ストレスと実行機能

前頭前野はストレスによる影響が大きいと森口氏は言っています。では、前頭前野にストレスがかかっているときに脳にある神経細胞はどういったことが起きているのでしょうか。そもそも、前頭前野にある神経細胞は、お互いに様々な物質(神経伝達物質)をやりとりしています。そのなかでも、ドーパミンやノルアドレナリンという物質は、前頭前野が機能するのに重要な役割を果たしています。これらの物質が多すぎても少なすぎても、前頭前野は働きません。適度な量が必要なのです。そして、ストレスを受けるとドーパミンやノルアドレナリンの量が前頭前野で増えすぎてしまいます。その結果として、前頭前野の働きが悪くなってしまうのです。このような仕組みで、ストレスが前頭前野の働きに影響を与えてしまうのです。実行機能の発達という点で重要なのは、ストレスをたびたび経験した環境で育つと、前頭前野の発達に悪影響があるのです。

 

このようにブレーキに影響するのが外側前頭前野なのですが、この外側前頭前野は思考の実行機能にも重要な役割を果たしています。思考の実行機能には、外側前頭前野と頭頂葉の一部領域から構成される中央実行系回路が重要な役割を果たしています。これらの脳領域が協調して活動することによって思考の実行機能を支えています。

 

ある研究で、大人を対象に「切り替えテスト」の大人版を使った際の脳活動を計測しました。その結果、ルールを切り替える際には、外側前頭前野と後部頭頂葉などの中央実行系回路の主な領域が強く活動することが示されています。この活動を詳しく見ていくと、外側前頭前野の中でも役割分担があることがわかりました。たとえば、外側前頭前野の一部はこのテストに必要な情報を覚えておくという目標の保持の役割があります。切り替えテストにおいては、今どのルールでカードを分けるべきかという情報(たとえば色ルール)を覚えておく必要があります。そして、外側前頭前野の別の領域では、色から形への切り替えなどにおいて重要な役割を果たすのです。これらの領域が、協調して活動することによって、思考の実行機能を担っているのです。

 

このように感情の実行機能においても、思考の実行機能においても前頭前野が重要な役割を果たしているようだということが分かっていました。そのため、実行機能の発達には前頭前野の発達が深く関連していると森口氏は言っています。では、この前頭前野はいつ、どのように発達するのでしょうか。

 

脳を構成する神経細胞は出生後には、一部の領域を除いて、基本的に増えません。脳の発達とは、脳を構成する細胞が増えることではないのです。では、脳が発達する際に、何が起こっているのでしょうか。森口氏はこれにおいていくつかの仕組みがあることが分かっていると言っています。

報酬系回路と前頭前野

アクセルと関係の強い腹側線条体という領域は、報酬系回路と呼ばれる脳内機構の一部です。この回路は、脳の深いところにある腹側被蓋野と呼ばれる領域から、腹側線条体を経て、前頭前野などの領域に至るまでの領域を含みます。報酬系回路は食べ物を食べたり、セックスしたりするなどの本能的行動をするとき、もしくは予想するときに活動します。これらの行動は、生物が生き残るためには重要です。食べ物を食べなければ死にますし、セックスしなければ子孫を残すことができないからです。そのため、私たちはこれらの行動に快楽を感じるため、積極的に何度もしようとするのです。

 

これらの回路は、自分にとって価値があるものにたいして活動します。こってりしたラーメンを好きな人がいれば、苦手な人もいます。こってりしたラーメンが好きな人の脳内では、こってりしたラーメンを目にしたときに腹側線条体などの報酬系が強く活動していますが、こってりしたラーメンが苦手な人の脳内では報酬系は強く活動していないことになるのです。最近では、本能的な行動だけではなく、金銭を得ることや、他人によって褒められることにも報酬系は活動することが示されています。確かにお金を得ることは嬉しいですし、他人に褒められれば悪意を感じない限りは悪い気はしません。一方で、薬物もこの報酬系に作用することが示されています。それらの薬物を断つことが容易ではないのは、脳の報酬系回路を刺激するからなのです。

 

では、ブレーキに関してはどうでしょうか。ブレーキは前頭前野の外側の領域である外側前頭前野が中心になります。これらの領域の主な役割は、他の脳領域の活動を抑制したり、調整したりすることです。つまり、外側前頭前野は報酬系回路の活動をコントロールします。たとえば、大盛りのこってりラーメンと野菜がたっぷりのサラダを食べるのかの2択があったとします。前者は自分にとって快楽をもたらしますが、脂質も多く、肥満につながります。つまり、短期的な利益になる選択肢です。一方、後者は自分にそれほど快楽をもたらしてくれるわけではありませんが、健康には良い食べ物です。長期的な利益になる選択肢と言えるでしょう。

 

