逆境とその影響

アンダとフェリッティは子ども時代の逆境(ACE)を数値化していく中で驚くべきデータを見つけます。それはACEの数値が高ければ高いほど、成人後も常習行為から慢性疾患にいたるまでほぼすべての項目でより悪い結果が出ていたというのです。この結果を見て、アンダとフェリッティは次々に底辺のX軸にACEの数値を振り、Y軸には肥満、鬱、性行為開始年齢、喫煙歴などの項目を当てはめ、棒グラフを作っていきます。すると、どの表も一貫して、棒グラフは左(ACEの数値がゼロ)から右(とくに7以上)にいくにつれて確実に伸びていったのです。

 

この表を見ていく中で、ACEの数値が4以上の人々は子ども時代に逆境になかった人々に比べて喫煙率は2倍、アルコール依存症である割合は7倍、15歳未満で最初の性行為を経験した割合も7倍。がんの診断を受けた率は2倍、心臓病は2倍、肝臓病も2倍、肺気腫や慢性気管支炎を患っている率は4倍であった。そして、いくつかの表ではグラフの伸びがことに顕著であった。ACEの数値が6を超える成人は、ゼロの人に比べて自殺を試みたことのある割合が30倍に上ったのです。そして、ACEの数値が5を超える男性は、ゼロの男性に比べて46倍という高率でドラッグを注射したことがわかったのです。

 

心理学者たちは長い間、子どもの頃の精神の痛手は自己評価の低さや無力感の原因となり、そうした感情が依存症や抑鬱、はては自殺にまでつながる可能性が高いと推定するのは妥当だと信じてきた。そして、ACEの研究でも扱った肝臓病や糖尿病や肺がんのような病気は、部分的には過度の飲酒、過食、喫煙といった自滅型の行動の結果だった。

 

しかし、フェリッティとアンダの研究によると、そうした自滅型の行動をとらなくともACEの数値の高い人々には成人後の健康に深刻な悪影響がでていた。ACEの数値が7を超える人々を見ると、喫煙や過度の飲酒をせず、太りすぎているわけでもないのに数値ゼロの人々に比べて虚血性心疾患(アメリカ国内の死因第一位)にかかる危険性が3.6倍高いことが分かった。彼らが子どもの頃に経験した逆境は、本人の行動とは関係のない経路で彼らに病気をもたらしていたのである。

 

子ども時代の逆境の数値(ACE)から見えてくることはたくさんあったのですね。その環境から喫煙や飲酒に目覚めるのが早いというのは想像がつきます。しかし、それ以上に虚血性心疾患など、環境や本人の行動によらない疾病にまで影響が出ているというのは非常に驚くべきことです。それほど幼い頃のストレスのかかる環境というのは非常に深刻な影響を長いスパンの中でもたらす可能性があるのですね。

 

その後、研究を進めていくことで、アンダとフェリッティは逆境によるストレスが、発達段階の体や脳にダメージを与えるということが分かってきます。

子ども時代の逆境

バーク・ハリスは子どもたちの貧困と経済格差において、単純な医療行為や社会問題だけの問題ではなく、もっと微細なレベル(ヒューマンバイオロジーの領域の深部)での分析や検討をしたほうが良いということを考えるようになります。そんな時にある医療雑誌の記事に出会います。そのタイトルには「子ども時代の逆境が成人の健康に及ぼす影響―黄金が訛りに変わるとき」とあり、ヴィンセント・フェリッティというカリフォルニアを拠点とする大規模医療保険団体カイザー・パーマネンテの予防医学部門の責任者の記事でした。この記事には「子ども時代の逆境(ACE)の研究」の内容であり、1990年代にフェリッティがロバート・アンダ(アトランタにあるアメリカ疾病予防管理センターの伝染病学者)とともに行ったものでした。

 

研究の開始は1995年。カイザーの医療保険の登録者で総合健康診断を受けた人に子ども時代の逆境を10のカテゴリーに分けた場合に自分はどこに属すると思うかというアンケート調査を実施した内容です。このカテゴリーには暴力や性的虐待、身体的/感情的ネグレクト、両親が離婚/別居していた、家族の中に刑務所に収監されているものがいた、精神病を患っているものがいた、何らかの依存症だったものがいたなど、様々な種類の家庭の機能不全が含まれる。数年のうちに1万7千人を超える登録者からアンケートの回答が寄せられた。返答率は70%で、回答者はまさに統計学上のマジョリティ、つまり、中流および上位中流階級の人々だった。75%が白人で、75%が大学教育を受けており、平均年齢は57歳でした。

