乳幼児教育
どうやら、自由遊びには系統だった遊び以上に、自発性が保障されており、そのことが非常に重要な意味があるということなのですね。子どもたちは自由遊びをする中で、想像力を使って、新しい活動や役割を考え出すことを行います。そして、それだけではなく、社会的スキルも同時に発達するというのです。
ペレグリーニは「先生の言うとおりに行動しているだけでは、社会的競争力を見につけることはできない」そして、「そういったスキルは仲間と交流して、何が許容され、何が許容されないかを学ぶことで習得するのだ」と言っています。子どもたちの遊びを見ていると、大人が設定する活動を見ていると、子どもたちの質問は当然、それを示した大人にします。しかし、遊びの中でうまくいかない時は当人同士で話合うことになるのです。こういった子ども同士が遊びの中でお互いの意見を調整し合うことで、子どもたちは公平さや、交代することを学ぶのです。
自分のやりたいことだけを主張し、他の友だちの意見を聞かない子は遊び仲間を失ってしまいます。ペレグリーニは「子どもたちは遊びをずっと続けたいので、喜んでちょっと我慢して、他の子の願望を満たしてやるのだ」と言っています。子どもたちはその活動を楽しんでいるため、欲求不満に直面しても、算数の問題が解けない時と違って、簡単にあきらめたりはしない、こうして粘り強さと、交渉能力が育っていくのです。
このことは最近よく言われ、これまでのブログでも紹介した「非認知能力」というスキルです。つまり、子どもたちは自由遊びの中で、特にこの非認知能力を得ているというのです。ここから言えるのは、これまでも非認知能力の大切さは話してきましたが、大人だけの力では育たないということです。前回、森口佑介氏の「自分をコントロールする力」という中では、大人のアタッチメントが言われていたり、子どもたちに対して、応答的な関わりをもつことが大切だと言っていました。それはなぜなのか?なぜ、応答的な関わりを持つことが大切なのかということはここで言われているように、自分で考え、判断し、周りの意見と調整することが大切だからなのです。そのため、大人の介入は必要以上に入ることはかえって弊害をもたらしかねないのです。子どもにとっては、先の成長を考えると「大きなお世話」になってしまうのです。
子どもの世界を保障し、子どもが不安になった時に支えてあげられることが大切なのです。遊びにはそういった意味があり、こういった遊びの本質に関わる内容が研究されていることを知ることは大切ですね。また、ここで繰り広げられているコミュニケーションについてより、もう少し掘り下げてペレグリーニは言及しています。
2020年8月14日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 乳幼児教育, 幼児 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
先日、大人にとっても「遊びが大事」と言っていました。しかし、私の言っていた趣味としておこなう「遊び」というのはここで言われる「自由遊び」ではありません。規則があり、一定のルールがあります。このことを子どもたちの遊びに当てはめて見ましょう。たとえば、子どもたちに「運動をする遊び」というとどういったことを思い浮かべるでしょうか。多くの人は、サッカーや野球などの遊びが出てくるのではないでしょうか。では、そこに「自由遊び」の要素はあるのでしょうか。こういったサッカーや野球などはルールがあります。専門家はこういったゲームや系統だった活動は「自由遊びを侵食している」と言っています。
こういった系統だった。規則に従うゲームは面白いし、学習体験としても大切なことが言われています。ミネソタ大学の教育心理学者ペレグリーニも、そうしたゲームは社会的なスキルや集団の団結力といったものを伸ばすだろうと言っています。しかし、その反面「ゲームには、あらかじめ決められ、従わなければならない、優先されるべきルールがある」と言っています。そして、「ところが遊びにはそうしたルールがないので、より創造的な反応ができる」というのです。たしかに、ゲームや競技といった系統だった活動というのはルールがある分、あらかじめ、それを守ることが求められます。一方で、自由遊びというはその場で起きることはイレギュラーなことも多く、その都度、ルールを作っていかなければいけないですし、ある意味で「フリースタイル」です。
そして、このような創造的な側面は、発達中の脳にとって、あらかじめ決められたルールに従うよりも良い刺激となるため。極めて重要だといいます。自由遊びでは子どもたちは想像力を使って新しい役割や活動を考え出すことが求められるのです。
子どもたちが自由に遊んでいる中では、さまざまな場面が見られます。たとえば、ままごとではそれぞれがそれぞれの役割を演じたり、子どもたちの戦い遊びなども、今の子どもたちを見ていると決して「ヒーローと悪者」という構造ではなく、「ヒーロー対ヒーロー」になっていたりと役割が混とんとしています。こういったように自由遊びにおける遊びのあり方の定義は非常に多岐に渡ります。
