感覚間協応

子ども研究方法は観察手法から乳児の視線を利用した選好注視法が、子どもの発達心理研究に利用されていました。それにより、乳児の時点で単純なものより複雑なものを好むことや奥行きの理解があるということなど、様々なことをすでに知覚しているということが分かってきました。

 

では、聴覚についてはどうなのでしょうか。これも母親の胎内にいる頃から機能してることが明らかになっています。生後数日において母親の声と見知らぬ女性の声を提示した際に、母親の声を好むことがわかっています。しかし、父親の声と見知らぬ男性の声を提示した際には、いずれも関心を向けるさまが見られなかったそうです。この結果は赤ちゃんがははは親の胎内にいるときから母親の声を聴いている経験があるからだということが言われています。

 

新生児は音を知覚するとその音源に対して顔を向け、大人と同様に、不協和音を嫌い、協和音を好む傾向があることも知らされています。嗅覚や味覚については、まだ研究が少ないようですが、新生児は苦い味よりも甘い味を好み、他人の母親よりも自分の母親の母乳の匂いのするパッドを好むなど、味覚や嗅覚も乳児期から機能していることが明らかになっているそうです。さらに大人の嗅覚は方向弁別能力という、匂いの元が右からなのか左なのかということを判断する能力は低いのですが、乳児は左右の弁別ができるという報告もあります。

 

このように新生児や乳児が視覚や聴覚などの感覚を発達させることが明らかになっているのですが、ピアジェの理論と最も大きく異なっているのが、感覚と感覚の関係、つまり感覚間協応についての問題だというのです。ピアジェは把握や視覚などの枠組みは、早期には独立して機能し、その後それらの枠組みが協応して働くようになるという考えを持っていました。この考えでは新生児や生後間もない乳児に、視聴覚統合や、視覚と触覚の統合はありえないことになってしまいます。しかし、実験手法の確立により、新生児にも感覚間協応があることが示されているのです。ほかにもピアジェは視覚と把握行動の協応ができるようになるには、生後数か月を要すると考えていました。ところが前回にも紹介した心理学者のバウアーらはこのピアジェの論に対して、生後数日の乳児が、視覚的に誘導された対象物に向かって手を伸ばす行動(=リーチング)を行うことが示されたと「Nature」誌に報告しました。それは、視覚と把握行動の協応という感覚の関係、つまり感覚統合について、ピアジェが唱えたものよりも早い時期に乳幼児が視覚と運動を協応させていたということを示したのです。

 

またこのほかにも実験的研究の手法が変わったことにより、ピアジェのこれまでの理論とは違った結果が示されていくことになります。

研究手法

ピアジェの本格的な乳幼児研究は素晴らしい業績を残しましたが、「彼の研究手法では、乳幼児の能力を十分に測りきれていない」という批判が20世紀後半に相次いで起こります。その批判の一つのポイントが「ピアジェは文化や社会の影響を軽視している」という指摘です。彼にとって乳幼児は、自らの知識を獲得し、思考を構成していく存在でした。そのため、乳幼児のまわりの他者や文化の影響をあまり考慮せずに、乳幼児自身の力を強調したのでした。彼は認知発達の質的に異なった発達段階を想定していたのです。しかし、これは現場を見ていると感じることなのですが、子どもたちにとって、他児との関りや兄弟関係、周囲との相互作用は子どもの認知発達にも大きく影響しているのが言われています。ピアジェはその部分に関しては触れられておらず、あくまで子ども単体の認知発達に言及していたのです。

 

また、ピアジェの時代は観察手法が主な研究方法でした。しかし、それでは観察者の意図が入りすぎるがあまり、子どもの能力を過小評価しているという問題点もありました。そのため、ピアジェ以降で広く行われている実験手法は乳児の視線を利用したものです。乳児は養育者など周囲の環境を見つめ、目で追い、それが何であるかを学習しようとします。乳児の視線の動きは非常に活発であり、その視線から知的能力を調べようという考えが生まれたのでした。そして、その視線を使った研究方法の代表的なものが選好注視法です。

