道徳観の広まり

人は功利主義と義務論を使い分けながら道徳的判断を行っており、その判断の大元にあるのは「他者への共感」だであるとゴプニックは言います。他者への共感があるからこそ道徳観が生まれます。ただ、道徳観があるだけでは、道徳的判断ができるとは言えません。そこには自分を抑制する理性も必要とされます。乳児期の共感は相手の顔に悲しみや喜びが浮かぶところをまじかに見ることができる赤ちゃんと養育者の間に典型的な密接な触れ合いから生まれます。つまり、直接的な共感です。しかし、これは150人くらいが人間の限界であり、そうであっても、全員を愛することはできないとゴプニックは言っています。ところが人間はその枠を越えて、数多くの人々、例に挙げているのは地球温暖化のように、認識できる人以上の社会全体にわたる道徳的判断をすると、相手への共感というのは、直接的なものではなくなってきます。見ず知らずのあったこともない、しかも、地球規模での大きな社会に向けての判断を問われます。

 

こういった不特定多数の人にまで拡大された道徳的配慮はどのようなメカニズムでできるようになるのでしょうか。そのメカニズムで重要になってくるのが何度も出てきた「反実仮想」という仮定に基づく思考法なのです。スメタナの研究では子どもたちは現実のものではない、下層の運動場で遊ぶ仮想の子どもたちに配慮し、道徳的な判断をしたそうです。

 

共感対象を広げるもう一つの方法はグループの利用です。以前、赤ちゃんが単なる音のなる物体と、赤ちゃんが話しかけると音が鳴る物体とで、外観が異様であっても、どこか人間らしい特徴を備えたものであれば、真似をしたり、人間のように扱ったりすることを紹介しました。カルフォルニア工科大学で人型ロボットの開発をしている技術者にゴプニックがあったとき、こういった人間のように反応するロボットを幼稚園に預けたことがあったそうです。その時、幼稚園の園児たちは、ロボットにつまづいて転ぶたびに、園児の誰かが転んだときと同じような反応、そっと起き上がらせたり、埃をはたいてやったり、慰めのキスをしたりしたそうです。

 

このように、子どもたちは最初に親に抱いた共感を、他の人に広げ、一般化します。今回のロボットの実験でも、人間のように判断するロボットに対して、物体の真似をしたり、ロボットが抱く願望や意図にも、人間と同じように共感しました。つまり、ロボットに対しても、思いやりや利他的行動をとったのです。こうやって人は道徳的配慮をする対象を加えながら、配慮の及ぶ範囲を広げていきます。ただ、これは逆を言えば、配慮する対象を選別していることでもあるとゴプニックは言っています。誰かが「人間」のカテゴリーから排除されることも出てくるのです。ただの機械を人間のように扱うことがあるかと思えば、本物の人間なのに、まるで機械のようにぞんざいに扱ったりすることもあるのです。

 

このことは社会心理学の「最小条件集団」に関する研究において、人間のもつこの皮肉な傾向を示しているとゴプニックは言っています。