前回の内容でSTEM教育における利点を紹介しました。ただ単に理数系の学問を進めるというだけではなく、論理的思考を持たせ、主体的に学ぶ力や問題解決能力、質問喚起力、創造力、コミュニケーション力など複合的な能力を向上させ、実社会での使える技能を身につけるということがSTEM教育の目的でもあることが見えてきました。
では、日本においてはこのSTEM教育とはどのように進んでいるのでしょうか。2021年3月10日のNewsweek日本版のHPには日本は最低レベルであると言われています。とはいえ、最近では日本の学校教育でもプログラミング教育は必修化されてきて、STEM教育をカリキュラムに導入する動きは出ています。しかし、世界的な流れから言うと日本はかなり出遅れているようです。というのも、2012年にOECDが72カ国の15歳の生徒に対して行った調査によると、日本はインターネットとコンピューターの学校内外での使用について、殆どの項目において世界平均を下回っていたそうです。
中でも、「学校外でコンピューターを使って宿題をする」と答えた割合はデンマーク、オーストラリア、メキシコの生徒が90%以上だった一方で、日本の生徒は9%で調査国中で他を大きく引き離した断トツの最下位だったのです。それは学校教育においてコンピューター使用(宿題や課題をコンピューターで行い提出すること)がほとんど要求されないことが要因だそうですが、家庭においても子どもがコンピューターを使う機会を増やし、ITリテラシーを高める努力が必要だそうです。

確かに、2013年にオランダのイエナプラン校を見学に行った時もすでに子どもたちは数学の問題をコンピューターのゲームを利用してすでに行っていました。今から10年ほど前ですでにこういった教育形態を行っており、普段からコンピューターというものが身近にあった教育があるということが伺えます。しかし、日本ではコンピューターを使う授業というのはまだまだ少なく、限られた時間でしか行われていないのが現状です。
この記事を書いた船津徹さんはこういったコンピューター教育は小学校低学年からスタートすべきと言っています。パソコンを使い、タイピングや基本ソフトウェアの使い方を身につけることで「コンピューターは難しい」という抵抗感を取り除くことができるというのです。そして、動画制作やアニメづくり、ゲーム作りといったものを身近にし、主体的かつクリエイティブな使い方を経験させることでコンピューターサイエンスを身近に感じさせることが必要だというのです。
最近ではパソコンだけではなく、タブレット端末も様々出ていますし、こういった端末は感覚的に動かせるだけで、幼児期の子どもでも取り扱いができます。街でもスマートフォンを巧みに使う子どもをよく見かけます。これまでより、こういった端末は身近になっていますし、敷居も低くなっています。しかし、まだまだ日本は理系アレルギーがあるように思います。とはいえ、これからの時代はテクノロジーがより発展していく時代になります。こういった時代に活躍する人材が必要になってくるなかで、教育環境も大きく変わってくるかもしれません。そういった環境に向けて、保育環境も変わる必要があるのかもしれませんね。
2021年3月15日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
3月のニューズウィーク日本版のHPに「世界で進む『STEM教育』の重要性」という記事がありました。しかも、その記事の主題は「日本は最低レベル」と書かれています。最近確かに「STEM」というのはよく聞く教育内容です。以前シンガポールに行った時も、STEM教育の環境が置かれていたのを覚えています。世界的にも最近有名になっているものでもあります。では、そのSTEM教育とはどういったものなのでしょうか。
STEM教育は2011年にオバマ大統領が一般教書演説で優先課題に挙げたことで有名になりました。そして、今ではベトナムやアフリカの新興国においても注目され、力が入れられている一方で、日本は大きく遅れていると報じられています。そんなSTEM教育ですが、これは「Science(科学)」「Technology(技術)」「Engineering(工学)」「Math(数学)」の略で、これからの社会で最も成長が著しい分野として人材育成が求められていると言います。そして、STEM教育の最大の利点は「社会で必要とされる実用的な技能を、教科の枠を越えて学習できる」ということであると言っています。つまり、従来での「理科は理科の授業」「数学は数学の授業」といった縦割りの教科によって学ぶことではなく、国語、算数、理科、社会、図画工作、コンピューターなどの教科で得た知識を動員し、問題解決力や課題を発見する力など、これからの社会に必要とされる実用的な力を鍛えることを目的にしています。
