土台

多くの学校は、生徒が帰属意識を身につけたり、安心安全な学習環境をつくることで、より良い成果を上げることができるそうです。生徒と学校の社会経済的側面を考慮した後でも、生徒同士に良い交流があると回答した生徒は、協同問題解決能力において高い得点を示しました。ほかの生徒に脅かされていると感じない生徒も、協同問題解決能力で高い得点を示したのです。現在、「安心安全な学習環境」というのがなかなか難しくなっているのかもしれません。いじめ問題は無くなりませんし、自殺も未だ深い問題になっています。学校も決して、何もしていないことはないのでしょうが、体罰の問題も未だニュースに上がってきます。こういった環境は生徒では協同問題解決能力を育むことが難しいのでしょう。

 

また、恵まれない生徒の方が、恵まれた生徒よりも、チームワークに価値を見出していることが分かってきたそうです。こういった生徒たちは「チームワークが自身の効率性を改善する」といったことや、「ひとりで働くよりチームの一員として働くことを好む」「チームが個人よりも優れた意思決定を行うと考える」とより頻繁に回答したのです。学校が協同学習環境を設計し、そのような態度を育てることに成功すれば、恵まれない生徒を新しい方法で引き付けることができるかもしれないのです。

 

しかし、「生徒の社会的スキルの向上を支援するには、学校教育だけでは不十分である」とアンドレアス氏は言っています。まず、保護者が役割を果たす必要があるのです。たとえば、協同問題解決能力が優れた生徒には「PISA調査を受ける前に学校外で保護者と会話した」や「保護者が子どもの学校の活動に関心を持っている」「保護者が自信を持つように子どもを励ましている」と回答する傾向があるのです。

 

この協同問題解決能力はあくまで社会情動的スキルのほんの一面であり、忍耐力、共感、レジリエンス、マインドフルネス、勇気、リーダーシップという性格面の資質に関係しているとアンドレアス氏は言います。

 

このことを踏まえて考えてみても、協同で誰かと活動するということには社会情動的スキルなどの性格面の資質が大きく関わっているのです。それは言うなれば、保育は無縁ではなく、子どもたちが初めて人と関わる乳幼児教育にとって大きな課題でもあるのです。人との関わりや性格は遺伝子による気質もありますが、環境による影響もあると言われています。つまり、乳幼児期からすでに性格を形づくる環境は始まっているのです。そういった時に様々な価値観に触れることや自分で乗り越えていく経験は後の学習にも大きな影響を与えるということが見えてきます。そして、それは誰かに指示されたものではなく、自分自身が主体的に考えることで習得につながっていきます。乳幼児教育はそういったベースとなる現場であるということを知るとますます、その責任と仕事への誇りを感じますね。

ジェンダー格差

アンドレアス氏は協同問題解決能力において、すべての国がジェンダー格差を縮小していく必要があると言っています。というのも、2012年のPISAで個人の問題解決スキルを評価した際、ほとんどの国で男子は女子よりも高い得点を示しました。一方で2015年の協同問題解決能力では、読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの影響を考慮しても考慮しなくても、各国の女子は男子よりも優れていました。協同問題解決能力におけるジェンダー格差は、読解力のそれよりもさらに大きいそうです。この結果は一体どういったことを示しているのでしょうか。

 

アンドレアス氏はこれらの結果は、「協同に対する生徒の態度に反映されている」と言っています。女子は関係に対してより積極的な態度を示し、他の人の意見により興味を持ち、他者の成功を望む傾向にあるというのです。一方で、男子はチームワークのメリットや共同がどのくらい効果的であり効率的であるかをみる傾向が強いことが言えるようです。これはもしかすると、人間の進化上の問題もあるのかもしれないと思います。女性は生存戦略においては家族を守ることが主としてあり、協同して家族を守ったり、部落でのつながりを保ったりしています。そこで協同な活動ができなければ部落から追い出されてしまう場合があります。一方で、男性は狩りに出なければいけません。人間はほかの生物とは違い、ひとりで戦うのではなく、複数人でのチームワークを通して獲物を狩ります。このように、私たちの遺伝子にはそもそものスキルというものが男女によって違って宿っているのかもしれません。そして、それが学習においてもちょっとした違いが出ている可能性があると私は感じています。

 

