知識と想像。まなびとは

人の想像力と知識との関係は非常に密接であり、新しい知識が見つかるまでは想像という枠を外れるのは難しいところがあります。たとえば、過去の未来作品などの製作を例にしてゴプニックは説明しています。未来都市を描いた「ブレードランナー」において、主演のハリソンフォードが画面付きの公衆電話を掛けるシーンがあります。脚本家は未来の公衆電話には画面があると思ったのでしょうが、公衆電話そのものがなくなるとは思っていなかったのです。このように未来の知識がないのに未来の可能性を想像するとこういったようにこれまでの知識を持つがゆえに想像性に制約を受けることがあります。しかし、これには逆にいえば、新しい因果関係の知識を得ると、以前なら想像もつかなかった可能性も描けるようになります。人の想像性というのは知識をもとにされているのです。

 

「知識と想像力は全くの別のものとして扱われたり、対立するもののように思われることすらあります。しかし、因果マップに関する最近の研究はそれとは正反対の事実を示している」とゴプニックは言います。世界の因果構造を理解することと、反事実を思い描くことは表裏一体です。ゴプニックは「私たちの想像を羽ばたかせ、想像性を発揮させている力の源は知識です」と言っています。複数の出来事のつながりがわかるから、そのつながりをかえたらどうなるかが想像できる。この世界を知っているから別の世界を創造できるというのです。

 

ここに「学習することの意味」が記されているように思います。ただ、「勉強する」のではなく、多くの知識を得ることで人は社会を大きくし、不可能なことを無くし、可能なことを増やしてきて今があるのです。つまり、過去の記憶や知識、叡智といったものがあるからこそ、今の時代があるのです。学び、勉強することはその先の未来を予想し、よくしていくために必要なのです。そして、そのプロセスにおいて、様々な知識の中にある因果関係を知るということが勉強であり、学ぶということの本当の意味なのだと思います。

 

そして、このような人間特有の知識と想像力の融合は大人にだけ見られるものではなく、幼児の奔放な空想もこういった世界の因果構造を理解することから始まっていると言います。妖精の女王になりきっている3歳の女の子の独創的ですが、それだけではなく、そこには人間特有の高度な知性を存分に発揮しており、時に空想の友だちすら作り出してしまいます。こういった並外れた想像性が大人になった時の物語や演劇にもつながってくるのです。

 

子どもたちが「遊ぶ」というのはその中で、知識を得て、実践し、身につけているのです。繰り返し、起こる遊びの中で、因果関係を理解し、それを形にしている。「遊びは学び」と私もよく言いますが、その本質として、こういった人間特有の学ぶプロセスというものがはいっているのを考えると、遊びの中にも立派な学びがあるということをとても強く感じます。

因果マップと予測

子どもにも因果マップを描くことができることが分かってきました。マップを数値化し、それを使って、正確な予測や介入や反事実を生み出すことができるのです。では、実際因果マップを使用して、可能性を思い描き、世界を変えられることを確かめるために、どういった方法をとったのでしょうか。子どもも最新のコンピューターのようなプログラムを使っているということはどこから見えてきたのでしょうか。ゴプニックは一つの方法を紹介しています。

 

ゴプニックが紹介した方法は、まず、因果的なつながりをもった出来事を3,4歳に教え、その子がその知識をもとに予測を組み立てたり、そこに介入する方法を思いついたり、別の可能性を考えられるかどうかを試してみたのです。このやり方であれば、新たに提供された因果関係の知識つまり、新しい因果マップから組み立てた思考を取り出すことはできるのではないかと考えたのです。ゴプニックは工具店と大学院生の助けを借りて、「ブリケット」と名付けました。この装置は四角い箱で特定のブロックを載せると光がついて音が鳴ります。しかし、決まったもの以外のブロックを載せたときには反応しません。実験では、まず、子どもたちに「これはブリケット・マシンです。ブリケットで動くのよ。どれがブリケットなのか教えてくれる?」と話します。子どもはこの装置に興奮し、どんなふうに反応するのか、どのブロックがブリケットなのか、さっそく、調べます。ブロックを箱にのせ、強弱をつけて押してみたり、ひっかいて中になにがあるのか知ろうとしたりしました。

 

この実験で、どのブロックが装置を動かすブリケットかわかってくると、子どもはその情報をもとに、新しい可能性を思い描いたり、反実仮想におる予測もたてられるようになりました。最初の実験では、子どもたちにブリケットは1つしかないと話してから、そのブリケットを非ブリケットと組み合わせ、2つ一緒に装置に起きました。すると、装置は当然光が付きます。そのとき、4歳児の一人が、どんな哲学者も満足させられるような見事な反実仮想をしたのです。彼はこう言いました「ブリケットじゃなく、こっちのブロックだけ載せたら、悲観なかったよね」

 

この子たちに装置を動かしてちょうだい、というとブリケット1個だけを選びます。装置の止め方を聞けば、ブリケットだけ外すと答えます。誰かがそうやって止めるのを見たことがないにも関わらず、新しく得た因果関係の情報から、反実仮想をしながら正しい結論にたどりつくことができるのです。装置からブリケットを外すとどうなるかも、最初からブリケットがなかったらどうだったかも、正しく推論できます。

