シンギュラリティ

ディープラーニングは脳のしくみをまねたニュートラルネットワークの中で、人工ニューロンの層を「多層化」した(深くした)ものがディープラーニングだというのです。ニュートラルネットワークであれば3層のネットワークがディープラーニングでは10層・20層とたくさん重ねていくわけになるのです。これが「深層学習」と言われるゆえんです。

 

こういったAIの進化の中でAIがAI自身を進化させる「シンギュラリティ」ということが言われています。このことについては研究者はそれぞれに未来を予想しているようです。進化しすぎたAIが人類を滅ぼすことになると悲観する人もいれば、AIがあらゆる仕事を代替してくれる幸福な時代になると楽観する人もいます。こういった未来予想の中でたびたび取り上げられるのが「シンギュラリティ(技術的特異点)」です。シンギュラリティとはAIが自分よりも賢いAIをつくれるようになる時点のこと、または、その結果、急速に進化したAIが予想ができないほどの社会変化を引き起こすということを考えのことを指しています。AI自身がAIを進化させることで、人を越えた圧倒的な知能を持つ存在になりえるのではないかというのです。

 

このシンギュラリティはアメリカの実業家で人口知能研究者のレイ・カーツワイル博士(1948~)が2005年に発表した著書「シンギュラリティは近い」(原題:The Singularity Is Near)によって広く知られるようになりました。カーツワイル博士は、人の脳と“融合”したAIが2045年に生まれ、シンギュラリティがおきると予想しました。しかし、AIがより賢いAIがつくるには、ディープラーニングとはことなるブレイクスルーが必要がであり、あと数十年ではそのような技術は生まれだろうという意見がAI研究者の中では一般的です。また、AIみずからの意思をもって行動することも現在の技術では夢物語であり、「シンギュラリティがおきて、人がAIに支配される」というSF映画のようなおそろしい未来は現実的ではないと考えられています。

 

その一方で、AIが今後も進化し続けていくことで、人の知能を超えるであろうことは、多くの研究者が同意しています。高度な知能を持つAIをどのように利用するのか。それは結局、未来を決めていくのはAIを使う側の人類であるということだといいます。

 

ベネッセの「2020年教育改革」の中でオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の計算によって「あと10~20年で、49%の職業が機会に代替される可能性がある」(2015)という研究発表がありました。この機械のほとんどがAIを搭載した機械なのでしょう。それをどう使うのか、どう利用するのか。便利な世の中になっている反面、こういった心配もしていかなければいけないのですね。今までも、メールやSNSなど様々な技術革新があったなかで、人への影響や社会問題が起きています。そのほとんどは「人の生きる力」に関わるものであるように思います。これまでの藤森平司氏の「保育の起源」にあったような社会脳などが育っていないといけないような気がいます。いまこそ、改めて本来の「生きる力」を育てるようにしないと、AIに振り回される社会になりかねないのかもしれませんね。

ニュートラルネットワーク

1960年代から起きた第1次AIブームが起き、第2次AIブームは1980年代~1990年代のはじめにありました。この第2次AIブームでは、AIに知識やルールを教え込ませる「エキスパートシステム」と呼ばれるしくみの研究が進みました。

 

たとえば、医療診断のシステムでは、病名や症状、治療法などの知識を医者から集め、コンピューターに覚えさせます。そうすることで患者の症状から病名を特定し、治療法や薬を提示することができるようになりました。しかし、知識やルールを漏れがないように完全に覚えさせたり、管理したりすることの困難さや、データがない“守備範囲外”の問題に対応でいないことなどが、次第に判明してきました。こういったエキスパートシステムの限界が見えたことで、世間の注目は薄れていき、AIは2度目の冬の時代に突入していきます。

 

第3次AIブームは2000年代なかばごろから始まります。ここで初めて「ディープラーニング」というシステムがはじまり、現在でもこのAI研究の中心となっています。ディープラーニングはAIにものごとを学習させるための手法のことです。脳の神経細胞(ニューロン)のネットワークをまねて、情報を処理する手法の一つと言われています。この脳のしくみをまねてAIを学習させる方法をニュートルネットワークと言い、この手法を発展させているそうです。

 

では、そもそも脳のしくみはどうなっているのでしょうか。

これはこれまでのブログにも書かれていますが、脳の神経細胞(ニューロン)からできており、その神経細胞同士がつながってネットワークを形成していきます。1つの神経細胞は「シナプス」と呼ばれる接続部分を通じて、他の多数の神経細胞から信号を受け取ります。そして、受け取った信号が一定の総量を越えると他の神経細胞へ信号を送ります。こういった信号を神経細胞につなげていくことで脳は情報を処理していくのがわかっています。

 

これに対して、人工知能でのニュートラルネットワークでは脳の神経細胞の働きをコンピューター上のプログラムで、人工的なニューロン(人工ニューロン)として再現します。人工ニューロンは複数の数値(入力値)を受け取って、その入力値に応じた別の数値(出力値)を出力する「関数」です。ニュートラルネットワークでは多数の人工ニューロンを複数の層に分けてつなげてきて、初めの入力値を(データ)をつぎつぎと変換していくことで情報を処理するのです。

