前回の実験の紹介のように、子どもたちでも統計を基にした因果推論や確率計算を行っていることが研究を通して見えてきました。こういった因果学習のための実験は科学者がするように厳密な実験である必要はなく、乳幼児が遊びながらするような介入でも、十分であることが分かっているようです。
では、これまでの幼児ではなく、赤ちゃんはどのような因果学習をしているのでしょうか。赤ちゃんにおいても、自分のしたことがどんな結果を引き起こすかには強い関心を示すようです。たとえば、3ヶ月の赤ちゃんの片足と、頭上のモビールをひもで結び、足を蹴るともビールが動くようにすると、赤ちゃんは夢中で足を動かします。これは赤ちゃんにとって「実験」なのでしょうか。それとも、ただモビールを動かしたいだけなのでしょうか。これを確かめるために、足に結んでいないのに動くモビールを、足に結んであるモビールと同時に見せます。すると、赤ちゃんは、足に結んだモビールの方をよく見て、そちらを見たときによく笑い、はしゃぎます。つまり、赤ちゃんは単に動くモビールを見たいのではなく、どうしたらモビールが動くのか確かめたいのです。そして、「実験」がうまくいくと喜んではしゃぐのだとゴプニックは言います。
さらに赤ちゃんは足をいろんな風に動かし、それにつれてモビールがどう動くか調べます。一方の足を蹴ったら、次は反対、次は片腕を振ってみるというように調べます。その間ずっとモビールを観察し続けるのです。また、赤ちゃんをいったんベットから出し、再びベットに戻してあげると、すぐに正しい(モビールのついている)ほうの足を蹴ってモビールが動くことを確認します。この実験によって赤ちゃんが確かめているのは単純な動作が直接引き起こす結果だといいます。
これが一歳児近くになると、もっと変化にとんだ実験ができるようになります。赤ちゃんが複雑な実験的遊びもし始めます。例えば、ブロックでテーブルをたたく場合も、同じことを延々と繰り返すのではなく、強弱をつけたり、1回コツンと叩いたら次は揺り動かすなど、変化をつけ、その結果を注意深く観察するのです。また、直後の出来事ばかりではなく、もっと「下流」で起こることにも赤ちゃんは注意を向けると言います。一歳半の子どもにブロックを渡せば、その子はきっと、組み合わせや配置、角度を変えながら、どうすれば塔ができるか、どうすれば同じくらい満足のいく「崩壊」を起こせるか調べ始めるというのです。
これらの行動を「実験」として観察するのか、単に遊びとして捉えてみるのかはとても大きな違いであります。しかし、見方を変えてみていくと単純に「赤ちゃん」と言われる子どもの様子の中に、様々な学びが起きていることがわかりまし、高度な予測を起こしているということも見えてきます。私の娘も今、6ヶ月ですが、毎日、「できること」が増えてきて、一日一日の成長発達が著しい時期です。人が複雑な社会の中で生きていく中で必要な力であったり、能力は周囲の環境によって影響されていくというのは非常に強く感じます。その環境を変えていくために、大人は子どもの日々の中で起きている変化に「期待」をしなければいけないのではないかと最近保育を見ていて感じます。そして、その期待ということこそ、今回のゴプニックのように「赤ちゃんはこんなことをしているのではないか」といった検証や実験によって見えてくるものなのではないかと最近感じます。ここでいう検証や実験というのは子どもに対する期待や面白がるところと同じなようにおもいます。
2021年4月25日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
赤ちゃんが白と赤の球の入った箱から、各々の球が出てくる様子を見て、意外なものの方を見つめる様子を見て、赤ちゃんが可能性の確立を理解しているということが考えられました。次に、科学者がしているように、確率パターンから因果関係を推測することはどうなのか?ということですが、結論から言うと、赤ちゃんは確率パターンから因果関係を推測することができるようです。しかも、それは遅くても二歳半、もしかするともう少し前から、確立に基づいた因果推論ができるようになるようです。
この検証には以前、紹介した「ブリケット探知機」を使います。改めてこの装置の説明をすると、この装置は特定のブロックを載せると光がついて音楽が鳴りますが、決まったもの以外のブロックを載せたときは反応しないといったものです。まずは、このブリケット探知機において、ブロックの置き方と装置の作動状況をいろいろな組み合わせで見せます。つまり、様々な例を子どもに提示します。そのうえで、装置を作動させるのはどのブロックかということ、装置はどうすれば止まるのかということを子どもに答えてもらいます。
この実験では2回実験を行います。1回目は白のブロックを載せると音が鳴り、黒のブロックでは音が鳴りませんでした。白と黒両方載せると音が鳴ります。2回目では白のブロックを載せると音が鳴ります。黒を載せるだけでは音が鳴りません。しかし、2度黒のブロックを載せると音が鳴ります。この2つの実験を見て子どもたちがどのようにブリケットを見つけるかを見ます。2回の実験では、微妙に違いがあり、1回目では白と黒とを一緒に置かなければ装置は作動しません。つまり、白ブロックという要因を取り除いて考えないと断定できないのです。結果はどうだったかというと、3歳、4歳、時に2歳の子でも、白という要因を取り除くという判断ができました。1つ目の実験では白がブリケットで、2つ目の実験では白も黒もどちらもブリケットだと正しく答えたのです。つまり、科学者が喫煙とがんの関連を調べるときのように統計に基づいて行う因果推論を行うことができたのです。
