでは学習は教科横断的かつ学生中心であり、教員は大荷コーチやメンターの役割を担っているのです。それは世界中の学校で流行しているような、人為的な1週間のプログラムでは無く、生徒のアイデアを発展させ、実現するために数年間を掛けてプロジェクトに取り組むような形になっているそうです。このような彼らの実践の成果はお蔵入りにならず、日本発のイノベーションの一つとしてインキュベーター(起業を支援するもの)の支援により商品化されることも珍しくないのです。このようなプロジェクト学習は最近になって注目されているが、高専では1960年代からすでに実施されているのです。

 

では、その他の学校ではどうだったかというと、1990年代後半には日本では総合的学習の時間によって、教科横断的な学習を導入しようとしたが、教育現場での実践には十分に組み込まれず、テストで教科ごとの知識を重視する中等教育では、その影響は限られました。

 

「関連付ける力」というのは今の時代重要視されているようです。しかし、「教科」として分かれてしまうと、なかなか総合的な教科としてはできにくいのかもしれません。保育においても「5領域」がありますが、見ているとどうも切り分けて考えられることも多いように思います。しかし、それらの力は総合的であり、密接に関わっています。

教育システムの再構築

これからの仕事は、人工知能と人間の社会情動的スキル、態度、価値観を結びつけるものに変わってくると言われています。そして、人工知能を利用し、新しい価値観を生み出せるようにしていくことが求められます。こういった社会に求められるスキルが変わってくると教育で施される知識も変わってきます。

 

生徒にとっては有効期限が限られた内容を習得する(知識の習得)のではなく、学問分野の構造的および概念的な基礎を理解すること(方法論の習得)が重要になる。たとえば、数学では、私たちが数学を学ぶ方法と理由を知り(認識論的信念)、数学者のように考え(認識論的理解)、数学に関連する実践を把握(方法論的知識)する必要があるというのです。つまり、ただ、知識として学習するのではなく、「なぜ、何を、何に使うために」ということを学ぶことが必要だというのです。これは数学に限った話だけではなく、他教科にも通じることであり、教育の本質ではないかと思います。

 

「2015年のPISAの科学的リテラシーは知識と理解を重視し、例えば科学において生徒が知っていることだけではなく、科学者のように考えることができるかどうか、科学的思考を重視するかどうかを重視した」とアンドレアス氏は言っています。しかし、その結果は各国によって、そして地域内でさえも著しく違っていることが見えてきました。台湾の生徒は科学的リテラシーで最も優れた成績を残したが、相対的に見れば、科学者のように考えることよりも科学的な知識を再現することが得意であった。一方でシンガポールでは、知識においては台湾と同程度だったが、知識よりも科学者のように考えることが求められる問題でさらに優れていた。オーストリアでは、科学的な概念を理解するよりも科学的な事実の知識において優れていた。フランスでは逆に概念的な知識が優れていた。

 

このように科学的リテラシーとして同じように成績が優れて、似たような国においても、教育政策と教育実践が生徒の学習成果に違いをもたらすのが分かってきたのです。この結果を受けて、政策立案者や教育者は、概念や認識の深い学びに重点を置くようにカリキュラムや教育システムを再構築することが期待されます。

 

単に成績を上げるだけでは、深い学びには伝わっていきません。その教科がどういった意味があり、どのような学びが社会にとって必要とされるのか。アンドレアス氏がいう構造的で概念的な基礎的な学びとはどういったものであるのか。こういった中心となる学びの本質をとらえたうえで、教育も進めていかなければいけないのであって、保育はその入り口であります。とすれば、もっと本質的に学びにつながる姿勢を作っていかなければいけない時代を預かることになります。だから、主体的に遊ぶことや遊び込む環境が必要になってくるのでしょうね。

学び方を学ぶ

何度もこのブログでは取り上げてきましたが、今後この世界において、AIの技術革新によって多くの仕事が無くなるであろうことが言われています。それは定型的な認知スキル、つまり、暗記ができるようなものはまさしくデジタル化、自動化やアウトソーシングするのに最も適したスキルになるからです。とはいえ、学問分野における最先端の知識とスキルが常に重要であることは間違いありません。イノベーティブで創造的な人々は、その分野の知識や実践においての専門的なスキルが必要なのです。問題はどのようにその知識を使うのかということを考えなければいけません。

 

アンドレアス氏は「『学び方を学ぶ』スキルが重要とされるように、私たちは常に何かを学ぶことによって学んでいる。しかし、教育の成功とは、もはや知識を再現することではなく、私たちが知っていることから類推し、その知識を新しい状況で創造的に適用することである。それは学問分野の境界を超えて考えることもある。誰もがインターネット上で情報を検索し、多くの場合、回答を見つけることができる。その恩恵を受けるのは、その知識で何をすべきかを知っている人である。」これからは「学ぶ」という意味をよく考えなければいけない時代になってくるようです。これまでのように暗記による知識はインターネットなどのツールによって、意味をなさなくなってきます。

 

「OECDの学習到達度調査の結果は、生徒が取りくむ問題がより複雑になり、より定型的でない分析力を含むようになるにつれ、記憶に偏った学習方略がますます役に立たなくなることを示している。これこそまさにデジタル化が私たちの実生活での仕事を奪っていることを意味する」とはっきりと言っています。では、これからはどういったスキルを育てるような学習が必要なのでしょうか。それは「新しい知識を身近な知識に結び付け、新しい解決策や知識をどのように転移するかを発散的かつ創造的に考えるプロセスを入念に練り上げられた学習方略」であると言っています。デジタル化された知識をうまく関連付け、新しい知識を使い、問題を解決していくようなことが必要とされるのです。

 

「将来の仕事は人工知能と人間の社会情動的なスキル、態度、価値観を結びつけるだろう。そして、私たちのイノベーション能力、私たちの認識、私たちの責任感とは、人工知能の力を利用してより良い世界を実現することである。それは、人間が新しい価値を生み出せるようにするものであり、本質的な価値がある。それは、失敗を恐れずに試すことができるという、もっとも広い意味での起業家精神を示唆している」とアンドレアス氏は言います。

 

このことから見ると、これまでの教育で求められてきた知識とはこれからは違ってくるということが見えてきます。どうやら、これからは「社会情動的なスキル、態度、価値観」といったところに、より重点が置かれていくようなことが言えるのですね。「ただ学ぶ」というのではなく、「学んだことを、どう使うのか」といったことがより重要な意味を帯びてきます。それに応じた、教育形態や保育形態を考えていかなければいけません。そして、こういった教育や保育の実現は現場側にこそ、これからの社会をしっかりと理解することが先決なのだろうと感じます。