乳幼児教育

非認知的スキル

ペリー・プレスクールに通っていた子どもたちは短期的に見ると、それほど成果のなかったプロジェクトですが、ヘックマンは長期的な効果に注目すると、有望なデータになるということを見つけました。それは確かに、プレスクールに行ったとはいえ、知能指数においては3年生ごろにはIQのスコアはそれほど変わらなかったのです。つまり、プレスクールに関して知能指数に及ぼす効果は持続しないということです。しかし、ヘックマンはペリーの子どもたちにはプレスクールの間に「何か重要なこと」が起こっていたということを注目します。その「何か」がなんであれ、ポジティブな影響が何十年も残っていた。対照群と比べると、ペリーのせいとは高校を卒業している割合が高く、27歳の時点で雇用されていた割合が高く、40歳の時点で2万5千ドル以上の年収を得ていた割合が高かった。そして、逮捕歴のある割合は低く、生活保護を受けたことのある割合も低かった。

 

そこでヘックマンはペリー・プレスクールの研究をもっと深く調べ始め、1960年代と1970年代の調査結果で未分析のデータがあることが分かりました。それは小学校の教員からのレポートで、実験グループと対照群の両方の生徒について、「生活態度」と「社会性の発達」を評価したものだった。前者はそれぞれの生徒がどれくらい頻繁に罵り言葉を吐くのか、嘘をつくのか、盗むか、欠席や遅刻をするかを見たもの、後者はクラスメートや教員との人間関係にどの程度関心があるかを評価したものである。ヘックマンはこれに「非認知的スキル」と名前を付けました。なぜなら、それはIQなどの認知的スキルとは完全に別物だからです。ヘックマンと研究者たちは3年かけて慎重に慎重に分析した後、ペリー・プレスクールが生徒たちに与えた恩恵の三分の二はこうした非認知的な要素(たとえば、好奇心、自制心、社会性といったもの)であると確信するに至った。

 

それはいいかえれば、ペリー・プレスクール・プロジェクトは誰もが信じていたものとは全く別の機能を持っていたのである。60年代にこれを立ちあげた善意の教育者たちは、低所得層の子どもの知能を向上させるプログラムを作ったつもりでした。ほかの誰もがそうだったように、それが貧しい子どもたちのアメリカ社会での成功を助ける方法だと信じていたからです。しかし、そこには2つの驚きがあったのです。一つは彼らがつくったプログラムには長期的にわたる知能への効果はなかったが行動や社会性に関わるスキルは確かに向上したということ。二つ目は失敗ではなく、そこにはプログラムが役に立った部分があったことです。イプランティの子どもたちにとって、こうしたスキルとその根底にある気質は実際のところ非常に価値のあるものだったのです。

 

研究結果の見る視点をかえることで、見えてきた「非認知的スキル」その効果は、長期的な調査をしていなければ見えてこないものでした。しかし、ここから見えることはこれまでのIQばかりおっている教育や保育の世界において、大きな問題提起になっていることは疑いようもありません。そして、これからのAIがますます進化していく社会の中で、この非認知スキルというものはとても重要な能力になってくると言われています。

長期的な調査

ヘックマンはGEDテストの合格者と高校の卒業生が高等教育に行ったときに、成績において差は見られなかったにもかかわらず、その後の人生で大きく違うこと(年収や失業率、離婚、違法ドラッグの使用率)が分かってきました。ヘックマンはこの結果を受けて、ではこういったいわゆる「非認知的スキル」は伸ばすことができるのでしょうか。

 

それはGEDプログラムを研究するだけでは分かりませんでした。答えを求めて調査を進めていくうちに、ヘックマンはミシガン州イプシランティにたどり着きました。イプシランティはデトロイトの西にある古い工場町で、「貧困との戦い」(ジョンソン政権の貧困撲滅対策。さまざまな社会福祉制度がつくられた)の初期にあたる1960年代のなかばに児童心理学者と教育学者のグループがある実験を行った場所でした。

 