 

この選好注視法は2つの対象を提示し、乳児がどちらか一方を選択的に注視するか同化を調べる者です。この手法によって、乳児は単純なものよりも、より複雑なものを好んで見ること、非対称的なものよりも対照的なものを好んでみること、パターンがないものよりはパターンがあるものを好んでみることが明らかになりました。もう一つは馴化・脱馴化法(じゅんか・だつじゅんかほう)というもので、乳児が対象を見つめるということと、新しいものが好きだが、すぐに飽きてしまうという傾向があることを利用した方法です。ほかにも期待違反法と呼ばれる方法があります。それは乳児が知っていることとは別の異なった出来事を提示して、乳児の興味や驚きを誘発する方法です。

 

このように乳児の視線を研究することで、様々な研究装置が開発され、乳幼児研究の進展に大きく貢献してきました。有名なのはエレノア・ギブソンとリチャード・ウォークによって開発された「視覚的断崖」もその一つです。この装置は乳児の奥行き知覚がいつごろ獲得されるかを検証するために開発され、その結果、生後半年頃の乳児にはすでに奥行きを知覚する能力があるということがわかったのです。心理学者T.G.Rバウアーらは、ある物体をスクリーンに投影機で映し、スクリーンに映った物体の大きさを変化させた際に乳児がどのような反応を示すのかを実験した結果、生後間もない乳児が顔を手で覆ったりするなどの防御反応を取ったそうです。この実験により、赤ちゃんが生まれながら三次元空間を知覚する能力を持つことが証明されました。

 

このように乳児の視線を利用して実験することで、乳児がもつ様々な能力が明らかになってきました。また、乳児は目が見えないと考えられてきたのが、現在の科学的な検証によって、新生児は視力は悪いものの、まったく見えてないわけではないことがわかっています。ただし、新生児の視力は約20~30㎝先に焦点が合わされており、大人のように焦点を合わせることができないそうです。そして、生まれた直後の乳児でも、動く物体に注視しようとしますし、顔のような配置の図形を好んで見つめることも明らかになりました。

 

研究においても、乳児に主体的に動く部分を見つけ、それを実験方法として利用していくことが乳児の認知発達の研究に大きく貢献しているのですね。また、考えられていた以上に乳児の持っている能力の高さにおどろかされます。子どもの白紙論の否定にはこういった実験の結果に裏付けがあるのですね。そして、この能力は視覚だけに限らないのです。

幼児研究から見えてくるもの

これまでの認知的な発達はそれまでのもの以外にもピアジェは乳幼児教育の中でいち早く「永続性」というものに注目しました。対象の永続性とは「対象物を実体性を持つ永続的な存在として捉え、見えなくなったり、触れられなくなったりしたとしても、それは存在し続けている」と理解することだと言います。ものの存在の認識がしっかりしていくるということですね。この対象の永続性という概念により、乳児は生後8か月ごろになると、対象探索ができるようになると考えました。赤ちゃんがものを探すためにハイハイをするということは世界が広がっていくためですが、そもそもそこに何があるのか、そこに行けばあるという認識ができてくるからということが言えるのですね。しかし、後世の研究によりこの理論は論破されることになります。それは生後8か月ではなく、生後半年以下の乳児においても対象の永続性を持つことが示されたためです。

 

また、ピアジェの幼児研究で有名なものに「幼児の自己中心性」という概念があります。ピアジェの自己中心性とは、一般的な意味のものではなく、自分以外の視点が存在することがわからず、周りのひとも自分と同じように外界を知覚していると思っている状態のことを言います。感覚運動期(0~3歳)の最後に獲得する「今ここにない物事をイメージする」といった感覚「心的表象」をすでに前操作期(3~6歳)の子どもたちは獲得しているのですが、すぐに論理的な思考ができるわけではないと言われています。そして、この時期の幼児の志向段階は自己中心性で特徴づけられると言われています。

