共に育てる

ゴプニックは「愛を知り、子どもを愛することは親にとってだけではなく、人が人であるために必要なことなのです」と言っています。人に愛の理論があるというのは人間が人間であるが故なのです。それはどういった意味でしょうか。まず、これまでの話において、人間の赤ちゃんは母親以外にもいろいろな人に愛着を持つことが分かりました。私たち人間は、自分と遺伝子が近い子どもだけではなく、子ども全般を気にかけるようになっています。人類の歴史を見ていても、子育ては両親だけではなく、祖父母やきょうだい、おば、いとこ、友人、さらにコミュニティ全体によって担われていました。

 

また、こういった必要がある背景に人類は未熟でいる期間が長いことが言われています。これは長いというよりも、延長されたと表現した方がいいようです。当然、未熟で生まれてくるということは、それだけ、親や身近な大人にとって子どものために未熟な分、大きな投資をしなければいけなくなります。しかし、その分、その見返りはその子どもの遺伝的な親だけではなく、集団全体が受けられるようになります。

 

よく「子どもは社会の宝」と言われることがあります。今の時代においても、結局のところ子どもたち世代が自分たちを支えてくれるような時代です。そして、これは今の時代だけではなく、どの時代においても、言われることです。若い人たちが労働力になったり、国を支えてくれたり、「国を支える」ということは正に遺伝的な親だけではなく、集団全体が利益を受けることになるのです。

 

そんな人間の集団ですが、人間の集団においては近い種類である霊長類以上に、単婚(一夫一妻制)や母親以外による育児行動(アロマザリング)が広く見られます。この理由は様々あるようですが、子どもに対して、母親だけでは賄えないほど大きな投資が必要な種において、共通して見られる行動です。このように異性との間に密接な社会的絆をつくり、ともに子育てするのが社会的単婚と言います。また、この様子は哺乳類よりも鳥類に多く見られるようです。この場合、雌雄は単なる交尾相手ではなく、社会的な同盟を結んだ夫婦になります。このように鳥類に社会的単婚がおきるのは、長期間巣ごもりしている間、捕食者や自己から身を守る必要があるからです。つまり、鳥類においても、社会的単婚が行われているのは、遺伝子を残すために効率の良い子どもに投資するときに二人一組で育児に関わる必要があったのでしょう。

 

仮母(アロマザー)は霊長類では多くの種にありますし、イルカやゾウ、一部の鳥類にも見られます。集団内で仮母となるメスは、遺伝的な実親でなくても、子育てに大きな役割をはたします。キツネザルやオナガザルの中のラングールでは、若者がベビーシッターをします。母キツネザルが餌を取りに行く間、若者ザルが赤ん坊を見るのです。ゾウの仮母は哺乳まで分担します。逆に仮父(アロファーザー)行動というものもあり、鳥類に見れますが、こちらは霊長類ではまれです。

 

仮母親に対して、仮父が少ないのはなぜなのでしょうか。母性というものがあるからなのでしょうか。そういった遺伝子が女性、メスにはあるということなんでしょうね。とはいえ、仮母や仮父があるということはそれが効率の良い子どもの守り方であり、特に人間はその頼る人が他の動物以上に多様であるということが分かります。そこにはそうでなければいけない理由があるのでしょう。