子ども期と成人期の愛着

知識というのは、内容だけでなく、それがどんなふうにまとめられているかがこれまでの 研究で見えてきたとゴプニックは言っています。それはどういうことかというと、子どもの頃、親からいかに愛されたか多弁に語った母親の子どもは、安定型の愛着パターンをとる傾向がありました。一方で、子ども時代につらい思いをした母親のなかには過去を系統的に回想できる人と、つぎはぎで混乱した回想しかできない人がいたのです。親との関係がとても悪くても、当時の体験をきちんと振り返れる人は幼児期の体験が今の自分にどうつながっているか、きちんと順序だてて話すことができるようです。

 

このように因果的に一貫した世界像を描けるということは、そうではない世界も、反実仮想によって思い描けるということでもあります。つまり、親のしたことをきちんと理解し、そのうえで、別の可能性も思い描くことができるのです。これは、子どもとの安定した関わりにも影響します。こういった人は子どもと安定した関係を築く傾向があったのです。反対に、親に愛されていても、その状況を細部まで想起できない人たちは、自分の子どもとは安定した関係を築きにくい傾向がありました。

 

反実仮想を描けるにしても、体験をつぎはぎになっている場合とまとまっている場合とでは大きく違うようです。つぎはぎの記憶であれば、その因果関係を理解するということは難しくなります。しかし、物事を一貫して記憶しているということは過去と今とがリンクしていることにも繋がりますし、それが結果として親のしたことを整理し、理解することにも繋がるのです。

 

現在こういった研究は起きていますが、かなり長期的な研究になっています。つまり、子どもが20歳、30~40歳になるまで追跡しなければ、その影響というのは見えてきません。しかし、現状においても、幼児期と成人後の愛着のパターンにかなり強い相関が認められるのです。ただ、こういったここから導き出された結果から見えてくるのは、あくまでここで言われているのは統計的に見てという事なので、細かい個々のデータを見ていくと、赤ちゃんのとき不安型や回避型でも、自分の子どもには愛情をたっぷり注ぎ、安定型の関係を築く人、逆に赤ちゃんのとき安定型だったけれども、自分の子どもは非安定型になるケース。先ほどあげた例でもあるように、不幸な子ども時代を系統的に振り返れる人は、自分の子どもと安定した関係を築く傾向がありました。

 

また、子どもの愛の理論は途中で修正されることもあり、その場合新しい体験が決定的な要因になります。たとえば、新しい養親、献身的な先生、友人の温かい家族などが、非安定型の子どもを安定型に変えることもあるのです。逆に、安定型だった子どもが、親の病気や離婚などによって愛を失うと、以前のように愛を信じられなくなってしまうこともあるのです。

 

統計というはあくまで「統計」というように見ていかなければいけません。すべてがそれであるということにはならないのです。しかし、その中で傾向から外れている要因は何なのかをみていくと、愛着における大切なことが見えてくるように思います。統計とはいえ、多くの場合、幼児期の愛着が大人になったときに自分の子どもにまで及ぶというのが見えているというのはしっかりと認識しておかなければいけませんね。そして、仮に悪い愛着状態であったとしても、新しい体験を通して、良いベクトルに変えることができるということも同様に認識しておかなければいけないと思います。

 

今の時代、保護者、特に母親における負担がかなり大きい時代であります。そういったときに幼稚園や保育園といった乳幼児教育において、どのようなアプローチができるのか、どういった位置づけで動くべきなのか、こういった研究を通して考えていく必要がありますね。

共通点と愛着

大人における愛の理論でも、乳幼児期の体験が影響することがいえるようです。また、セリータ・チェンとその同僚たちが行った調査では自分たちが感じている愛が、後々まで無意識のうちに微妙な影響を起こしているということが見えてきました。この調査では大学生を対象に自分が大切に思っている愛する人を1人選び、その人の特徴を用紙に箇条書きで書きます。さらに別の用紙に愛してはいないけれど知っている誰かの特徴も箇条書きにします。その数週間後、同じ学生たちを対象に、他の学生が書いた人物描写を読ませ、内容を飲み込んだ後に、実際にあって、どう感じるかを話してもらいました。

