天才を作る2

前回のポルガー家以外にも同じように子どもたちを天才にしようとする家族がありました。それが、ガータ・カムスキーのケースです。この家庭に関してはタフ氏はポルガー家以上にゾッとするケースだと言っています。カムスキーは1974年、ソ連時代のロシアに生まれ、父親の監督のもとで、8歳の時にチェスの勉強を始めました。父親のルスタムは短気な元ボクサーで、母親はガータが小さいときに家族のもとを去っていました。12歳になるころにはガータ・カムスキーはグランドマスターを何人も破っていました。1989年アメリカに亡命したカムスキーと父親はカムスキーが世界チャンピオンになると信じたベア・スターンズ社の社長からブライントビーチのアパートメントと年間3万5千ドルの生活費の提供をうけました。そして、16歳でグランドマスターになりました。17歳で全米チェス選手権優勝。だが、若くしてこれだけの成功をおさめながら、苛酷な教育環境にあることも有名でした。

 

父親の監視下でカムスキーはアパートメントからほとんど出ずに1日14時間チェスの勉強と練習をしていました。学校には行かず、テレビも見ず、スポーツもせず、友だちもいなかった。父親はチェスの世界では暴力的な気質の持ち主としてよく知られていた。ミスをおかしたり、負けたりしたガータに罵声を浴びせ、ものを投げつけることもよくあった。ある試合では息子の対戦相手から「暴力で脅された」と申し立てられたということもあったのです。しかし、1996年22歳になるとカムスキーはチェスをきっぱりやめてしまったのです。彼は結婚し、ニューヨーク市立大学を卒業し、医学専門学校に通うようになります。その後、ロングアイランドの方か大学院で学位を取るが、司法試験には通りませんでした。

 

このカムスキーの話は、早期教育の強引な親の関わりがいかに裏目に出るかという警告のようにも見えます。しかし、カムスキーは2004年にチェスに復帰します。そして、数年のうちに思春期の頃の成績を越え、2010年には全米選手権で19年ぶりの優勝を果たします。さらに翌年、2011年にもまた優勝します。現在、国内最高レーティングのプレーヤーであり、世界ランキングも10位であった。例の1万時間の法則の効果(カムスキーの場合には子ども時代を通して1日14時間練習していたのでそれ以上かもしれないが)非常に強力で、8年のブランクがあっても続いていたようでした。

 

このことだけを考えると、一見、早期教育的に小さい頃から強制してでも子どもに教え込むことが大切なように思うかもしれません。なぜなら、小さい頃から1万時間チェスに打ち込むことはカムスキーがチェスの世界で活躍するためには非常に有効な時間となったからです。それは8年のブランクがあっても効果があったからです。このことはスピーゲルや他のチェスの選手も、カムスキーやポルガー姉妹の子ども時代については賛否いろいろな感情が入り混じると言っています。こういった一つの目的を追うだけの子ども時代は不健全であるとまではいわないまでもバランスを欠いている。しかし、その反面、幼いころから結果を出している子どもたちを見ていると嫉妬を覚えずにもいられないのです。

 

私は早期教育については否定的ではありません。しかし、その体験が「いったい誰のためなのか」ということはよく考えなければいけません。主体の問題です。親が子どものやりたいことを決めつけるのと、子どもが自分で選択するのとでは大きな違いがあるようにも思います。しかし、スピーゲルはこのことについても言及しています。

天才を作る1

子どもたちは様々な可能性があると言われています。最近でも、まだまだ「早期教育」としていろいろな課外教室があり、そこに参加されている家庭も多くあります。天才的なスキルの習得というものはどう進めていくと身につけることができるのでしょうか。

 

スウェーデンの心理学者K・アンダ―ス・エリクソンは1万時間の法則を提示しています。つまり、どんなスキルでも(たとえば、バイオリンを弾くことでも、コンピューターのプログラムを書くことでも)本当に習得するには1万時間の着実な練習が必要であるという理論です。エリクソンのこの理論の一部は、チェスの取得の研究に基づいています。彼の発見によると生まれながらのチェスのチャンピオンはいないというところから始まります。そして、勉強やプレーに多くの時間を注がなければグランドマスターにはなれないと言っています。これまでの最強のプレーヤーたちは子どもの頃にチェスを始めています。チェスの歴史を眺めてみても、野心を持ったプレーヤーが最高レベルに達するためにチェスを始めるべき年齢は年々早くなってきています。エリクソンによると20世紀が終ることのチェスの開始年齢の平均は10歳半、グランドマスターならたいてい7歳にはチェスを始めていると言います。