実験者たちは3歳~4歳の子どもを「ペリー・プレスクール」に入れても構わないという低所得者かつ比較的IQの低い親を街の黒人地区で募集しました。集められた子どもたちは無作為に実験グループと対照群に分けられます。実験グループの子どもたちはペリーに入学して質の高い2年間の就学前プログラムに参加し、対照群の子どもたちには自力で勉強してもらいました。その後、子どもたちは追跡調査を受けます。それは1年や2年のことではなく、何十年もの間である。一生にわたり追跡をつづける研究が今も進行しています。対象者は現在40代。ペリー・プレスクールの評価は対象者が成人になるまできちんと続いてきたことになる。かなり長い間の追跡調査ですね。

 

このペリー・プリスクール・プロジェクトは社会学者の間では有名です。しかし、これは子どもの教育に関する幼少期の支援策の実験としては失敗とみなされています。というのも、研究対象の子どもたちはプレスクールに通っていたあいだとその後1年か2年は目に見えてテストの結果が良かった。しかし、その効果はつづかず、3年生になったころには実験グループの子どもたちのIQテストのスコアは対照群のスコアとほとんど変わらなくなっていたのです。幼少期に学力を上げるための支援策を行ったとしても、結局は3年生の時点でほとんど変わらなくなってしまうのが見えるとその時点での支援策は意味がないということが見えてきます。

 

このようにペリー・プレスクール・プロジェクトはかなり長期的な子どもの追跡調査をおこなっているのですが、かなり根気のいる内容です。しかし、この長期的な調査によって、いくつかのことが見えてきました。一見、知能指数に及ぼす影響がないように見え失敗かとみられていたこのプロジェクトですが、ヘックマンら研究者はこの長期的な効果に注目し見ていくなかで、これらのデータが有望であるように見えたというのです。それはどういったところにあるのでしょうか。

GEDから見えてくるもの

経済学者のジェームス・ヘックマン氏は高校修了同等資格(GED)のデータベースを分析した結果、多くの重要な点でGEDテストの合格者は高校の卒業生とまったくおなじようにより高度な学問への準備ができているという考え方が妥当だということが分かりました。というのも、学力テストの得点(IQと密接な関係にあるスコア)を見ると、GEDテスト合格者はふつうに高校を卒業した者に全く劣らなかったのです。

 

しかし、その後の高等教育まで見てみると、二者は似ても似つかなかったのです。ヘックマンが気付いたところによれば、22歳の時点で四年制の大学に在学中か、すでに何らかの高等教育を終えている若者は、GED取得者では3%しかなかった。これに対し、高校の卒業生では46%に上りました。また、将来的に生じうるあらゆる重要な数字(年収・失業率・離婚率・違法ドラッグの使用率など)についてみると、GED取得者は価値があるはずの特別な証書を獲得したにも関わらず、中退者とそっくりな結果が出た。

 

この結果は望ましい結果ではないにしろ、政策を考える上では有益な発見だった。人生を改善する手段として長い目で見たときに、GEDは本質的に役に立っていなかった。どちらかといえば若者を安易な中退へと誘導するマイナスの効果があったのかもしれない。ヘックマンは多くの経済学者同様、ある人物の先ゆきがどうなるかを考えるときに信頼のおける決定要素は学力だけであると信じていました。しかし、実際これらの結果を受けると、たとえテストの得点がよくても人生になんらいい影響のない人々のグループ(GEDテストの合格者たち)があることを発見してしまったのである。

 

ヘックマンはこのような結果になったのは、高校の卒業生が最後まで学校に残るために必要だった心理上の特質にあるとヘックマンは結論づけた。では、そういった特質(報われることの少ない退屈な作業にあたるときの粘り強さだったり、喜びや楽しみを先送りにできる能力だったり、計画に沿ってやり遂げる傾向だったりするわけだが)は大学でも、職場でも、人生全般においても価値のあるものだった。ヘックマンはあるレポートにこう書いている。「GEDは意図せずして、頭はいいが粘り強さと規律に欠ける中退者と従来の中退者を区別するテストとなった」そして、GEDテストの合格者は「先のことを考える能力や作業にあたる際の粘り、環境への適応能力を欠いたただの物知りである」

