少子化の解決策

2021年12月17日の日経新聞のコラムの中で「人口と世界」というコラムが書かれていました。ここでコラムを執筆していたのが日本総合研究所理事長の翁百合氏です。翁さんは内閣府有識者会議「選択する未来2.0」でも座長を務めた経歴を持っています。ここでのコラムでは、まず、「人口減と経済の関係をどう考えるか」という質問に対して、「高齢化し人口ピラミッドの形が変わることで社会保障や財政の持続可能性の不安も高まる。」とし、これからの社会への負の影響が出ることを示唆しています。そして、少子化における原因の一つとして若者の全体の所得環境の脆弱さをあげており、年収300万円で結婚や出産ができるのかという不安から少子化は起きており、年功序列型の賃金の見直し、若年層の所得環境の改善を挙げています。それともう一つ、性別分業の意識。つまり、「夫が仕事、妻が家庭」という日本人が未だに根強く持っている価値観です。この価値観は日本では60%の男性がこの認識を持っていることに対して、スウェーデンではわずかに6%と男女ともに鍛冶屋育児に取り組むことの大切さを翁氏は言っています。3つ目は柔軟な働き方の推進です。新型コロナウィルスでのリモートワークの広がりです。地方に居ながらも仕事がオンラインできることで働き方のあり方が変わってきたのです。

 

こういった社会環境の変化に対して、翁氏の解決策は「人への投資」でした。まず第一に「最先端の科学技術に携わる分野、STEM(科学、技術、工学、数学)といったことに精通した人材の育成です。この分野においては女性の参加が遅れていることも課題に挙がっています。第2に社会人が新しい技術に対応できるように学び直す「リカレント教育の充実」。第3は新しい仕事に就けるようにする職業訓練の強化といった支援の必要性を解決策として挙げています。翁氏は企業も人こそがイノベーションの源泉であると十分に認識する必要があり、人材への投資の必要性を提案していました。こういったような今後の社会におけるデジタル化による生産性の向上の実現を考えなければいけないということを述べています。

 

これらのことを考えたときに保育や教育の在り方はどう考えたらよいのでしょうか。3つ挙げられていた解決策の内、特に「STEM教育」というのは最近とてもよく聞くワードになってきています。そして、その目的はこれからの変化の大きな社会であったり、持続可能な社会の構築のために、このような人材の育成が必要とされているということがわかります。

 

そして、こういった人材の育成による社会の変化が起こることによって、少子高齢化である今の社会への歯止めにも関係してくるのですね。このような考えは思ってもみなかったので、とても勉強になります。これらの関係性を見ていると、今の社会における若年層の所得と少子化が関係しているということはとても社会的に大きな問題であると言えるのでしょう。年金による不安、長く続く不景気による不安、新型コロナウィルスなどの社会への影響など、ネガティブなワードが飛び交う中、社会における将来への支援がこれらの不安を払しょくしてくれるということは保育や教育においても大きな役割があると言えます。今現在起きている社会の状況を知ることで、今必要とされる教育の在り方が見えてきますね。

近況2

論文を書くにあたり、論点を絞っていくというのが、割と私は時間がかかりました。「何を中心にどういったことを知りたいのか」そして、「他の人が研究していない、オリジナリティを持たせる」ということを考えて絞っていかなければいけません。初めは、そのことを指導教員の先生に伝えられたのですが、どうも自分の中で、しっくりこず、なかなか研究することの内容を決められずにいました。

 

その時に役に立った思考方法が「まず、自分で何を知りたいかを話す」ということでした。「自分はなぜこの大学院にきて、何を調べたくて、又は、何を知りたいのか」それを指導教員の先生に説明したのです。その際、教員の先生が一言「それを書けばいいのよ」。実に端的です。これは自分の性格にもよるのでしょうが、私は割と人に話しながら頭の中で考えを整理することが多く、確かにそこで話をすることが研究による目的であったというのが分かりました。

 

次に研究目的が見えてくると「先行研究」の洗い出しです。先行研究を見る目的は「まだ研究されていない部分を探す」ということが目的になります。それは「オリジナリティ」というところにつながってくるのですが、つまり研究によってわかってくる部分がこれからのために役に立たなければいけないわけで、同じ研究をしても検証されてしまっていては意味がないのです。そのため、他の研究が行われていないか先行研究を洗いだしていくことが必要になってくるのです。

 

