乳幼児教育

スキルと教育

これからの30年後の社会において、人のする仕事の多くがAIを搭載した機械に代替されると言われています。このように社会はつねに新しい技術を備え、新しい形態へと変貌を遂げていきます。アンドレアス氏も「社会がどのように人々の知識や技能を使い発展していくかは、繁栄の決定要件の一つ」と言っています。OECDの国際成人力調査PIAACによるとスキルの低い人はより良い報酬や報われる仕事に従事することが非常に難しいと言っています。新しい産業が産まれれば、その反面、古い産業は衰退していくのです。そして、デジタル化はこの傾向を拡散しているといいます。そして、その差を埋めるのが「教育」なのです。

 

2016年スウェーデンのステファン・ロヴェーン首相は「今後自分の仕事が消えるかもしれないことを人々が受け入れるためには、知識やスキルを持って、新しいものを想像するという自信を持つことの重要性を何度も強調していたそうです。「スキルが低い」というのは当然生産性は下がりますし、技術力の活用にもおよびません。結果、収入や雇用以上に生活水準を上げる障壁となります。PIAACによるとスキルが低い人は雇用市場で脆弱なだけではなく、社会から遮断され政治的なプロセスにとって無力だと感じることが多いのだそうです。まるで社会に取り残されたように感じるというのでしょうか。

 

また、「PIAACによるとスキルの低い人ほど、他者や制度に不信感を持っていると言っています。一方で、教育、アイデンティティ、信頼の関係性の根源は複雑だが、これらは現在の社会どうしを結びつけるのに重要だ。人や公共機関、十分に規制や整備さえた市場への信頼無くして、特に短期的な犠牲があり、長期的なメリットが直ちに明らかにならない場合、革新的な政策のための公的支援の結集は困難となる。」と言っています。そのうえ「教育者は元来、道徳的な見地から教育を主張することを好むが、教育の質と経済実績との関連性は低い」と言っています。そして、「教育システムの欠陥は大きな景気後退と同等の影響を永久的に持つことになる」というのです。これは私も保育を考える上で、考えなければいけないことだと思っています。

 

教育や信頼といったものがスキルと大きな影響があるのですね。低いスキルを持つ人というのはある意味で、自分に対する「自信」にも影響があるということのように感じます。ステファン・ロヴェーン首相のいうような「自信を持つことの重要性」というのはこれからの社会にとっては非常に強い動機を持つのでしょう。では、現在の日本において、どれほどの人に「自分に自信がある」とはっきり言いきれる人がいるでしょうか。以前、この「自信」ということに対して、イギリスの見学者から「自信を持つことが果たして良いことでしょうか?」と質問を受けたことを覚えています。「ただ自分に自信をもっているだけでだと、周りと調和がとれない。独りよがりになる」と言われたのです。そのときに私は「確かに、そういうことはあります。だからこそ、本当の自信というのは周りとの調和を含めて、自分のできることをしっかりできること」ということを話しました。その時に教育者が考えなければいけないのは、『自尊心』や「自己肯定感」というものをただ語るのではなく、それが社会にとってどういった生かし方ができなければいけないかということを考えなければいけないと思うのです。つい、保育においても、社会など、長いスパンでの見通しを見なければいけないのではないかと思います。次の社会を見据えた保育や教育を現場自体も意識する必要があるのでしょうね。

ドイツと子どもの権利条約

ドイツでは「オープン園」という保育形態に近年は変わってきています。「どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や参画を保証する場」として保育を考えていくということでしたが、始めはなかなかうまくいかなかったとベルガーさんは言っています。従来の保育方法に慣れている先生たちは、最初「すべての子どもを把握するのは不可能」や「保育者との関係性が希薄になるのではないか」といった意見が出てきたそうです。そういった状況を変えることにはまず大人側の発想の転換が必須になってきます。次々と疑問や困難が出てきました。しかし、こういった疑問や困難を職員全体で乗り越える協力体制を作っていくことが「オープン園」の前提となります。

 

では、なぜドイツはオープン園を進めているのでしょうか。これには「参画」ということが大きく関わっているようです。「参画」については1986年国連総会において「子どもの権利条約」が採択されたことが大きいようです。オープン園において「子どもたちが自分たちで決める」ということを重要視しているというのは前回にも話しましたが、子どもの権利条約において「意見の表明権」がこれにあたっていくのだと思います。ちなみに日本はこの子どもの権利条約において批准しています。つまり、守らなければいけない立場になっています。しかし、日本政府は国連の子どもの権利委員会」から勧告を3度受けています。そして、その勧告のうちの一つが「子どもの意見の表明権」についてです。以前、このことについて調べてみましたが、そこには「(国連の)審議の中では、競争の激しさとともに、カリキュラムや校則に柔軟性がないことが指摘されています。子どもたちが学校の運営に関わっていないこと、学校で子どもに県が尊重されていないことはここにも(権利条約 第12条 子どもの意見の尊重と参加する権利)関連しています」と書いてありました。日本はこのドイツの「参画」から学ばなければいけないものは多いように思います。

