ストレス反応②

ストレス原因がストレス症状となってしまう反応性ストレスですが、一つ目が前回紹介した「がんばるストレス」であり、これは優秀な人ほどこういった反応が起きやすいということが言える反応性ストレスです。

 

次に挙げられるのが②「我慢のストレス」です。これは「NO」と言えない人に生じやすい反応性ストレスです。頼まれた仕事や苦手な人間関係にNOと言えずに我慢したり、実際はまだまだ仕事があってもあと少しと我慢したり、仕事がなくなるのが怖いから我慢するなど、ある程度の我慢は社会人であれば必要ではあるのですが、問題は自分の健康を害するほどため込んでしまうことです。このように我慢の反応性ストレスをため込みやすい人たちには共通するものがあるそうです。それは「自分のストレス原因への対象手段に他人を巻き込みたくない」というものや「他人に迷惑を掛けたくない」という感情です。これらはストレスとならない範囲内でこれができている限りは美徳です。しかし、この気持ちの根底には「他人を巻き込んだり荒波を立ててしまったら、自分が嫌われてしまうのではないか」という不安が潜むことが少なくありません。逆に我慢のストレス反応が出ない人は、日ごろから相手との関係性が強固なものであると自信を持っていたり、「NO」ということで自分のすべての評価がネガティブになることはないと考えているので、我慢がストレスになる手前で「NO」といえるのです。そして、そういった人は自己肯定感が高い人です。

 

こういったように我慢を続ける人は、我慢を続けていても報われていない、我慢しても改善されない、と感じた瞬間に張っていた気持ちが切れてしまうのです。そして、肉体的あるいは精神的な疲労の蓄積に気づき、今までの“我慢していた反応”が、“反応性ストレス”にかわるのです。「我慢するストレス」を抱えている人はストレス症状が出てきても、「大丈夫です。もう少し頑張ります」と返答し、早期発見・早期治療の機を逃してしまったパターンが多くあると武神氏は言います。

 

そして、「反応性ストレス」の3つ目は「ガス欠ストレス」です。こういったタイプの人は仕事以外の日々の生活で趣味がなく、楽しみがなく、熱中するものがない人に多いそうです。そのため、気分転換や「ON/OFF」のメリハリがなく、徐々に徐々に気づかないうちに調子が悪くなってしまうパターンが多いのです。仕事は嫌いではないので、上司からの仕事の評価は「ハイパフォーマーではないが、ローパフォーマーでもない」といったように淡々と仕事をこなします。週末は家で何もしないで一人で過ごすことが多かったり、テレビとゲームで過ごす日々であったりとだんだんと何もする気が無くなってきます。こういった相手と面談をしたとき、武神氏は「相手の目を見てはなすこともほとんどなく、笑顔もなく、覇気がなかった姿が印象的であった」と言っています。

 

こういった場合、特に目立ったきっかけがなく、周囲が気付かない間にストレスをため、心身ともに病んでいくパターンになっていくというのです。このタイプの場合、仕事の場面ではそつなくこなすので、「あの程度の仕事で?」と驚くこともあるそうです。しかし、それは仕事に問題があるのではなく、日々の楽しみ、喜び、熱中できることなどがなく、気分のリフレッシュやエネルギーの充電ができず、肉体的にも精神的にも摩耗消耗した「ガス欠」状態になるのです。そのため、働き続けても、仕事以外で熱中できることや趣味を見つけなければいけない限り、なかなか治らない種類の反応性ストレスです。

 

「頑張る」「我慢」「ガス欠」どのストレス原因においても、必ずしも自分だけで対処できないものがあるのです。そのため、自分だけでため込まず、同僚や友人、家族など、周りにいるサポーターに相談するようにすることが大切なのです。そして、マネジメントをする側から見るとそういった職場風土や文化を作っていくことがメンタルヘルス不調を患う人を少なくするといった対策になるのでしょう。

ストレス反応

産業医として年間1000人以上のビジネスパーソンの産業医面談を行う武神氏はストレスについて、あることを指摘しています。多くの人は仕事質や量、職場の人間関係を原因としたストレス、不安、悩みで面談に来るが、多くの場合はこれらのことを改善するために来るわけではないというのです。それらはあくまで「原因」で、落ち込んだり、眠れなくなったり、集中できなくなったりと様々なストレス症状を呈して、その症状の相談に来るというのです。つまり、「原因の改善」の相談ではなく「ストレス症状」の相談に来るのです。しかし、その一方で、同じような職場環境で、同様のストレス原因にさらされていながらも、ストレス症状が出ない人もいます。その違いはどこにあるのでしょうか。

