乳幼児教育

メディアと実行機能

睡眠の次はメディア視聴です。これも家庭によってはルールに上がってくることが多くあるものだと思いますし、家庭によってもそのルールは大きく違います。私の実家では日中にテレビを見ることは許されていましたが、食事中などは姿勢が悪くなるという理由や家族の会話が無くなるという理由で消されていたのを今でも覚えています。メディア視聴というのは何もテレビだけではありません。最近ではスマートフォンの普及もあり、インターネット動画などの映像視聴なども増えています。子どもたちが外で動画視聴をしている姿はよく見ますね。家の中でも外でも子どもに静かにしてほしいときにテレビやインターネットの動画を見せるようにしているご家庭は少なくはないと思います。こういったテレビなどのメディア視聴が子どもの発達にどのような影響を及ぼしているのかというのは、昔から関心が高い問題です。

 

日本でも、2004年に日本小児科学会が、2歳以下の子どものテレビやビデオの長時間視聴は避けるべきだと提言を出しました。これは長時間のテレビ視聴が子どもの言葉の発達が遅れるという研究知見が見えてきたからです。しかし、実際のところ、テレビ視聴が子どもの発達において、良い影響を及ぼすのか、悪い影響を及ぼすのかは、結果が混在していると森口氏は言っています。言葉の発達の遅れにおいても、子どもの教育番組を視聴させることでむしろ促進されるという結果もあるのです。

 

では、実行機能においては、テレビ視聴はどのような影響があるのでしょうか。森口氏は実行機能の発達に影響を及ぼすのは大きく2つあると言っています。

 

一つは誰も見ていないにもかかわらず、ダラダラとテレビがついている状態だと言っています。ジョージタウン大学のバー博士らは家庭における乳児期のテレビ視聴と思考の実行機能の関係を調べました。その結果、1歳の時点において、大人向けの番組が長時間ついていればいるほど、4歳児時点における思考の実行機能の成績が低いことが示されました。

 

なぜ、ダラダラとテレビがついているのがいけないのでしょうか。その理由は子どもが絵をかいたり、遊んだりする場合に、少し気になるシーンや音楽が流れると、子どもは今やっている活動をやめて、テレビに注意を奪われてしまうからです。この場合、子どもの意志ではなく、テレビの映像や音声によって活動を切り替えられているのです。思考の実行機能は子どもが自分で主体的に頭を切り替える能力なので、実行機能は育まれないというのです。いわゆる「気が散った状態」になるのでしょうね。それでは「遊び込む」ことが難しくなります。

 

では、もう一つのメディア視聴の影響とはどういったことがあげられるのでしょうか。

睡眠と実行機能

森口氏は管理的な子育てにおいて、家庭のルールが子どもの実行機能に影響を与えているということを言っています。そして、ある程度の大人の管理的な子育ての必要性にも言及しています。

 

このことにおいて、森口氏はルールに関連して、2つの生活習慣の影響を紹介しています。その二つというのが睡眠とメディア視聴です。睡眠というのはこれまでにも言われることが多い内容です。発達障害にも睡眠が関わるということが言われています。そんな睡眠ですが、なぜ、それほどまで人の体に影響するのかというと、睡眠は脳にとって非常に大事な生活習慣だからです。睡眠中、脳は起きている間に損傷があった箇所などを修復したり、起きている間に覚えたことを記憶に定着させたりすることが報告されています。また、寝る前に難しい問題に取り組むと、起きた後にその問題に対してする解決策をおもいつくなど、記憶や学習に非常に重要であるということもわかっているそうです。よく受験生においても、一夜漬けするよりもしっかりと夜は寝たほうが良いというのはこのことが言われるのはこういったことを指します。

 

