成功につながる道

ジェームス・ヘックマンやアンジェラ・ダックワース、メリッサ・ロデリックなど、研究者の多くが、高校や大学を中退するのは「非認知的スキル」が低い証だとしているところが目につきます。やり抜くことが弱いこと、粘りが足りないこと、計画をたてる能力に乏しいこと。確かに、やめる決心をしたときには重要なスキルのいくつかが欠けていました。しかし、タフ氏はドミニク・ランドルフの会話を聞いて、もっと寛大に解釈する方法が見つかったと言います。彼は失敗(少なくとも失敗への本物の危機感)は成功につながる道への決定的な一歩になりうると主張していて、非常に説得力があったと言います。そして、「やり抜く力や自制心は失敗を通して手に入れるしかない。しかし、アメリカ国内の高度にアカデミックな環境では、たいてい誰もなんの失敗もない」とも言っています。

 

彼が一番心配しているのはリバーデールの裕福な家庭に生まれた生徒が逆境を克服して気質を伸ばす本物のチャンスを与えられていないのではないかということです。ニューヨーク・タイムズ社のウェブサイトのコメント欄に自分の体験をかき込んだ「デイブ」という読者がいました。彼はテストのスコアは高く、大いに褒められて育ったが、本物の難題に直面することで得られる「やり抜く力」は全く伸びなかったと言っています。そして、こ「わたしはいま30代ですが、失敗を怖れることがなければ(成功の保証されていない冒険からしり込みするような性格でなければ)どれだけのことをやり遂げられていただろうとよく思います」とコメントに書いています。

 

「失敗は成功のもと」とよく言いますが、「失敗をしたがらない」「失敗を認めない」ということが今の時代多いように思います。それは子育てにおいて「失敗することがかわいそう」という見方で子どもを見て、「失敗しないように」親が子どもに決めさせないことがあるからかもしれません。失敗することはつらいことです。そこから立ち直れないのではないかと心配になることは親心としてあるのは理解できるのですが、長い人生においてその経験は非常に重要になってきます。「非認知的スキル」における「やり抜く力」はこういった失敗した経験の中で自分で立ち直る経験がなければいけないのです。リバーデールの環境は決して珍しいことではなく、日本でも似たようなことが起きています。

 

KIPPやリバーデールに関する記事が「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」で紹介されると、ある電子メッセージが届きました。そこには「失敗と性格」に関してはアップルのスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチを見たほうがいいという内容でした。そして、その中で一番印象にのこるのは彼の挫折の話であったとタフ氏は言います。

差を縮める

カリフォルニア大学の経済学者、フィリップ・バブコックとミンディー・マークスが1920年代から現在までの大学生の時間の使い方を調査しました。二人の発見によれば、1961年の平均的な大学生は週24時間を授業外の勉強に使っていた。1981年になるころにはそれが週20時間に減り、2003年には週14時間まで減りました。この現象に境界はなく、「人口統計上のどのグループの学生も勉強する時間が減っていた」と二人は言っています。しかも、それはアルバイトの有無や専攻内容に関係なく、あらゆる学位制度、あらゆる難易度の4年制の大学でも起きてる現象だというのです。

 

では、その時間はどこにいったのでしょうか。実際そのほとんどは社交と娯楽であったそうです。カルフォルニア大学の6300人の学部生を対象とした単独の調査では、学生は12時間を友人との遊びに使い、14時間を娯楽や趣味に使い、10時間を「楽しみのためにコンピューターを使うこと」に費やし、6時間を運動に使っていました。このことを見てどうおもいでしょうか。どの国も大きく変わらないようにおもえます。実際、私自身に置き換えてみても、程度の差こそあれど、同じようなことを大学時代であったように思いますし、勉強時間というものも大学受験の頃に比べると大きく時間に差はあったのは否めません。

 

