人の心、自分の心

子どもはこれまで紹介したように、心の部分においても因果マップを作っていきます。そして、この因果マップは相手を理解して行動するということ以外にも、身の回りの人を操るためにも使うことができるとゴプニックは言っています。

 

たとえば、相手の好きなものを理解できていれば、それを利用して「買収」したり、出し惜しみすることで困らせたり、大盛りで気を引くようなこともできます。しかし、相手の欲しいものが理解できていなければ、こういった行動は無駄になります。つまり相手が何が好きで、何をしたいかを理解していないと相手に対して交渉はできないのです。心の理論をもとに人の行為を説明できるようになると、良くも悪くも、人の心に働きかけることが巧みになってきます。この様子は喧嘩であったり、ままごとなどで、関わっている様子を見ると分かります。巧妙に自分のやりたいことを相手に納得させるために、様々な妥協点を提案します。それは相手が我慢してくれそうな内容を提示し、予測していないとできないことです。これ自体は確かに、4歳後半や5歳頃でなければいけません。確かに考えてみると因果マップがしっかりと作られる時期と同じです。

 

人の心がよくわかる子は、そうでない子より社会に上手に溶け込みます。しかし、その反面嘘をつくことも上手になると言います。同じように同情心の厚い子は人の心を捉えるのもまた上手です。人の心を理解することは人を幸せにすることにも役に立ちます。しかし、それと同時に目的のために人を操ることにも利用できてしまうのです。このようにあからさまな反事実である「うそ」は、心の理論が分かっているからできるのです。こういった嘘を利用して他者を欺く能力は、複雑な社会生活を営む上で大きな利点になります。

 

幼児の嘘についての実験も行われています。実験者は箱を前に「この箱には玩具が入っているから覗いちゃダメ」と言って実験室から出ていきます。しかし、子どもたちの好奇心は強く衝動的であるため、その衝動に勝てません。その後、実験者が帰ってきて箱の中を覗いたかどうかを尋ねます。すると、箱の中を覗いたことは否定したものの、中に何が入っているかを思わず口にしてしまうことがあります。うまく嘘をつけるのは5歳頃からであるとゴプニックは言います。

 

このように心の動きが分かってきた子どもたちは、他者の心を理解できるようになるのと同時に、自分の心にも働きかけることができるようになります。つまり、自分の心を操るのです。これを「実行制御」とゴプニックは言ってます。それは「自分の行動、思考、感情をコントロールする力」であり、これは因果マップを持つのと同時に発達するというのです。

 

この「実行制御」という力、これは以前にも京都大学の森口佑介さんの著書でも紹介した「実行機能」と同じ内容です。人の心の理論は他者の理解と自分の感情のコントロールと同時に発達していくとゴプニックは言っています。ここに他者との関わりがこういった心の理論を獲得することの大きな意味があるのだろうと思います。他者とのやり取りにおいて関わることが自分をコントロールすることにもつながるのだろうということが見えてきます。

考えと信念の理解

ヘンリー・ウェルマンは子どもが赤ちゃんからもう少し年長になると願望、知覚、感情の複雑な因果関係も分かってくると言っています。そして、それに合わせて、様々な心の状態の組み合わせに応じた行動を予測できるようになると言います。

 

ヘンリー・ウェルマンの実験では、2歳児に「僕の友だちのアンが箱からおやつを取ろうとしている。箱の中にはブロッコリーかお菓子が入っている」と教えました。箱には蓋がされています。アンは箱を覗き、それから子どもの前でいろいろな感情を表現して見せます。そのあと、このシナリオについて実験者が子どもにいろいろ質問すると、子どもはスラスラ答えます。「アンががっかりしたのはなぜ?」と聞くと「お菓子じゃなくてブロッコリーがあったから」と答えました。他にも「お菓子があったから。『いやだわ』と言ったのはなぜ?」と聞くと「ブロッコリーがあったから。」と答えました。「アンが喜ぶのはどんなとき?」と聞くと「お菓子を見つけたとき」。「それはなぜ?」「お菓子が欲しいから」。「アンが喜びもがっかりもしないのはなぜ?」「箱の中を見ていないから」といったように、アンの心の動きと過去や未来の出来事の因果関係が分かっていなければ、こういった返答はできません。