 

チェスにおける早い時期からの集中的な訓練の効果について述べた研究があります。ハンガリー人の心理学者ラスロ・ポルガーによるものですが、ポルガーの著書『天才を育てよう!』(1960年代)では、充分に勉強させればどんな子どもでも天才にすることができると論じました。この本を書いた当時、ポルガーは独身で子どももおらず、みずから理論を実証することができなかった。しかし、クララという名のハンガリー語を話す外国語教師の心をつかむと、状況が変わり始めた。クララはウクライナに住んでいたのだが、ポルガーに手紙で説得されてブダペストに移ることにした。その手紙には「一緒に天才を育てる方法」について詳細に書かれてあった。

 

驚くことに二人はこれを実行します。二人は3人の女の子の親になり、ラスロはチェスに特化したプログラムで全員に家庭教育を施しました。どの子どもも5歳の誕生日を迎える前にチェスの勉強を開始し、すぐに1日10時間ほどプレーするようになった。長女のスーザンは4歳の時に初めてトーナメントで勝ち、15歳になると世界でトップレベルのレーティングのプレーヤーになります。そして、21歳でグランドマスターになりました。スーザンの成功に関しては、転載は生まれつくのではなくつくられるものだという父親の主張を見事に証明しました。しかし、一番強かったのは末っ子のユディトでした。ユディトは15歳でグランドマスターになり、最年少記録を塗り替えます。その後世界ランキング8位、彼女は現在でも史上最強の女性チェスプレーヤであるとされています。

伝え方

スピーゲルは厳しくとも大人が上からでなく、一緒になって真剣に見つめるといったことが子どもたちは必要としていると言っています。マイケル・ミーニーやクランシー・ブレアらを含む研究者たちは、幼児が粘り強さや集中力といった気質を伸ばすには養育者からの温かく愛情に満ちた世話が必要であると論じてきました。しかし、スピーゲルの成功例を見ると、思春期に到達するころの子どもたちに有効な動機づけは毛づくろいに似たスタイルのケアではなく、まったく別の気づかいです。おそらくミドル・スクール(中学生)の年頃の生徒をスピーゲルのチェスチームの選手たちと同じくらい熱狂的に集中させ、練習させるには、誰かが意外なほど自分のことを深刻に受け止めてくれるという(自分の能力を信じてくれて、もっと改善できるからしてみなさいと持ち掛けてくれるという)体験が必要なのだと言っていました。

 

これはどういったことを物語っているのでしょうか。思春期のころには自分の能力を信じてくれ、もっと改善できるということを持ちかけられる体験が必要であり、それは幼児期のような「毛づくろいに似たスタイル」ではないと言っています、どうやら幼児期と思春期とでは関わり方は違うようですね。

 

タフ氏はKIPPの教員や理事が日々の心の危機や間違った行動に話して聞かせるやり方とIS318でのスピーゲルの様子を比べてみます。そのどちらも生徒に教えるという方法です。そして、その両者はよく似ていると言っています。まず、KIPPの生徒のアプローチは認知行動療法に近いといっていました。生徒が大きく揺らいでいるとき、強いストレスのかかった瞬間や気持ちが混乱してわれを忘れそうになっているとき、物事を大きな絵で見るようにと促していました。そして、これは心理学者がメタ認知(思考を思考するという力)と呼ぶ方法で、前頭前皮質を使います。自分の気持ちを落ち着かせ、自分の衝動を吟味し、教師に向かって喚き散らしたり遊び場でほかの子どもを押しのけたりするよりも生産的な解決方法を考えるのである。

 

そして、これはチェスの試合後の分析でスピーゲルが行っているのも、これをもっと明確な形に発展させた指導です。KIPPの生徒と同じように、IS318の生徒も自分の間違いを深く見つめ、なぜ自分がその間違いをおかしたのか吟味し、ではどうしたらよかったのかを懸命に考えるよう求められます。これを認知行動療法と呼ぶのも、教え方がうまいだけだと言うのも自由ですが、ミドルスクール(中学生ごろ)の生徒に変化をもたらすのに極めて効果的な方法であることは間違いないとタフ氏は言っています。

 