 

このようにドイツでは子どもの権利条約の採択をうけていく中で、保育改革や教育改革が行われます。そして、この「オープン」という概念は70年代の西ドイツにおいて考案され、障害児童特別措置に疑問を持つインクルージョン派と子どもの体づくり推進が統合され発展してきたとベルガー氏は言います。そして、「オープン園」の目指すところが分け隔てなくすべての子どもを受け入れることとされ、関わる全ての人々が参画可能なオープンな社会の基礎となる幼児教育を体現する場とされたのです。

 

このようにドイツは国を上げて国の教育に大きく変化をもたらせたのです。そして、その根本には子どもの権利条約が大きく影響しているのです。何とも考えさせられるものです。日本では未だ、カリキュラムは大人主導で決まるものであり、子どもの参画というのはそれほど重要視されるものではありません。もうすこし、子どもの権利というものを見直す機会が必要であり、意識されなければいけない。大人の意識の転換が求められるようにドイツを見ていると思います。

ドイツの保育

先日、ドイツの保育士の方からこのコロナ禍の中で、どのような保育をしているのかを聞く機会がありました。ドイツでは2月にイタリアで新型コロナウィルスが出たのち、3月初めから国境を閉鎖し、3月よりロックダウンが行われ、2週間ほど幼稚園や保育園などすべて閉鎖という形を取っていたそうです。しかし、子どもたちは園には来ないが、職員は出勤し、掃除などをしていましたが、そのうちすることも無くなってきたのと、ソーシャルディスタンスが取れないので会議もできないということで、順番での勤務とホームオフィスつまりテレワークによる勤務体系になったそうです。どこの国も同じようなことが起きているのですね。

 

また、こういった勤務体系と新型コロナウィルスによって、保育の形も変えざるを得なくなってきたそうです。新型コロナウィルスがこのように発生し、大きな影響を与えるまではドイツのミュンヘン市では「オープン保育」が行われていました。以前、私は2011年にミュンヘンの保育を見る機会があったのですが、その頃はまだオープン保育は行われていませんでした。では、そのオープン保育とはどういったものなのでしょうか。

 

まず、ドイツのミュンヘン市バイエルンには6種類の幼児教育施設があります。0~3歳児対象の保育園、3~6歳児対象の幼稚園、6~10歳児対象の学童保育。そして、保育園と幼稚園が統合した「コープ」、保育園・幼稚園・学童の3つが統合した形をとる複合乳幼児施設があります。そういった環境の中で保育が行われていますが、近年ドイツの幼児教育関係者の関心を集めているのが「オープン園」です。

 

「オープン園」とは、「職員全体で園全体の子どもたちを保育する園です」といっているのはミュンヘン市の幼児教育施設で働く、ベルガー有希子さんです。職員から見て保育園にいる子どもたち全員が「私たちの園児」という捉え方をするので、「私のクラス」という概念がないのが特徴です。そして、その核となるコンセプトは「すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること、子どもたちは、どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や、参画を保障する場」とされています。そして、「その中で、子どもの発するシグナルを重視し、子どもの欲求や子ども自身がすでに内に秘めてるそれぞれの陶冶プランを見出すことが先生の役割と捉える」というのです。「陶冶」とは「人の性質や能力を円満に育て上げること。育成。」ということです。子どもそれぞれに合わせた保育の提供が根底にあるのです。

 

私が見学させていただいた2011年ごろはまだ、オープン保育というほどではなく、少人数の異年齢集団で活動していたのを覚えています。しかし、当時から先生の介入は驚くほどすくなく、子どもたちが自分自身が体験すること、その中での葛藤や悩みながら解決していくことを非常に重視していました。しかし、そんなドイツでも、オープン園にすることには抵抗があったそうです。

創造的思考

子どもたちの自由遊びはストレスの緩和と社会的スキルに影響を与えるのが分かってきました。ほかにも「遊ぶ」というのは創造的思考や問題解決能力にもつながるということが分かってきました。

 