 

この実験の内容を見ていると子どもたちは普段の遊びの中で様々な「実験」と言われる「いたずら」をします。「これをこうしたらどうなるのだろうか」「こうなるのか?」といった子どもなりの見通しをもってまるで実験するかのようにいたずらをしています。一見、大人からすると困った行動のように思いますが、そこで行われている子どもたちの脳の発達においては、かなり高度なコンピューターの処理のようなことが子どもたちの頭の中で行われているのでしょう。「いたずら」も考えものですが、そこでの学びもあるのでしょう。子どもたちが遊びの中で行っている遊びにはこういった見通しや因果関係の知識を得ること、反実仮想で物事を予想することといったことを学んでいるのだろうと思います。これは先生が一方的に教えるといった一斉保育や先生が逐一教える保育では養うことができないものであるのでしょう。「遊び」が大切にされるべき大切な部分はこういった育ちの意図にもあるのですね。

赤ちゃんの脳とコンピューター

人の脳内には地図を思い描くことと同時に、その地図をもとにして、色々な予想を思い描くようなことができるとゴプニックは言います。つまり、こう変えたいといったような青写真を描くというようなことができるようになります。そして、他にも人の脳につくられる地図にはもう一種類、出来事の複雑な因果関係を表した因果マップを描くようになります。

 

たとえば、幼児は生物学的な世界の予測することができます。しかし、幼児は生死、成長、病気、食物など複数の要因を考えるのではなく、すべてを一つの力で表す生気論的な世界像を持つようです。その力は食べれば増し、病めば衰えます。成長につれて強まり、死ぬと失います。このような予想を幼児はするので、この理論に則り幼児なりに予測をしていきます。しかし、それは時に大人にとっては奇抜な予想になります。「食べていればずっと成長が続く」、「背の高い人は背の低い人より年上」といったようなものです。つまり、「ものを食べるのは力をつけるため」という理論を持っているが故、その理論に子どもなりに則った理由付けになるのです。このように幼児特有の生物学的な因果マップが脳の中にはあるのです。

 

もちろん、人間以外の動物においても、空間を写し取る脳内マップが作れるものはあります。しかし、因果マップも作成できるかどうかは定かではありません。動物によっては特定の因果関係を理解しているものもいます。たとえば、チンパンジーがシロアリの巣をつつくと中からアリが出てくるといったように、自分の行動が直後の出来事を引き起こすといったことを理解しているなどです。他にも特別に重要な因果的なつながり、たとえば、腐ったものを食べると吐く、といったことも理解しているかもしれません。しかし、そうはいっても、人間なら幼児での備えているような因果マップを動物は持っていないとゴプニックは言っています。

 

1990年代、クラーク・グリマー率いるカーネギー・メロン大学の科学哲学者たちが、科学理論を数学的に説明する研究をしました。同じ時期に、ジュディア・パール率いるカリフォルニア大学ロサンゼルス校のコンピューター科学者たちも、科学者がするような予測や提案のできるプログラム作りを始めました。これら二つのグループは因果マップについて同じ一組の概念にたどり着きます。それはマップを数学的に記述し、それを使って正確な予測や介入をおこなったり、反事実を生み出す方法でした。これは「因果グラフィカルモデル」(ベイズネット)と言われるもので、たちまち人工知能の領域を席巻し、因果関係をめぐる新しい哲学概念を想起することになったのです。つまり、コンピューター上で因果マップを作成できるようになったのです。

 

これによってコンピューターは科学者や子どものように洗練された反事実の推論ができるようになりました。以前、「ディープラーニング」という人工知能について紹介しましたが、現在のAIはかなりこういった過去の事例つまり、過去の地図を駆使して、深い推論ができるようになってきたと言われています。現在このように赤ちゃんや子どもが研究され、AIやロボットに応用され、研究されていることが多々あります。以前、京都であった赤ちゃん学会においても、赤ちゃんの動きからロボットの動きが研究されたり、赤ちゃんの心理からどのような認知が行われているのかを考える研究もありました。

 

認知科学において、私たちの脳は私たちが知るどんなコンピューターよりも優秀であるという考えが中心にあります。これは未だコンピューター科学者においても覆ることのない部分であるようです。もちろん、現在の技術において、人間の脳とコンピューターとでは、優れた部分と劣っている分があるそうですが、まだまだ、赤ちゃんの脳の方がコンピューターよりも優れているとゴプニックは言っています。

脳内マップ

ゴプニックは因果関係の理解と反実仮想との関係は表裏一体だと言っています。世界の仕組みが理解できているから反事実を作り出し、別の可能世界を探求することができるのです。逆に因果関係の知識が理解できていなければ、反実仮想はできないのです。穴のないリングを棒に通そうと四苦八苦していた15カ月児はどんな時にリングが棒に通るかを知らなかったのです。

 