これらの過程を経て、いよいよ研究です。研究目的と先行研究を通して、目的が明確化されてくるとそこに向かって、仮説が立てられます。その仮説は何も「こうなるであろう」ことを予測していなくてもよく「どうなっているのかを明らかにする」のも仮説としては成り立ちます。

 

このとき、私が感じたことですが、つい「論文を書く」ということが目的になり、仮説を立てる意味や研究をするということの本当の意味が意識されていないことが起きてしまうということです。これは自分自身も陥りがちになるので、都度都度立ち返るようにしました。

 

このように進めていく中で、いよいよ研究の具体的な内容に入っていきます。研究によっては様々な方法があるので、割愛しますが、研究を進めていく中で沢山わかることが有ったので、雑談的に書いていこうと思います。

近況1

ずいぶん久しぶりの投稿になります。というのも、現在、大学院に入学し、自分の論文を書いている事によって、そちらに集中したいということもあり、ブログの進行を止めていたというのが「言い訳」です。

 

今回私が研究していた内容が「0歳児クラスの子ども同士の関わり」という内容で研究していました。そこでは0歳児クラスの子どもたち、(つまりは0歳児だけではなく、1歳児になった子どもも含まれます。実際、私の研究した対象のお子さんは1歳児になった子どもでした。)がどのような関わりが行われていて、それに対して、大人(保育者)がどういった関わり方をしているのかという事を研究しました。

 

こういった研究に際し、私はこれまで「論文を書く」といったちゃんとした研究をしたことはなく、始めから悪戦苦闘しました。まず初めに「何を研究するのか」ということから難しさがあったのです。単純に私は大学院に入ることの目的は「修士課程をとる」ということが目的でありました。当然、論文を書くということはわかっていたので、「この際、論文の書き方も習おう」という目的もありました。そこで初めは「0歳児の子どもの関わり」を目的に研究を行おうと思っていたのですが、指導教官の先生には「関わりと言っても、色々ある」といわれ、それが遊びなのか喧嘩なのか、保育者との関係なのかということから考えなければいけませんでした。そして、この「関わり」というのが曲者で、発達心理学にも関わる内容であったので、そうなると自分の範疇を越えていくことになってしまうのです。

 

自分自身、どちらかというと、「これまで様々な研究がされていたものが実際の子どもの現場でも起きていることの証明」くらいで軽く考えていたのですが、論文にはオリジナリティが必要であるというころから、研究目的の設定に非常に迷っていました。

 

ただ、このオリジナリティという点に関しては実はまだ「0歳児」に対する論文というのは少ないという点です。もちろん、0歳児の研究は発達心理学や心理学の面では非常に多くの論文があるのですが「0歳児の保育」の論文は少ないのです。この点に関しては先ほどの「これまで様々な研究がされていたものが実際の子どもの現場でも起きているか」ということの論文もまだまだないという事なので論文の目的としてはオリジナリティは求めやすいものであったのです。

 

そこで、大切になってきたのが、「論文の目的」を絞っていくという事でした。

すべては思いから

先日、紹介した横井小楠(よこいしょうなん)は吉田松陰や坂本龍馬なども教えを請いに訪問するような人物であったといいます。その理由はどういったところにあったのでしょうか。横井小楠は「学校一問一答」という問答方式で書かれた文書の冒頭でこう書いています。「古今東西、規制の学校から才能ある人材が育ち、教化が進んで世の中が理想的な社会になった例はない」と断言したのです。そして、「学政一致」の弊害も論じています。

 

小楠の考えでは、「人材を育てて社会の用に立てようとする教育は安易な形で若い学生の心に染み透り、自分こそ有用な人材として抜擢されようとして、競争の原理が学校を支配するようになるのであった」と言っています。結果、学問本来の人格形成の側面が軽視され、学校ではお互いに悪口を言い合うような「喧嘩場所」となってしまうというのです。それ以外にも、才能あるものは自分の利益のために政治を利用しようとする考えを持つようになるとも指摘しました。結果として、教育を行うことが人材を損なうということにつながるというのです。

 

この考えは今の日本においても、同様のことが言えるかもしれませんね。最近でこそ、競争原理を入れることは少なくなってきましたが、それでも、試験や入試などは競争原理が働きます。次第に優劣がつくようになり、学歴や成績が高い人があたかも人格者であるかのような扱いになります。結果、いくら高学歴であっても、成績が良くても、人格が備わっていなければ、社会に出た後に活躍する場が限られますし、場合によっては「使えない人材」となってしまいます。これは現在の社会においても実際起きていることです。また、昨今のポピュリズム的な政治も同様のことが言えるかもしれません。社会のために行われるということよりも、世論の衝動的な感情に流される政治であれば元も子もありません。横井小楠の指摘は今の時代においても、考えなければいけない内容のように思います。