 

高校をちゃんと卒業してから大学に行った生徒とGEDテストで高校修了資格を取得した生徒では、成績においては同じだったとしても、その後の人生においては大きな違いが見られたのですね。そして、その問題において、ヘックマンは学校に残るために必要だった心理上の特質に意味があるということを言っています。それが「非認知スキル」というものなのです。では、このスキルはどのようすれば伸ばすことができるのでしょうか。

知識至上主義から非認知スキルへ

日本でもいまだに「知能至上主義」のような教育はまだまだ続いています。様々な人生のステージにおいても、受験やテストは反復や練習を基にした形態で行われています。そして、成績や偏差値といったもので学力を測られています。しかし、こういった知能至上主義に対し、過去十年、特にここ数年の間に、経済学者、教育者、心理学者、神経科学者が集まって、知能至上主義の背後にある思い込みの多くに疑問を投げかけ始めました。

 

「子どもの発達に最も重要なのは、最初の数年のうちにどれだけたくさんの情報を脳に詰め込めるかではない」ということを彼らはいっているのです。本当に重要なのはそれとはまったく異なる「気質」、つまり粘り強さや自制心、好奇心、誠実さ、物事をやり抜く力、自信などを伸ばすために手を貸せるかどうかであるということです。経済学者はこうしたものを「非認知スキル」と呼び、心理学者は「人格の特徴」と呼び、一般の私たちはこれを「性格」と捉えています。

 

しかし、いくつかのスキルに関して、知能至上主義の背後にある単純な計算、つまり、「大事なのは早く始めてたくさん練習する」といったことは確かに根拠があるとタフ氏は言います。たとえば、バスケットボールのフリースローを落としたくなかったら、毎日の練習で20本よりも200本練習するほうが上達しますし、読解能力においても、4冊読むよりは400冊読んだ方が伸びるでしょう。機械的に向上する技能もあるというのは事実です。

 

しかし、人間の気質のもう少しデリケートな要素を伸ばすとなると、ものごとはそう単純ではないとタフ氏は言います。これに関しては長時間懸命に取り組んだからといって失望を乗り越えるのがうまくなったりはしません。早いうちから充分に好奇心のドリルをやらなかったからという理由で好奇心の足りない子どもに育つわけでもないのです。とはいえ、このような気質を身につけたり、失ったりする方法はランダムではなく、最初からついているものではありません。何かによって生じたものなのです。心理学者や神経科学者たちは、ここ数十年のあいだこうした気質がどこから生じ、どうやって伸びるのかについて研究を重ねてきました。しかし、その方法はまだ謎が多く複雑なのだそうです。

 

この「成功する子 失敗する子」を書いたポール・タフ氏は現在世界中の教室やクリニックや研究室や講義室で勢いを増している、こういった新しい考えを紹介し、児童の発達に関するここ数十年の一般通念は誤りで、間違ったスキルや能力に焦点を合わせ、間違った戦略を使ってそのスキルを教え、育てようとしていることに疑問を投げかけています。

 

しかし、現在、こうした研究はまだまだ新興のもので、新しい知識を積み上げているところです。そのため、科学者や教育者たちは孤立していることが多いそうです。しかし、そのつながりは徐々に広がっていき、学問の分野を越え議論は高まっているそうです。そして、それは子育ての方法、学校運営の方法、社会的なセーフティネットの構築方法を変える可能性を持っているとタフ氏は言っています。そして、そのネットワークの要となっているのが、シカゴ大学の経済学者ジェームス・ヘックマン氏だと紹介しています。

 

最近、様々な研修の中で、ヘックマン氏の非認知スキルの話を聞くことが多くなってきました。乳幼児期に育つ力はその後社会につながるものでもあるというのは、ここ最近ではかなりホットな内容です。