アメリカではSTEM教育は小学校から始まり、多くの小学校がロボティックスやレゴリーグなど「グループ単位」でSTEM技術を競わせる楽しいアクティビティを取り入れています。そして、デザイン、設計、制作、プログラミングなど、ロボット制作の工程を仲間と一緒に学習するのです。つまり、その形態はグループ単位で行うのです。グループで行うことで、子どもたちひとり一人の「強み」を活かせるようになります。絵が得意な子どもがデザインを、コンピューターが得意な子はプログラミングをといったように、それぞれの特性を活かし、共通のゴールに向かって協力し合う経験を積むのです。
こういったチームで同じことに向かって課題を見つけ、問題を解決していく過程のというのは今後もっと必要になってくるというのでしょう。特にこれからの世界において、「多様性」というのが様々な分野で言われています。そのため多様な人と関わる力というものは今後より重要性を増しているように思います。このようにSTEM教育を導入することは、子どもの主体的に学ぶ力、問題解決能力、質問喚起力、創造力、コミュニケーション力などの社会に実用的な力を養うことにつながります。ロボット制作やプログラミングの過程は、失敗や問題の連続です。こういった問題をチームで発見し、解決することでチームワークを養います。しかも、こういったことを楽しいアクティビティを通して行う中で、学んでいくのです。
今、世界で行われ、導入されている教育形態にはこういった目的を持っているものがあるのです。では、今日本ではこの教育についてどのように取り上げられているのでしょうか。そして、「遅れている」というのはどういったところにあるのでしょうか。
2021年3月14日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
木村さんは日常生活の中で、「追いかけること」や「逃げる」「転ぶ」「投げる」「捕る」「打つ」「押す・引く」「よける」「切り返す」という運動機会を取り入れることが必要と言っています。これは運動の動作ができているかどうかではなく、あくまで機会を与えることが重要になると言います。このときに注意しなければいけないのが、「ああしなさい」「こうしなさい」と大人が過剰なアドバイスをしてしまうことだと木村さんは言います。大人は安全を確保して見守っているだけで十分だといいます。そうすることで子どもは自主的に遊びに取り組み、子どもの集中力はどんどん深まってくるというのです。このことは遊びの中で大人がどう援助してあげればいいのかということにも通じます。
また、「良い経験」とは自分で考えて取り組み、それを大人に否定することなく励まされれば、身体を通して子どもの記憶に刻まれると木村さんは言っています。これは自己肯定感を得るプロセスにおいても同じことが言えるように思います。大切なことは「自分で考えて取り組む」といった過程が重要です。こういった過程を経ることで子どもたちは達成感と同時に取り組む見通しと「やる」と決めた責任も得ることになります。このことについて、私は保育においても重要なことであると同時に、これが子どもたちの「主体性」を持たせることであると思います。
大人にとっても、自分で選んだことを子どもがするので、初めて「叱る」ことに意味が出てきます。大人にさせられたものは子どもにとって責任はないのです。なぜなら「あなたがやれといったから」というように自分で選んだわけではないので、子どもからすると大人に責任転嫁をしてしまうことがあります。しかし、自分考えて取り組むということは「自分で選んで『やる』と決めたのは誰?」と「誰のせいか」をはっきりと伝えることができます。そのため、見通しをもって考えなければなりません。主体性を持たせることは子どもが自分で考え、自分をコントロールしなければいけないのです。こういった自分でコントロールできる活動を通すことで「できなかった」ときに大人の励ましや援助に「救い」として意味が出てきます。「主体」の取り方で子どもの見方は大きく変わってきます。