 

ストレス原因とストレス症状の間にあるのは、個々人のストレスへの“反応”だと武神氏は言います。ストレスに反応する中で、「反応自身がストレスになってしまう」というのです。そうなると人はストレス症状がでるようになり、メンタルヘルス不調になっていくのです。この反応は、個人の認識や心がけ次第で、単なる反応で終わらせることができる場合と、ストレスに感じてしまう反応(反応性ストレス)になる場合があるのです。【ストレスの原因→反応→ストレスに感じてしまう反応→ストレス症状】という順序です。メンタルヘルス不調にいたるには反応性ストレスに至るかどうかがネックになってくるのですね。そして、この反応性ストレスには3つのタイプがあると言います。それが①がんばるストレス ②我慢のストレス ③ガス欠ストレス です。

 

一つ目の「頑張るストレス」です。これは優秀な人も知らずのうちにため込みやすいタイプのストレスです。近年、仕事の量は増え、また求められる質も高まっていく上に、社会構造の変化とともに、仕事のスピード化が求められています。そのため、質も量も増えていく中で、優秀な人材ほど仕事が集まりやすい状況になっているのです。結果、優秀な人ほど早く帰れるのではなく、仕事が集まってしまうがゆえに遅くまで残業していくのです。最初のうちは上司や同僚からの信頼や感謝がモチベーションの源になりますが、次第にこの優秀な人の「頑張り」は本人にとって以上に周囲にとって頑張り続けることが普通になってきます。「みんなのために頑張っている。しかし、それが普通になり認められなくなる」それをふと感じた瞬間に報われない感覚が一気に押し寄せてきます。そして、張り詰めた気持ちが切れてしまうことになるのです。肉体的あるいは精神的な疲労の蓄積に気づき、今までの「頑張っていた反応」が“反応性ストレス”に変わるのです。メンタルヘルス不調は、仕事への適性が欠けている人(いわゆる能力不足)だけではなく、チームの頼りになる花形選手のメンタルヘルス不調はこのように生じているパターンが多いそうです。

 

できる人ほど、責任感がある人ほど、こういった張り詰めた仕事をしてしまいがちになるのです。その時に、「弱音や愚痴」をはける場やコミュニケーションをとる場といったようにガス抜きができる場があるとまた違ってくるのでしょうが、「頑張る」人は一人で抱えて頑張ってしまいがちになることが多いようにも思います。風通しのある職場であればこういったことが起きることは少ないのでしょうが、そうではないと、一人で抱え込んでいるうちにメンタルヘルス不調に陥ってしまうのだろうと思います。いい人材がいなくなってしまう職場はこういった「頑張らなければいけないこと」を抱えがちになるからなのかもしれませんね。

雰囲気を作る

自分が一つの組織の中に入っているときに、その集団の雰囲気ということが非常に多くの影響を自分に与えていたのだということを感じます。実際、以前勤めていた職場であったことですが、その職場では様々なことを提案し、発信していた人がいました。その人が他の同業の職場に転職したときに以前の職場では様々なことを提案していたのにも関わらず、「思いつかなくなったんだよね」ということを言っていました。集団において、こういった提案が発しやすい職場とそうではない職場とでは大きくその雰囲気は違っているように思います。発信しやすい職場はやはりそれを受け入れるだけの余裕や楽しむ楽観性やポジティブさがあると思います。その反面、発信しにくい職場はその反対で、リスクヘッジばかりを考えることばかりで、進め方はネガティブな部分を無くしていくという進め方になりがちです。これは先日書いた「ハラスメント研修」においても同様のことが言われていましたね。「ハラスメントをしないようにするには」というように「やってはいけないこと」を学ぶよりも、「うまくやっている人たちが何をしているか」といった「やってほしいこと」といったポジティブな方向にベクトルを向けるということが重要になってくるのだと思います。

 