では、アンドレアス氏はこのことに対してどう考えているのでしょうか。アンドレアス氏は「協同に対する前向きな態度は、PISAの協同にかかわる能力の構成要素であり、態度が共同に影響を与える」といっています。そして、「たとえ人間関係による因果関係が不明確であっても、他者への感謝や豊かな友人関係を学校で育むことができれば、男子の方が女子よりも協同問題解決能力において良い成果を残すかもしれない」と話していています。アンドレアス氏は人間関係によって協同問題解決能力への男女差は変えることができると考えているようです。そのため、こういった「協同に対する態度」に関する原因は教室環境にあると言っています。

 

PISAでは、科学の授業で自分の意見を説明したり、実験室で実験に取り組んだり、科学的な問いを議論したり、探求のためのクラス討論をするなど、コミュニケーションを集中的に行う活動にどれくらいの頻度で参加するかを調査しました。その結果これらの活動と協同に対する積極的な態度には、明確な関係が見られました。平均して、これらの活動により頻繁に参加すると回答した生徒は、関係やチームワークを大切にしていると言っています。

 

人はこういった意味では環境によって、性質を柔軟に変える力を持っているのかもしれません。

オンラインと協同

アンドレアス氏は「協同学習が自己調整学習や探求学習へとつながる素晴らしい方法である」といっています。このことを見ていると協働的な関わりが深まっていくことで、学力が上がるというのが見えてきます。しかも、ただ学力が上がるだけではなく、自己調整や探求といった、自ら能動的に学習する態度というのも同時に関わってくるのを考えると、本来の学習において、ひとりで黙々と机に向き合うようなものよりも、より深い学びにつながってくるのかもしれません。

 

また、新型コロナウィルスの感染において、リモート学習というのが出てきましたが、この学習方法は今後の教育現場を変えていくということが言われています。アンドレアス氏においても、このことは取り上げています。こういった技術革新におけるオンライン講座は、誰でも参加できますし、高価な教授法に変わる魅力な方法であるといっています。しかし、このようなオンライン講座の修了率は極めて低いままです。その理由の一つが、学習成果を認定する信頼性の高い方法が見つかっておらず、こういった講座で学んだ経験を労働市場で評価される資格に変えるのが難しいのです。なぜ、こういったことが起きるのでしょう。それはオンライン講座の多くが「読み取り専用」ということが挙げられるからです。これは私も実感しているところです。現在、いくつかの講義や研修をオンラインで受けることもありますが、やはりどうも集中が続かなくなることが多くあります。また、実際自分が話す側に立った時に、相手がいないと張り合いもないですし、単調なものになりがちです。つまり、この方法は講義形式を再現はしているが、対面しているわけではないので、教員が意欲を引き出してくれることはないのです。そこでPISAはPISA4Uと言われるオンライン講座のデジタルプラットフォームを共同開発しました。これを開発したドイツのロイファナ大学のホルム・ケラー前副学長は、学習対象者として熟練の教員たちに口座への参加を依頼しました。そして、参加者のグループが同じ教育目標を共有しながら、可能な限り多様性を持つようにアルゴリズムに基づいてグループ分けを行ったのです。その後、グループにはオンラインのメンターと経験豊かな教員のサポートを受けながら、協同で問題解決に取り組みました。その結果、修了率は高くなり、ほとんどの参加者が様々な国や文化を持ち、興味と経験が異なる人々と共に取り組んだことが継続的に参加する原動力になったと語っていたそうです。PISAではこのようなデジタルプラットフォームの後継となるものを現在開発しているそうです。

 

いまだ、このようにオンライン講座により便利になったといえる部分はありますが、その反面、課題も多いのだろうことが見て取れます。しかし、その課題において、大きな意味合いを持たせるというのが、やはり「協同」でおこなうという参加者のグループにおける教育目標の共有や多様性を持つことであるというのは非常に興味深いことです。人との関わりのなかにある刺激というのはかなり大きいのですね。ただ単に画面と向き合うのではなく、その中でも人との関わりを持って、学ぶというのは大きな環境としての意図があるのでしょう。「協同する」というのはかならずどこかで残しておかなければいけないのですね。

共に学ぶ

アンドレアス氏はこれまでの自制心や自己効力感などの能力を養うことについて、こう言っています。「私たちはまた、個人の成績に加え、協同する方法を教えたり、協同を評価することをもっと考える必要がある。今日の学校の生徒は通常、個別に学習し、学年末にはテストを受け、個々の成績を認定される。しかし、世界がより相互依存になるほど、より効果的な共同相手が必要となる。今日のイノベーションとは、個人が単独で働いた産物ではなく、知識を結集し、共有し、結び付けた成果である」といっています。

 