チューリッヒ大学のハレ博士らによって、こういう場面において、長期的に利益になる選択肢をした場合、ブレーキである外側前頭前野が報酬系回路の活動を抑えることが示されています。つまり、こってりしたラーメンを食べたいという気持ちを、前頭前野が抑止しているのです。まさにブレーキの役割をしているのです。

 

しかし、この前頭前野はストレスの影響を受けやすいことが知らされています。ストレスでブレーキが利きにくくなるのです。たとえば、とても大変な仕事をしているときなど、ストレスがかかり、精神的に追い詰められているとき、ついつい普段は手を出さないようにしているビールやケーキに手を出してしまうことがあります。ストレスがかかったときのドカ食いも、ストレスによって前頭前野が働きにくくなり、その結果として目の前の報酬である食べ物に手を出しやすくなったことが一因です。

 

では、そういったとき脳ではどういった現象がおきているのでしょうか。

実行機能と脳領域

では、実行機能が起きるのは体の中でどの部分にあるのでしょうか。これについても、森口氏は記述していますが、実行機能に最も関わりがあるのは大脳皮質にあるようです。そして、大脳皮質の中でも、前頭葉にあるようです。前頭葉の重要性は以前、ポール・タフ氏の著書の中でも、記述があり、その著書を通して、このブログでも取り上げたフィニアス・ゲージ氏の事例です。この患者は19世紀の鉄道労働者であった彼は、もともと、非常に責任感も強く、親しみやすい人物だったのですが、仕事の事故に巻き込まれ、鉄の棒が頭を貫通しました。何とか一命をとりとめたものの、前頭葉の一部の領域が損傷されてしまったのです。事故の後、この患者の心に大きな変化が生じました。最も大きな変化が時分をコントロールできなくなり、思慮深い男性だった彼が、感情を抑えることができず、同僚への気配りもほとんどできなくなってしまったというのです。この事例から見ると、前頭葉の働きがいかに人の感情に大きな影響があるのかということが分かり、その働きについて注目が集まるようになったそうです。

 

その後の研究において、一部の前頭葉損傷患者は、これまでの切り換えテストが苦手であることが分かったそうです。つまり、前頭葉を損傷した患者は、ルールを切り替えることができないのです。つまり、こういった研究から見えてくるのは、前頭葉は、自分をコントロールする能力である実行機能の中枢であることが見えてきます。特に前頭葉の中でも前方に位置する前頭前野が特に実行機能に重要な役割を果たしていると言います。この前頭前野を中心にして、さまざまな脳領域が活動することで実行機能が成立しているのです。

 

では、感情の実行機能と思考の実行機能に分けてみると、脳内の機構はどうなっているのでしょうか。感情の実行機能においてはアクセルとブレーキの機能があることが前回のブログの中で紹介しました。ピッツバーグ大学のコーエン博士らの研究では、大人を対象に、2つの選択肢を与えた歳の脳活動の計測をしました。1つはすぐにもらえることができる、金銭的には少ない選択肢です。たとえば、今日もらえる1000円に対して、もう一つの選択肢は、すぐにはもらわないが金銭的には多い選択肢です。たとえば、1週間後にもらえる200円です。すぐにもらえる1000円を選んだ場合、アクセルの動きをブレーキが止められないとみなすことができ、1週間後に2000円を選んだ場合はブレーキでとめることができたと考えることができます。

 

では、この実験において脳はどのように動いていくのでしょうか。すぐにもらえる選択肢、つまり、アクセルが強い選択する場合には腹側線条体や内側前頭前野などの脳領域が活動し、一方、少し待つ選択肢、つまり、ブレーキが利いている選択をする場合には、外側前頭前野などの領域が活動することが明らかになりました。厳密にはほかの様々な脳領域も活動しているのだそうですが、森口氏はこれらの領域に焦点を当てて解説してくれています。

準備と予測

発達は5歳で終わるわけではなく、その後も変わってきます。これまでは、子どもは第1段階では色ルール、第2段階では形ルール、というように色ルールと形ルールのどちらか一方を使えばよかったのです。ところが、少し難しくして、第3段階として、色ルールと形ルールの両方を使うようにしてみようとしてみましょう。つまり、第一段階では色ルールでカードを分け、第2段階では形ルールでカードを分けていたのですが、第3段階では、色、形、形、色、形のように、1回ずつ異なったルールを使わなければならないようにします。こうなってくると5歳児でもお手上げです。柔軟にルールを切り替えることができなくなるのです。

 

どうやら5歳頃までにルールを切り替えること自体はできるようになるようです。つまりアクセルやブレーキと同様に自動車で例えると、ハンドルの操作の仕方を覚えるのです。その意味で、この時期の発達はとても重要です。ところが、ハンドルの操作の仕方を覚えたところですぐにハンドルをうまく使えるわけではありません。ある交差点では右に、別の交差点えは左に、というように柔軟に切り替えられるようになるのは小学生になってからです。

 

