ドイツの子ども観
バイエルン州ミュンヘン市では2003年から陶冶保育プランが行われています。その中で最初に定義されているのが、「子ども観」です。子どもは学ぼうとする姿を生まれ持っていること、子どもには学ぶ権利があることが強調されています。そのため、守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある子ども像が確立されています。
また、社会の変化に伴いシングルマザーや共働き家族の増加、ドイツは移民を受け入れているので、こういった移民や難民の流入など、さまざまな形の援助が不可欠となってきた。そのため、多種多様なバックグラウンドを持つ子どもたちをそのままで受け入れることのできる園がもとめられるようになりました。さらに、スピードや効率が評価される社会環境や学歴社会などを超え、複雑化する社会において、困難を乗り越えていく力(レジリエンス)が重視されるようになってきたとベルガー氏は言っています。
このような時代背景は日本においても非常に似ているところですね。ドイツは日本と歴史背景が似ている国でもあります。第二次世界大戦においては敗戦国でありますし、マイスターなどの技術職における弟子入りは日本の昔の徒弟制度に似ています。また、近代における先ほどの内容においても、シングルマザーや共働き家族の増加といったことは日本も例外ではなく、非常に増えているのが現状です。唯一違うのが移民や難民の受け入れについてですが、これからの日本においては少子高齢化による労働人口の減少を受け、海外の労働力の受け入れを考えている日本の現状を考えると決して他人事で済ますことではないように思います。つまり、ドイツの現状は数年後の日本であるかもしれないのです。現在でも、東京駅などを見ていると、飲食店の店員のほとんどは中国の方や韓国の方、東南アジアの方がほとんどです。大阪においても、さまざまな国の人が働いているのを見て取れます。確かにこのような多様化になってきている社会環境において、対応、順応していく子どもたちを育てていかなければいけないのです。
ドイツでは「複雑化する社会において、困難を乗り越えていく力(レジリエンス)が重要視されている」と言われているのは前述したとおりですが、日本においても、こういった力が求められているのだと思います。そして、これはこれまでにも出てきた非認知能力における「粘り強さ」などがこれにあたるのでしょう。
しかし、まだまだ、日本の保育現場や教育現場は認知能力に偏っている現状が強く残っています。子どもたちの個性といいながら、子どもたちに考えるよりはカリキュラムに子どもを乗せていくという保育形態や教育形態がいまだに強く残っています。子どもの本質から入り、どのような環境が必要なのか、やはり保育の内容以上に「子ども観」というものをしっかりと捉えることが重要であるというのがドイツの姿勢からも強く感じます。
2020年9月4日 5:00 PM | カテゴリー:教育 | 投稿者名:Tomoki Murahashi