苦労と気質

保育をしていく中で、どうしても難しいクラスがあります。子ども同士がけんかばかりしているクラス。暴れまわるクラス。過去にもそういったクラスはいくつかありました。いわゆる「荒れている」というクラスです。そして、そこにいる子どもたちの姿を見ていて多くの保育者がよく言うのが、「頭はいいのに・・」といった言葉だったりします。知能自体はきっと高いのだと思います。しかし、気質や性格によって我慢できなかったり、衝動的だったりする行動が目立ってしまうのです。そして、そういった子どもたちの影響がクラス全体に波及効果を起こすこともしばしばあります。

 

それはKIPPでも同様のことがおきていました。2007年のクラスで、そのクラスはそれ以前のクラスよりも学業面で素質に恵まれていたと言います。進学先の大学のリストには名門大学もありました。KIPPの卒業生をサポートするダウリングは「素晴らしい知力を持ちながら、かなずしもそれを正しい方向に向けられない生徒たちがいる」と言っています。その生徒たちは課題を終える能力はあるのに、先延ばしにする癖のせいで苦闘している子どもや、深刻な対人関係の問題、精神面の問題を抱えている子どもたちもいる。さらに、57人の卒業生のうち7人が大学で深刻な鬱にかかっているというのです。そして、ダウリングはこれらの一部の生徒については気質の問題だと分かったと説明します。

 

ここで出てきた生徒たちは家族の問題に悩む子や同級生とのつきあいが苦手な子もおり、それが学業への妨げになっていたと言います。そして、ダウリングは「みんないい子です。だけど、貧困の影響は甚大で、粘り強い子どもたちにさえ悪い結果をもたらす」と言っています。まさに、保育現場でも、出てくる子どもの様子は違っていても起きている問題に似ています。KIPPでは卒業生と助言者が月に一度連絡を取り合うのですが、そこでは4つのカテゴリー「学業への備え」「経済的安定」「社会生活を送るうえでの心の健康」「非認知的スキルの習得度」について持続的に評価を受けます。このように卒業生の様子を定点的に見ていくことで、それぞれの生徒の問題になりそうな赤のエリアがすぐに分かるようになり、そうして支援してきました。そうすることで「学士援助の申請書類の〆きり」「勉強の習慣を改善するためのヒント」「ルームメイトや教授と良い関係を築くための提案」などをしていました。そして、そのどれもリバーデールの卒業生ならとっくの昔から親や友人や年上のきょうだいに聞いてきた情報であり、生まれてからどっぷりつかってきたような情報です。

 

「気質については、こんな風に考えることもできる」とタフ氏は言います。気質はリバーデールの生徒が享受している社会的なセーフティネット(家族や学校からのサポート、回り道やミスや間違った決断が生む結果から子どもを守ろうとする文化)の代用品として機能しうるというのです。低所得層の家庭の子どもは当然のごとくセーフティネットを持っていない。だから何か別の方法で補うしかないのです。成功するためには、やり抜く力や社会的知性や自制心が、裕福な家の子どもよりもさらに必要になります。

 

こうした性格の強みを伸ばすには大変な労力がかかります。しかし、とにもかくにもこの能力を身につけ、地雷原を渡り切って大学を卒業したKIPPの生徒なら、同年代のリバーデールの卒業生よりもずっと有利な条件で大人として出発できると実感することだろうと言います。そして、それは経済的な優位ではなく、気質的な優位です。KIPPの生徒が大学を卒業したときに手にしているのは学士号だけではなく、もっと価値のあるものを手に入れているというのです。

 

「苦労は買ってでもしろ」とはよくいったもので、粘り強く物事に取り組むためには自分で悩み、決断をし、失敗や成功をしていく中で、気質は磨かれていくものなのだということが言えるのですね。確かに、私から見ていると乳幼児期の子どもたちを見ていても、保育園の子どもと幼稚園の子どもとでは多少なりとも発達の違いが見られるように思います。これはあくまでも私の主観的な見解ですが、保育園の子どもたちのほうがたくましいようにも見えます。それは、もしかすると子どもたちなりに環境に対応するために様々なことを考え、迷いながらも自ら得ていってるからなのかもしれません。