 

では、小楠はどのように「学問と政治」を考えていたのでしょうか。小楠は「学政一致」について、学校を専門学校化して、社会が求める専門技術者を養成するのではなく、「己を修める」ことと「人を治める」ことの一致をはかるような人材教育を意味しました。小楠によると「真の道がおこなわれていた古代中国三代の社会では君主と臣下はお互いに戒め合い、家庭や社会のいたるところで善を勧め悪を戒め過ちを反省する声が天下に満ちていた」というのです。そして、これが「学政一致」の根本的な条件であったのです。

 

「学問とは何か?」「学校とは何か?」という明確な理念なり目的を考えずに、ただ政治の道具と考えたり社会に必要な人材だけを求めようとすると、学生は自分の事だけしか考えない利己的な人間になり、かえって社会に害毒を流す結果になると警鐘をならしました。

 

この考えも実に今の時代に言えることですね。このブログにもたびたび話していますが日本の教育基本法の第一条に「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とありますが、どれだけの人がこのことを理念において、教育を子どもたちに向かって行っているでしょうか?自分たちの保育や教育が「人格の形成」にどういった意味があると意識しているでしょうか?こういった大志というのは教育において前提を胸に子どもたちに向き合わなければいけないのだろうと感じます。

横井小楠の改革

19世紀の中ごろから新しい時代に向かい様々な改革が構想されました。この時期を「幕末」と言いますが、古い世界から、新しい世界に変わるべくその頃の青年たちは様々な分野で挑戦を試みています。当然、新しい社会への変容には大きな障壁はたくさんあり、保守的な世代との軋轢なども激しいものでした。肥後熊本藩に生まれた横井小楠(よこいしょうなん)(1809~69)もその一人です。禄高150石の藩士の次男に生まれた横井小楠は決して恵まれたかというとそうではありませんでした。しかし、熊本の藩校時習館で頭角を現し、今でいう大学院にあたる居寮生となる。そのまま勉学を続ければ、時習館の教授か、うまくいけば藩政の中核の位置する役職に就くことも可能でした。しかし、小楠は下級武士の困窮や百姓一揆など、現実問題からまったく遊離した時習館の学問に対して批判的な立場をとったのです。

 

彼は学問への志として「天地の為に志を立て、生民のために命を立つ。往聖のために絶学を継ぎ、万世のために太平を開く。学者発心の初め、須らく此の大志願を立つべし」これは厳しい税金の取り立てに喘ぐ民衆を救済するためにも、虚飾(外見だけを飾る、うわべ)の学問に堕落した学問を本来あるべき姿に再興する「大志願」を立てなければならないといったのです。小楠はその後、改革に挑みますが、結果、藩内の保守派の反対にあい、江戸留学を命じられてしまいます。

 

江戸から帰国した小楠は時習館改革派のメンバーを集め、研究会を開きます。彼らの理想とした学問は「治国安民」を目的とし「利用厚生」を内容とする実学でした。ここでいう実学は「現実の社会に有用な学問」という意味合いではなく、「真理の学」という意味合いが込められています。つまり、人格の形成に資すると同時に民衆の生活安定に役立つ学問を目指したのです。こういった民衆の生活を中心とした考えに同調し、農村のリーダーである豪農出身の若者が集まり勉学に励むようになります。

 

小楠の学問は徹底して今に目が向いています。例えば朱子学の書物を読んでも、「今朱子を学ばんと思ひなば、朱子の学ぶところ如何と思ふべし。左なくして朱子の書に就くときは全く朱子の奴隷なり」と言っています。つまり、朱子学の問題意識や方法論を学ぶといっても、主体的に「現代」を通して考えなければ、ただ朱子の考えを盲目的に学ぶのは奴隷だというのです。小楠は朱子学を思弁的な観念論にすぎないと批判し、物の本質の解明を民衆の生産活動と結びつけて理解する必要を説きました。しかし、肥後熊本藩は結局小楠の思想を受け入れず、越前福井藩における藩政改革構想や、福井藩主松平春嶽を補佐し幕府改革構想に実現されました。

 

彼の名声は瞬く間に全国に広がり、吉田松陰や坂本龍馬も習いに来るほどでありました。