次の実験では子どもたちは覚えた知識を使って世界に変化を起こせるかです。これも2回の実験を行います。1回目は黒のブロックを載せたときは音が鳴りません。ブロックが乗っていないと音はなりません。白のブロックを載せます。すると音が鳴ります。つづいて、白と黒のブロックを載せると音が鳴ります。2回目は黒のブロックを載せると音が鳴ります。部録がなければ音はなりません。次に白のブロックを載せます。すると音が鳴ります。黒と白のブロックを載せると音が鳴ります。といった2つの実験です。そして、子どもたちに白と黒のブロックが乗った状態で、子どもに「音を止めて」と頼みます。つまり、一つ目の実験では白を取り除くと音が止まります。2回目だと白と黒を取り除かなければいけません。
子どもたちはこの実験においても、装置を止めるところを見ていないにもかかわらず、止めることができました。つまり、因果推論を働かせ、装置の停止という小さな変化を起こさせたのです。
他にもブリケット探知機を使った実験では、幼児が無意識のうちに確率計算をしていることも分かったそうです。あるブロックで装置が6回中2回、別のブロックでは4回中2回作動するところを子どもに見せます。すると簡単な足し算もできない4歳児が後のブックの方が装置がよく動作すると答えたのです。
子どもたちは何もできない存在ではなく、実に緻密に世の中を見ているのですね。
2021年4月24日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
赤ちゃんが言葉を習得していく過程の中で、「馴れ」というものにジェニー・サフランは注目しました。赤ちゃんは音節と音節の組み合わせのパターンの出現確率が分かってくると前回出てきて例でいうと「プリ」と「ティ」はセットであること「ティ」と「ベイ」がセットでないことを理解していたのです。そこには「馴れる」といった「馴化」という現象があるのではないかというのです。赤ちゃんが馴れたものより新しいものに関心を持つという心理傾向を利用したのです。
この実験では、たとえば、赤ちゃんに同じ音を何度も聞かせると、そのうちに飽きてそっぽを向いてしまいます。ところが、新しい音を聴かせると再び耳を傾けるようになります。サフランはこの原理を使って、赤ちゃんが確率パターンに反応するかどうかを調べました。
たとえば、様々な音節を意味も切れ目もなく羅列してものを赤ちゃんに聞かせます。一つの例では「ガ」は必ず「バ」の直後、「ダ」はいろいろな音節に続くようにし、「ダ」の前が「バ」である確率は3分の1としました。そして、赤ちゃんに様々な無意味な「言葉」、「バダ」「バガ」などを単発的に聞かせます。すると、「バガ」よりも「バダ」のほうに強く反応したのです。この「馴化」といった現象は言語の習得だけに限らず、音階や目に見える物体においても、8か月の赤ちゃんは同じように確率パターンを判別したのです。
また、ブリティッシュ・コロンビア大学のフェイ・シューの実験によって、9か月の赤ちゃんはいくつかの重要な統計学的概念を理解できることを示しました。まず、赤白をまぜたピンポン球が入った透明な箱を赤ちゃんに見せます。球はほとんどが白で赤はわずか、またはほとんど赤で白がわずかにしています。次に箱の側面を覆い、中が赤ちゃんに見えないようにします。それから実験者は箱から5つの球を連続して取り出します。取り出す球は赤4つに白1つか、白4つに赤1つになるようにします。白の多いほうの箱から赤が4つも出るというのは、意外な結果ということになります。
赤ちゃんも同じように思うようで、白の多い箱から赤が4つ出たときの方が、同じ箱から白が4つ、あるいは赤が多い箱から赤が4つ出たときよりも実験者を見つめている時間が長かったのです。これは9か月の赤ちゃんでも、可能性の確率を考えていたということが分かります。
9か月の赤ちゃんが統計学の基本である確率パターンの判別ができるということが分かりました。次に、確率パターンから因果関係を推定することも赤ちゃんはできるようになるようです。ゴプニックはそのことについて、紹介しています。
2021年4月23日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
これまでの内容を踏まえると、因果マップを持っていることで、様々な予測を可能にすることができます。つまり、因果マップをいくつか描くことで、そのうちのどれが正しいかを判断するにはどうしたらよいのかを判断します。因果マップはつぎにどんなことが起こりやすいかが示されているからです。そのため、どちらが正しい判断になるのか、実験や大掛かりな調査をすることで新たな証拠を集める必要があります。こういった証拠集めを行っていく中で、どの因果マップが予測に合致する証拠を携え、正しい確率が高いのかが分かってきます。つまり、因果マップによって予測を立て、その予測を立て、その予測を実際に得られた証拠と突き合わせることで、もとのマップのうち、どれが正しい可能性が高いかを統計的に判定するのです。現在こういったことはロボット工学において、研究されています。複雑な因果的つながりを学べるプログラムは開発がされています。