ましてや、アメリカの大学と違い日本の大学は暗記中心の試験形態でいい点を取れば合格できるという形式です。アメリカやイギリスの大学の選抜は、学力試験に加え、高校での課外活動やエッセイ(論文)、面接など、多面的に志願者を見ようとする方法がとられており、同じ大学入試とはいえ、その様相は大きな違いがあります。日本の場合志願者はその大学で学びたいという熱意や志、潜在性や人間性といったものにはあまり重視されません。結果、受験生は自然、学科試験で高い点数を取ろうと、受験勉強に全力で取り組みます。そのため、入学することが 目的になった受験勉強で「燃え尽きた」大学生は「何をまなぶか」よりもはじけた生活をしてしまうと言います。むしろ、アメリカよりも課題が多い状況かもしれません。

 

ネルソンはこの状況をみて、生徒にとってはチャンスだと思います。つまり、大学に入るのにそんなにあくせくしなくてすんだ学生は大部分がそのまま惰性でやってきます。そんな中、「しなやかな心」をもった子どもたちであったら、こつこつと勉強し、教授といい関係を築き、訓練してきたすべてのスキルを使いながら学生生活を送るなら、ギャップを埋めることができるのではないかと思うのです。

 

入学時に他と劣るところがあっても、どこを目指して、なぜそれを目指しているのかをしっかりと自覚していることができれば、自分の能力を、やり抜く力であれ、誠実さであれ、レジリエンスであれ、満足を先延ばしにする能力であれ、うまく使いこなせるというのです。それはまるでウォルター・ミシェルのマシュマロ実験の深刻な拡大版に参加してるかのようだった。こちらで差し出された選択肢は、マシュマロを今食べるか、あるいは4年間常に倹約し、徹夜をし、苦闘し、いろいろなものを犠牲にしながら必死に勉強をするかです。

 

このことはワンゴールにいる生徒の事例であったことですが、だからといってワンゴールで行われているリーダーシップ・スキルが大学生活を乗り切れるほど強力なものかはあと数年しなければ分かりません。しかし、いまのところワンゴールの全般的な在学数はかなり良く、在学率は84%にものぼるのです。ワンゴールに在学している生徒は大学に行ける可能性の特に低そうな生徒をわざと選んでいることを考えると、この数字はさらに重大な意味を持ってくると言います。

 

この研究結果においては日本においても、よく考えていかなければいけない内容のように思います。特に今の時代「非認知的スキル」や「しなやかな心」をもつことは日本でもなおさら必要な力です。だからこそ、乳幼児からどういった保育環境が子どもたちにとって必要なのか、どういった関わりが子どもたちにとって重要なのかを考える必要があります。

要素から見えたこと

ワンゴールでは成績が大学に進学するための対策を立てて、子どもたちの指導に当たっています。その中で、ワンゴールのプログラムに関わっていたミシェル・ステフルは生徒たちに自分たちの可能性を納得させることの難題にぶつかります。その時ステフルは気づかぬうちにスタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックの「しなやかな心」について考えることがよくあったといいます。

 

このことは以前にも紹介しましたが、ドゥエックの発見によれば、「知能は改善できると信じてる生徒のほうが、知能は変わらないものだと思っている生徒よりもはるかに伸びる」というものです。そして、ニューヨークのKIPPにおけるディビット・レヴィンのプロジェクトは、本質的にはドゥエックの「心のありよう」の考えかたを性格にまで拡大解釈したものでした。それはステフルが生徒に対してやろうとしていくのも同じようなことでした。

 

それは知能や性格だけではなく、運命だって変えることができるのだ、過去の行動だけが将来の結果を示す指標ではないのだと生徒たちに納得させようとしたのです。しかし、それは空っぽの自信や希望的観測の効用を説いているわけではないのです。彼女が生徒たちに伝えたかったのは、伸びることや向上することは可能だし、今までよりずっと高いレベルに到達することもできるが、それにはかなりの努力とかなりの粘りと、かなりの性格の強みが必要であるということでした。

 

