有能であっても・・・

本当の成功者になるためにはどういったことが必要なのでしょうか。タフ氏は本当に成功者になってほしいならまずは失敗させる必要があると言っています。もっと正確に言えば、失敗を何とかすることを学ばせる必要があるのです。失敗をどう扱い、失敗からどう学ぶかを知ることの重要性はこれまでも紹介されていました。

 

中でもチェスのコーチ、エリザベル・スピーゲルはそれ(失敗からどう学ぶかを知る)を教える専門家です。彼女は生徒たちがたくさん失敗するのを当たり前のこととして受け止めていました。彼女の仕事は生徒が失敗することを防ぐことではなく、それぞれの失敗から学ぶ方法、自分の失敗を瞬きもせずまっすぐに見つめる方法、自分がしくじった理由と真正面から向き合う方法を教えることでした。それができれば次の時はもっとうまくいくというのです。「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」のタフ氏の記事を読んで連絡してきたリバーデールの教員や理事、さらに多くの私立学校の教員や親や卒業生と話をしていても、彼らが一番心配していたのもまさにこの問題でした。つまり、子どもたちが逆境から過度に守られているせいで、失敗を克服したり、失敗から学んだりする能力を伸ばせずにいることだったのです。

 

タフ氏はリバーデールの記事を書きながら、現在社会の豊かさゆえの不安をたびたび感じ取ったと言います。能力主義の追求という、アメリカがたどってきた道筋の中で何かがうまくいかなくなってしまったという感覚。若い人々がアメリカで最高の高等教育機関を卒業しながら、素晴らしい卒業証書と研ぎ澄まされた受験テクニックのほかには世の中で道を切り開いていけるだけのものを持っていないという現実。昨今ではアメリカ最良の大学を卒業した起業家というのは減ってきているそうです。急進的な改革者も、アーティストも、誰も彼もが減っているのです。例外は投資銀行家と経営コンサルタントで、ニューヨーク・タイムズ紙の最近の報告によれば、2010年のプリンストン大学の新卒者の36%が金融業界に就職し、26%がプリンストン大学が突出して強い職種、つまり経営コンサルティングの仕事についています。言い換えるとクラスの半分が投資かコンサルティングの世界に入るということが言えます。

 

アメリカでもっとも頭のいい部類の若者の多くが、個人の満足度や社会的貢献度が高いことで有名な「わけではない」職種に送り込まれている事実はリバーデールの教員がタフ氏に話した内容とつながっていると言っています。つまり、勉強は懸命にしたが難しい決断をする必要の無かった、あるいは本物の難題に直面する必要の無かった子どもたちが実社会に出たときには、有能ではあっても自信がないというのです。

 

「有能であっても自分に自信がない」これは日本でも同じことが言えるように思います。

失敗と距離感

タフ氏は自分の息子がまだ小さかったころに一番影響を受けたのはマイケル・ミニーのラットの実験だったと言います。これは以前にブログに書いた高LG(子どもをよく毛づくろいしたり、なめたりしたグループ)と低LGのグループのラットの比較から子どもに親の影響がどれくらい出るかという研究です。

 

タフ氏は赤ん坊だった息子と遊んでいるときにミニーの実験の子ラットのことを思い出していたそうです。そして、高LGの母ラットとは人間ではどういったものだろうかと考えたのです。それは常に心配そうに子どものまわりにいるヘリコプターペアレンツとは違いますし、絶えず毛づくろいやなめまわしたりもしません。母ラットがそうするのはある特別な状況。それは子ラットがストレスを感じたときだ。まるで大事なスキルを教え込もうとしているかのようだったのです。刺激を受けたストレス対応システムをうまく管理して休止状態に戻す方法だ。人間の幼児でこのスキルにあたるのは、癇癪を起したあとやひどくおびえた後に落ち着きを取り戻すことだとタフ氏は思い、それを息子にエリントンに覚えさせようと集中します。

 

しかし、人間の場合、ラットのようになめたり、毛づくろいすることがその行為ではありません。人間の場合、高LGに相当する行為があるとすれば、慰めたり、ハグをしたり、話しかけたりして安心させることのはずです。タフ氏は妻と一緒に息子に対し、そういった行為をたくさんしました。それが息子の性格に、そして、最終的な幸福と成功に、他の何をするよりも大きな違いを生むはずだと予測していたからです。

 

しかし、息子が大きくなるにつれ、大多数の親たち同様に気づいたのが、愛情やハグ以上のものが必要になってきました。それは規律、規則、限度などです。はっきりとノーと言える人間が要るようになったのです。そして、なによりも必要だったのが子どもに見合った大きな逆境、転んでも一人で、助けもなく起き上がる機会でした。タフ氏にとってはこのことの方が難しかったと言います。子どもにすべてを与えたい、子どもをすべての害悪から守りたいという衝動と、本当に成功者になってほしいならまずは失敗させる必要があるという知識との葛藤です。もっと正確に言えば、失敗を何とかすることを学ばせる必要があるのです。失敗をどう扱い、失敗からどう学ぶかを知ることの重要性はポール・タフ氏の本からこれまでのブログで紹介してきたところです。