木村さんはこういった体験を日々行うことは、脳の欲望や感情を扱う大脳辺縁系を刺激し、運動が「楽しい」「達成感」という意欲につながるといいます。そして、ここで得た達成感は「次は何をやろうか?」といった意欲につながり、次の計画の予定の計画づくりのイメージを持たせることになります。こういった過程を繰り返すことで、様々な知的活動を行う大脳皮質を使いつつ、脳の全体のネットワークにつながることにもなると木村さんは言います。
子どもたちが行う「良い体験」というのは脳のネットワークをつなげることに大きな影響があるのですね。木村さんはこのことを身体運動を切り口に話をしています。確かに乳幼児期の子どもたちにとって身体運動の行う意味はすごく大きくあるということは理解できます。そして、それだけなく、「運動のとらえかた」や「活動の進め方」は遊びの環境作りにも大きな関係があるのではないかと木村さんの記事を読みながら感じます。そして、「自分で考え取り組む」ことや「大人が否定するのではなく励ます」といったことは見守る保育にも共通するものであり、やはり大切な関わりなのだろうと思います。
木村さんは最後にこう言っています「『子どもにはどんな習い事をさせたら将来のためになるか?』と考えることもよいことですが、難しく考える必要はありません。思い切り身体を使って遊ばせることで、子どもの身体も脳もしっかり成長していきます」
先日の小西行朗氏の話でも共通することですが、大切なことは子どもに追求することや押し付けることではなく、こういった環境を大人がいかに作って上げれるのかが問われているように思います。
2021年3月13日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
IWA ACADEMYチーフディレクターで、子ども発達科学研究所の木村匡宏さんは子どもが脳全体のネットワークを高次元でつながることを促すことに、おいかけっこやドッチボール、サッカーといった楽しく、気持ちよく身体を動かすことで促されると言っています。そして、そういった体を動かし、脳全体のネットワークを高次元で繋げることで、複雑なことを考える力へとつながっていくと言っています。子どもが夢中で遊んでいるとき、脳ではシナプス同士がぱちぱちと光を放ちながら、興奮状態に入っているのです。時間を忘れるくらい夢中になって遊ぶということは、物事に取り組むときの深い集中力をはぐくむのです。
木村さんによると結果的に子どもたちが興奮して「遊び込んでいる」ことが重要であるというのでしょう。であるとすれば、これは身体を使って遊ぶということだけではなく、何かに「夢中になって遊ぶ経験」が脳にとっていいのではないかと読み取れます。
また、木村さんは「興奮させてばかりいると、コントロールの効かない、落ち着きのない子になるのでは?と心配される方もいるかもしれません。これは全くの逆です。」と言っています。正当な興奮を味わった脳のほうが、むしろコントロールが効くようになるというのです。それは「興奮を経験する」ということは、逆に「興奮を抑える経験」を増やすことにも繋がるからだと木村さんは言います。ただ、ここで注意が必要です。興奮を経験することが重要であるとはいえ、「興奮の質」にも気を付けなければいけないというのです。
では、「興奮の質」とはどういったことをいうのでしょうか。それはスマートフォンやゲームから得る興奮ではなく、木村さんが言うには「スポーツのようにさまざまな感覚、身体のあらゆる場所への刺激を伴う興奮こそが本物の興奮で、子どもの脳の発達を促す」というのです。そこで「身体を動かす」ということにつながるのです。しかし、考えてみると「様々な感覚、身体のあらゆる場所への刺激」というのは何も「身体を動かす」ことだけではありません。散歩や遊びの中でも、五感をつかうことはたくさんあります。大切なのは「実体験」として経験することなのでしょう。
木村さんも「『運動=スポーツ』ではない」と言っています。ルールのあるスポーツだけが運動ではなく、例えば、大人の場合だと通勤で階段や坂道を歩く、買い物をする(荷物を持つ)、洗濯物を干すというように、日常生活の中にも運動はたくさんあります。このように子どもたちの生活でも、様々なところに運動はあり、その多くは「遊ぶ」ことにあるのでしょう。たしかに、一つの場所にとどまって行うスマートフォンやゲームでは身体を動かすことはありません。