 

脳はその神経細胞が信号の強さに応じて次の神経細胞へ信号を伝えていくことに対して、ニュートラルネットワークの場合はそれぞれの人工ニューロンがそれぞれに数値を割り出し、多数のニューロンと複数の層に分けてつなぐことで情報を処理するのです。

 

人工知能はまさに人間の脳の働きそのものを真似て作られているのですね。そして、このディープラーニングができたことによってさまざまなことがこの人工知能でできるようになってきてといいます。

AIの始まり

これまでは社会脳についての話をしてきました。そして、それがヒトの社会の中でいかに重要な意味合いを持ち、この力がヒトの社会を作ることにつながっていくかということを藤森平司氏の「保育の起源」から考察してきました。

 

こういった内容がなぜ改めて考えていく必要があるのかというと、これからの社会、様々な変化が起きていく時代になっていきます。よく言われるAIが社会を大きく変えていくことや、少子高齢化社会において労働人口の減少が起こり、海外からの労働力を受け入れることはこれから起きてくるでしょう。そういった社会で活躍するために一体どういった力が必要になってくるのでしょうか。つまり、AIが持っていないもので、海外の方とうまくやっていく力が必要になってきます。そのために、本来の「本来のヒト」というものを知らなければいけないのではないかと感じます。

 

では、その反対にAI「人工知能」というものはどういうものなのでしょうか。ここ最近、有名になった「ディープラーニング」はAIの技術を飛躍的に変化させていったといわれています。そもそも、人工知能が誕生したのは1956年アメリカのダートマス大学で開かれた研究会議で、「人と同じように考える知的なコンピューター」を人工知能(Artificial Intelligence :AI)と呼ぶことから始まったのです。なので厳密にいうとまだ、実現はしていないことになります。そういった意味ではまだその定義はあいまいで実際のところははっきりとして決まりは無いようなのです。「人の知能に近づけた人工的な知能(機械)」を現在はAIと呼んでいます。

 

ドラえもんや鉄腕アトムなどのイメージもあり、AIというとロボットをイメージする人がいるかもしれません。しかし、AIは結局のところ「人の知能に近づけた人工的な知能(機械)」なのでコンピューターとプログラムのことを指してるので、ロボットそのものを指す言葉ではないのです。ただし、AIが真に人のような知能を獲得するためには、身体をもつ必要があると考える研究者も少なくないようです。

 

そんな研究が進められているAI研究ですが、過去には2度のブームを通して、何度も限界を迎えていました。AIの研究が始まったのは70年も前からはじまりました。そして、第1次AIブームが1950年代後半~1960年代にかけておきます。この時期はコンピューターを使って「推論や探索」を行い特定の問題を解くという研究が進みました。パズルや迷路ができたり、チェスをさしたりできるようになったのです。しかし、当時のAIはルールとゴールが厳密に決まっているものしか扱えず、現実的な問題解決には歯が立たなかったのです。当時のコンピューターでは人間に勝つこと実現できませんでした。

心の理論と学び

自分の心と他者の心を推測することといった「心の理論」はいつごろ獲得されるのでしょうか。先日のブログの中でも少し触れた部分なのですが、これまでは4~5歳児から自分と他者との関係がわかってくると考えられていました。これは「誤信念課題」といわれる方法によってわかってきました。それはどんな方法だったのでしょう。

 

例えば、男の子と女の子が部屋で一緒に遊んでいます。男の子がボールを籠の中に入れて部屋を出ます。男の子がいない間に残った女の子がボールを別の箱に移します。そして、この場面を被験者に見せて「男の子は最初にどこを探すと思いますか?」と聞きます。正解は初めに男の子がボールをいれた「籠」です。しかし、箱と答えてしまう場合は「心の理論」が得られていないということになります。この方法に対して、従来は4~5歳児は正しく答えられますが、それまでは他者が自分とは違う見解を持っていることを想像できないため、自分が知っている方を答えるといわれています。

 

しかし、この結論もどうやら違ってきているそうです。「3歳以下の子どもは心の理論をもたない」という定説を覆したのは2005年の科学雑誌「サイエンス」にある当時、イリノイ大学の大学院生であったクリス・オオニシらの論文であると藤森氏は言っています。赤ちゃんが数、引き算を理解しているという実験ですが、それによって月齢15カ月の赤ちゃんでも誤信念課題(他者の気持ちがわかる)ということがわかったそうです。こういった研究はまだまだ賛否両論であり、異論も多くあるそうです。しかし、このように様ざまな観点から「乳児が他者の行動を理解するメカニズム」を解明しようとしているのです。

 

