平等と公平

イギリス領ヴァージン諸島ネッカー島にあるリチャード・ブランソン卿でアンドレス氏は3日間一緒に過ごすことがあったそうです。彼はロンドンの一件のレコード店から「ヴァージンググループ」ブランドを立ち上げ、一大多国籍企業へと育て上げました。しかし、彼の半生は決して順風満帆ではありませんでした。

 

彼は、自分の創造的才能と実業家としての才能を伸ばそうとしない学校に幻滅し、16歳で中退することになるのです。学校は彼の識字生涯の原因を突き止めようともせず、校長は最後の登校日に「君はいつか刑務所にはいるか、億万長者になるかのどちらかだね」と言ったそうです。そんなブランソン氏は多くの航空会社が倒産する中、他とは違う方法をとることで航空会社を成功させます。それは他者が効率性を最大化し、その目的に合わせて組織を変革していた中、従業員を大事にし、優れた成果を出すために必要なことは何かを従業員に尋ねます。そして、彼は顧客に最高のサービスを提供する環境作りを従業員に一任しました。

 

彼は個性と価値観を大事にする教育ビジョンも備えており、善悪への強い感性、他者の主張に対する感受性、個人や集団にできることの限界を把握することが求められる社会の不平等と分断化を踏まえること、そうした側面は特に重要だと思われたのです。こういった考えを持ったブランソン氏と一緒に過ごす中でアンドレアス氏はあることを感じます。

 

「教育の意思決定を行うのはいつも、教育システムの中で苦労を重ねてきた人々ではなく、教育システムの恩恵を十分に受けてきた人々であることを認識した。しかし、教育システムの弱点を明らかにし、差し迫った変革の必要性を示せる人物は、たいていの場合、教育システムの中で、苦労を重ねてきた人々である」ということでした。

 

このことは保育においても非常に感じるところです。私は保育においてよく言うことですが、「できる子どもはできない子どもに合わせることができます。しかし、できない子どもはできる子に合わせることができない」ということを話すことがよくあります。それが発達によってであればより不幸です。ただ、それでは「できる子」が「もっとできる機会」を失ってしまいます。だから「選択制」が必要なのです。いつの間にか大人は「年齢」という枠に子どもを当てはめて、子どもに価値観を当てはめてしまいます。そういった子どもは自分の持っている価値のある才能を生かせない環境においてしまうことになりかねません。「その子ども個人の個性を信じる」ということがいかに難しいかをとても感じますが、それは子どもに委ねて意思決定を持たせることも重要なことなのかもしれません。

 

いずれにしても、大人が思い描く教育システムは「できる子」に合わせたものでありすぎるのかもしれません。一般的にいう「平等」は人によっては「不平等」になりえるということを知っていなければいけません。そうしたうえで、それぞれにあった教育が与えられるような環境があることが子どもたちによって「幸せな人生」につながるようにしてあげたいものです。