 

この葛藤は親としては当然なのだと思います。子どもを大切にしたいからこそ、さまざまな困難から子どもを守ってあげたい。自分が苦労した人間であればなおさら子どもにそんな苦労を味あわせたくないという気持ちは親として当然の感情です。しかし、その失敗を持たないことが子どもの自制心や自律心を阻害し、結果として子どもたちの将来のためにならないのであれば、大人はどう子どもとの距離感を取ればいいのでしょうか。保育においても、子育てにおいても、このことはよく考えなければいけません。今の時代、少子高齢化が進み、子どもの数よりもそれを取り囲む大人の数のほうが多くなっています。そのため、子どもの自由というものに対して、大人の管理が行き届きすぎているのかもしれません。

親子関係と成功

ポール・タフ氏が息子エリントンが生まれた当時は「知能至上主義」がまだまだ強い時代でした。そのため、彼自身も他の親同様の心配を持っていました。もし脳の力を育成する教育用のカードを使わなかったら、あるいは分娩室でモーツァルトのCDをかけることや、曽於語も幼稚園の入学テストで満点をとるまでモーツァルトを浴びせ続けることを怠ったせいで、息子が成功者になれなかったらどうしようと考えたそうです。しかし、彼はその後読み始めた様々な脳科学者たちの研究は違う方向を示していました。確かに、最初の数年は子どもの脳の発達にとって決定的に重要ではあるのですが、その間に子どもが獲得する寛容なスキルは教育用カードで教えられるものではないと科学者たちは言います。

 

タフ氏は息子が読み書きができるようになるかどうかは、これを知ったからといって、突如心配もしなくなったというわけではないが、そうした特定のスキルは私が何をしようと遅かれ早かれ身につくだろうと思うようになった。なぜなら、本に囲まれ、読書が好きで計算も容易にできる両親と暮らしているのだからというのです。それよりもタフ氏が自信が持てなかったのは、性格についてでした。

 

もちろん、個人の性格は文化や家族、遺伝子、自由意志、運などのあいだで起こります。はっきりとは特定できないあらゆる種類の相互作用によって発達するのです。しかし、新世代の神経科学者たちが成し遂げた最も深遠な発見は、子どもの脳の化学作用と成人の心理の間に強力につながることなのです。私たちが性格と呼ぶ崇高で複雑な人間の性質の奥底にあるものは、科学者たちの発見によれば、発達段階にある幼児の脳内、胎内の特定の化学物質による平凡で機械的な相互作用です。もちろん、化学作用は運命ではありません。しかし、勇敢で好奇心が強く親切で賢明な成人を生み出す一番確かな方法は、幼児の頃にHPA軸(ストレス対応システム)をうまく機能させることであると実証されています。

 

では、このHPA軸をうまく機能させるにはどうしたらいいのでしょうか?まず、深刻な心的外傷と慢性的なストレスから可能な限り子どもを守ること。次に、これがさらに重要だが、少なくとも一人の親(理想的には2人)と安定した、愛情深い関係を築くこと、これが成功の秘訣のすべてではないが、とても大きな一部であると言われています。

 

そして、タフ氏はマイケル・ミニーのラットの研究を息子に当てはめて、実践していく中で一つのことを見つけていきます。そこには親と子ども、大人と子どもの関係性において一つの大切なことを示しており、このことはまさに「見守る保育」においても通じるものであるように思います。

 

それはいったいどういったところなのでしょうか。

失敗から学ぶもの

タフ氏はスティーブ・ジョブズのスピーチで一番印象に残ったのは、彼の最大の挫折の話だったと言います。それは30歳の誕生日の直前にアップルから、つまり自分で作った会社から解雇されました。そのことをジョブズは「大人になってからの人生の中心だったものを失ったのです。それはもう大変なショックでした」と言っています。「わたしは公然たる敗者でした。」後になって、この劇的な大失敗の経験によって自分と自分の仕事に新し方向が与えられたことが分かったというのです。ジョブズの言うようにそれは後の最大の成功につながります。転機にあったピクサーを買収し、結婚し、心機一転してアップルに復帰したのです。そして、前回にも紹介した彼の言葉にある。「アップル社に解雇されたことは、私の人生で起こった最良の出来事だったと後に分かった。成功者であることの重みが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。私は解放され、人生の中でもっとも創造的な時期を迎えた」という「Forbes japan」のHPに紹介された3つの言葉のうちの一つに当時、コロンビア大学の寮にいたタフ氏も感銘を受けるのです。

 

