ドイツの変化
PISAの学力調査は各国々に多くの影響を与えることになります。そして、その国々の教育政策における問題を認識させることにもつながるのです。例えば、アンドレアス氏の出身のドイツでは2000年の調査において激しい教育政策議論が交わされました。なぜなら、その年のドイツの生徒の成績が予想を大きく下回ったからです。このことをドイツでは「PISAショック」というそうですが、これがきっかけに教育政策と改革に関する国民の議論が始まります。というのも、ドイツでは、どの学校も適切かつ平等に処遇するべく甚大な力がそそがれてきたのです。それだけに、国民はすべての学校の学習環境は当然一律だと認識していました。しかし、PISAの2000年の結果では学校が社会的経済的に恵まれているか否かによる大きな教育格差が明らかになったのです。このように生徒の成績の学校間での差が50%のドイツに対し、その差がわずか5%というフィンランドの学校の均質性を示すエビデンスは、ドイツに強い印象を与えたのです。つまり、ドイツではどの学校に入学させるかが重要な問題となったのです。
このことはドイツの学校制度によるものが大きいといえます。ドイツはマイスターの国でもあるように、子どもたちは10歳で知的労働者としてのキャリアとなる学問コースか、最終的に知的労働者の下で働く職業コースに分かれます。つまり、PISAの調査はこういった社会的経済的背景が有利なドイツの子どもたちは、より優秀な教育成果を残す社会的地位に高い進学校へ進めるが、あまり恵まれていない背景の子どもたちは、教育成果も社会的地位も高くない職業学校へと進んでいるということが生徒の成績の差が大きい原因であるということが分かったのです。
このことについてはドイツの教育者や専門家にとっては、この格差に関してはそれほど驚くことではなかったそうです。そのため、公共政策の一環として改善すべきこととはみなされていなかったのです。重要なのはこのPISAの調査から見えるのは、ドイツのように生徒の社会経済的背景が学校の成績に及ぼす影響は国によってさまざまで、ドイツよりも効果的にその影響を軽減している国々があったことだった。このことこそが、PISAによる狙いだったのです。
その後ドイツでは、PISAのおかげでエビデンスとデータへの新たな態勢が築かれたのです。そして、教育への国家支出を2倍に引き上げました。そして、お金よりも議論によって国内での幅広い改革の取り組みが始まり、中には革新的な改革も見られたのです。以前にも紹介したように、幼児教育に手厚い教育支援が盛り込まれ、全国教育スタンダードが学校に適応されるようになったり、移民や貧困層への支援も強化されます。そうした対策のもと、9年後の2009年にはドイツのPISAの結果はかなり改善し、質も公平性も共に大きな進展も見せました。このような各国の取り組みはドイツのみならず、韓国、ポーランド、コロンビアやペルー、エストニアやフィンランドなども、PISAの結果を受けて改善をしているのだそうです。
その中でも、PISAの開始当初、成績が良く、教育システムの急速な改善を見せていたのはほとんど東アジアの国々だったのです。