トラブルを学びに変える

子どもたちの関係の中では様々な問題やトラブルが起きます。その都度私は職員の先生たちに、トラブルを解決してあげるのではなく、トラブルの解決の仕方を伝えてあげてほしいといいます。そして、子どもたちは本来自分で問題を解決する力は持っていると子どもたちの関わりを見ていると感じます。

 

麴町中学校での生徒同士のトラブルはもちろんあるそうですが、工藤氏はそのトラブルについて「トラブルを学びにつなげる」ということを言われています。そして、その目標は「トラブルを主体的に解決させる」ことや「当事者意識を持たせる」ことが重要であると言っています。そのため、トラブルが起きたときにも「目的」の取違いに注意しなければいけないと言います。つまり、トラブルが起きた場合「仲直りさせる」ことを目的にしてしまうと教師が仲立ちに入り、相互に謝罪させるなど、表面的な和解に意識がいきがちになります。しかし、それは実のところ本質的な解決には至っていないことが多くあります。そのため、子どもたちに教師や大人が解決してくれると感じさせてはいけないと言います。周囲の大人や教師が解決してしまうと、自分で考えて解決するせっかくの機会が失われるというのです。

 

実社会では自分と人との間で意見の相違が起きることは当然のことであり、その対立が起きることはごく普通のことです。大切なことは問題を解決する力であり、その力が備わっていなければ、対立そのものを恐れて自分から意見を言えなくなってしまったり、対立が起きた時点で関係性が終ってしまったりします。そして、子どもたちは自分で解決する力を宿していると言います。では、トラブルが起きたときに大人はどうしたらいいというのでしょうか。工藤氏は大人の役割は子どもが一人で越えられないハードルに出会った時にしっかりと越えられるように支えてあげるように支援することであると言います。そして、保護者と教師が同じスタンスで、一緒に考え子どもたちに対して人生の教訓を教えるかのチャンスにすると言います。 保護者と教師が生徒の支援者として、学校を批判したりするのではなく「当事者意識」を持つことが大切だと考えます。

 

大人が表面的に解決や仲直りさせることは結果として、子どもが対立を自力で解決する力を失ってしまい。「環境のせい」だとか「周りのせい」と誰かのせいにしてしまうと言います。せっかく良かれと思って介入してしまうことがかえって「うまくいかないのはあなたのせいだ」というようになってしまうようではいけないと言っていました。

 

これは中学校の例で言われていましたが、乳幼児においても同じことが言えます。初めにも書いた通り、大切なのは解決させることではなく、解決の仕方や自分で解決することを支えてあげることが重要であるということです。そういった関係性の中で人間関係を学び、コミュニケーションの取り方を学んでいくのです。その時の大人のスタンスは介入して解決してあげることではなく、子どもたちが自分で動けるように見守ることがであり、それは中学校だけではなく、乳幼児だけでもなく、大切な距離感なのだと思います。