では、実行機能に関してはどうでしょうか。実行機能の脳内機構である前頭前野は、睡眠中に活動が著しく低下することが知られていると森口氏は言っています。つまり、睡眠不足によって前頭前野を休ませることができなければ、起きている際の行動にも影響が出るというのです。睡眠不足は、学業不振につながりますし、それ以外にも精神疾患、情緒不安定、肥満などにも結び付く可能性があります。そして、このことは特に子どもにおいても顕著なのです。幼児期には2~3割の子どもが睡眠に関する何らかの問題を抱えているという統計もあります。なかなか寝付けなかったり、寝ている間に歩いたりしてしまうのです。最近の子どもたちの入眠時間は確かに遅くなっているように思います。それは親の就労にも影響を受けているのでしょう。

 

実際、テルアビブ大学のサダー博士らは、小学校高学年の子どもを、ランダムに早寝群と夜更かし群に分けて、その前後に思考の実行機能のテストをしました。その結果、早寝群は成績が向上するのに対して、夜更かし群は成績が低下することが報告されました。小学生の研究に比べると数は少ないのですが、乳幼児期の睡眠もやはり実行機能に重要な影響を与えることが示されています。カールソン博士らは1歳時点における乳児の睡眠の質を測定し、その後の実行機能の影響を検討しました。この研究では、1歳時点における夜の睡眠時間が長ければ長いほど、その子どもが2歳になったときの思考の実行機能の成績が高いことを示しています。

 

ここであることが見えてきました。昼寝を含めた子どもの一日の睡眠時間の長さは実行機能と関係しないという点です。夜に子どもが寝ることが重要ということを意味しています。

このように睡眠と実行機能は密接に関係しているということが言われていることが分かった来ました。これまでも「睡眠」というもののとり方は人の体に大きく影響を与えてくれるというのは大人においても、子どもにおいても、言われています。心身のリフレッシュにおいても、成長ホルモンが出るのも、睡眠中なのです。いかに子どもたちの睡眠が大切なものなのかということが分かります。そして、それは先の社会における能力にも大きな影響を与えることになるのですね。

履修主義と修得主義

今回の新型コロナウィルスは様々なところで、教育や保育への変化をもたらしました。リモート(遠隔)での教育形態、分散登校、4月入学から9月入学など、さまざまな部分で新しい取り組みや変革が起きています。こういった議論は多く行われている中で、今後の教育に向けてどういった教育形態が求められるのか、前回話した武藤隆氏の話においても触れられてきた内容です。武藤氏の話にも出てきた「9月入学」この制度は様々なところで波紋を起こしています。内容に関しては、武藤氏が言っていたことが大きな答えになっていました。

 

私は常々、入学をどの時期にするのかということ以上に、子どもの進級の時期を子どもの理解度とともに変えていくべきだと思いっています。そして、分からないところがあれば、わかるまでその学年で留まることができる留年を作るべきだとも思っていました。このことに対して、日本経済新聞の7月8日の記事「教育改革 危機が促す」にこんなことが書かれていました。「同年齢の子を一斉に入学させ、学習内容が定着していなくても決まった時期に卒業させる『履修主義』を取る日本の義務教育。『一律・平等』の重視は教育水準を底上げした一方、横並びで硬直的な学校生活を生み、子どもの個性にあった指導を難しくした」と書かれていました。

 

この状況はまさに教育現場において問題になっていることではないでしょうか。特に「ワル」と言われる不良少年などは、以前にも書いたように、勉強についていけず、そのままドロップアウトしてしまう子どもが多くいます。こういった子どもたちに対して果たして「平等な教育」が施されたというのでしょうか。個人差を加味した上で「平等」があるのでしょうか。

 

日本経済新聞ではこのひずみが新型コロナウィルス禍でも露呈したと言っています。この自粛期間における休校措置で失った200コマをどう解消するかということです。そして、それと同時に日本の教育現場においては技術革新や国際化の加速によって教育過程は拡大しています。ただでさえ、指導日程が窮屈になってきている中で、この休園措置によって、履修主義的な教育はかえって、重荷となり、短期間で大量の「指導ノルマ」をこなす必要が出てきたというのです。そして、これは「修得主義」をとる欧米とは事情が異なります。

