運動がストレスだけではなく、集中力にも影響するのがわかったのですが、ここで面白いことが書かれています。運動と幸せホルモンとよく言われる「ドーパミン」との関係です。運動をすると人の体にいい影響がでるというのはこれまでの話の中でもありましたが、それに「ドーパミン」が大きく関わっているそうです。ドーパミンは脳の細胞から細胞へと情報を伝える「神経伝達物質」の一つです。おいしいものを食べたり、社会と交流したり、運動や性行為などをすると、脳の側坐核といわれる脳の様々な領域とつながっている細胞の集まっているところからドーパミンの分泌量が増えるといわれています。ドーパミンの分泌量が増えることで、ポジティブな気分になり、人はその行動を繰り返したくなります。
なぜ、そういったことを脳が催促するのかというと、それはヒトの進化に関係しており、進化上そういった行為が生存確率をあげ、遺伝子を次の世代へつながることになるからだと言われています。ヒトの体とはいえ、一つの生物であり、次の世代へ遺伝子をつなげるという生物学的欲動を起こしているというのは何やら不思議な気になります。しかし、人間としての特徴である社会性や食事、性行為などは生存戦略としてわかるのですが、なぜ、運動が入るのでしょうか。それは我々の先祖が狩猟や住処を探すときに走っていたためだと考えられているそうです。これも生き延びていくために必要な行動であり、そのために脳が報酬を与えるドーパミンが分泌されるのだと言われているそうです。走ることや運動することは今の時代では割とトレーニングであったり、ダイエットであったりと「負荷」をかけるように考えられていますが、そもそもは生存の可能性を増やすためのものです。だからこそ、その「報酬」であったり、「ご褒美」を脳はくれるということなのでしょう。そして、それによって体が強くなることで、生存、または遺伝子を残す行動に向かわせるのですね。
また、この側坐核は集中することにも関わります。面白いのは集中している時はどういうときでしょうか。ほとんどがその物事が楽しんでいるときではないでしょうか。脳は今行っている活動が続ける価値があるかどうかを判断し、情報を絶えずほかの領域に伝えています。もっと言うと集中している(刺激を受けている)状態の時にはドーパミンが分泌されている時です。逆に集中していないとき、注意が散漫なときはドーパミンの分泌は抑えられ、ほかのドーパミンが放出されそうなものに目がいってしまい注意力が散漫になるのです。よくSNSで様々な情報を見ていると気づいたら時間が過ぎていたというのもこれに当たりますね。このように人の頭の中でドーパミンはより刺激的なものを貪欲に追い求めていると言います。それが結果として以前紹介したスマホ認知症ような症状も出ることを示唆しています。スマホは情報があふれ出る機器です。止めどなくあふれる情報を貪欲に脳はほしがり、ドーパミンを放出し、次に次に情報を求めます。この刺激性が時間を忘れるほどの集中力を生んでいるのでしょう。
この集中できない状態というのを考えた場合、「ADHD」の人にはどうなのでしょうか。ADHDの人は先ほど紹介した側坐核からでるドーパミンの受容体が少ないために、活発に働かないことから起きることがあるそうです。そのため、報酬中枢を活発に働かすために、より大きな刺激を求めることで注意散漫になったり、多動の傾向が起きるのです。
このようにADHDの子どもたちのことを考えてみると、なぜ注意散漫になるのか、逆にそういった子どもでも、どういった環境にしてあげると座ってられるのかがわかるような気がします。
2025年9月2日 2:31 PM |
カテゴリー:あいさつ, 進化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
集中力についても、運動は少なからず大きな影響を与えると言えるようです。集中力を調べる際、「選択的注意」を調べるエリクセン・フランカー課題が行われました。選択的注意というのはたとえば、喫茶店で人と話している時を想像するとわかりやすいように思います。騒がしい喫茶店で話をしていても、相手の声が聞こえると思います。それは騒がしい喫茶店の音を人は遮断し、相手の声に集中しているからでいる芸当です。これができないと、いろいろな音に反応してしまい、相手の声が聞こえなかったり集中できなかったりします。ADHDの人は割とそういった状態にあるようです。いろいろなところが気になってしまい、集中できないのです。
このように、この「選択的注意」をするテストをする中で、被験者が運動をすると選択的注意力と集中力が改善したようです。MRIを通してテストを受けている時に脳を観察していると、頭頂葉と前頭葉が活発に動いていたことがわかりました。この領域は意識を集中し、その状態を維持する機能を司る部分です。なお、このテストを行う際、健康状況も調べたのですが、健康状態が万全な人の方がテストもうまくこなせ、選択的注意力が優れていたことがわかりました。では、「健康な人が選択的注意力が高い」というと、必ずしもそうとはいえないようです。なぜなら、それは運動によって体調が改善して集中力が高まったというより、もともと集中力が高い人がたまたま運動を楽しむ傾向にあり、そのため健康だった傾向があるともいえるからです。