ゴプニックは「子どもはごく幼いうちから因果関係の知識を持ち、それを使って未来を予測し、過去を説明し、現実と違う世界を想像します」と言っています。では、それを可能にしている心の仕組みはどういったものなのでしょうか。それは子どもは世界を説明する素朴な理論「素朴心理学」「素朴生物学」「素朴物理学」の理論をもっているという言い方で説明できるのではないかとゴプニックは言います。これらは科学理論と似ていますが、論文や学会で発表されるようなものではありません。ほとんどは意識にすら上らず、子どもの脳でコード化されているものであるといいます。このように理論のような抽象的なものをコード化できるのは子どもの脳において、意識にはのぼることのない因果マップ、世界の仕組み正確にとらえた地図がかけるからなのだそうです。では、それはどういったもので、子どもの頭の中でどのようなことがおきているのでしょうか。

 

脳には地図を描くことができる機能があると言います。それは人間だけではなく、リスやネズミですらどこになにがあるのかを脳の中に認知マップを作ります。そして、この脳内で作られたマップは紙の地図などとは違い修正がしやすく応用もききます。まさに、カーナビと頭の中の知識としての地図ですね。そして、こういった機能を司る部分はどこであるのかも大体わかってきているそうです。脳の海馬がその場所にあたり、その海馬を除去されたネズミは、それまで抜けられた迷路を抜けることができなくなります。

 

マップは予想図の下地となる青写真にもなります。つまり、地図としての役割だけではなく、地図が世界のありようを写しとったものなのに対し、青写真は逆に世界をこう変えたいという予想図になります。たとえば、地図がなければ、あてもなく目的地まで歩き、行き方が分かれば、一度通った道を繰り返し歩きます。それに対して、マップがあれば、行き方の予想ができるだけではなく、様々な生き方の中から最短ルートを見つけることもできます。つまり、具体的な地図としてのマップと最短ルートを探索する青写真が作れるのです。これと同じことが脳内でも起きているのです。

 

人の頭の中では、こういったマップ作りが行われているのですが、これと同じように人の脳の中には「因果マップ」つまり、出来事の複雑な因果関係を表したマップが作られることもできるようになります。そして、子どもの脳の中にもこのマップ作りはすでに行われているとゴプニックは言います。

因果関係の理解

子どもでも反事実をもって想像ができるようになることが分かってきました。そして、その想像ができるようになることと因果関係を理解する思想と密接にかかわっているとゴプニックは言います。そして、このことは過去に考えられていた子どもの理論とは違って、子どもでも因果関係を理解しているということが分かったきたというのを前回の内容で紹介しました。では、子どもたちはこういった因果関係をどれほどまで理解しているのでしょうか。

 

心理学者ヘンリー・ウェルマンは、一年の有給休暇を使い、何百人もの幼児の日常会話を記録したデータベース「CHILDES」を研究しました。すると、2,3歳位は一日に何十回も、因果関係を説明したり、質問していることが分かったのです。それは「そんなにひねるからくまちゃんの手が取れちゃった」「ジェニーは自分の椅子が壊れたからあたしの椅子をとった」といった物理的な因果関係、「あの子は手を長くしたいからたくさん食べる」「いじわるなタカはお肉が好きだから食べる」といった生物学的な因果関係などが出てきました。その中でも、最も多かったのが、心理学的な因果関係の説明でした。それは「僕いい子だから昨夜はこぼさずに食べたよ」とか「あの人が怖くてあっちに行けなかったの」というような事柄です。他にもかなり抽象的で目に見えない原因も、幼児は理解できることが分かってきました。たとえば、種子の成分が芽を出させること、目に見えない細菌が人を病気にすることを理解していることなどです。

 

また、子どもは空想の世界に論理を持たせることもするとゴプニックは言います。ポール・ハリスの研究では、空想のクマちゃんがお茶をこぼしてしまったため、後始末をした話をする子どもが出てきます。ごっこ遊びにも「あたしはママ、あなたは赤ちゃん」など一定の約束事を作り、子どもたちはそこから因果関係に導き出されるルールに沿って遊ぶこともあります。そのルールを守らないと抗議されることもあります。たとえば「盾で守ったんだからレーザー光線はあたってないはずだよ」とか「赤ちゃんなんだからミルク飲まなきゃダメでしょ」といったようなかんじです。

 

考えてみると、こういった子どもたちのルールややり取り、それを相手に伝えたり、共有したりという行動は2歳児にはもうすでに行われています。ピアジェの理論では、こういった抽象的な因果関係ができるということはできないと考えられていたことに比べると、ずいぶんと考えが違うということが見えてきます。もしかすると、私たちが当たり前と思っている子どもの理論は数年後や数十年後には覆されている可能性があるのかもしれません。

 

以前私が聞いた講演でも、ある研究者の方が「私たちの研究は現場のために行っているものなので、現場で使ってもらわなければ意味がありません。そして、その中でまた見えてきた疑問を我々研究者が研究するのです。そのためには現場で試してもらったり、使ってもらわなければいけないのです。」ただ、研究者のいうことを鵜呑みにして子どもを見ることが大切なのではなく、あくまで目の前にいる子どもたちを見て、研究された理論を活用していく必要があるのだと思います。