アメリカの貧困と対策

日本の相対的貧困に対して、アメリカはどのような対応をとったのでしょうか。先日の内容でも取り上げたようにアメリカでは橋を作ることや、国境を守ることと並ぶ国家の不可欠な機能の一つとして貧困の影響を軽減することや若い人々に貧困から脱却するチャンスを提供することもあるのです。しかし、実際のところ不況下では貧しい人々への公的支援は2008年以降縮小され続けています。しかし、今でのアメリカの大多数の人は「政府はすべての市民に寝る場所と十分な食事を保障すべき」「自分の面倒を見られない人々の面倒を見るのは政府の責任」という意見に賛成しています。そして、問題が「機会」という観点になると、社会全体の認識はさらにゆるぎないものになります。1987年にピュー研究所がとった国勢調査において回答者の87%から94%が賛成を表明した意見が「私たちの社会はすべての人々が成功のための平等な機会を持てるように必要なことをすべきである」という考えです。しかし、自分より恵まれない隣人に力を貸すことに変わらず熱心である一方で、ここ数十年の間に重要なことが変わってきていると言います。

 

それは「貧困と闘う最良の方法は何か」という話題は今ではほとんど語られなくなっているというのです。それは貧困そのものが消えたことを意味しているものではありません。消えるどころか1966年の貧困率が15%を少し下回るぐらいが、2010年には15.1%になり、貧困家庭に育つ子どもの割合は現在のほうが高いのです。1966年には17%をわずかに上回る数字だったものが、今や22%になっています。これはアメリカの子どものうち5分の1から4分の1が貧困の中で育っていることを意味しています。

 

では、なぜ貧困について話すことをやめてしまったのでしょうか。その答えはひとつには知識人たちの心理と関係があるように思われるとポール・タフ氏は言います。貧困との戦いは、論客だった教育程度の高い理想主義者たちに極めて深い傷を残し、政策の専門家の間に1っ種のトラウマを作り出したというのです。その一つがケネディ大統領の貧困政策でした。彼は貧困政策の終止符をうたった裏で、月に人を送ることも約束しました。結果としてその国家プロジェクトは成功し、挙国一致で問題に望めば解決できるという強いメッセージを残しました。しかし、貧困は解決しなかったのです。利益より害の大きい政策はさらに多くあり、政府で働く多くのいい人たちなら大きな問題も解決してくれると信じたい場合には認めたくない現実だったのです。

 

ほかにもここ10年ほどで貧困について議論がなくなった理由はほかにもあると言います。それは教育問題の議論に溶け込んでしまったというのです。このことは今の日本にも当てはまる考え方かもしれません。貧困と教育、この二つがどのように解釈され、考えられたのか。ポール・タフ氏はどのように見ているのでしょうか。