チェスの知能

これまで、チェスを通して、子どものフロー体験や問題をどう乗り越える力、一つのことに向き合うことなどの話をしてきました。以前、スコットランドのチェスのグランドマスター、ジョナサン・ローソンがチェスにおいて最も大事な才能は知能ではなく、心理と感情にかかわるものだという主張を紹介しました。多くの心理学者たちも、長いあいだ、チェスの上達に必要なのは知能だけではないのではないかと予測しています。では、他にどのようなスキルが重要なのかと思いますが1世紀以上研究されていてもわからないままなのです。

 

チャンピオンと平凡な選手を分けるのは、IQではないとしたらどこにあるのでしょうか。この疑問を最初に研究したのがフランス人心理学者のアルフレッド・ビネです。かれは知能検査の創案者のひとりでもあります。このビネ式知能検査の説明にはこう書かれています。

 

ビネははじめ「知能」を生得的素質によって規定される「判断力」と同義な能力と考えていましたが、実証的な知能研究を進めていく中で知能を判断力のみで定義することは不可能であると気付いた。そこで、知能を構成する要素として「判断力・理解力・方向づけ・工夫する力」を想定するようになった。現在では、知能とは何であるかについて一義的にズバリ定義することは困難であると考えられるようになっているが、あえて知能を定義するならば「学習能力・記憶能力としての結晶性知能」と「問題解決能力・環境適応能力としての流動性知能」の複合体を知能の一般的理解として定義できるだろう。結晶性知能とは、意識的な学習行動の結果としての知識・技術を蓄えるストックとしての知能であり、流動性知能とは、変動する環境や所与の課題にその場その場で対応して問題解決するフローとしての知能である。ここで「フロー」という言葉が使われています。ここでは柔軟に物事を解決していくという知能として使われています。

 

ビネは、目隠しをして、一度に複数のプレーヤーを相手にチェスをする「目隠しチェス」の並外れた能力の奥にある認知的スキルについて究明しようとしました。彼が立てた仮説は

「目隠しチェスのできる名人たちには直観像記憶(フォトグラフィック・メモリー)の能力があるのではないか」というものだったのです。つまり、盤上の様子を正確な映像として捉え、その映像のまま記憶する能力があるに違いないということです。しかし、実際のプレーヤーたちの取材の中で、その仮説が間違っていたことが判明します。プレーヤーたちの記憶は特に映像と結びついているわけではなかったのです。彼らが覚えていたのはパターンであり、ベクトルであり、雰囲気だったのです。ビネは「雰囲気」を「感情、イメージ、動き、情念、変化し続ける心象風景などによって沸き立つ空気」と説明しました。

 

その後、オランダ人心理学者のアドリアン・デ・グローとがビネの調査を引き継ぎ、チェスの名人を集めて知能検査を実施します。その結果もまた、チェスのスキルについて長いあいだ信じられてきたことを覆すものでした。それまで、チェスの上達に不可欠な要素は素早い計算であるとされてきました。それぞれの動きがどんな結果を生むかについて、最強のプレーヤーは初心者よりも多くの可能性を考えることができると思われてきたのです。しかし、実際のところはあまり変わらなかったのです。