 

さらにピアジェは自己中心性とともに「中心化」も前操作期の特徴であるとしました。この中心化とは、この時期の子どもの、ある特徴にのみ着目し、別の特徴を考慮できない傾向のことと言います。どういったことかとうと、水の入った容器から別の容器に水を移したとき、同じ量の水を移しかえても高さが高いほうが水の量が多いと判断してしまいます。実際は容器の高さと底の大きさといった2つの特徴を考慮して考えなければならないのに、高さといった特徴だけに着目してしまい、他の特徴に着目できないと考えたのです。これは量の保存だけではなく、数の保存、長さの保存も同じように考えてしまいます。

 

他にもピアジェは「アニミズム」に関する研究も重要な業績として認められています。アニミズムは前操作期の幼児に見られる認知的傾向のひとつで、これも幼児の自己中心性の表れだと考えられました。子どもが物にも意識があり、そこに帰属させる傾向は、まず、人間にとって何らかの機能をはたしているもの、例えば①石のようなものが意識を持つと考える段階から、②6~7歳から8~9歳にかけて、風や水のように動くものだけが意識を持つと考えるようになり、そして、③8~9歳から11~12歳になると、自発運動をするものだけが意識を持つと考え、最後に④11~12歳以降になると、動物だけが意識を持つと考えると言い、4つの段階で発達するとしました。

 

このアニミズムと同様に重要な概念として、ピアジェは「実念論」と「人工論」という考え方を提示しました。実念論とは子どもが心的出来事と物理的出来事を混同することです。子どもは思考が口や耳で生み出されていると考えますし、夢が頭の中だけで展開されていることを理解できません。自分の思考と外界の区別ができていないからです。その結果魔術的思考のような非論理的な思考が生み出されてしまいます。人工論とはすべての事物はひとがつくったものだと考えることです。

 

このようにして見ていると、ピアジェは様々な幼児期の認知的発達の概念を見つけてきたということがわかります。ピアジェのこの乳幼児研究の理論は非常に素晴らしい業績を残しています。しかし、その一方で、「彼の研究手法では、乳幼児の能力を十分に測りきれていない」という批判が20世紀後半に相次いで起こりました。それはどういったところなのでしょうか。

認知的発達における段階

ピアジェは同化と調整、体制化の過程は基本的にどの時期においても変わらないものであ有、常にその変化を繰り返していく中で連続的な発達の変化を生み出していくと言っています。一方で、ピアジェは認知的発達における段階発達を6段階に分けて唱えています。

 

第1段階は、感覚運動段階です。ピアジェは言語や模倣などン象徴機能が出現する18カ月以前においては、子どもは心の中で思考することができないと考えました。その頃の子どもは触ることやつかむこと、行動そのものが思考であると捉え、体を使った操作によって、知識を構築し、認識を発達させていくとしました。この第一段階においては、生まれ持った身体の反射を用いて、環境を取り込む同化を行い、そこで起きた経験を通して、これまでの自分の持っていた認識と新しい経験とをすり合わせる調整を行っているというのです。

 

第2段階では学習や経験による適応という側面が入ってくると考えました。この段階においては、新しい行動の獲得のために、その行動を乳児が反復するという事実が重要であるとしています。試して、定着するまで行動を反復するというのですね、

 

第3段階では自分の行動が外界にもたらした興味のある結果を反復する行動である、第二次循環反応が始まると考えました。この段階は外部の対象に働きかけるものの、偶然に発見した新しい結果をあくまで反復することが目的であり、新しい状況や問題に対応することはできないとしています。自分の行動がどのように外部に作用するのかを試してみて、それを反復し、獲得していくということをする段階ということですね。

 

第4段階では異なった2つの枠組みを組み合わせて、主たる目的という枠組みと、従たる手段という枠組みを区分し、新しい行動を生みだし、新しい結果を意図的に得ることができるようになると考えました。第4段階ではこれまでの反復という行動意図ではなく、目的と手段を行使するということができるようになるというのですね。