知能至上主義

保育を変えていく中で、保護者から苦情が来ることがあります。もちろん、理由がある苦情もあれば、感情的に保育が変わることが納得できないという保護者も中にはいらっしゃいます。それは決して悪いことではなく、どの保護者も子どものためを思っているということに変わりはありません。保護者は子どもたちに幸せで成功に満ちた人生を送ってもらいたいと思っているとは思うのですが、それが具体的にどういった人生なのか。今の保育が子どもにとって本当に最善なのかが不安に思っているのです。今の親はこういった不安を抱えている人が多いのではないかと著者「成功する子・失敗する子」でポール・タフ氏は言います。ポール氏はアメリカのニューヨークのような都市では特に強くこういった思いを持つ人が多くあり、人気の幼稚園に入るための競争力はまさに戦いだったと言います。

 

そして、自分たちの子どもエリントンは今後どうやら「知能至上主義」が浸透した文化の中で育つことになりそうだと思ったそうです。それは多くの人が思う。今日の社会でいう『成功』はおもに認知的スキル(知能検査で測定できるたぐいの知力で、文字や言葉を認識したり、計算をしたり、共通のパターンを射抜いたりといった能力が含まれている)の有無できまるといったものです。そして、こうしたスキルを伸ばす最良の方法は、可能な限り練習を重ねることと、可能な限り早くからはじめることと考えられています。

 

こういった知能至上主義は非常に広く受け入れられていますが、実際のところは比較的新しい発明であることを多くの人が忘れていると言います。元々は1994年、カーネギー財団が「スタート地点」(Starting points)を出版し、アメリカの子どもたちの学力の発達について警鐘を鳴らしたときに出てきた考えなのです。この本では、今の子どもたちは人生の最初の三年のうちに学力を伸ばす十分な刺激を受けておらず、それが問題であるというのです。

 

その理由となる一つは、一人親の家庭や働く母親が増えてからであり、このため子どもたちは学ぶ準備のできていない状態で幼稚園に入ることになる。というもので、この報告のおかげで、様ざまな本や知育オモチャなどの売り上げが何十億にもなったと言います。その後にもカーネギーの発見と研究は社会的政策にも強烈な影響を与えるようになります。慈善家や議員などもこれを受け、不利な状況にある子どもたちが早いうちから遅れてしまうのは学力を高める訓練が不充分だと結論付けました。そして、心理学者や社会学者は、貧しい子どもの成績不振を家庭や学校での言葉と数字による刺激が不足していることと結びつける証拠を上げます。

 

こうした研究で最も有名なのは、ベティ・ハートとトッド・R・リズリーという二人の自動心理学者が一九八〇年代に始めたものである。ふたりはカンザスシティーでホワイトカラーの家庭、ブルーカラーの家庭、生活保護家庭から集めた42人の子どもたちを集中的に研究し、子どもの教育に決定的な違いが生じる原因も、その後の子どもたちがあげる成果に差異が生じる原因も、突き詰めればひとつであることがわかったのです。それはごく幼いうちに両親から聞いた言葉の数です。

 

ホワイトカラーの親に育てられた子どもは3才になるまでに三千万語を耳にしていたことに対し、生活保護を受けている親に育てられた子どもが聞いたのは一千万語だったということが分かったのです。そのため、貧しい子どもたちがのちのち学校生活や人生一般で失敗する根本的な原因は、聞いた言葉の数の不足だというのです。

 

こういった知能至上主義は非常に分かりやすく、例えば、家に置かれている本が少なければ読解能力は低くなる。親が話す言葉の数が少なければ子どもの語彙も少ない。ジュニア公文で算数の問題をたくさんやればテストの点数は上がる。時に滑稽に思えるほどの二者の相関が厳密に示されます。さらに、ハートとリズリーの計算によると、生活保護家庭の子どもがブルーカラーの子どもとの語彙の差を埋めるには、毎週きっちり四十一時間の集中レッスンが必要であると言っています。