タフ氏はその後、彼も大学を中退します。そして、他の大学に入学し、そこも退学したのちに雑誌編集者としてジャーナリストとしてのキャリアを積み重ねていくのです。彼は大学の寮にいる間に悩んでいたのと同じいくつかの疑問と格闘し続けていました。それは「「上手にできることをするべきか、好きなことをするべきか」「思い切ってかけてみるべきか、安全策を取るべきか」そう思っているさなか、彼は気が付くとまたもやたいした安全策もないまま高名な企業、ニューヨーク・タイムズ社をやめようとしていたと言っています。

 

まるで、今の日本において、職を転々と変えている就職者に似ていますね。昔は「3年して仕事がわかる」といったように「最低でも3年」といった風潮がありましたが、派遣社員なども含め、今の時代、長く務めるということが必須ではなくなっており、転職も当たり前の時代になってきました。それがいいかどうかはわたしにはわかりません。自分に合った職場を探すということは大切なことのように思います。しかし、タフ氏のように、どこかで虚無感を感じたまま、職をかえていくというのはどこか残念なようにも感じます。

 

タフ氏は成功と失敗について考えるときに、自分の先行きよりも息子のエリントンの将来を思うことが多くなったと言います。そこには「自分については多かれ少なかれなるようになったと思う。だがエリントン(息子)は?」という思いでした。

 

ポール・タフ氏は自分の生まれたばかりの息子のこととこれまで神経科学者が子どもの発達に決定的な意味を持つ期間の発表を踏まえたうえで、クロスオーバーさせながら考えていきます。

最善の決断

スティーブ・ジョブズはマッキントッシュやiPod、iPhoneなど数多くの製品を生みだし、アップルを世界のトップ企業へと導きました。アップルはジョブズ亡き後も進化を続け、成長し続けています。彼の存在は今でも様々なビジネスリーダーに支持され続け、人間としての思想や価値観、生き様がリスペクトされているのは、ジョブズが生み出した製品が、私たちのライフスタイルやワークスタイルに大きな変化をもたらしただけではなく、新たな可能性や豊かさを与え、時には問題を想起しているからだろう。そのなかでも、スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式でのスピーチが有名だそうです。そして、これはタフ氏も言うところです。そのとき彼はがんを宣告され、死を間近に感じていたジョブズが語った「たった3つの話」でした。

 

そこには「未来を見て、点を結ぶことはできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。だから、いつかどうにかして点は結ばれると信じなければいけない」といったことや「アップル社に解雇されたことは、私の人生で起こった最良の出来事だったと後に分かった。成功者であることの重みが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。私は解放され、人生の中でもっとも創造的な時期を迎えた」、「貪欲であれ、愚かであれ」といったように、あまりに有名なスピーチで語られたのは「点と点をつなげること」「愛と敗北」そして「死」についての言葉だったのです。一見、バラバラに思える経験でも、後に思わぬ形でつながり、自身の将来の大きな糧になること、大きな喪失や敗北が、自分至上最も創造的な時間と愛する人との出会いをもたらしたこと、そして、「死は生命の最高の発明」と認識し、死を意識しながら生きることの重要性を語ったのです。これらの言葉を通して、未来ある若者たちにジョブズが伝えたかったことは「失うことを恐れず、限りある時間の中で、自分が信じた道を進め」ということだったのかもしれないと「Forbes japan」のHPに紹介されています。

 

「成功する子、失敗する子」の著者ポール・タフはこのスティーブ・ジョブズのスピーチに関して、失敗と性格に関するジョブズの考え方とタフ氏がニューヨーク・タイムズ・マガジンにKIPPとリバーデールの記事を載せた中でとらえた議論には似たことが多くあるという電子メールを送られてきたそうです。タフ氏はジョブズのスピーチの映像を見て、ジョブズも一年生の時に大学を辞めていることを知りました。オレゴン州のリード大学でした。このことは何十年も前に大学を中退して、いまだにその決断を正当化しようともがいている場合、現在においてもっとも成功した、最も想像力のあるビジネスマンが同じことをしていたとわかるのはこの上なく心強いとタフ氏は言います。そのうえ、彼は後悔していないのです。ジョブズはスピーチの中で、退学は「人生で最善の決断の一つだった」と説明しています。それはジョブズにも、アップルにも、特別なかたちで利益をもたらしたといいます。必修科目から解放されて、ジョブズは割り当てられた授業よりも興味を惹かれた授業に出るようになったのだが、そのなかの一つにカリグラフィーとタイポグラフィーに関する講義があったのです。この授業を受けてジョブズは「どれも私の人生で実際に使う予定のない知識でした」と言っています。そして、その10年後、彼はスティーブ・ウォズニアックとマッキントッシュを作ります。そのパーソナルコンピューターには初めて独創的なタイポグラフィーを搭載することを決めたのです。そして、そのフォントが、それまでのコンピューターからマックが抜きんでる一因となるのです。