そのため、今度は新たな被験者を通して、運動により健康になったことで選択的周囲力が改善するか調べることが始まりました。1つのグループはウォーキングを行い、2つめはヨガやストレッチといった心拍数が増えない負荷のかからない運動を行います。どちらのグループの同じ活動頻度と時間をもうけ半年間続けました。その後、選択低注意力を改善しているか、エリクセン・フランカー課題を行いました。するとウォーキングのグループはテスト課題をうまくこなし、選択的注意力が改善し、前頭葉と頭頂葉が活発化しました。この傾向はウォーキングのグループで見られたのです。つまり、習慣的にウォーキングのような簡単な活動を半年続けるだけで、脳が変わり、選択的注意力が高まるということ証明されたのです。
運動は体を健康的にしてくれることやストレスをコントロールするだけではなく、脳の機能にまで影響がみられるのです。注意力が改善したのも、運動によって前頭葉の細胞同士のつながりの数が増えたことが考えられるようです。そのため、情報量が多いような環境になったときに脳が集中力の機能を発揮し、周囲の不要な情報を的確にふるいにかけたというのです。この研究によって、研究チームは「脳の働きが活発になると可塑性が促進され、周囲の環境に対処する注意能力も高まる」という結果に確固たる結論をもったそうです。
2025年8月28日 3:41 PM |
カテゴリー:教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ここ最近の運動のストレスコントロールや性教育について考えると、共通していることがいずれも主体は大人が「つけてあげる」ものではなく、「本人が身につく」ことにあります。大人ができることは、環境を整えることに限られる場合が多いのだと思います。
運動でいえば、「遊びから生まれる運動」と、大人がルールを守らせる運動では、運動量に違いがあります。大人は決まったことを行わせがちですが、純粋な運動量という観点では、遊びの方がより多くの効果をもたらすこともあります。性教育においても同様です。「男女を分ける」「一緒にさせない」ということが目的になりがちですが、本来の目的は「性差を知ること」や「相手がいやなことをしないこと」を理解しすることに大きな意味があると思います。
つまり、どこに主体があるのか、誰のための行為なのかをよく考える必要があります。必ずしも大人がよかれと思って教育指導を行うことが、子どもの成長に好影響を与えるとは限らず、場合によっては「いらぬお節介」となることも理解しておく必要があります。
たとえば、性教育で「男女一緒にするのはどうか」という質問があります。しかし「男女を分ける」という前提自体、ジェンダーフリーの観点からはバイアスがかかっており、場合によっては差別的ともいえます。また、男性同士が苦手な男性がいるかもしれません。多様性が広く複雑になるほど、大人が枠組みを作ることは難しくなります。そのような世界で生きる今の子どもたちは、私たち大人よりも柔軟な意識を求められるでしょう。既存の意識で子どもたちを縛ることは、将来の障壁を作ることにもなりかねません。
だからこそ、大人は選択肢や環境を用意するなど、間接的な関わりの質が重要になってくるように思います。子ども自身が考え、進む道を選べるよう、大人がじっくり待つことが求められます。根気のいることですし、子どもを信じることは心配にもなります。人を信じることの難しさは、自分自身もまだまだ学ぶところがありますが、保育においてはこの点をよく考えていきたいと思います。
2025年8月22日 5:17 PM |
カテゴリー:日々思うこと |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ここ数日、性教育の話をしましたが、話を運動脳に戻します。運動がストレス耐性をつけるということはこれまでも話していたことですが、実際、このことを調べた研究がありました。不安による疾患を抱えたアメリカの大学生たちが、くじ引きでウォーキングかランニングのどちらかを選び、それを疲れない程度に週に数回、20分ずつ2週間にわたって続けたそうです。そうするとウォーキングもランニングもどちらのグループも不安感は軽減したのです。その効果は直後から実感し、その後1週間も続いたそうです。また、その効果が高い運度はランニングとウォーキングではランニングの方が不安感の軽減は高いと生徒たちは感じたそうです。この結果は以前にも話した内容ではあるのですが、重要なことはこういった運動習慣によって、体はストレスに対して「慣れ」や「予行練習」になるということです。
