定期考査

麴町中学校の工藤勇一氏は宿題だけではなく、定期考査自体も無くしていきます。それは定期考査、つまり、期末試験や中間試験において、一夜漬けをしてテストに挑むことが多いことに疑問を感じています。一夜漬けでの学習は「テストの点数を取る」という目的においては有効ですが、学習成果を持続的に維持するうえでは効果的とは言えない。テストが終わったらかなりの部分が忘れてしまうからです。そして、さらにいえば、一夜漬けで片付ける「悪癖」がつくことの弊害も少なくないと思います。工藤氏の経験で直前になってから「やっつけ仕事」で片付ける傾向があったのだが、こうした習慣も中高生時代の定期考査対策を通じて身に付いたものではないかと思うことがある。つまり、物事のギリギリまでやらず、切羽詰まった状態であわてて行う習慣をつけたのは定期考査でついた癖になってしまっているというのです。

 

そして、何よりも定期考査が法律や教育委員会規則等で決められているものではないが、全国どの中学校にも共通しているのは「通知表をつけるため」であって、定期考査の点数で生徒を序列化し評価をつけるというのです。そして、そのことについて「そもそも学力をある時点で切り取って評価することに意味はあるのだろうか」と考えたそうです。テストを実施する目的は何かと考えたとき「学力の定着を図る」ためのものと考えると「目的と手段」のねじれが見えてきました。そして、すべての生徒が効率的に学力を高められるよう学習システムの再構築を図ります。具体的には定期考査を無くし、単元テストを行う。たとえば「比例と反比例」の単元が終ればテスト、社会科なら「中背の日本と世界」の単元が終ればテストといたようにまとまり事に小テストを実施します。そして、単元テストは再チャレンジできるようにし、理解できない部分を一つずつわかるように授業を重ね、着実に学力を高めていけるようにしたそうです。そして、年に3回だった実力テストを5回に増やしました。それは実力テストは出題範囲が事前にしめされないため、生徒たちの本当の学力を測ることができるからです。

 

これらの手法は日本では非常に珍しいですね。しかし、理解できるまで付き合ってくれる枠組みというのは生徒の確実な理解につながることだと思います。海外では日本でいう「落第」を「stay」というそうです。「落ちこぼれる」という意味ではなく、「分かるまで留まる」という意味ですが、非常にポジティブなとらえ方ですね。分からないを分からないまま続けてしまうと次第とやる気も意欲もなくなってきてしまいます。しかし、自分で理解すると次の意欲につながっていきます。工藤氏は定期考査を無くすことは生徒たちに楽な思いをさせるわけではない、と言っています。ここでの工夫は「しなければいけない」ものではなく、自分の今の実力を見つめなおすものとしてのテストのあり方に見えます。つまり、それは自己評価に近いのではないでしょうか。一夜漬けでごまかすことのできない、自分の今の理解度を認める機会としてテストのあり方を変えているのだと思います。そして、もう一度やり直すチャンスもあるというのも大事なところですね。わかるのが目的であれば、一回のテストがすべてではないのでしょう。一つ一つのあり方が自分の自信につながるような工夫を感じます。