 

その際、他の学生が書いた2番目の調査の特徴の中に、その学生の愛する人の特徴の多くを潜り込ませます。すると、愛する人との共通の特徴を読んだ時の学生の反応は、そうではない特徴に対するものとは大きく異なりました。まず、愛する人と共通点を持つ人は、他の点でも愛する人に似ていると想像する傾向が見られたのです。他者に愛する人との共通点以外のところまで描写していたのです。

 

さらに、愛する人との共通点をもつ人への態度にも、愛する人に抱いている気持ちが反映されたのです。つまり、母親と中のいい学生であれば、母親と共通点が多い人とあってみたいという傾向があったり、母親に小言を言われるような学生は、母親と似た人と会うことに不安を感じていたのです。こういった反応は関心のない人物に似た描写を読んだときには示されなかったのです。

 

こういった傾向はよくありますね。人がうわさ話や陰口に振り回されたり、人の評価をしてしまったりするというのはこれと同じようなことが日常でも起きているからなのだろうと思います。それほど、人は相手に対して、見通しを持ち、想像しながら人と関わることを行っているのだというのです。

 

幼児期に形づくられた愛の理論は、大人になってから他人に抱く期待にも影響を及ぼしているようです。また、それは後に自分の子どもへの接し方にも影響が出てくるようです。ゴプニックが紹介している研究では、初めて出産を控えた女性に面接し、子どもの時代のとりわけ愛着に関わる話を聞きました。その後、生まれた赤ちゃんの別離行動がどんなふうになるかを観察すると、それは母親の子ども時代の愛着パターンにそっくりだったそうです。つまり、それは子どもの深層心理の中に母親の親の影響があるということが、見えてくるのです。

大人の愛の理論

これまで赤ちゃんの愛着の型など愛の理論をゴプニックは紹介していました。では、この愛の理論とそのほかの理論はどのように違うのでしょうか。その一つはデータの違いです。物理的や生物的な世界のことであれば、赤ちゃんはたくさんの安定したデータを採ることができます。たとえば、ボールは落下する。ほとんどの種は芽を出してやがて花が咲く。といったことや、ほとんどの魚は、飼ってもすぐに死んでしまうといったことです。しかし、愛の理論の場合は、両親やきょうだい、祖父母、場合によってはベビーシッターと少ない顔ぶれからの量も変化も乏しいデータです。しかも、ボールや種や魚は、どれも同じようにふるまいますが、人間の養育者には個人差があり、しかも、同じ人がいつも同じ振る舞いをするわけでもありません。母親とはいっても、人それぞれである上、その時々の悩みや強さ、弱さを抱えています。赤ちゃんのご機嫌が変わったらぱっと対応できるときもあります。でも、どんな母親にも、ほかのことで頭がいっぱいだったり、自分の怒り、悲しみに気を取られているときがあるのです。

 

このように養育者と子どもの間の不均衡な関係、つまり、人によっても、時と場合によっても、関わり方が変わることは、実際に恐ろしいまでの情念をはぐくむことになるとゴプニックは言っています。客観的に見ると、煩雑な暮らしのなかで精一杯頑張っている個人に過ぎない養育者ですが、赤ちゃんにとっては、、絶大な存在となります。一人か二人かの弱い人間が、子どもの愛の観念を規定してしまうかもしれないのです。

 

また、物理的世界では、幼児期の理論と大人の理論の連続性がつかみにくく、大人になると誰もがほぼ同じ理論に収束していきますが、愛の理論ではそうではないからです。愛の理論においては、赤ちゃんの時の個人差が大人になっても残されているという証拠が最近では多々見つかっているようです。では、大人の場合、愛の理論はどのようにして調べるのでしょうか。