一見難しいように感じますが、人間は意識的にやろうとしてもできない複雑な作業を、直観的に行っていることが多々あります。例えば、自動車を運転する時に、無意識のうちに道路の状況について複雑な計算をしながら、アクセルやハンドルを操作します。文章を読むときには、複雑な音声や構文を無意識のうちに統計処理しています。では、乳幼児はどうなのでしょうか。ゴプニックは乳幼児も、優秀な科学者やNASAのコンピューターと大差ない方法で統計処理をし、実験をし、他人の実験を参考にして世界の因果構造を学習しているということが分かってきました。
1996年科学雑誌『サイエンス』にジェシー・サフランが生後8か月の赤ちゃんが統計的パターンに感受性を持つことを示す論文を発表しました。それは、その後の赤ちゃんの学習能力に関する研究の端緒になったのですが、その論文の中でサフランは赤ちゃんの言語習得法に注目します。例えば、赤ちゃんに対し「プリティ・ベイビー」というのを言ったとします。話ことばであると、「プリティ」と「ベイビー」には区切りがありますが、「プリティベイビー」と単語と単語が切れ目なくつながって聞こえます。では、その言葉が「プリティ」と「ベイビー」といった単語がつながったもので、「ティべ」といった単語は含んでいないと赤ちゃんはどうやって理解していくのでしょうか。
それは音節の出現パターンによって理解するのではないかと言います。生後8か月の赤ちゃんは「プリ」の後に「ティ」、「ベイ」の後に「ビー」が来るパターンを何度も聞きます。しかし、「ティ」の後に「ベイ」が来るパターンは聞くことがありません。こうして音節と音節の組み合わせパターンの出現確率がわかってくると、赤ちゃんは「プリ」と「ティ」はセットであり、「ティ」と「ベイ」がセットでないことを理解するのです。
そのため、サフランは赤ちゃんにとって「馴れる」ことによって学習が行われるのではないかと考えます。
2021年4月22日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
子どもが自由に因果マップを描き、反事実を探求していることに比べ、大人は空想世界と現実世界を区別していること。区別することで有益な活動に空想世界を活かすということを大人は行っているという差があることをゴプニックは言っています。このような差は幼い自分と大人の自分とで一種の役割分担をしているのではないだろうかというのです。
こうした役割分担は、大人と子どもの特性に、まだこれ以外にも違いをもたらしているようです。その一つが「自制する力」です。赤ちゃんと幼児、子どもと大人では、抑制すること、つまり衝動的な行動を自制する力に大きな違いがあります。大人が大きな目的のために目先の楽しみを我慢できるのはこの自制する力があるからですし、子どもが遠慮しらずと言われるのはこの力が弱いからです。この力は脳の前頭前野の変化と関連があるということが分かってきていますが、ゴプニックはこの自制の力がないからこそ、子どもは大人よりもより探求するのではないかと言います。
「自制心がない」というのは日常生活をうまくこなすという意味では欠陥として捉えられます。しかし、この欠陥として捉えられる「自制心のなさ」は逆に言えば、子どもが架空の世界での想像において、役に立ちそうな可能性に限らず、どんな可能性でも探求することに制約がないことにも繋がります。それに比べ、大人は現実世界との兼ね合いを考えると差し迫った未来の反事実を重視します。要は実益に伴ったものを想像してしまうことがほとんどでしょう。このように大人と子どもではその想像する幅の広さや探求の意味というものがちがってきます。人類はこういった限りない探求を許すことで、子どもが大人よりも多くを学べるように進化してきたのではないかとゴプニックは言うのです。
もちろん、子どもたちはごっこ遊びをするにあたって「世界や他人のことを学んでいる」といった自覚はないでしょう。しかし、「子ども期」におけるごっこ遊びをするということは非常に重要な活動であり、仕事でもあるのです。
このように考えると、ごっこ遊びの環境を保育の中に環境として用意しておくことの重要性を感じます。子どもたちはただ単に様々な役割を楽しんでいるというのではなく、役割を通して、その社会を学び、探求しているのだということが見えてきます。そして、そこで起きることの見通しや段取り、コミュニケーションといったものにも反事実や心の因果マップが利用されます。人と関わる遊びというのはそれだけ想像力を求められます。相手の気持ちを察することや思いやりを持つことは心の因果マップを持っているからだということが分かります。
「遊びは学び」とひとえに話すことが多かったのですが、こうやって理論を含め、その遊びの意味を探求していくことは非常に意味のあることということを強く感じます。
2021年4月21日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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