不安障害は症状がでると心拍数と血圧が上昇します。何か悪いことが起きるはずだと考え、心臓の鼓動が激しくなるのです。これと同じようなことが運動時に起きます。ランニングやウォーキングを行うことで動悸は激しくなります。結果心拍数や血圧は上がります。しかし、走り終えた後は気分は穏やかになり、脳内でエンドルフィンとドーパミンといわれる物質が放出され快感を覚えます。すると体は「心拍数や血圧があがっても、それは不安やパニックの前触れではなく、よい気分をもたらしてくれるもの」と脳に教え込むことになります。「心拍数があがる=危険」と感じていたものが、そうではない解釈するようになるのです。だから、心拍数が上がりやすいランニングの方が高い効果を感じたのでしょうね。この本ではストレスと運動はほぼ正反対の作用を脳に与えるといっています。ほかのフィンランドの調査でも週二回以上運動をしているひとはストレスや不安とはほぼ無縁であったこともわかったそうで、同じような調査をしたチリでも同様の結果が出たそうです。
絶対的なプログラムはないとはいうものの、筋力トレーニングよりもランニングやスイミングなどの有酸素運動を30~45分。少なくとも20分を続けることが進められ、習慣化し長く続けることで、海馬や前頭葉といった脳内のブレーキペダルの役割をする力が強化されるようです。少なくともこういった運動を週に2、3回は心拍数が大幅に増えるような運動をした方がいいようです。そうすることでストレスを受けて動悸が激しくなっても、脳はそれが恐怖から来るものでなく、プラスの変化をもたらすものと学習するそうです。特に不安障害やパニック発作の症状がある人は効果があることが見られます。
運動をした後の、なんともいえない高揚感であったり、心地良い脱力感は脳内での作用が起こしていたことなのですね。そして、その作用を常態化することで、ストレスが起きたときに備えができるというのはいかに運動が重要な意味を持つかということがわかります。「ストレスと運動はほぼ正反対の作用を脳に与える」現代人は特に運動不足が問題になっています。この現状とうつ病や適応障害などの精神疾患が増えているのはよくよく調べると因果関係があるのかもしれません。
2025年8月21日 4:40 PM |
カテゴリー:進化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ユネスコは、科学的根拠に基づいたアプローチとして「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」を示し、そこでは8つの学習領域が掲げられています。具体的には、①人間関係、②価値観・人権・文化・セクシュアリティ、③ジェンダーの理解、④暴力と安全の確保、⑤健康とウェルビーイングのためのスキル、⑥人間のからだと発達、⑦セクシュアリティと性的行動、⑧性と生殖に関する健康です。これらを見ていくと、性教育は単に「性の知識」を伝えるものではなく、社会的規範や人権、多様性、暴力防止など、より広い社会づくりに関わる内容を含んでいることがわかります。
私自身の経験を振り返ると、学校で受けてきた性教育は「からだの仕組み」や「妊娠・避妊」といった⑥と⑧に偏っていた印象が強く、「ジェンダー」という言葉に触れることはほとんどありませんでした。つまり、ユネスコが強調する包括的性教育の多くの領域は、自分が学んでこなかった分野であると感じます。
では、こうした包括的性教育を乳幼児期にどう落とし込むかを考えると、単純な知識の伝達では難しい部分も多いでしょう。艮氏は保育における性教育について「大人が子どもに対しての決めつけを見直し、子どもが自分で選び、決めていく環境を整えることが重要である」と述べています。ここでいう「決めつけ」とは、たとえば「男の子だから」「女の子だから」といったジェンダーバイアスを意味します。つまり、幼児期の性教育は、子ども自身が自分の性や生き方を自覚し、選択できる力を育てることにつながり、そのことは子どもの人権を保障することでもあるのです。
実際、文部科学省も幼児期の性教育の要素として「プライベートゾーンの理解」「相手の大切なところを触らない・見ない」「嫌な触られ方をされたときの対応」などを示しています。これらを子どもが理解できるようにするためには、性別で活動を分けすぎず、子どもが「違い」を自然に経験できる環境づくりが大切です。差別や偏見は、相手を知らないことから生まれるものです。だからこそ、大人は日常の関わりの中で理解と思いやりを育み、子どもが安心して「嫌」と言え、自分で選択できる環境を保障していくことが、幼児期における性教育の土台になるのだと思います。
2025年8月20日 5:40 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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