 

大人の場合は、面接で親との関係を質問したり、自分にとって大切な人を言葉で描写してもらい、その時に使われた形容詞を拾い出したり、恋愛体験について質問に答えてもらったりします。空港で大事な人に別れを告げるときの振る舞いを見るというのもあります。このように調べていくと、大人の中にも、赤ちゃんと同じようにm自分はこれまでもこれからも、ずっと愛されていると信じきっている人がいるかと思うと、過去や未来の愛のことなど考えたくないという人がいます。後者は親がどんな風に接してくれたかよく覚えていないとか、恋愛でストレスを感じたときはパソコンに向かって仕事に没頭するなどと答えます。

 

一方で、いつも自分が愛する以上の愛を相手に求めてしまう人や、人を愛しても報われるより拒絶される方がずっと多いと感じている人もいます。その場合、出発ロビーでも、ゲートをくぐる最後の瞬間まで恋人にしがみついている人と、できるだけさりげない別れを装う人がいるのです。大人においても赤ちゃんと同じように、いくつかのカテゴリーに分かれているようです。また、大人の場合も、愛している人を中心に、相手への共通点を持つことで好感をもったり、逆に影響を受けていることがあるようです。

愛着の理論

赤ちゃんは人によって愛着のパターンを使い分けるということをゴプニックは言っています。人により、安定型や不安型、回避型などのパターンを自分の発する信号をどのように養育者が受け取るかによって統計的に証拠を集めます。そうすることで、自分がその大人に対して、どのような愛着のパターンをとることが良いのかを選ぶようです。もちろん、赤ちゃんの気質や遺伝要因によって、愛着パターンに影響が出ることもありますが、環境による要因からの影響もあるのです。

 

では、赤ちゃんにおける安定型と非安定型(回避型など)において愛の理論というのはちがうのでしょうか。これについて、スーザン・ジョンソンは、1歳児の愛着パターンが安定型か非安定型かを、アニメーションを使ってテストしました。その研究により、愛の理論が違うことがはっきりと示されたのです。画面には「母親」を表す大きな丸と、「赤ちゃん」を表す小さな丸が出てきます。大きな丸は坂を上っていこうとしており、小さな丸は坂のふもとにいます。2つの丸は本物の人間のように交流します。ある時点で「赤ちゃん」は体を震わせ始め、そこに本物の赤ちゃんの泣き声が重なります。そして、ストーリーは二通りに分かれます。1つは、「母親」が坂を下りて、「赤ちゃん」のところへ戻ってくるもの。もう一つは母親がそのまま赤ちゃんを置いて坂を上ってしまうものです。

 

安定型の赤ちゃんは自分の理論をもとに「母親」は戻ってくると予測したので、戻ってこない不思議な母親の出てくるアニメの方を長く見つめていました。ところが、これと正反対の理論を持つ非安定型の赤ちゃんは、母親は行ってしまうだろうと予測したため、「母親」が戻ってくる方のアニメを長く見ていました。

 

また、ジョンソンは先ほどの実験とは別に、今度は小さな丸で表現された「赤ちゃん」の行動を予測させる実験もしてみました。するとやはり、愛着パターンによる違いが認められたのです。安定型の赤ちゃんが「赤ちゃん」が「母親」の方へ行くだろうと予測したのに対し、非安定型の赤ちゃんは、このような予測をしませんでした。実験に参加した赤ちゃんたちは、幼い子ではまだ12カ月でしたが、早くも愛の理論をもとに行動予測をしていることが分かったのです。

 

このような赤ちゃんの愛着パターンは5歳・6歳になってから、愛をどう表現し、考えるかということと関連していることも分かりました。この年齢になると愛に関わる予測や反実仮想ができるようになります。たとえば、ある子どもの親が旅行することになりました。この子はどんな気持ちになりますか?この子はどうしたらいいですか?と質問したところ、赤ちゃんの時に安定型だった子どもは、その子の気持ちを予測し、適切な行動を提案しました。(電話を掛ける。母親の写真を見るなど)、しかし、回避型だった子どもは、その子が悲しむまではわかるのですが、役に立ちそうな提案ができなかったのです。(自分自身が別離の悲しみを表現しないから)