 

回答を一覧にまとめたときにアンダとフェリティがまず驚いたのが、低所得者層ではなく、中流及び上位中流階級と言われる層の中にも子ども時代につらい思い出を持つ人が多いということでした。回答者の4分の1以上がアルコール依存症患者やドラッグ常用者のいる家庭で育ったと答えていたのです。そして、子どものころ叩かれたと答えた人数もほぼ同じ割合でした。二人はこのデータを使って、それぞれの子ども時代の逆境(ACE)を数値化します。ひとつのカテゴリーにつき1点を加算していくようにしていきます。するとその結果、3分の2の人に1点以上がつき、8人にひとりが4点以上がついたのです。

 

さらに二人が驚いたのは、カイザー社が集めた街灯登録者の膨大な医療履歴をACEの数値と比較したときでした。子どもの逆境と成人してからのネガティブな結果の間には非常に深い相関関係が見えてきたのです。そして、この2者関係は非常に直接的なものでした。というのもACEの数値が高ければ高いほど、成人後も常習行為から慢性疾患にいたるまでほぼすべての項目でより悪い結果が出ていたのです。

貧困と健康格差

前回のエリザベス・ドージアは学内で起こっている事件や素行において、決してルールを厳格にすることが解決にはつながらず、「子どもたちにはどういった家庭があるのか」や「貧困は子どもたちにどういった影響を与えるのか」ということに考えがいきつきました。

 

次にもう一人、ナディーン・バーグ・ハリスもドージアのように「貧困は子どもたちにどのように影響を与えるのか」と考えがいきついた一人です。彼女は医師として、患者の健康という観点から「貧困は子どもたちにどういった影響をあたえるのか」という問題に取り組みました。彼女はサンフランシスコのベイビュー・ハンターズポイント地区。街の南東の地味な工業地区で、市内で最も大きく最も荒れた公営住宅のある場所の児童保健センターの小児科長として働いていました。彼女はカリフォルニア・パシフィック・メディカル・センターという資金の豊富な私立の総合病院に雇われており、サンフランシスコ市内の健康格差の問題に正面から取り組もうとし始めました。こういった健康格差はベイビュー・ハンターズポイントのような地区では格差を見つけるのは難しくありませんでした。そして、バーグ・ハリスはハーバード公衆衛生大学院で健康格差について学んでいたのです。そこでは格差をなくしていくための方策も公衆衛生学の教科書に書いてありました。そこでは低所得の家庭が医療機関、特に一時医療(一般的な疾病の予防や初期治療)を扱う期間にかかりやすいようにすることが格差をなくすための方法だとそこにはありました。

 

彼女はクリニックを開くとまずは裕福な家の子どもと貧しい家の子どもの差が明らかで見た目にも分かりやすい健康問題、つまり喘息の管理、栄養教育、三種混合ワクチン接種の推進に重点的に取り組みます。ほんの数カ月で目覚ましい成果があがりました。しかし、彼女はこういいます。「ワクチンの接種率をあげ、ぜんそくで入院する子どもの数を減らすのは、結果的には驚くほど簡単でした。けれども、実はこれで格差の根本的な問題に対処できていないのではないかと思うようになりました。つまり、私の知る限り、このコミュニティではもう長いこと破傷風が原因で死亡した子どもはいないわけですから」

 

彼女は夢の仕事に就くことができ、充分な訓練を受けており、懸命に働いている。資金もたっぷりある。しかし、助けようとしている子どもたちの生活に満足のいく変化をもたらすことができずにいる。子どもたちはいまだに家庭でも街中でも暴力と混沌に取り巻かれ、身体的にも精神的にも明らかに重大な犠牲を強いられてきた。クリニックで出会う子どもたちの多くが抑うつ状態だったり、不安を抱えていたりしているように見え、そのうちの何人かははっきりと心的外傷を抱えていた。そして、彼らが日常的にうけるストレスは、パニック発作から摂食障害、果ては自殺行為まで、さまざまな症状として表れた。バーク・ハリスは一時診療を提供する小児科医というよりも戦場の外科医であるように(患者に応急処置だけを施して戦場に送り返しているように)感じることがあったというのです。

 