ワンゴールのプログラムについて、アンジェラ・ダックワースに話すと、彼女はあることを指摘しました。彼女はワンゴールのカリキュラムの構成要素の一つであるACT準備には、目的が二つあるかもしれないといっています。第一に実際問題としてスコアが数ポイントあがれば生徒はよりよい大学に入れる。第二に知能を測るテストの結果が向上した経験は、「しなやかな心」を強化する忘れられないメッセージになる。頭をよくすることはできるのだ、もっとうまくやれるのだというメッセージになるというのです。

 

「しなやかな心」というのはある種の自信なのでしょうね。一つ一つ事柄を自分で乗り越えていくことでついてくる自信が次の行動につながっていくということなのでしょう。また、ワンゴールでのカリキュラムで大切なことが、「指示」ではなく「相談」から入ることなのではないかと思います。自分の判断には責任があります。しかし、その責任を抱えたうえで行わなければ、「誰かのせい」にしてしまういわば「他律」になってしまいます。仮にうまくいかないと誰かのせいにし、うまくいっても「あの人の言う通り」というように自分にかけってきません。つまりあくまで、ポジティブに自分のことを考えてなければいけないのです。そして、以前のチェスの生徒のように考えるためのネガティブと根はポジティブなものが必要であるということです。その根底には自己肯定感といった自分に自信があることが重要になってくるのですね。ワンゴールはこういった要素を使い、子どもたちに「しなやかな心」を持たせようとしているのです。

3つの要素

ワンゴールでネルソンが彼のチームと生徒の大学入学に向けてのカリキュラムには大きな3つの大きな構成要素があると言っています。その3つの要素の中で、2つは大学の入学のための要素です。そして、残る一つが一番のプログラム成功の核心となる要素であると言っています。

 

まず、一つ目の要素ですが、それは3年生の年に行うACTへの集中準備講座で、寡黙内容に関する必須の知識と受験戦略を教え、生徒たちのスコアをあげていくための要素です。次に2つ目の要素は「大学へのロードマップ」です。それは生徒が2年生になったときから生徒や親と大学進学のプランを練ることから始まります。高校生活半ばから大学のキャンパスに足を踏み入れるまでの道筋、それもかなり明確に計画された道筋を見せられるとネルソンは言います。ワンゴールの生徒は出願するときだけではなく、大学入学まで全般にわたってサポートを受けるのです。そのため「アンダーマッチ」な学校でなく、自分に合った学校を選ぶことになり、自分に近い学校がいいのか、自宅から離れた学校が良いのか、出願時のエッセイの上手な書き方、受給できそうな奨学金を探すことなどです。しかし、ロードマップだけでは足りないネルソンは言います。なぜなら、入学までの方法は分かりやすく示すことはできたのですが、入学後にうまくついていくための訓練も必要だったというのです。有能な学生になる方法を教える必要があったとネルソンは言いました。

 

そして、3つ目の要素です。このことに対してネルソンはシカゴ学校研究コンソーシアムによる高校調査の特にメリッサ・ロデリックというアナリストの仕事に影響を受けます。ロデリックは大学での成功に決定的な意味を持つ要素は「非認知的スキル」であり、そこには「学習能力、学習習慣、時間管理、助力を求める行動、社交及び学業における問題解決能力」が含まれているとしました。そして、昨今のアメリカでますます広がる高校と大学のあいだの溝を埋めるのがこうしたスキルだと言います。

 

アメリカの現在の高校のシステムができたころの第一の目的は「大学に行かせるためではなく、仕事に就かせるために生徒を訓練することでした」。そこでは「批判的思考や問題解決能力はあまり高く評価されていませんでした」そのため、従来のアメリカの高校は生徒がものを深く考える方法を学んだり、内なるモチベーションを高めたり、困難に直面したときに粘ることを教えたりするようにはできていなかったのです。しかし、それこそが大学に残るために必要なスキルなのです。

 