では、思考の実行機能が著しく発達する3歳から6歳頃までどのような変化が起きているのでしょうか。様々な変化が見られるのですが、一例として5歳児や6歳児は、3歳児や4歳児と比べて、前もって切り替えの準備ができるという点を森口氏はあげています。

 

例えば、慣れない道を自動車で走りながら、お店を探しているとします。お店の700m前にそのお店の看板が出ています。この看板を見ることで、もう少し車を走らせたらお店があることがわかり、ハンドルを切るための心の準備ができます。そして、700m走らせると、そのお店が見えてきます。心の準備をしていたので、難なく目的地に着くことができます。

 

ところが、看板が無かったらどうでしょうか。看板がないとお店がいつ出てくるか予想がつきません。そのため、お店の側を通り過ぎる直前に気づいたのでは、ハンドルをうまく切ることができずに、お店を通り越してしまいます。

 

つまり、突発的に起こったことに対して、思考の実行機能を発揮することは難しいのです。一方あらかじめ準備していたら、比較的容易に思考の実行機能を使うことができます。5歳児や6歳児は、前もってハンドル操作をするための準備ができます。計画的に切り替えられるとも言えます。看板が出てくると「あ、準備しなきゃ」と思えるのです。一方で、3歳児や4歳児は、前もって予想することができません。看板の意味がわからないため、お店の近くに来た時点で、「あれ?ハンドルを切るんだっけ?」と考えるようです。つまり、前もって準備をできず、切り替えたほうが良いかどうかを場当たり的に考えるのです。このような仕方だと、切り替えに失敗することが多くなります。

 

このことを切り替えテストに当てはめて見ると、5歳児や6歳児は、色ルールでカード分けるように指示されると、実験者にカードを渡される以前から色ルールで分けることを頭の中で準備します。そのため、カードを渡された際にも、スムーズにそのルールに従って分けることができます。しかし、3歳児や4歳児では、カードが渡されるまでルールについて考えることができません。実験者にカードを渡されてから、どのルールでカードを分けるべきか考え始めるのです。そのため、色だったか形だったか混乱してしまい、正しくカードを分けることができないのです。

 

思えば、確かに年長の5歳児や6歳児になるとトランプでも「ババ抜き」ができるようになります。細かな思考を駆使しルールを理解するのも5歳頃のように思います。人がルールを守るためにはある程度の見通しが求められますが、こういった発達が5歳児にあるということがわかると環境を用意することにも生かされていくように思います。

思考の実行機能はいつから?

では、思考の実行期はどのようにして調べることができるのでしょうか。これには「切り替えテスト」というのが用いられます。

 

このテストでは子どもはあるルールのもとにゲームを行うのですが、途中でゲームのルールが変わります。その際に、子どもはルールの変化に応じて、頭を切り替えられるかを調べます。このテストでは、標的カードと分類カードを使います。標的カードと分類カードでは色と形の組み合わせが違います。

 

子どもは実験者の指示に従って、分類カードを標的カードのところに分けていきます。ここでは、まず子どもは分類カードを同じ色の標的カードのところに分けるように指示されます。この場合、「白い車」は「白い星」のようへ、「黒い星」は「黒い車」のほうへカードを置かなければなりません。(色ルール)これを6回程度繰り返します。子どもは、この第1段階で正しくカードを分けることができたら、第2段階に進みます。第2段階では、子どもは第1段階とは異なり、分類カードを同じ形の標的カードのところに分けるように指示されます。(形ルール)つまり、参加者は「白い車」は「黒い車」のほうへ、「黒い星」は「白い星」の方へ分けなければなりません。

 

このテストでは、同じ色のところにカードを置くというルールが、途中で、同じ形のところにカードを置くというルールに切り替わった際に、対応できるかどうかが調べられます。途中でルールが変わるため、古いルールを忘れて、頭を切り替えて、新しいルールに従わないといけません。このテスト自体は子ども向けなので大人にとっては難しくありませんが、ルールを複雑にすると、大人でもルールを切り替えることが難しくなります。

 

では、つぎに、思考の実行機能はいつ発達していくのでしょうか。

思考の実行機能も、感情の実行機能と同じ時期に発達します。国内外の多くの研究から、前記の切り替えテストでは、3歳頃までは、ルールの切り替えが極めて難しいことが報告されています。

 

たとえば、第1段階において、分類カードを色で分けるように指示されると、3歳の子どもでも正しくカードを分けることができます。つまり、ルールを理解すること、ルールに従って行動することができるのです。ところが、色でカードを分けた後に、同じカードを形で分けるように指示されると、正しくできないのです。形で分けるように指示されているにもかかわらず、色でカードを分けてしまうそうです。最初のルールを使い続け、新しいルールに切り替えることができないのです。4歳ごろになると、少しずつ切り替えができうようになり、5歳頃になるとほぼ正しくルールを切り替えることができるようになります。

 

ただしい、5歳で発達が終るわけではありません。そこで、もう一段、ルールを複雑にしていきます。