 

第5段階では、様々な手段を用いて目的を達成するようになるとあります。この段階になると自己とは離れた、より客観的な対象を構築することができるようになるというのです。これまでの一人称ではなく、2人称以上の対象によっても、目的や手段を用いることができるようになるということなのでしょう。

 

第6段階になると、象徴的機能が発生します。それは意味されるものと意味するものが分離し、後者が前夜を言語や心像、ごっこ遊びなどで象徴することができるようになるということ、つまり「心」の中で考えることができるようになったということです。

 

こういった認知の段階を経ることで子どもは認知的発達をしているとピアジェは言います。つまり、これらの段階は不変的なものであり、どの段階においても、子どもたちは発達の中で必ずとおる段階だとしています。

認知的発達

心理学が一つの研究として始まっていく中で、子どもの発達は遺伝から起きているものなのか、それとも環境による影響が大きいのかというどちらか一方が子どもの発達に影響するという議論が多くなされていました。20世紀においても、乳幼児は無能な存在であり、受動的な存在だとみなされていました。そういった時代の中、ボードウィンは、知能の発達を生物の進化が環境への適応だと考えられるのと同様に、個体発生も環境への適応過程だと捉えました。そして、ピアジェが登場します。

 

ピアジェも個体と環境を切り離す理論に疑問をもち、個体と環境の相互作用こそが人間の認識発生において重要だと考えました。ピアジェの乳幼児観は一言でいうと子どもを「科学者」であり、「活動的な学習者」であるとみなしていました(この場合の子どもは、乳幼児を含んだ幅広い年齢の子どもを指す)。ピアジェは乳幼児の行動を入念に観察することによって、乳幼児は活動的な存在であり、自ら積極的に知識を構築している存在だとみなしたのです。しかし、彼は乳児は活動的な存在であるということは認めていた反面、だからといって幼児期から豊富な知識を持っていたかというとそうではないという見解を持っています。乳児が豊富な知識を持たない無能な存在であるという見解においてはピアジェも変わらなかったのです。しかし、無能ではあっても、自ら世界に働きかけ、自らの力で知識を構築していくという考えを持っていました。

 

ピアジェは、主体が環境にいかに適応していくかという、適応過程は「同化」と「調節」という2つの過程から構成されていると考えました。「同化」とは生物学の概念で、有機体が食物を摂取し、環境を自ら取り込むことであり、「調節」とは有機体が自分の既存の知識の構造を新しい経験に合わせて変化させていくことを言います。つまりは新しい経験に応じて、自分の知識や認識を環境や経験に合わせて変化させていくということで、人はこういった同化と調節を繰り返す中で、新しい認識を獲得するというのです。このように乳幼児は環境との相互作用によって認識を構成する活動的な存在としたのです。

 

また、ピアジェは認知発達のどの段階においても変わらないもの(機能的不変項)があるとし、それを「適応」と「体制化」であるとしました。適応とは、同化と調節を含めた主体と環境との相互作用の過程のことをいい、体制化とは、子どもの持つ各独立した枠組みが互いに結びつき(これを協応という)機能的にひとつの全体としてまとまりをつくることとしました。人は外の環境を経験する中で同化や調節を繰り返す中で適応していきます。そして、その適応していく中で新しい概念や認識をまとめていく体制化をしていきます。こういった適応と体制化によって認識は発達していくと考えたのです。

 

子どもの発達する過程において、持って生まれた知識とそれをアップデートするために環境を通して、経験し、新たな知識を身につけていくということをピアジェは考えていたのですね。赤ちゃんは受動的な存在ではなく、能動的な活動をしているというのはこの頃にも言われていたことなのです。ピアジェの考えは今でも言われていることが数多くあり、現在の乳幼児期の発達心理学にも大きな影響を与えているということがよくわかります。その後、この理論を中心に認知発達における段階をピアジェは発信していきますが、それはどういったものだったのでしょうか?