しなやかな心

「知能は影響を受けやすい」というのは、前回の内容でも紹介されました。しかし、ここで面白いのは様々なことに知能が影響を受けやすいという問題を心理学や神経科学者の間で議論の的になっていることだと言います。もちろん、学力テストのスコアはさまざまな訓練によって左右されるが、知能そのものはそんなに変わるものではないというのです。しかし、スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックが目覚ましい発見をしました。

 

それは実際のところ知能がどこまで影響を受けるのかという問題はいったん置いておいて、知能は影響を受けやすいものだと「信じている」生徒のほうが成績がはるかによかったという点です。そこでドゥエックは人々を二つのタイプに分けました。それは「凝り固まった人々」と「しなやかな心の人々」です。前者は知能や他の能力は本質的に生まれつき変わらなかったものであると思っていて、後者は知能は改善できると信じているというのです。生徒の心のありようを見れば成績の伸びがだいたい予測できるというのです。そして、知能は伸ばすことができると信じている生徒は実際に成績も伸びています。知能そのものが変わろうが変わるまいが、心のありようは確実に変えられます。そのため、正しい対策によって生徒の心のありようを凝り固まったものからしなやかなものへ変えることはできるし、結果としてその方が成績もあがるのです。

 

ジョシュア・アロンソンは心のありようを変えるための対策の効果を比較研究しました。対象は低所得層の7年生(中学1年生)で、一年の間に対象の生徒に大学生の助言者が付きます。そして、一度につき9分、2回顔を合わせた後、定期的に電子メールで連絡を取り合いました。このように無作為に選ばれた1部の生徒にはしなやかな心のありようを作るためのメッセージ、たとえば「知能とは限定された資質ではなく、心の訓練によって拡張できる能力である」といったような事柄で助言者からあたえられます。それとは対照のグループには「薬物の使用は成績にも悪影響を及ぼす」といったありきたりなメッセージを与えました。その学年の終わりに、アロンソンとその同僚は二つのグループを標準学力テストのスコアによって比較しました。その結果、しなやかな心を作るメッセージを聞いた生徒のほうがアンチ・ドラックのメッセージを聞いた生徒よりもはるかにいい成績をあげていました。

 

特に顕著だったのが女子生徒のスコアで、女性の数学のスコアは特にステレオタイプの脅威の影響が表れやすかった。それは女子は数学が苦手であるという典型をなぞる結果になったらどうしようと心配している生徒が大勢いるということが見て取れます。実際の点数を見るとアンチ・ドラックのメッセージを受けた女子生徒の平均点は74点、男子生徒のものより8点低かったそうです。そして、しなやかな心を作るメッセージを受けた女子生徒の平均点は84点で男子生徒の差が完全になくなっていたそうです。

 

これは「しなやかな心」ということで紹介されていますが、これは子どもたちにとって「夢はかなう」ということと同じような内容でもあるように思います。今の社会、「どうせそうは言っても・・・」ということが多いように思います。それはある意味、「自分の今の能力は改善することは無理」と言っているようにも思えます。今の日本で夢を持っている人は他の海外に食らえると比較的に少ないとも言われています。それは人生における成功にも少なからず影響しているのかもしれません。保育者や教育者はここで紹介されている助言者のように子どもたちに関わる必要がありますね。そして、それは結果として、子どもたちの知能の変化や「しなやかな心」にもつながっていくのだということが分かります。

影響

MCIIのように自分の中にルールを作ることや習慣をつけることなどは成功などより良い道をたどりやくすなるコツだと言われています。これとは他にも「集団の一員であるという認識は業績に大きな影響を及ぼす」とも言われています。この説を出したのがスタンフォード大学教育学大学院学長で心理学者のクロード・スティールです。彼は「ステレオタイプの脅威」という現象を突き止めました。スティールによれば、知的なあるいは身体的な能力を試すテストの前に帰属する集団に関係することがらをほのめかされると、テストの結果に大きく影響すると言っています。

 