 

他にも3歳児に対し、子どもにキャンディの外箱を見せてから、中に入っている鉛筆を見せると、びっくりします。ところが「他の人は、この箱に何が入っていると思うかしら?」と聞くと、その子は自信たっぷりに「鉛筆だよ」と答えてしまうのです。これは中が見えなければ、間違って答えるだろうという想像ができないのです。このころの幼児は、人の言動はその人の考えや信念と関係をもつけれど、その考えや信念自体が間違っていることもあるということが分からないのです。それが分かるのは4歳前後です。そのころになると「みんなはあの人のことを意地悪だと思っているけど、本当は良い人なのよ」といったことを言うようになります。人間がもつ世界観は後にそれが誤りであったと判明することがあります。しかし、3歳児は、こういった人の信念は周囲の世界に直接対応していると思っています。そのため、両者には実はもっと複雑な関係があることを知らないのです。だから、鉛筆の事例のように、中身を聞かれた人が、実際にある鉛筆以外の答えを返すという想像ができないのです。

 

乳児期から幼児期にかけて、こういった心の発達が行われるのですね。幼稚園や保育園でいうまだ言葉を発せない1歳児クラスの子どもたちでさえ、大人が何が好きで、どういったことを求めているのかということを理解しているのです。決して、受動的に物事を受け入れているのではなく、思っている以上に周りに目を向け、理解をしているということが分かります。しかし、相手が見ているものが自身と感じているものが違うという理屈を理解するまでにはもう少し時間が必要になるのですね。相手の気持ちの奥底を推測するというのは3歳児では難しいのかもしれません。このことは子どもの喧嘩やトラブルに際して、参考になります。まだ、こういった相手にも考えがあることはわかっていても、どういった信念もって、話しているかの推測ができないというのを考えると、まだまだ、直観的なやりとりになってしまうのかもしれません。2歳児クラス~3歳児クラスにかけてはこういった相手との気持ちのやり取りを通して関わる機会が必要であり、なぜ、いやいや期と言われる時期なのかが分かります。相手も自分と考えていることが同じと思うからこそ、なぜわからないのかをサインとして出しているのかもしれません。だからこそ、2歳児には「共感」が重要なやりとりになってくるのでしょうね。子どもの発達段階的な関わりを通して見ると様々な様子が見えてきます。

人の心の理解

空想の友だちを子どもたちが持っているということが、これまでのゴプニックの話でありました。これにおいて、ゴプニックは「空想の友だちは心の世界の反実仮想です。」と言っています。「こうなったら、こうなる」という可能性を子どもたちは心の中で行っているのです。空想の世界で、クマちゃんが水をこぼせば、空想の床が濡れるといったように、空想の友だちにも現実世界の因果関係が反映されます。それは空想の友だちが最もよく出現する年代の発達が2~6歳にかけてであり、これはちょうど子どもが素朴心理学、心の因果関係についての理論を学ぶ時期にあたります。

 

そして、この時期、子どもは自分と他人の心について基本的な事実を学ぶのです。そして、分かった事実をもとに心の因果マップを書き始めます。このことで、願望、信念、感情といった心の働きと人の行動の間にも因果関係があることを理解し、「心の理論」を身につけていくのです。その最も大事な原則の一つは「人は誰もが同じような信念、知覚、感情、願望を持つわけではなくて、これらが違えば行動も違ってくる」ということでした。

 