始め、この高校のシステムはあまり勉強をしたがらない生徒が多い時代にはうまく機能していました。高校に我慢していれば、決められた時間席について、行儀よくしていれば、卒業証書は手に入っていたのです。そんな中、時代が変わっていき学歴間賃金格差が増大してきます。そのため、大学を卒業したいといった高校の生徒が増えてきました。しかし、現状のシステムの中でいた生徒たちの多くは大学に残るために必要な学業以外のスキルを持ち合わせていなかったのです。つまり、ネルソンはこういった生徒のスキルの部分を変えようとしていたのです。

 

ネルソンは学業以外の特定のスキル(大学での成功に直結する)を伸ばすことによって、私立高校の平均的な4年生と大学1年生の間の学力ギャップは比較的短期間で埋めることができるはずでした。そして、直観から5つの項目を割だし、臨機応変な対処、レジリエンス、熱意、専門意識、高潔さ、それらを「リーダーシップの基本」と呼び、ワンゴールの教師に徹底してもらいたいと呼びかけました。

 

ネルソンは「ACTのスコアの改善の手伝いならできるが、完全にギャップを埋めることはできない。だけど、その格差を埋め合わせる方法はある。そのカギとなるのがリーダーシップにも関わるこの5つの能力だ」と言っています。

卒業するためには

ジェームス・ヘックマンの非認知的スキルやディビット・レヴィンのいう「性格の強み」が生徒たちの変化を助ける方法につながり、大学進学した生徒が卒業するために必要な知的技能や性格の強みを伸ばす手助けができるのではないか?という課題が見えてきました。そのことに実際、挑戦したのが「ワンゴール(OneGoal)」のCEOジェフ・ネルソンです。彼の教育改革のビジョンは型破りで、知能至上主義に真っ向から挑むものでした。

 

彼は大学を卒業後、小学校の教師になります。その初日からつねに生徒に大学の話をしました。全員が低所得層のアフリカ系アメリカ人で、大卒の親のいる生徒などほとんどいなかった。しかし、それは問題ではない。とネルソンは保証しました。真剣に勉強すれば大学に行くことも卒業することもできると言ったのです。しかし、その後、シカゴのトリビューン紙の一面にシカゴ学校研究コンソーシアムの報告で、ネルソンが保障した内容が否定されるものが書かれていました。

 

その報告の中にはシカゴの公立高校に通っている生徒で4年制の大学に進んで学位を取得することができるのは100人中8人だというのです。そして、アフリカ系アメリカ人の少年となると確率はさらに下がったのです。シカゴ市内の高校1年生の黒人男子生徒に至っては25歳までに4年制の大学を卒業できるものは30人に1人もいないとあります。この数字を見てネルソンは心穏やかではいられなかった。シカゴ市内で一番の教室を作り出すことができ、高い確率を乗り越える手助けをしたとしても、それだけで十分だろうかといったことが見えてきたのです。そこでネルソンは「高校と大学のあいだのギャップを埋める組織を見つけること、または自分で始める」といったことを模索し始めます。そして、「ワンゴール」という大学入試にむけた予備校のようなところの役員になります。

 

ネルソンは勉強のできなかった高校生が比較的短時間で非常に成績のよい大学生へと変わることは可能であると信じていました。ただし、極めて有能な教師の助けがなければそうした変化を起こすのは不可能に近いという考えを持っており、目的意識を持ったやる気のある高校教師を探します。そして、契約した教師の働く学校から25名ほど選んでクラスを作ります。そこにはテストで高得点をとれる、すでに大学への道が見えているような生徒ではなく、成績は良くないがすくなくとも向上心のひらめきの見える生徒に声を掛けます。その後、当の教師が3年間そのクラスを持ちます。そして、それが終わった4年生の終盤になるとクラスは一日に一度集まり、生徒たちが大学に入って、一年のあいだ、担当した教師が密に連絡を取り続け、質問に答えたり、定期的にオンラインで会議をしたりして、サポートとアドバイスをしていました。

 

そんなワンゴールのカリキュラムには3つの大きな構成要素があります。そして、そこに非認知的能力が出てきます。