しかし、この方法は現在のアメリカの学校で実際に使われることは非常に珍しいのだそうです。それは学校の使命や教師の仕事とは単に情報を与えるだけのものであると信じるなら、生徒にこうした厳しい自己分析をかす必要はないと思われているからです。しかし、生徒の気質を変える手助けをしようと思うのであれば、情報を伝えるだけでは充分ではないのです。スピーゲルは自分の教え方を説明するのに「性格」という言葉を使わなかったが、ディビット・レヴィンやドミニク・ランドルフが強調する「性格の強み」とスピーゲルが生徒に教え込もうとしているスキルには大きく重なる部分があります。タフ氏はスピーゲルが生徒に教えようとしていたのは、やり抜く力であり、好奇心であり、自制心であり、オプティミズムであるというのです。

 

日本の教育現場では「生徒指導」と「学習指導」があります。実際こういった「性格の強み」といったものは「生徒指導」の部分と言えるのだろうと思います。日本はそういった意味ではKIPPのような教育現場に近いように思います。つまり、こういったことを考えることは決して、無縁ではないことであり、こういった性格における考えも改めて考える必要があるのではないでしょうか。そして、まさにこういった性格におけることは「人格形成」にもつながり、AIでは教えることや伝えることができない部分でもあるのでしょう。

いろんな関わり

スピーゲルはIS318でチェスを教えています。そのため生徒がどのようにすれば、試合に勝利を収めることができるのかを考えます。そのためにはどこがダメかを理解する必要があります。しかし、「負けを客観的に眺めること、失敗で自信を失わないこと、と子どもたちに話すのは簡単だ。しかし負けた本人がそれを実行するのは難しい」というように欠点を自覚し、考えることは非常に困難なことです。その困難さについて、スピーゲルも自信を持たせたかったとはいうものの、厳しい言葉を子どもに投げかけるため、自分は子どもたちに対してひどく冷淡なのではないかと思ったそうです。実際、スピーゲルはチェスの結果を見て必要としていたのは、どこがダメかを教えるために時間の大半を費やすことであり、試合後の分析の基本もそこにありました。そのため、時に「いい考えだと思ったんでしょう。でもあなたは間違っていた」というように厳しい言葉を掛けなければいけなかったのです。

 

しかし、そうはいっても、スピーゲルが教えることで子どもたちは結果を残していきます。彼女はあるチェスの試合の時に3試合目が終わるころに虐待でもしているような気持ちを抱きます。そして、全部を投げだして、嘘でいいから優しい顔だけしていようと思ったことがあったそうです。しかし、その後第四試合目になると、生徒たちは試合内容がよくなり始めたそうです。それについてあることに気づきます。「たいていの人は10代の女子生徒に向かって怠慢であるとか、あなたのしたことはお話にならないくらいレベルが低いなどとは言わない。だけどときには子どもたちはそういう言葉を聞く必要がある。もういちど姿勢を正そうとおもうために」というのです。そして、「あなたの教師像はよくあるステレオタイプだ、良い教師、特に市街地の教師は生徒との交流を深めるべきだという思い込みがあるのではないか」タフ氏に対して反論したそうです。

 

確かによく言われる「よい教師」とは「ハグや志気をたかめるスピーチや人生における教訓を披露するような人」が取り上げられます。これに対し、スピーゲルは似ても似つきません。こういったことはIS318の副校長で、監督としても同行するジョン・ガルヴィンの役割でした。スピーゲルに言わせると彼のほうが「心の知能指数」が高いから、そういうことに向いていると考えていたからでした。

 

「温かい関係を築いた子どもだってたくさんいる。だけど、教師としての私の仕事は、鏡になることだと思う。盤上での行動について話し合い、考える手助けをすること。子どもにとっては大事なことなの。大変な力を注いで何かをしようとするとき、大人が上からではなく、一緒になって真剣に見つめる。そういう機会は決して多くないけれど、私の経験からすると、子どもたちは本当にそれを必要としている。でもそれは愛しているとか、母親のように育てるのとはちがう。わたしはそういうタイプの人間ではないから」とスピーゲルは言います。

 