ドイツに行ったときに、「運動」について話を聞くことがありました。そこでも「運動=スポーツ」ではなく「運動=遊び」ということが言われており、特に環境に「体幹」を使うような不安定な場所や揺れる遊具などを用意していました。遊びの中で「体幹」を鍛えることで様々なスポーツの基礎につながると考えられていたのです。そして、「スポーツ」をすることは課外教室などで行うそうで、日本のように「スポーツ=運動」と考えるよりも、「スポーツ=スポーツ選手」というような捉え方をしており、「野球選手にしたいなら野球をする」というような感覚であったようです。日本と「運動」における捉え方が大きく違います。
そう考えると子どもたちの遊びも立派な運動になります。むしろ、熱中して遊び込むような活動こそが乳幼児において、最も脳にもいい活動であるのだろうと思います。そういった環境を作っていってあげたいものです。
2021年3月12日 5:01 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
2021年3月6日の東洋経済オンラインに「子どもの学力を上げたい親が知るべき『運動の重要性』」という内容の記事がありました。これはIWA ACADEMY チーフディレクターであり、子どもの発達科学研究所の特任研究員である木村匡宏さんが記事を書かれていました。ここには「運動すると頭がよくなる」と話しているのです。
「頭がよくなる」ということと「運動」とは一見、つながっていないようにも思いますが、木村さんは「勉強」と「運動」を見たときに「脳を使う」という共通点から言うと非常に関係性があるのではないかというのです。このことについて木村さんは「人間が脳を使うのは勉強のばあいに限ったことではありません。走ったり、歩いたり、ジャンプしたりと、身体を動かすときも、人間はすべて脳からの指令を受けています。計算問題を解いたり、漢字や英単語を覚えたりすることだけが脳の働きではなく、考える、怒る、泣く、楽しむ・・・これらの感情の動きもすべて、脳の働きによるものです」というのです。
確かに、考えてみると体を動かすことに関しても、脳の指令から身体は動きますし、脳を働かすという点に関しては、勉強と運動は共通するところがあります。そこで「身体があって、脳がある」という前提を覚えておく必要があると言います。そして、人間の脳はバランスよく全体的に発達するのではなく、場所によって司る役割が決まっており、順を追って発達していきます。特に幼児期は運動をコントロールする「運動野」が発達します。そのため、この時期の子どもたちはとにかく走り回ったりして動きたがると言います。確かにこの時期の子どもたちは落ち着きがなかったり、障害物が無かったりすると走りたがるのはこういった発達段階だからなのでしょう。
しかし、昨今の子どもたちは運動不足が指摘されています。それはデジタルコンテンツの普及やゲーム、あと遊び場が少なくなっていることなども挙げられ、文部科学省・スポーツ庁「体力・運動能力調査」によると昭和29年度生まれと平成元年生まれを比較すると,昭和29年生まれの方が,いずれのテスト項目においても到達する最高(ピーク)値が高いことが見えてきます。平成元年から今では徐々にその運動率は良くはなっていますが、昭和29年に比べると未だに運動面は弱いことが見えてきます。
また、このデータからは「幼児期に外遊びをよくしていた児童は,日常的に運動し,体力も高い」ことや「幼児期に外で体を動かして遊ぶ習慣を身につけることが,小学校入学後の運動習慣の基礎を培い,体力の向上につながる要因の一つになっていると考えられる。」ということも読み取れるようです。木村さんも「本来、身体を使って遊ぶことが大切な時期に、身体を動からないことが習慣化すると、深刻な運動不足になっていく危険があり、実際に子どものロコモティブシンドローム(運動器の障害のために移動機能の低下をきたした状態)も多くみられるようです。そして、これは単純に身体、運動の発達の問題だけではなく、脳の発達の問題でもあるようです。
2021年3月11日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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