人の真似をすること、模倣行動は社会行動の中でも最も重要な働きであると言われています。それは真似をすることで、試行錯誤なしで効率よく学ぶことができるのです。そして、ヒトの文化的な行動は「ヒトからヒトに伝えられてきたのである」ということもできるのではないかというのです。以前、民俗学の観点から子どもの文化を見ていても、大人の行動にとても興味のある子どもたちは様々なことに興味を持って模倣してみようとします。そして、その活動の中で、道具の使い方や食べ物の扱い、危険なモノへの対応などを学んでいきます。それはただ連合記憶のみに頼るやり方では、他者の行動を素早く真似ることはできないと言います。相手の行動とその文脈から行動の目的を推論し、同じ目的を達成するような自分の行動を生み出すことができたときに可能になります。それかまたは、相手の動きをあたかも自分の動きのように処理することによって、その行動に関わる一連の運動を体験し、学習することが可能になります。それが「目的論」や「シミュレーション論」というものです。

 

つまり、ただその物事を覚えるだけでは真似できないというのです。相手の意図がわかっていないと真似もうまくいかないのですね。勉強においても同じことが言えるのかもしれません。応用までできるようになろうと思うと、ただ覚えるだけでは応用はできません。何か目的がないとそこまで理解しようとする意欲は湧かないのかもしれません。「模倣から学ぶ」ということは結局のところ意欲が出やすい環境なのだと思います。社会脳は人間関係だけでなく、「学ぶ」という学習意欲にも影響するのだと思います。

脳の進化と遺伝子と環境と

生物の発達を考えるにあたって、それが生まれつきなのか、その後の環境によってなのかは大きなポイントになってきます。藤森氏は「保育の起源」の中で「私は、生まれながらに持っている遺伝子は、長い進化の過程でその種が生存し、子孫にその遺伝子をつないでいくように作られているのだと思います。」と言っています。たとえば、タンポポは花を咲き終えたら、綿毛になり種を風に乗せて飛ばします。この営みは遺伝子に組み込まれた活動です。しかし、その種が落ちる場所はどこに落ちるかわかりません。なぜなら、どの環境に落ちるかは遺伝子に組み込まれていないからです。落ちるところは子孫を残すには最適な場所ではないかもしれません。しかし、10本のタンポポから10本以下しか増えなければその種は滅びてしまいます。そのため、ばらまく種の数やそのリスクを計算して種を多くし、風に効率的に乗って遠くに飛ぶように進化していきます。つまり、環境要因のリスクを減らすために進化発達するということは環境も無縁ではないのです。また、環境によってその数では対応できない状況が起こることがあります。そのときには落ちた環境に適応できるような能力を次第に獲得していきます。それは長い進化の過程の中で行われていくだけではなく、その時々にも適応できる遺伝子も兼ね備えていて、その環境ともとからの遺伝子との相互関係によって変化させていくのです。藤森氏は「それはまさに『柔軟性』であり『遊び心』であると思っている」と言っています。

 

「社会脳の発達」を書かれた千住氏はこのあたりのことを脳科学の観点からこう考えています。「『脳機能は局在する』『脳機能の局在は経験によって変化する』という発見は、現在の根幹をなしています。一見矛盾するこの知見は、脳機能の局在が脳の構造発達と環境からの入力との相互作用によって創発するという、相互作用説によってうまく説明できます」そして、その相互作用説に基づくのであれば、「脳の発達だけでも社会環境だけでもなく、その両者が発達の過程でどのような相互作用を見せるのかを、丁寧に追いかける必要があります。そのためには発達初期である乳児期から、ヒトの発達の過程を直接研究対象とする必要がある」と言っています。タンポポと同じように人間の脳の発達においても、そもそも脳の中にある遺伝子やその機能と社会環境との相互作用によって発達進化しているということが言えるのではないかと言っています。そして、そのために乳児期から発達する過程を直接見ていく必要があるといっています。

 

しかし、その研究では次のような課題を考えていると千住氏は言っています。「社会行動や社会的認知の脳神経基盤を発達認識神経学の手法を用いて探る、「発達社会神経科学」とでも呼ぶべきかもしれないこの研究方略は、言葉を話さず、運動能力や注意の持続、体力などに大きな制限のある赤ちゃんを対象に、どうすれば認知や脳機能を計測できるか、という技術的な因果を避けては通れない」と言っています。このことに対して藤森氏は「このような研究に対して現場(保育現場)の立場からすると、『臨床保育学』という視点を持つべきだ」と言っています。そうしたうえで「そうはいっても、最近の技術革新により、乳幼児期の行動や脳機能を無理なく測定することは格段に容易になり、体系的に進めることが可能になってきているようです。特に、乳幼児や児童を対象とし、彼らが直面する社会的な環境への適応について、脳科学の手法を直接用いた研究を行うことにより、新しく刺激的な知見を次々と獲得しつつあるようです」と言っています。

 

これまでの内容を見ても、かなり具体的に脳がどのような作用をして、社会性を発達させているのかということがわかってきているように思います。そして、そのことに対して保育や教育というのは無縁ではなく、この研究で解明されていることはまさに保育現場で普段から子どもたちの脳の中で行われているということを忘れてはいけないのです。そして、それほど重要な部分に関わっているということを改めて考えていかなければいけませんね。