武神氏はそもそも「人は言っても変わらないという事実」を知ることが必要であると言っています。それは結局のところ人は他人から注意やアドバイスをされただけでは変わらない、本人が変わる必要性を自覚しない限り変わらない、という意味です。何か相談されてアドバイスをして、相手がその通りにやってくれてうまくいけば何も苦労はないのです。なぜそうなるのでしょうか。それは人はそれぞれが自分の正義(価値観)を持っていて、聞きたいことしか聞かない、見たいものしか見ない、話したいことしか話さないからだと武神氏は言います。では、どうしたらいいのでしょうか。

 

メンタルヘルス不調者を出さない部署の上司に共通しているのは「雰囲気を作ること」だと言います。つまり部下に「自分からやろう」「自分から変わろう」という気を起こさせるのが上手だというのです。上から言って強制的にやらせるのではなく、部下が自発的に主体性を持ってやろうと思うようになる場、雰囲気を作っているというのです。武神氏は再三、リーダーシップには「みる・きく・はなす」のうちどれか一つの能力は必要であると言っています。そして、この雰囲気づくりにおいても、「みる」というアプローチから入る人もいれば、「きく」というアプローチから入る人もいると言っています。つまり、この「みる・きく・はなす」という技術は相手に主体性を持ってもらうためのコミュニケーションのコツとも言い換えられると言っています。

 

私は人との関わりにおいて「傾聴」「共感」「誠実」「真摯」ということが大切であると考えています。要は相手にどのように向き合い、アプローチするのか、その熱意は持っていなければいけないと思います。しかし、「みる・きく・はなす」というのも。ドラッカーが言っていたように相手に期待がなければ聞いてくれませんし、「話したいこと」だけを考えるのではなく、相手が「聞きたいこと」を話さなければいけないのだろうと思います。結局のところは相手を見通したり、共感するといった思いやることが重要になってくるのだと思います。そして、それは大人だけではなく、子どもに対しても同じことが言えることだと思います。

ハラスメントはなぜへらない?

前回は、ハラスメント加害者側の無知、無自覚、想像力の欠如ということが出ていました。ほかにも、その理由はあり、その一つが「ハラスメントを組織が生み出している」ということです。それはつまり「組織におけるストレスが、被害者を助けることができる可能性のある人たちを遠ざけてしまっている」ということだと武神氏は指摘しています。

 

職場の中には自分自身のストレスや、やらなければならない仕事で余裕がなくなり、自分のしていることが見えていなかったり、自分の中の思いやりの心に気づく余裕が無かくなってしまったりするのです。その結果、無意識・無自覚のうちにハラスメントを行っている人たちもいますし、同僚がハラスメント被害を受けていることを見て見ぬふりして、あとになって後悔している人たちも多くいるのです。

 

武神氏は「ハラスメントは受ける側にも問題がある」のは間違いであり、原因があるからハラスメントをするのではなく「ハラスメントをするために原因を探している」ということが多くの場合当てはまるのではないかと考えています。つまり、余裕がないからハラスメントを起こし、そのために原因を探すのではないかというのです。確かに、自分が余裕がなくイライラしているとつい言いすぎてしまったり、相手に求めすぎてしまうことはよくあることだと思います。武神氏はメンタルヘルスにおいて産業医として面接していくなかで、見えてくる「上司のパワハラ」、そして、その傾向などが見つかることはあるのですが、それを人事担当者に「パワハラ部長の上司にそのことを伝えないと」と提案しても、なにも変わらない会社もあるそうです。パワハラを認知していても、対象しない・できないことは会社の責任ではないかと言っています。そのため、こういった問題は組織運営や企業文化の課題として扱われるべきだと指摘しています。

 

パワーハラスメントがなくならない最後の理由は「パワーハラスメント」という言葉の普及であると言っています。この内容は「ハラスメント」というものの定義があいまいで、相手が嫌だと思わなければハラスメントには当たらず、嫌だと思われればハラスメントになるという定義や認定がないといったあいまいなものということです。そのため、なにかあったときに「ハラスメント」だと感じる人が増えてきたということも言葉の定着によって起きることではないかというのです。

 

