伝承と実感

前代の児童文化の特徴で二つ目が「小児の自治」です。「子どもたちが自分で思いつき考え出した遊び方、物の名や歌ことばや慣行のなかには、なんとも言えないほど面白いものがいろいろあって、それを味わうと浮世を忘れさせる。」とあります。次の「小児の役割」の章では「子どもが大きいヒトから引き継がれた行事と、単なる遊戯との境目は目に立たない。ただ月日が経って一方がもうその重要性を認めず、おいおいに起こりを忘れてしまうだけである」

 

つまりは、子どもたちの思い付きや考えた遊びはその時の年長者と年少者によって伝承され、語り継がれており、そこに大人の介入は少ないということなのでしょう。もちろん、その頃の大人の生活は農耕などを行っており、子どもたちに手を相手する時間がなかったこともあるのでしょう。介入したくてもできない環境であったのでしょうが、だからこそ、子どもたちの関係性は異年齢であり、年長者が年少者の世話をすることや遊びを教えることで自治が出来上がっていたということがわかります。大人は図らずとも見守ることができなのですね。

 

第三には「大人の真似」今日はあまり喜ばれぬと柳田氏も言っていますが、「小児はその盛んな成長力から、ことのほか、これをすることに熱心であった」と言っています。ままごと遊びを見ていると大人の真似を子どもたちはしていますし、手伝うということにとても積極的で意欲的です。柳田氏は当時の様子を「昔の大人は自分も単純で隠し事が少なく、じっと周囲に立って見つめていると、自然に心持の小児にもわかるようなことばかりをしていた。それに遠からず彼らにもやらせることだから、見せておこうという気もなかったとはいえない」と言っています。仕事だけではなく、盆踊りなどの行事も意味合いはお盆に返ってくるご先祖に対する神事であるのですが、子どもたちにとっては遊びと思い、後にその頃の成人は代替わりをして退いていくのだと言います。

 

今の時代は柳田氏がいうほど単純な世界ではなくなっているのは間違いないでしょう。親の仕事を子どもたちが日ごろから見る機会というは無くなってきています。中学校の職場体験で様々な問題が出ているという話を聞きますが、まず子どもたちには仕事に就くということが遠い先のように感じており、自分事というように受け入れてはいないのかもしれません。今を振り返ってみても、学生時代に自分が社会に向けての勉強をしているという意識は少なかったと思います。この時代のように日ごろから大人になったときの見通しがつくような社会であるのであれば別なのでしょうが、今の時代はなかなかそれが難しいですね。

 

ではそういった時代において、教育現場や保育現場はどのようなアプローチをとるべきなのでしょうか。少なくとも、社会に向き合わすことよりも、非認知的能力やコミュニケーション能力といった社会に向き合う力をつけておくことは重要なものといえるように思います。