 

修得主義はひとり一人に応じた学びを実現する土台にもなると言います。国際学力調査で上位のフィンランドでは就学や卒業の時期、留年や飛び級も本人や保護者が選ぶのです。教育過程は教員が決め、個にあわせた指導が可能になるのです。こういった教育形態をうけ、日本の経済同友会でも小学校高学年以降は修得主義にし、留年や飛び級を実施するように提言しているそうです。

 

また、こういった教育形態になったときに5歳児の育ちは重要になってきます。19世紀から義務教育開始年齢が5歳の英国では「探求心と好奇心の育成が最初の目標」だと言っています。つまり、こういった教育を進めていくためには乳幼児期の教育も決して無縁ではなく、その土台を作る環境を作っていかなければいけないのです。子ども一人一人が平等に学んでいくためには、一人一人がしっかりと自立していなければならず、その土台はやはり乳幼児期にこそ必要なのだということが読み取れます。

小学校の改革、幼児教育の改革

小学校入学の前倒しの課題を白梅学園大学名誉教授の武藤隆氏はこの件で、小学校と乳幼児教育機関への問題提起を行っています。では、幼児教育において、小学校の就学が早くなるとどういった課題が上がってくるのでしょうか。

 

一つ目は9月入学になり、年長児の後半が小学校に移れば幼児教育の完成期とされる部分が抜け落ちてしまいます。つまり、異年齢の幼児間の学びをしている幼稚園に関しては、年長児がいないことで、子ども同士の学びが弱くなるのでではないかと言われています。また、幼児教育修了時に達成してほしい力(10の姿など)のレベルを下げるということも一つの対応として挙げられますが、卒園を約半年早めて幼児教育を成り立たせるには、試行に数年以上かける必要があると武藤氏は言っています。そして、それらの改訂は理論的・実践的な根拠と実例を洗い出して行う作業でなければいけなく、その場合、5年以上の検討期間が必要になりそうだというのです。では、幼稚園入園を半年前倒しの場合はどうでしょうか。武藤氏はその場合、2歳児クラスは少人数クラスである必要があり、今以上の予算投下が必須になると言います。このように就学年齢を前倒しにするためには小学校低学年と幼稚園の教育のあり方を大きく変える必要があると武藤氏は言っています。

 

では、入学を前倒しにすることにメリットはないのでしょうか。武藤氏は入学に際してメリットがあるとしたら、小学校教育の早期化により義務教育修了の学力を上げることが言えるだろうと言っています。しかし、日本の場合すでに、国際調査においては、算数や理科などは世界的に見てもトップクラスだと言います。低いと言われる読解力に関しても、トップに近く、近年低下している要因はデジタルリテラシーの定着の遅れだと言われいます。このように現在の義務教育において必ずしも学力が下がっているというのも一概には言えないようです。

 

また、国語や算数において、文字の読みや計算といったリテラシーの基礎は実際の場面で使うことで意味とともに慣れる必要があると武藤氏は言います。そして、それは幼児教育そのものだと言っています。例えば、絵本や歌の歌詞を通じて文字の手ほどきをすることや集めたドングリを10個単位で数えることで数量の意味に触れるなどの活動です。また、「目標を目指して粘り強く取り組む」ことや「そのためのやり方を調整し工夫すること」「友達と同じ目標に向けて協力し合う」といった非認知能力の獲得は幼児期に進むということを踏まえ、行われている幼児教育の充実もあります。

 

このように、小学校での一斉授業、幼児教育における小学校に向けて必要な非認知能力のための体験活動。こういったそれぞれの教育機関における役割を考えると、従来の小学校流の一斉授業を早期にいきなり導入するよりも、幼児教育の質をあげ、一人一人の発達に応じて、格差の是正に取り組むことが必要ではないだろうかと武藤氏は言っています。