プリンストン大学の白人の学生がミニゴルフの10ホールのコースを回るまえに生まれつきの運動能力(彼ら自身、自分にあまりないと思っている能力)を試すテストであると言われたケースでは、戦略的思考能力(持っていることに自信のある能力)のテストであると言われた白人学生のグループよりもスコアが4打数悪かった。黒人の学生については効果が正反対で、戦略的思考のテストであると言われたグループのほうがスコアは4打数悪かった。スティールの理論によれば、「白人は運動能力が低い」「黒人は知的でない」といったステレオタイプを自分もそのままうけとめてしてしまうのではないかと不安に思っていると、より悪い結果が出るという。

 

ほかにも60代と70代と80代の人々が年齢とともに記憶力は低下すると書かれた記事を読むように指示され、そのあと、記憶力のテストを受けたときには、テストに出てきた単語のうち44%しか覚えていなかった。テストの前にその記事を読まなかった同様の構成のグループでは、58%の単語を覚えていました。数学の難題を解く大学のテストでは女学生たちは自分が女性であることを指摘されただけで、何のほのめかしを受けなかった女学生よりも成績が悪かった。

 

しかし、この話には続きがあり、かすかな「ほのめかし」が引き金になるが、それと同様にほんの小さな対策で脅威を無効にできる点です。現在でもあらゆる状況で調査がつづいているが、もっとも効果的なテクニックのひとつはステレオタイプの脅威にさらされいる生徒たちに「知能はさまざまな影響を受けやすいものである」と種明かしをすることだ。そのこと自体を理解した生徒は自信を持ち、テストの得点やGPAがあがることもたびたびあるという。

 

「心の持ちよう」や「病は気から」といった言葉がありますが、知能においても、同じことが言えるのですね。よくスポーツ選手もルーティーンの中で、ポジティブなことを自分に言い聞かせるひともいれば、自分のふがいなさを言い聞かせてネガティブなところからの改善をパワーに変える人がいると言うのがあります。「メンタル」という言葉はよく聞くようになりましたが、それだけ人は様々なことから影響を受けるのですね。

ルールと習慣

成功へ計画を立てるためには「実行意図」を作りだすことが必要であり、そのためには「もし/ならば」という問答のかたちで障害とそれを克服する方法を考えることがことが求められるのです。そして、そのためには「気持ちはポジティブな結果に集中しながら、途中の障害についても考える」必要があります。要するに「実行意図をともなう精神的対照(MCII)」は自分のためのルールを作る方法の一つなのだとタフ氏は言います。

 

食品医薬品局の元長官であるディヴィッド・ケスラーは著書「過食にさようなら」に「なぜルールが機能するかについて神経生物学上の理由がある」と言っています。ケスラーによるとルールを作ると前頭前皮質を味方につけることができ、つまり本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できるというのです。しかし、ルールは意志力と同じものではないとケスラーは指摘しています。ルールはメタ認知を利用した意志力の代用品だというのです。ルールを作ることによって、たとえば揚げ物を食べたいという欲求とその欲求に抵抗する堅い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避できるのです。ケスラーの説明によれば、ルールとは「構造であり、魅力的な刺激との対決に向けた準備となるもの、私たちの関心をほかへ逸らすものである」ということなのです。そして、ルールはやがて欲求と同じくらい反射的に働くようになります。

 

また、このことを違った言い方で説明している人がいます。それがダックワースが性格について話すとき、たびたび出てくるウィリアムズ・ジェームスです。彼はアメリカの哲学者で、心理学者でもあります。そして、ジェームスは「我々が美徳と呼ぶ特質は単なる習慣で、それ以上でもそれ以下でもない」と書いています。このことを受けて、ダックワークはKIPPの教員に「習慣と性格とは本質的には同じもの」と言っています。そして、こう続けています。「よい子どもと悪い子どもがいるわけではなく、良い習慣を持った子どもと悪い習慣を持った子どもがいるのです。そんなふうにいえば子どもたちも理解できるはず。なぜなら習慣を変えるのは大変かもしれないけど、不可能ではないと子どもたちにもわかっているからです。私たちの神経系は1枚の紙のようなものである。とウィリアム・ジェームズは言っています。繰り返し折れば、折り目がつく。KIPPでみなさんがしているのもそういうことだと思います。生徒たちがKIPPを出ていくとき、後の成功につながるような折り目が彼らについていることを確認して下さい」

 