言葉を話す前の赤ちゃんにも、人の心はそれぞれだということが多少わかるらしく、その理解をもとに予測を立てることもあるようです。ゴプニックらによる実験では、生後14カ月と18カ月の赤ちゃんの前に、一方はブロッコリー、もう一方はクラッカーをいれた二つの器を差し出しました。予想通り、赤ちゃんたちはクラッカーを大喜びで食べましたが、ブロッコリーには口をつけませんでした。次に実験者自ら、赤ちゃんの前で両方の味見をして見せます。その時に、クラッカーはまずい、ブロッコリーはおいしいことを表情で示し、それと同時に「うわ、まずい、クラッカーね」「まあおいしい、ブロッコリーだわ」と言います。つまり、赤ちゃんとは好みが別であることを示したのです。その後で、赤ちゃんの前に手を出して「ちょうだい」と言います。すると、赤ちゃんは自分の好きなクラッカーを差し出します。しかし、18か月の子においては、相手の反応を正しく予測し、ブロッコリーの方を差し出します。つまり、自分とは好みが違うということを理解していることが分かる内容です。

 

以前、赤ちゃんが熊手を使って物の理解をしていることを紹介していましたが、18カ月児においては、相手の気持ちの理解もでき、その人を喜ばせる方法を正しく予測判断ができるということが分かります。

 

この後、もう少し年長になってくると、願望、知覚、感情の複雑な因果関係も理解できるようになり、様々な心の状態の組み合わせに応じた行動を予測できるようになるようです。そのことを研究したのが、ヘンリー・ウェルマンの実験です。

空想世界と空想の友

心理学者マージョリー・テイラーは空想の友だちをもつ幼児期の子どもたちの現象を研究しました。彼女によると空想の友だちがいる子といない子は、わずかな差でしかないようです。まずは、一番上の子と一人っ子は、下の子より空想の友を持ちやすい傾向があります。外交的な子は内気な子より空想の友を持ちやすいことも分かったそうです。また、テレビをよく見る子は空想の友を持ちにくく、本をよく読む子も同じであったそうです。どうやら他人の空想世界に浸っていると自分の空想世界をつくりにくいのかもしれません。しかし、ある特定の子どもが空想の友を持つようになるかどうかを予測するのはほぼ不可能であると言います。空想の友だちは、特殊な才能があったり、頭が混乱していたり、飛び切り想像豊かな子に見られるものではなく、子ども一般にみられる現象というのが正しいのだそうです。

 

この空想の友を持つことは他のごっこ遊びと同様、空想の友だちも子どもにとっては実感があるもので、子どもは明らかに情緒的な反応を示します。これまでこういった子どもたちは精神分析の面から言うと現実認識に問題を抱えていると考えられていました。フロイト流の精神分析でいうと、空想の友だちのいる子どもはセラピーの必要な神経症患者であったのです。しかし、レイラ―の研究が示したのは空想の友だちがいる子とは、天才の証でもなければ、病気の兆候でもないということを示しています。そういった子どもたちは並外れて賢いわけでもなく、創造性豊かだとか、内気すぎるとか、心に問題を抱えているということでもないのです。空想の友だちは悩みやトラウマの産物ではなく、ほとんどの子どもたちにとっては単なるごっこ遊びの一つでしかないのだと言っています。事実、空想の友だちをもつ子にも現実と作り話は違うということが分かっており、空想の友だちは実在しなことも理解しています。そのことを面接法という方法で明らかにしました。

 

面接法では子どもたちに実際、様々な質問を投げかけます。空想の友だちについて、「なまえは?」「尻尾はどれくらいあるの?」といったようにです。そのうち、子どもたちは途中で質問をさえぎるように、彼女を心配するようなそぶりで「本当はそんなのいないよ」「いるふりをしているだけだよ」と答えたそうです。つまり、逆に質問者の質問に子どもたちが付き合ってくれていたのです。

 