さらに自由遊びには、動物にみられる遊びに非常によく似ていることから、重要な進化的ルーツがあることが示唆されています。「Genesis of Animal Play(動物の遊びの起源)の著書 バーガード氏は、18年をかけて、動物を観察し、遊びをどう定義したらよいかを学びました。そこでは「反復的であること」「自発的であること」「ゆったりとした状態で始められること」が条件だと言っています。動物も子どもも、栄養を十分に与えられないときや、強いストレスにさらされているときには遊ばない。最も大事なことは、観察されている状況において、その活動に明白な機能があってはならないことだ。つまり、明らかな目的がないことが条件だというのです。
「自由遊び」とは「明らかな目的がない」ことが言えるのです。確かに子どもたちの遊びには「目的はない」ですね。「楽しいからやってみる」といったことが言えるのかもしれません。それに比べ、最近ではルールのある遊びをさせようとさせすぎているところもあるのかもしれません。現場を見ていると「柔軟性」というものがなかなかできないことが多いです。それは私自身も人のことは言えません。その部分の裏にはこういった系統だった遊びが進められており、「自由遊びは悪」といった風潮があるからなのかもしれません。
2020年8月12日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
「子どもは遊ぶことが仕事」とよく言われます。しかし、現在、塾や習い事で子どもたちの遊ぶ時間が少なくなってきています。では、子どもたちにとって「遊び」とはどういった意味があるのでしょうか。このことについて1966年アメリカ ヒューストンの精神科医のブラウン氏がテキサス州から顧問精神科医に選任されたことで、行われた調査であることが見えてきたのです。
それはブラウン氏は様々な試験的研究のために、テキサスで殺人罪で有罪判決を受けた受刑者26人から聞き取り調査を行った時のことです。受刑者の聞き取りから殺人者の大部分には共通する特徴があることが分かりました。彼らは家族から虐待を受け、子どものころに遊んだことがなかったということです。そのときブラウン氏はどちらの要素がより重要なのかはわからなかったのですが、42年にわって、約6000人に幼年期についての話を聞いて集めたデータからわかったのは、子どもの頃、ルールのない、空想に任せた遊びをしたことがないと、周囲に適応した幸せな大人に育ちにくいということでした。科学者はこうした遊びを「自由遊び」と呼んでいるが、社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要だというのです。このことは動物行動の研究により、遊びの恩恵が確認され、また、進化的にも重要であることが明らかにされている。根本的に遊びは、人間を含む動物が生き残りと繁殖のためのスキルを身につけるのを助けてくれるのです。
しかし、ほとんどの心理学者が、遊びには良い効果があり、その効果は成人期まで続くと考えているが、遊びを経験したことのない子どもにどの程度の害が生じるかについては必ずしも意見が一致していない。それはなぜか、それはたっぷり遊ぶ時間もなく成長する子どもというのは、過去にほとんどいなかったからです。ところが現在では、子どもがみな自由に遊びにいそしむとは言えなくなってきています。2005年にArchives of Pediatrics & Adolescent Medicine誌に発表された論文によると、子どもの自由遊びの時間は、1981年から1997年までに3/4に減ったと発表しています。子どもをいい大学に入れるため、両親は遊びの時間を削って、子どもにもっと系統だった活動をさせるようになっているというのです。いまでは、幼稚園から、子どもたちの放課後の時間は音楽やスポーツのおけいこ事で埋め尽くされているのです。
日本の幼稚園や保育園でもここまで極端ではないにしても、習い事というのは昔からありましたし、最近ではその種類は多様になってきています。幼児期からスイミングなどを習っている子どもも少なくはありません。しかし、心理学の観点から見ると遊びの時間こそ、想像性や協調性を伸ばすことになるのにもったいないことと捉えられるようなのです。そして、このことはブラウン氏が研究してく中でよりしっかりとした裏付けがされてくるだけではなく、より深刻な結果が待っているのではないかと警鐘を鳴らしています。
2020年8月10日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
では、赤ちゃんは言葉が出るまでにどのようなやりとりを養育者としているのでしょうか。コミュニケーション能力はどのように発展していくのでしょうか。
コミュニケーションには、人と人との情動性に富んだ、間主観的で対人的な調合的統合(親交:communion)のプロセスと、人と人との間の情報の流れ(伝達:transmission)のプロセスが含まれると言われています。つまり、対人的にお互いの気持ちを調整するというプロセスと、お互いに情報を共有するというプロセスがあると言うのです。
子どもは言葉でのコミュニケーションにつながるまでに、表情、視線、目の動き、音声、身振りなどでコミュニケーションします。これらの関わりを養育者や他児を通して行っています。そして、こういったことを通じて言葉につながっていくのです。逆にいうと、こういったことができるような環境がなければ言葉の表出につながらなくなる可能性があるということも言えるのです。