これは1973年 Developmental Psychology誌に掲載された研究ですが、研究者は90人の就学前児童を3つのグループに分けました。そして、①ペーパータオルの山やドライバー、木の板、クリップの山といった日用品で自由に遊ばせるグループ ②その4種類の品物を使用する実験者の真似をさせるグループ ③テーブルに座って、何も見ずに自由に絵をかかせたグループ とそれぞれ違った遊びをさせました。10分ほどこの活動をした直後、これらの品物の一つを指して、それをどう使うかを子どもたちに考えてもらいました。

 

すると、品物で遊んだ子どもは平均すると他の2つのグループの子どもの倍も一風変わった創造的な使い方を挙げました。つまり、自由に遊ぶことで、子どもたちの創造的思考が伸びたのではないかというのです。

 

ほかにも戦闘ごっこも、問題解決能力を育てると言っています。1980年にペレグリーニが発表した論文によると、小学校の男児のうち、大暴れして遊んだこの方が、社会的な問題解決のテストでの得点が高かったのです。そのテストというのが、研究者が子どもたちに対して、「仲間の子どもからおもちゃを手に入れようとする子どもの写真5枚と、母親に叱られないようにしている子どもの写真5枚を被験者の子どもたちに見せ、それから被験者の子どもたちに、それぞれの社会的問題を解決できる方法をなるべくたくさん挙げてもらった。そして、その結果を戦略バラエティに基づいてスコアを決めたところ、戦闘ごっこをした子どもはスコアが高い傾向があったのです。

 

オモチャを自由に使うことや戦闘ごっこなどを子どもたちが自由に遊びながら進めていくことで、創造的思考にも大きな影響が出ていたのですね。そう考えると、普段現場で起きている子どもたちの遊びにはそれぞれ意味があるように思えてきてなりません。本当に無駄な活動をしていないだろうとも思います。自分が子ども時代においても、戦闘ごっこのようなものをしていました。そこでは特に創造的な思考を駆使した覚えは全くもって感じてはいませんでしたが、後々のひらめき力や創造的な思考というのはその時に養われていたのかもしれません。「遊ぶ」というのは一見単純に見えますが、その裏には子どもたちが社会に出るときに必要となる力を同時に遊びという活動を通して、培っているのですね。

 

では、逆に遊びが不足すると問題解決スキルの発達がさまたげられるのでしょうか。

遊びとストレス 2

遊びがストレスや不安を軽減するということが分かってきましたが、それ以上に興味深いのは仲間と遊んだ子どもより、一人で遊んだ子どものほうが、より一層落ち着いたということです。そして、一人で遊んだ子どもは空想的な遊びを通して、子どもは幻想を築きあげることができ、それが困難な状況に対処するのに役立ったのだろうと研究チームは推測しています。空想的遊びはひとりでいるときに最もうまくできるのです。

 

空想遊びは子どもたちの発達にとって大切な意味があるのですね。ここでは「空想遊びは幻想を築き上げることができ、それが困難な状況に対処するのに役立った」と研究チームが推測したとあります。子どもたちは様々な部分で見立て遊びをすることがありますし、空想上の遊びをします。子どもたちの遊びの様子を見ていると、まるで将来自分が大人になったときの予行練習をしているように感じます。以前にも、ブログに書きましたが、ごっこ遊びやままごと遊びなどは役割を交代したり、時に負けたりと、人との関わりの中で起きることですので葛藤も同時におきます。そのことが大切なのと同時に、今回のように一人で行う空想的遊びはそういった葛藤は起きません。その中で自分なりに想像力を働かせ、自分の思うように遊ぶということは確かにストレスを緩和することにも繋がるのだろうと思います。

 

この遊びがストレスを緩和するいうのはラットを使った動物実験でも実証されています。2008年にゲティスバーグ大学の神経学者シヴィ氏の研究で複数のラットを一つの箱にいれて、猫がつけていた首輪を箱の中にいれる実験をしました。はじめ、その匂いを感じ、ラットが不安を示したのですが、その後、箱を清掃し、ラットを戻しても、ラットは不安を示しました。おそらく、箱といった場所と猫を関連付けたのでしょう。ところが、その箱に不安を感じているラットと不安を感じていないラットを入れると、追いかけっこしたり、転げまわったり、じゃれあったりと遊び始めました。そして、不安を感じているラットはリラックスし、穏やかになったのです。つまり、遊びがラットの不安を軽減させるのを助けたと思われるのです。

 

どの動物においても、「遊び」という活動は大きく影響しているのだということがわかります。これはマシュマロテストと同様の意味合いもあるのかもしれません。つまり、「遊ぶ」という活動を行うことで、「気を紛らわせている」のでしょう。気を紛らわせることで、目の前にあるストレスを緩和し、実行機能を使って切り替えているのだろうと推測できます。なににおいても、どうやらストレスと遊びというは大きな関連があるのですね。