ここで紹介した、スピーゲルの話は保育におけるチーム保育や共感するということにつながっているように思います。社会に出たときに子どもたちは様々な人と関わることになります。スピーゲルのような人と出会うこともあるでしょうし、ジョン・ガルヴァンのような人とも会うことができるでしょう。それはまるで大人が子どもたちに合わせて役割分担をしているように見えます。そういった関わりの中で子どもたちは人との多様性を知ることができるのです。そして、これは担当制である先生ではなかなか難しく、チームで動いた時こそ見えてきます。しかし、ただいろんな人がいていいわけではありません。「大人が上からではなく、一緒になって真剣に見つめる。」というような姿勢を持つ必要があります。一時期、「ほめる保育」や「叱ることの否定」が言われていました。しかし、私はほめることにおいても、叱ることにおいても、根底に共感や承認といった相手を受け入れることが重要なことであると考えています。そうすることで子どもたちは安心した環境の中で、自分からやってみようとする次の意欲につながるのです。

乗り越える

思考にともなう習慣を身につけさせるためにはどういったことをしたらいいのでしょうか。自分の間違いを理解することや思考の過程をもっとよく自覚するためにはどういったことを伝えればいいのでしょうか。IS318でチェスのコーチをしているスピーゲルもチェスの専属コーチになるまえは英語の上級クラスの担当をしていたそうです。しかし、そこではあまりうまくいかなかったと言います。

 

スピーゲルは生徒に対して提出された課題を毎回一文一文点検し「ほんとうにこれがあなたの言いたいことをいう最良の方法だと思うの?」と尋ねたそうです。すると「生徒たちは“この人頭がおかしいんじゃないの?”という目でわたしを見た。生徒が書いてきたことについて長い手紙を返したりもした。一晩掛けても6人か7人分しか見られなかった」と言います。スピーゲルの教え方は英語の授業には向かなかったのかもしれません。しかし、この経験はチェスのクラスでどう教えたいかを考える助けになったと言います。1年の間決まったカリキュラムをなぞるよりも、教えながら独自の日程を組むことに決め、生徒たちが何を知っているか、そして何を知らないかに基づいて授業の計画を立てたのです。

 

たとえば、週末に試合に連れていき、多くの生徒が駒を無防備な状態にしているせいで駒を取られることに気づきます。そこで次の月曜日に別の駒で守る方法を中心に授業を組み立てる。そして、その欠点だらけの試合を再現し、生徒たちの試合を当人に対してもクラス全体に対しても繰り返し検討して見せるというのです。そして、プレーヤーが間違いを犯したのは性格にはどの手か、他にどう動かしたらよかったか、より良い手を指していたらどうなったかを分析し、シナリオに沿って数手動かしてから間違いの瞬間に戻るというのです。

 

これは理にかなっているように見えて、実はかなり異例の方法だそうです。なぜなら自分の悪手をしつこく注目されるのは居心地のわることだからです。確かに、自分の欠点を徹底的に言われるのはつらいことですね。スピーゲルはこのことについて「普通はチェスの勉強といえば本を読むの。楽しいし、知的なおもしろさもあるから、でもそれはスキルに直結しない。本当にうまくなりたいなら、自分の試合を見てどこが悪いのかを考えなければ」と言っています。この方法は心理療法に似ているとスピーゲルは言います。自分がした間違い、し続けている間違いを見直し、根本にある理由を探る。そして最良のセラピストのように、スピーゲルも生徒がせまく困難な道を何とか通り抜けるのを助けようするのです。そうすることで、間違いに対する責任を自覚させ、気に病んだり打ちのめされたりすることなく間違いから学べるように仕向けるのです。

 

結局のところは自分が自覚していないと本来の意味としてつぎに生きてこないのです。そして、こういった困難を乗り越える力をつけるためには、自分自身で問題に向き合い、乗り越える経験が必要なのです。そして、そのために大人は子どもたちが乗り越えていけるように手助けをしていかなければいけません。大人が越えさせることが良いことではなく、子どもが越えることが必要なのです。

 

スピーゲルは一連の子どものチェスでの失敗を自覚することに対して「完全に自分でコントロールできる範囲の物事でまけるというのは、子どもたちにとってすごく稀な経験なのよ。チェスの試合で負けた場合には、責めるべき人間は自分しかないとはっきりわかっている。勝つために必要なものはすべて持っていたはずなのに、負けてしまった。一度きりのことならいいわけでも探すか、あるいはもう考えないことにしたっていい。だけでそれが毎週のこととして暮らしの一部になると、まちがいや負けから自分を切り離す方法を見つけるしかなくなる。負けというのはその場その場の行動の結果であって、永続する状態ではないことを生徒たちに教えたいの」

 

自分の力で問題に向き合い、乗り越えていく力があれば、今社会で起きている様々な問題は解決するのかもしれません。