では、乳児期はどのような発達段階にあるのでしょうか。乳児は誕生時から、人間の顔、音声、スピーチへの関心を示し、生後数分でいろいろな顔の仕草や音を模倣すると言われています。そして、誕生直後の乳児でも人間の言語音と他の音、さらには母親の声を区別して反応できると言われています。視覚的にも人の顔を長い時間凝視します。人は生まれながらにして人に反応する能力を持っているのです。この人の「反応を見る」ということは人間の持って生まれた社会的能力なのです。そして、この能力を使って、養育者や周囲の人とコミュニケーションを取るようになってきます。
その後、赤ちゃんは3ヶ月くらいまでに養育者とのやり取りの中で、足、発声、凝視、表情など、全身で行動します。これは、大人の会話の非音声的側面のダイナミックな特徴と類似しているので、「原会話」と呼ばれます。つまり、身振り手振りといったものですね。では、その原会話の特徴はどういったものがあるのでしょうか。その一つは乳児があらわすコミュニケーション行動(たとえば、微笑)は単一の行動だけで起こるのではなく、乳児自身の他の行為(発声、手の身振り、凝視)と協応し、また、パートナーの発声、凝視、微笑などの行為とも協応しています。第二に、乳児は大人を単純に模倣しているだけではなく、大人の方も乳児を模倣します。第三に、情動や注意を力動的にお互いに調整しています。第四に乳児は相互作用をうまく維持しているだけでなく、いやなときにはその関係をうまく避けますと言っています。
このことから見ても赤ちゃんはうまく大人とのコミュニケーションを取っていることが分かりますし、「大人からだけ」や「赤ちゃんからだけ」といったやりとりではなく、あくまで「相互作用」の中で関係性が繰り広げられ、そのことが子どもの非言語(身振りや手ぶり、表情や音声)といった表現につながるということがわかります。そのためには養育者と子どもとの信頼関係や愛着が重要になってきます。このことが、保育所保育指針や幼稚園教育要領にある「応答的かかわり」の重要な意図の部分なのだろうということが分かりますね。しかし、この段階のコミュニケーションは感情の表現であり、意図的なものではないと言われています。
2020年8月6日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ルーマニアの孤児院での子どもの発達から多くのことが見えてきます。スピッツ氏の研究からホスピタリズム(施設病)が見られ、孤児院や乳児院に収容された子どもたちの示す発達として、身体発育の遅れ、言語・知能の発達の遅れ、習癖、情緒的な障害、対人関係の希薄さなどが起きることがあった。ほかにも周囲に対する無関心や動きや発声の少なさ、笑顔や呼びかけ刺激に対する反応の無さ、体重増加停止、発達指数の著しい低下など、母親から突然分離されて育てられたり、乳児院で育てられる乳児にはこのような発達上の影響が出てくるのです。では、それらを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか。
これらを防ぐには4つの視点があると言っています。一つは小さい頃から褒められ、受容される体験が不可欠ということです。2つ目に、自分が誰かの役に立っているという実感を持つこと、3つ目に集団の中で認められる機会を増やす。最後に健全な自尊感情と他者への信頼感を育てることだと言っています。
このことはルーマニアの孤児院での養育者の保育の仕方からも見えてきます。当時の孤児院では20:1で0歳児を見ており、愛着を形成するためのふれあいなどは極端に少なかったと言われています。こういった体験があるために、上記の4つの視点にあるように自分という自我を感じることもなかったのかもしれません。そして、それは発達において、とても大きな影響を与えることになります。
では、言語発達についてはどうなのでしょうか。これについてはルーマニアの孤児院の調査を行ったウィンザーが2011年に調査しました。それによると15カ月までに里子に出された子どもたちは30ヶ月、42カ月で通常の年齢の子どもの表出や理解言語との差はなくなっていました。しかし、24カ月以降に里子に出た子どもたちは施設児と同じくらいの言語遅滞が見られたそうです。施設児が家庭養育児と比べると一番言語遅滞が見られたのは言うまでもありません。つまり、15~24カ月の間に里子にでることで言語遅滞に関していえば、改善が見られるということが言えます。
また、54名の里親に育てられた子どもと51名の施設に居続けた子どもの8歳時点での追跡調査によると、里親児は施設児よりも長い文章を話し、文反復能力にたけ、書かれた語の同定能力に優れていたそうです。そして、2歳1ヶ月(25ヶ月)までに里親に養育を開始された子どもは単語認知と無意味語反復能力に優れていました。1歳3か月(15ヶ月)までに里親に育てられた子どもは家庭養育児と同等の能力でした。2歳1ヶ月以降に里親の基に預けられた子どもは、8歳時点の書き言葉の発達も遅れているという結果で、乳児期の養育者からの働きかけがいかに重要かが示されているといいます。
ここまで、極端な環境はあまりないだろうということが見えますが、今社会の中で起きているネグレクトの子どもたちの状況は近いのかもしれません。そういったとき、保育施設としてはどのような関りを持つことが必要なのか、「愛着」というものがその根本にあるということが伺えます。
2020年8月5日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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