こういったことに対し、バーグ・ハリスが答えを探した結果、貧困や逆境に関するまったく新しい議論にたどり着きます。公益機関の刊行物や政治学のシンポジウムではなく、医療系の機関誌や神経科学の会議でそうした議論がなされていました。このようなドージアの学校のあるローズランドやバーグ・ハリスの健康格差の舞台となったベイビュー・ハンターズポイントのような地区の問題は普通は社会問題、つまり経済学者や社会学者の領域とみなされるものが多いのですが、実はもっと微細なレベルで(ヒューマンバイオロジーの領域の深部で)分析・検討された方がよいという答えにたどり着きます。最初は極論に思えたが、徐々に納得がいくようになったと彼女は言います。

 

この結果から見えることがあります。確かにバーグ・ハリスは健康格差をなくすために予防接種や栄養教育などを施します。そして、ある程度の成果がありましたが、「もう長いこと破傷風が原因で死亡した子どもはいない」というように現状としてはその部分の改善はすでにできているというのです。「彼らが日常的にうけるストレスは、パニック発作から摂食障害、果ては自殺行為まで、さまざまな症状として表れた」という部分の改善は難しかった。この部分のメンタルヘルスが結果として健康格差にもつながっているのではないかと考えたのです。そして、それが「貧困と健康格差との関係」においても大きな疑問をバーグ・ハリスに投げかけたのですね。

事件から見えてくるもの

エリザベス・ドージアが赴任したフェンガー高校に来ている生徒たちは経済的にも恵まれていなく、ギャングの問題のある地域に住んでいます。そして、こういった暴力の脅威は生徒たちの上にも大きく影を落としていました。シカゴの殺人発生率はロサンゼルス、ニューヨーク市の倍以上にのぼります。ギャングは他のどの主要都市よりも多きな、しかも破壊的な存在で、ドージアがフェンガー高校に着任したのはちょうどティーンエイジャーの間で銃撃事件が急増していた時期だった。

 

そんななか、ドージアが着任して16日目に事件が起こりました。学校から数ブロックのところで大規模な喧嘩騒ぎがおき、およそ50人のティーンエイジャーが巻き込まれました。そのうちの大部分がフェンガー高校の生徒でした。銃もナイフも使われなかったが、一部の生徒たちが線路の枕木を取ってきてこん棒にし、争いに割って入ったデリオン・アルバートという16歳のフェンガーの生徒をなぐり、ついで顔を殴り、意識をうしない、地面に倒れている間に他の数名から頭をけられ、その外傷がもとで死亡しました。彼の死は他の何十もの死亡事故とさほど変わらなかったが、この様子を動画で撮影した目撃者がYouTubeに流し大きな話題になりました。様々なニュースの取材や学校の正面での追悼集会や抗議集会が開かれた。その一か月後の10月になると非行グループによる激しい喧嘩が校内の3つのフロアで同時に起こり、フェンガー高校は再びニュースを騒がすことになります。

 

学校内の喧喧囂囂(けんけんごうごう)たる議論の末、ドージアは暴力行為および、暴力につながりかねない行為を一切容認しない方針を導入。ギャングを真似たハンドサインを使ったり、ギャング風の握手をしたりする生徒を廊下で見かければ、自動的に10日間の停学を言い渡しました。喧嘩をした生徒は警察に通報し逮捕してもらい、あらゆる手段を尽くして退学にした。廊下には重武装下警備員が巡回し、生徒は専用のひもで首から下げた身分証明書がなければどこにも行けない。休み時間には<ビバリーヒルズ・コップ>の曲が流れ、その曲が終わるまでに教室に移動しなければいけない。こうした堅固な規則があるにもかかわらず、まだ騒ぎは起こっていました。

 

校長になって2年目も半ばのころ、ドージアは自分の役割の中で一番重要なのは授業を指導することではないと思うようになりました。デリオン・アルバートの殺人事件をきっかけに、学校組織のトップのアーン・ダンカンと司法長官のエリック・ホルダーはフェンガー高校で放課後のプログラムを実施するために連邦の資金から50万ドルを支出することを約束しました。そのプログラムの内容は怒りの抑制や心的外傷のカウンセリングで、学校側は対象を生徒だけではなく、生徒の家族にまで広げました。ドージアは生徒の中で最も大きな問題を抱える25名を集中指導プログラムに登録した。

 