これからの時代は個々の成果だけではなく、協同するスキルが重要になってくるというのです。何度もその理由に上がってきますが、これからの時代はよりグローバルであり、さまざまな人との関わりが必要になってきます。そして、そこでの文化や環境の理解、価値観を調整する力が必要になってくるのです。

 

アンドレアス氏は生徒のエージェンシーの育成が必要であると言っています。この生徒のエージェンシーとは「自ら考え、主体的に行動して、責任を持って社会に参画し、社会を変革していく力」のことを指しています。こういった能力を育成するためには、教員は生徒の個性だけではなく、学習に影響を及ぼす教員、仲間、家族、コミュニティのより幅広い関係を認識する必要があると言っています。そして、その中心には「共同エージェンシー」があり、これは生徒の成長を支援する、双方向で相互支援的な関係です。この「相互」というのが重要であり、生徒だけではなく、教員、学校管理者、保護者や地域社会の誰もが学習者であり、子どもたちと共に学ぶという姿勢が求められるのです。

 

以前、自分の働いていた保育園では「自分は子ども(園児)たちに保育士として育てられた」というのが口癖でありました。子どもたちは御するものではなく、子どもたちから学ぶ対象だったのです。よく「子どもたちはこんなことできる」という宣伝文句を聞いたりすることがありましたが、私にとっては「子どもたちだけでこんなこともできる」ということに驚かされることが多いのです。また、以前、私が中学の教育実習に行ったときにその頃の担当教員が、ゆとり教育について生徒にある国を調べるといったときに「その国を知らない生徒に教えようがない」と言っていたのです。そのころは「そういったものなのだろう」と感じていたのですが、今思えば、それはチャンスであったのかもしれません。子どもたちと一緒に世界地図や地球儀を取り出し、一緒に場所をしらべ、そこからインターネットなどで情報を調べることもできたはずです。しかし、ここで重要なのは学校現場では単元があり、時間を使っていられないということもあったのかもしれません。いずれにしても、子どもたちの興味のあることに「調べ込む」時間がとれない現場としての悩みはあるように思います。であるならば、乳幼児期のまだ、それほどまで単元などの縛りの無い中で「遊び込む」ことや「~込む」といった環境を多く用意しておくことはこれからの時代とても重要な意味を成すのではないかと思います。

これから必要なスキルの共通点

これからの新しい時代に通じるスキルは多角的に分析し、評価し、知識を構築することだとアンドレアス氏は言っています。そして、今後の問題解決においては、二者択一または単一の解決策はめったにないとも言っています。個人は、相互のつながりを意識した、より包括的な方法で考える必要があるのです。

 

では、このように新規性、変化、多様性そして、曖昧さに対処するにはどうしたらいいのでしょうか。それには「ひとり一人が自分自身のために考えられる」ことが前提だとアンドレアス氏は言っています。「問題解決における創造性は、自身の行動が招くのであろう未来を予測し、リスクと期待成果を評価し、自身が引き起こす結果に対する説明責任を負う能力を必要とします。」といいます。これは自身の経験、個人的や社会的な目標に照らし合わせて行動を熟慮し、評価する責任感、道徳的かつ知的な成熟でもあります。そして、特定の状況における善か悪、良いか悪いかの認識と評価は、倫理的なものです。

 

それは「私はなにをするべきか」「私はそれをする権利があったのか?」「限界はどこか?」「結果を踏まえても私はそれをしたほうがよかったのか?」というような規範や価値、意味や制約に関する質問を意味します。これらの中心にあるのは、自制心、自己効力感、責任、問題解決、適応能力を含む自己調整の概念である。発達神経科学の進歩は、思春期の可塑性の第二の爆発が起こり、特に可塑性の脳領域および系統が自己調整の発達に関わることを示している。

 

つまり、その頃の生徒たちには特にこういったスキルが必要になってくるというのです。よくよく見ていくと「自制心、自己効力感、責任、問題解決、適応能力を含む自己調整の概念」とアンドレアス氏が言っているのは、以前、森口佑介氏の著書の中にも出てきた「非認知的能力」であるということが分かります。つまり、アンドレアス氏においても、今後の社会において、重要となってくるスキルは非認知的能力であるということが伺えます。このスキルを土台として、知識を蓄えることで、イノベーションと持続性を生み、評価し、新たな知識の構築になると言えるのです。

 

そして、保育においては、以前の森口氏の著書でもあったように、乳幼児期の教育が非常に思春期に永起用すると言われていました。それと同時に、乳児の頃かラ子どもたちの関わる力であったり、非認知能力と言われる力が養われていくということで、学校休育のみならず、乳幼児教育にこそ、より重要点があるのではないかと私は思っています。