こういったハラスメントがおきる理由、無くならない理由において、どう対応していくことが必要なのでしょうか。武神氏は一つは「声をあげられる仕組み」をつくることが大切と言っています。そうすることで、メンタルヘルス不調になる前に食い止めることができる対処ができるというのです。そして、もう一つ、様々なハラスメント研修が行われている中で、“やってはいけないことを学ぶ研修”はそれほど効果がでないのではないだろうかというのです。こういった研修をしたからといって、それが「ハラスメント対策をした」といっている企業が多いのではないだろうかというのです。大切なのは「やってはいけないこと」に注目するのではなく、うまくやっている人たちが何をやっているかなど、やってほしいことに注目することが大切になってきます。

 

このことは様々な研修においても言えることだと思います。「やってはいけない」ことばかりが増えていくと、「これもダメなのか?」と意識してしまうあまり、行動に起こすこと自体が難しくなってきます。そうかんがえるのではなく、「こう動くといいのか」といったいいモデルを見ることのほうが「では、こういうのはどうか?」と少なくとも行動をポジティブに考えることができるようになるのではないかと思います。そして、そういった思考は自分の自己肯定感すらも刺激することにつながるのではないかと感じます。ハラスメントというのは非常にあいまいな定義のもとにあるというのは言うまでもありません。そして、その土台には働いている人それぞれの風通しのよさやコミュニケーションの質や職場風土、文化といったものが大きく影響するのだと思います。そして、それにマネジメントする側は非常に大きな影響をもっているということをよく考えなければいけませんね。

ハラスメントとは

昨今、「○○ハラスメント」ということがよくニュースに出てきます。しかも、その種類は年々増えてきてもいます。また、その「ハラスメント」によって、命を絶つことにもつながることにもなり、非常に問題視されていることとしても注目されます。武神氏はこのハラスメントが上司と部下とのこれまでのコミュニケーションが通用しなくったもう一つの要因だと指摘しています。

 

一般的にハラスメントはいじめや相手の嫌がることをすることを指します。職場においてのハラスメントは、職場内での優位を背景に、業務の適正な範囲を超えて精神的身体的苦痛を与える行為とされています。最近でも、小学校の先生が激辛カレーを無理やり食べさせられるというパワーハラスメントがニュースに取り上げられていましたが、こういったパワーハラスメントが自殺につながることもあります。よくあるのが、こういったパワーハラスメントを「かわいがり」や「冗談」「洒落」といったように言うことがありますが、一番の問題は上司が部下に対して、自分たちの行為が部下を自殺にまで追い込んだことやこういった気持ちを引き起こすという考えすらなかったというのが問題で、ましてや自殺まで起こすとは思っていないからこそできるということです。

 

武神氏はこういった職場のパワハラの問題は「思いやり」や「道徳心」の欠如として片づけられないほど、その根は深いと考えています。そして、なぜこういった多くの企業においてハラスメントが無くならないのか。その背景や理由を、年間1000人の働く人と面接を行っている立場から3つ紹介しています。

 

その一つ目がハラスメント加害者側の「無知」「無自覚」「想像力の欠如」からくるもの。というのも、そもそも私たちは「いじめはダメなこと」と習ってきていますし、それが道徳的にいけないことだということは知っています。しかしなぜ、そういったことが起きるのでしょうか。それは他人にしてはいけないことを教わっていないから知らない(無知)があったり、自分の行為がハラスメントに該当することに気が付いていない(無自覚)であったり、自分はそのような指導を受けてきたが、ハラスメントとは感じなかったので同じ指導をしているという(想像力の欠如)といったいろいろない人がいる現状があるのではないかということです。

 

この一つ目の理由はよくあることです。そして、意識していないとこいういったことはなかなか気づくことができないことです。これは子どもに対してしても、言えるように思います。大人は子どもに対して「あなたのためを思って」と様々なことを要求することがあります。しかし、その反面、「自分だったらやらないけれども」と子どもに自分の願望を押し付けたり、「できないことをできるように」と子ども自身が望んでいないことを進めることもあります。それ自体に子どもの意志は何にもかかわらずです。これも一つにパワーハラスメントといえるのではないでしょうか。決して、このことは大人同士だけの話ではないように思います。すべては相手の立場や目線に立つ必要性があるのでしょうし、相手をどう尊重するのかということが一つの重要な要素になってくるのだと思います。そして、こういったことは職場にも保育にも生きる意識ですね。

 

では、二つ目の理由はどういったところにあるのでしょうか。