 

つまり、赤ちゃんのころにもった、愛着の理論であったり、予測といったものが幼児に上がったのちにおいても、影響を受けるのです。という事を考えたときに私は思うのですが、こういった愛着のパターンをケースを多く持っておくことが重要なことなのかもしれません。以前、母親と父親では愛着のパターンの出方が違うという話がありました。それだけ、子どもたちはしたたかに大人を見ているのです。もちろん、安定した安心基地があるからこそ、多様な行動もとれるのだろうとは思いますが、それだけの社会性を持っている赤ちゃんであるというのを考えると様々な大人との出会いを通してコミュニケーションであったり、愛着の理論というものの深まりはより深まっていくのかもしれません。やはり、人は社会の中で生きていくものなのですね。

人を使い分ける

赤ちゃんの愛着のパターンには「安定型」と「回避型」「不安型」とあり、「安定型」が必ずしも良いというわけではないとゴプニックは言っています。どのパターンが良いかは子どもが成長していく中での環境によると言っています。この三つの型とさらに、もう一つ「無秩序型」というものがあります。この型は、期待が定まらず、一つの愛着パターンから別の愛着パターンへ唐突に変わってしまうタイプで、この型の赤ちゃんは、後にいろいろな問題や困難にぶつかりやすい傾向があるようです。

 

このように赤ちゃんの愛着行動には様々なパターンがあります。なぜ、このようなパターンが生まれるのでしょうか。もちろんそこには赤ちゃんそれぞれの気質もあるようですが、多くの心理学者はこういった愛着行動のパターンが起こるのは、赤ちゃんが他人が自分にどう反応するかの「内的作業モデル」をつくるためだと考えています。内的作業モデルとは、子どもの発達とともに作られる理論であり、因果マップの一種ですが、物理学や生物学、心の理論とも違った、愛の因果マップです。たとえば、安定型の赤ちゃんは、不安を訴えれば養育者がすぐ慰めてくれると考えます。回避型の赤ちゃんは、不安を訴えたら余計にみじめになると考えます。不安型の赤ちゃんには慰めてもらえるという確信がありません。こういった赤ちゃんの反応は、誰かに世話をしてもらうために行われるのです。どうすれば構ってもらえるのかを知ることは、かなり切迫した重要な問題なのです。

 

愛着における内的作業モデルにおいても、赤ちゃんはその他の理論と同じように、周囲から集めた証拠をもとに作られていきます。赤ちゃんが発する信号に直ちに反応する母親を持った子どもは安定型になりますし、赤ちゃんの様子より、自分の悩みにとらわれがちな母親を持った場合は不安型になる傾向があるのです。

 

また、愛着のパターンとは遺伝的要因から起きるものなのでしょうか。また、母子との関係だけにおいて起きるものなのでしょうか。これについてゴプニックは、「赤ちゃんというのは、遺伝的につながった母親に限らず、世話をしてくれる人であれば誰にでも愛着を抱くものです。たとえば、パパは反応がいいけれど、ママは悪いと分かれば、パパに対しては安定型、ママに対しては回避型というふうに分かれます。ですから、愛着パターンは生まれつきの気質だけで決まるということはないのです」といっています。

 

つまり、赤ちゃんは養育者である大人の様子に合わせて、対応の仕方を変えるということなのです。このことから見ても、赤ちゃんは決して、受容的な存在ではなく、極めて能動的に大人を使い分けているということが分かります。赤ちゃんなりに、大人の出方を統計し、その大人に合わせて、どのようにすれば、自分のお世話をしてくれるのか、また、その大人は自分の世話をしてくれる人なのかをしたたかに見ているのです。