今現在、ドージアがフェンガーにおける差し迫った危機は生徒の学業成績の不振ではなく(それも気が滅入るほど深刻なままではあるが)もっと根深い問題、つまり生徒の毎日をつらいものにしている、心的外傷の引き金になるほどの困難な家庭環境から生じていた問題を解決する糸口となるものを彼女は探していました。「この仕事に就いたばかりの頃は“個ここの子どもたちにはどんな家族がいるのか”“貧困は子どもたちにどういう影響を与えるのか”といった疑問を軽視していた」と言っています。それと同時に「けれどもフェンガー高校で働くようになってから考えが変わりました」と言っています。

 

家庭環境の貧困と学業における姿勢が大きく影響しているということが分かるのと同時に、たとえルールを厳格化したとしても、それが問題の解決には至らない、もっと根本的なところからアプローチする必要があるということが分かります。困難な環境からどう支援していなければいけないのか。それはただの授業支援といった部分ではないということが分かります。

困難な環境

「子どもたち、とくに困難な環境にいる子どもたちを支援すること」というのは様々な国で取り上げられています。ここで紹介するエリザベス・ドージアと後に紹介するナディーン・バーグ・ハリスもその一人です。彼女たちは「困難な環境にいる子どもたちを支援する」ということを共に使命感を持っているだけでなく、似たような根深い不満を抱えていました。二人とも、職務の範囲で最善の手段をもってしても、目の前の問題を解決することができないといった結論に達したばかりで、キャリアにおいても、人生においても、転機を迎えていました。そして、いままでにない新たな戦略の手引きを探していたのです。

 

2009年にエリザベス・ドージアはシカゴのサウスサイド、ローズランドの中心にあるクリスチャン・フェンガー高校の校長に任命されます。しかし、その学校は危機に直面していました。いやむしろ、その学校は過去20年以上を遡っても危機的状況にない瞬間を探す方が難しいような学校です。このローズランドという土地はいまや市内でもあらゆる尺度から見て(貧困率・失業率・犯罪率・あるいは荒れ果てて閑散とした通りの雰囲気など)をみても最悪の部類に属する場所の一つです。また、ローズランドは辺鄙な土地で、人種隔離に使われているかのような地域です。そして、98%が黒人の土地です。フェンガー高校はこういった貧困地域にある多くの大規模公立高校の例にもれず、惨憺たる記録を保持していた。試験における得点は常に低く、出席率も低い。校内は慢性的に荒れており、退学率が高かった。しかし、こういった「行くところまで行った学校」は町の有力者やワシントンの官僚からも無視され、放置されるものでしたが、このフェンガー高校は無視されてきたわけではないのです。むしろ、ここ20年以上、なんども大掛かりな改革の対象となってきました。予算もたっぷりと割かれ、国内の有名な教育官僚や慈善家が何人も関わってきた。教育困難校に対する改善策としておおよそ思いつく限りのすべての戦略が手をかえ品をかえ試されてきました。その中で校長に任命されたのが、エリザベス・ドージアです。

 

彼女は着任したとき、事態を好転させるために必要な道具はすべて現代的な教育改革理論の中にそろっていると信じ込んでいた。そして、着任前の一年、彼女はニュー・リーダー・フォー・ニュー・スクールズと呼ばれる最高峰の研修プログラムを受けて過ごしました。研修では、行動力のあるリーダーなら生徒の成績を高いレベルまで引き上げることができる、熱心な教員が指導に当たる限り生徒の経済状況は関係ないとたたき込まれたのです。そこで彼女はフェンガー高校の事務員や教員を入れ替えました。ドージアは求める基準に達しないものを容易に解雇できるのです。そうして学校の環境を思うように作っていきました。

 

しかし、ドージアはこう言っています。「学校がうまく機能しないのは校長が悪いか、教員が悪いせいだとずっと思っていました。だけど、現実にはフェンガーは地元に根差した公立高校であり、地域社会のありようを反映しているにすぎません。学校の問題を解決しようと思うなら、地域で怒っていることに目を向けないと」

 

フェンガー高校について知っていく中で、生徒たちが家庭で直面している問題の深刻さに何度も驚かされたと言います。「ここの生徒の大半は経済的に恵まれていません。常にお金に困っています。そして、多くが、ギャングの問題のある地域に住んでいます。深刻な逆行を免れている生徒なんて一人もいないのです。」事実、女子生徒の4分の1は妊娠しているか、10代にしてすでに母親である。実の両親と暮らしている生徒はどれくらいいるのかと聞くと「思いつきません。そういう生徒もいるはずなのですが」とドージアは言います。

 

そんな中、大きな事件が発生します。