ダックワースによれば、良心的な人々も道徳にかなった行動をしようとつねに意識して決めているわけではないというのです。「よい」ことをする(社会的に受け入れられやすい選択肢、あるいは長い目に見て利益につながる選択肢を選ぶ)のはそれが習慣として身についているからだといっており、最も良心にかなった道がつねに最も賢明な選択では限らないのです。

 

たとえば、以前紹介した読替えスピード・テストで高得点をあげた生徒は何の見返りもないのに実に退屈な作業を懸命に行いました。これは「誠実」ともとれれば「馬鹿正直」にも見えます。しかし、長い目で見れば良心的な行いが身についていれば役に立つことが多いのです。それは本当に問題になるとき、たとえば、期末試験のために勉強をしなければいけない時や会社の面接に行くのに時間を守らなければいけないとき、誘惑に負けて浮気しそうになった時などに、こういった経験は奮闘したり疲労困憊したりせずに正しい選択ができるようになるのです。MCIIのような戦略や、マシュマロの額縁があると想像する行動は、結局のところ、よりよい道を取りやすくためのコツなのです。

 

こういった思考の変換や見方をかえることは大人になったときに大いに役に立つことでしょう。ルールを作ることや習慣として身につけること、このどちらも見通しをもつことと同じ意味を持ちます。そして、そのスパンを遠くしていくという行為は保育をしている中で子どもの様子を見ていても感じるところです。こういった行為は確かに意志でとめるというよりも条件を自分で作るということであり、本来意志力でとめれるのであれば必要の無い行為なのかもしれません。しかし、これらの行為は意志力を強化するために必要なプロセスであるように思います。様々な方法を駆使して人は自分の自制心や見通しを持つことができるようになってくるのですね。

バランス

エッティンゲンは「実行意図をともなう精神的対照(MCII)」といった手法の中で、人が目標を設定するときに用いる戦略は3つあり、そのうち2つはうまくいかないと言っています。先の話では「オプティミスト」は「空想」という戦略を使い、「ペシミスト」は「思案」という戦略を用いると言っています。しかし、そのどちらも実際の達成には繋がらないとエッティンゲンは言っています。最後の1つが達成につながる戦略というのですが、それはどういったものなのでしょうか。

 

その3つ目の戦略は「精神的対照」と呼ばれるものです。そして、それは先に二つを組み合わせたものだと言っています。気持ちはポジティブな結果に集中しながら、途中の障害についても考えることだとしています。ダックワースとエッティンゲンが最近の論文に書いたところによれば、この両方を同時におこなうことで「未来と現実に強いつながりができ、望ましい未来に到達するために乗り越えるべき障害が浮かび上がってくる」と書いています。エッティンゲンによると、成功への次のステップは「実行意図」を作り出すことだと言います。つまり、ある計画について「もし/ならば」という問答の形で障害とそれを克服する方法を考えるのです。たとえば、「もし放課後テレビに気を取られそうになるならば、先に宿題を済ませてからテレビを見る」といった具合にするのです。つまり、保育の中でいう「見通し」を持つということですね。

 

ダックワースはKIPPの教員にこういいます。「来学期になったら毎日数学の宿題をちゃんとやろうと想像するだけ。それもそのときには気分の良いものです。けれども、それだけではどこにもたどり着けないし、何も起こらない。私はさまざまな学校を訪れ、多くの学校で“夢は必ずかなう”と書かれたポスターを目にしてきましたが、誰もが裕福で有名な大人になれるという空想は捨てて、目指す場所にたどり着くための現にある障害の事を考える必要がある」と言っています。

 

確かに「オプティミスト」のようにただ楽観的であるだけでは、物事の細かいことに気づかないことが多くあります。しかし、逆に「ペシミスト」といった悲観的な考えでは、「あ~でもない、こ~でもない」とネガティブな要因ばかりを取り出してしまい、これもまた埒があかず進まなくなることがしばしばあります。つまりはバランスといったことなのでしょう。ポジティブに物事をとらえ、ネガティブな要因を確認しながら、改善していくといったプロセスに臨むことが成功するために必要なことなのです。成功する人は「実行意図をともなう精神的対照(MCII)」という手法をうまくとらえて、目標を設定し、活動につなげているというのです。