このように子どもたちはごっこの延長で空想の友だちを作りますが、その発想は成長い連れてよりスケールが膨らんでいく子どももいます。それが「パラゴズム」と言われる、独自の言語、地理、歴史をもった空想世界です。これについてもテイラーは面接法によって、検証していきます。それによるとごく平均的な10歳児の中に、空想宇宙を持つ子が少なからずいることを確かめました。ある男の子は空想世界をもって人造人間や凶悪な種族がいる惑星を想像し、9歳のときからその子の生活の中で大きな位置を占めていたそうですが、12歳になると心の中から消えていきました。

 

このように子どもたちは現実世界とは切り離して空想世界や空想の友を持つことがあるそうです。しかし、空想世界をもつといった現象は空想の友を持つことに比べ、注意が向けられるようになったのはここ最近だと言います。しかし、思えば、物語を書く小説家の中には昔から空想して話を作ることが好きだったという人が多くいます。それでも空想世界について目が向かなかったのは、大人に対して秘密にされていたからなのかもしれないとゴプニックは言っています。

心の世界と因果関係

子どもたちは物理的世界や生物学的世界の因果関係をどうやって知り、そこからどんなふうに反実仮想するのか。つまりどのように想像をめぐらし、可能性を思い描くのかということをこれまでアリソン・ゴプニック氏の話をもとに紹介しました。子どもたちは様々な因果関係が分かると、実際に起きたことだけなく、起きていない事態も思い描けるようになるのです。つまり、その予測ができるようになると言います。

 

次にゴプニックは「予測」といったものだけではなく、もう一つ世界の因果関係の知識とそこから生まれる想像について紹介しています。それは「心の世界」です。子どもたちはこの世界では物の理論ではなく心の理論を、素朴物理学ではなく、素朴心理学を学んでます。子どもの生活にはむしろ、これまでの予測といった知識よりもこちらの心の世界の知識の方が大事かもしれないとゴプニックは言います。

 

なぜなら、人間のような社会的な動物にとって、他人の行動を理解し、それを変えようと働きかけることは、物質の仕組みを理解し、それを変える以上に切実なことだからです。人類学者の多くが、「マキャベリ的(権謀術数にたけた)知性」の発達こそ、人間の認知能力を進化させた原動力だと言っています。このことについて、ゴプニックは「人間は弱い生き物でひとりでは生きられません。生き残れるかどうかは、望んだことを他人にしてもらえるかどうか、他人と同盟を結び、連携し、チームを組めるかどうかにかかっています。」と言っています。人は厳しい自然環境の中で生き残っていくために集団を形成して生き残っていくという戦略をとりました。人と協力することで問題を解決してきたのです。そのため、集団を形成するために社会性を持つことが必要になります。このことに人が因果関係の知識とそこから生まれる想像が関係してくるのです。

 

ゴプニックは心の世界の因果関係や他人の行動を理解し想像する能力はフィクションを捜索する大人の作家や詩人、俳優、映画監督に求められる能力と同じと言っています。それは子どもたちの遊びの中でも繰り広げられています。それが「ごっこ遊び」です。そのなかでもゴプニックが注目しているのが「空想の友だち」つまり仮想の存在が出てくるごっこ遊びです。これは人間特有の社会性と情緒がベースにある知的な遊びだと言っています。空想世界に遊ぶ子どもは、世界の仕組みを探求する小さな科学者の別の姿で、その自由奔放な遊びは未熟なままで守られる長い幼児期を持つ人類の進化戦略に組み込まれているものなのだと言っています。

 

確かに、私も小さい頃は何かを想像して遊ぶ、いわゆる「見えない敵と戦う子」でした。しかし、考えてみるとなぜ、そういった遊びをするのでしょうか。幼稚園の子どもたちを見ていても、人形に語りかけ人格あるものとして遊んでいます。歴史的にも、地域的にも、こういった人形遊びというのは幼児期の子どもたちにとっては大体あるものです。当たり前すぎてそのことに疑問を持つことがなかったですが、一体、そういった人形や空想をもって遊ぶということにどういった意味があるのでしょうか。