 

これからの教育においては、小学校においても幼児教育においても、どちらも改革が必要になるということを武藤氏は言っています。そのため、幼児教育に関しては非認知能力における考え方はより、これからの乳幼児教育において重要視されていく内容であると思われます。これをうけて、我々保育者はどのような保育を進めていくことが必要なのかをより考えていかなければいけません。そして、これからの社会でどういった力が必要なのか、もっと大きな目で見通しを持つことが必要になるのですね。

ルール

これまでの森口氏の話を見ていると、管理的な保育や子育てはいけないことのように見えてきます。では、放っておくと、子どもたちは自分をコントロールできるようになるのでしょうか。自由にしておくことで、待てるようになるのでしょうか。決してそういうわけではないと、森口氏は言っています。森口氏は「子どもは最初から自分をコントロールすることができるわけではありません。親に自分の行動を統制されながら、成長とともに自分でできるようになるのです。」と言っています。脳科学的には決して管理されることが悪いということではないのですね。つまり、極端な管理は慎まなければいけないのですが、ある程度の親の統制は実行機能を育むと考えられます。これが、2つ目の管理的な子育ての側面です。

 

森口氏らの研究では、体罰などを除いた管理的な子育てが子どもの思考の実行機能に影響を与えるかどうかを検討しました。それはどういったものかというと、たとえば、親が子供を自分の言いつけ通りに従わせているかや、歯磨きなどを子どもがやるまで何度でも言い聞かせるか、などを尋ねるというものでした。その結果、親が管理的であると、子どもの思考の実行機能が育まれることが示されました。つまり、親の統制は重要なのです。

 

では、具体的にどのような管理的な子育てが子どもの実行機能に影響を与えるのでしょうか。その一つに「ルール」作りを森口氏は挙げています。どの家庭にも、その家庭ならではのルールがあると言います。たとえば、家に帰ってきたら手を洗うことや晩御飯のときはテレビをつけないなどです。しかし、この場合、どのようなルールであれ、家族全員が、そのルールをしっかりと守るということが肝心です。たとえば、母親は家に帰ってきたら自分も手を洗うし、子どもにも手を洗うように言うけれど、父親は手を洗わないし、子どもにも手を洗うように言わないなどのケースは好ましくはありません。ほかにも、子どもと大人で違うルールがあるということも望ましくありません。子どもには9時以降おやつを食べてはいけないというのに、親は9時以降に晩酌をする状況は子どもにとって不可解というのです。つまり、家族がみんなでルールをしっかり守る様子を見ることで、子供にもルールを守る意識が形成されるのです。そして、それによって、ルールに応じた行動を選択し、不適切な行動をとらなくなるのです。まさに人のふり見て我がふり直せ、ですね。子どもは見ているのです。

 

それと同時に、ルールがしっかりとあることで、子どもにとって次に何が起きるかという見通しを立てることができるようになると森口氏は言っています。そして、家庭における安心感にもつながっていきます。一方で、ルールがない家庭では、子どもはつぎに何が起こるか分からず、不安なまま生活することになります。こうした不安がストレスになるのです。

 

確かに、ルールや規律というのはそれ自体が集団をまとめる一つのツールでもあるという

側面があるように思います。それは一つの事柄を一緒になって「共有」するからなのでしょうね。しかし、そのルールがあいまいであり、人によって違うとなると、確かにストレスです。子どもにとって集団の中における不安定な位置に自分がいるかどうかというのはストレスになるのです。保育機関においてはどうでしょうか。しばしば、大人と子どもとのルールが違っていることはよくあることです。大人は食事を残してもいいけれど、子どもは許されないなんか典型的によくあります。こういったやり取りの中で起きる関係性はそのまま信頼関係にも影響していくのだろうと思いますが、思考の実行機能においても、管理的な実行機能においても、信頼関係というものは大きく影響しているようにも思います。