乳幼児教育

自閉症児の因果関係の知識

因果関係の知識と実行機能の関係が言われていましたが、ごっこと実行機能が関係あるのであれば、因果関係の知識とごっこ遊びも関連があるということが言えます。このことについてゴプニックは自閉症の子どもの事例から読み取れると言っています。

 

自閉症というのはいまだ解明されていない部分が多い「症候群」です。いろいろなタイプの疾患がひとまとめに「自閉症」という曖昧な用語でくくられていることもあるようです。しかし、少なくとも自閉症といわれる子どもの一部は、因果関係のマップ、特に心の因果マップを作ることが困難であると言います。また、このような子どもたちは可能性を思い描くこともなかなかうまくいかないようです。

 

自閉症の子どもの中には、物理的世界の知識が豊富な子がいます。列車の時刻表を丸暗記したり、自動車のモデルを知り尽くしていたりなど知覚や記憶がずば抜けている子たちです。しかし、そういった子どもたちですら、見えない因果関係をもとに世界を自動的に分析することは苦手なのです。動物学者のテンプル・グランディンもその一人です。自閉症の彼女は事前紹介した「ブリケット探知機」(特定のブロック『ブリケット』を載せるとブロックが光る箱)を見せると、ブロックの表面の特徴である色や形には関心を向けるのに、何が装置を作動させるかは気にも留めないのです。

 

リサ・キャップスによると、自閉症の子には、通常に発達した子どものように成長や生死といった素朴生物学の概念が育っていないのだそうです。つまりこのことは、因果関係そのものが理解できず、他人を理解するのが難しいことにも繋がっています。自閉症の子どもたちには空想の友だちはいませんし、ごっこ遊びもしません。そもそも、ごっこ遊びとは何かということからして、わからないようなのです。たとえば、小説のような空想世界であっても、現実と違うところがみじんでもあってはいけないと感じます。つまり、ファンタジーが理解できないのです。なぜか、それは因果関係についての理論がないために反事実を描けないからです。自閉症の子どもは、他人の心の因果関係についての理論を組み立てるのに大変な苦労をします。そのため、いろいろな空想をして遊ぶことも難しいのです。

 

因果関係の知識と反実仮想は表裏一体ですが、今ここで起きている心の動きを理解することと、別の心の状態を創造することも、密接に関連していると言います。他人の心についての複雑な因果マップを持っている子どもは他人の心を想像できます。しかし、自閉症の子どもはその因果マップをもちあわせていません。だから他人の心を想像するのも下手だとゴプニックは言います。心を理解することと心を想像することも表裏一体の用だと言っています。

 

空想を持つということはかなり高度な意識なのだろうということが分かります。人はいろいろなことを想像します。空想というのは思い描くことだけではなく、予測や見通しも空想の一つです。人は他の種族よりもより深い空想ができる種族であることが分かります。自閉症の子どもたちはそれがなかなかできずにいます。「因果関係の理論を理解する」このことから始まり、そこから反事実を想像できるようになり、そこから相手の気持ちと言った心の理論につながっていきます。思えば、この因果関係を知るというのは子どもの「気づき」からくるものなのだろうと思います。今の時代、「大人が子どもに教える」という教育方法が当たり前に思われています。しかし、それでは子どもの「気づく瞬間」というものを大人が先に教えてしまうため、阻害してしている場合もあるのかもしれません。なぜ、主体性が求めれるのか、なぜ、支援的な教育や保育が求められるのか、そこには子どもの自らの「気づき」にこそ本当の世界の学びがあるからなのでしょうね。

空想と心の理論

空想の友だちを持つ子どもとそうではない子、その差は賢さではないとゴプニックは言っています。ただ、空想の友だちがいる子どもは他の子どもよりも、心の理論が発達している傾向はあるようです。空想の友だちがいる子どもの方が他人の思考、感情、行動の予測が上手だというのです。そして、人懐っこい子の方が、内気な子どもより空想の友だちを持ちやすいようです。また、こういった空想の友だちをもつことは本物の友だちがいない子や病んだ心の妄想ではないどころか、むしろ社会性の現れなのだと言っています。つまり、空想の友だちを持つ子どもは周囲の人を人一倍気にするので、「いない人」のことまでかんがえてしまうのかもしれないとゴプニックは言っています。

 

そして、空想の友だちから空想世界へ膨らむ時期は、子どもたちが実社会の因果関係を学ぶ時期でもあります。心の働きを知った子は、大勢の心の複雑な相互作用に興味をひかれるようなります。個々の人間よりも入り組んだ社会的ネットワークに関心が向かっていくのです。様々な人間関係、人を排除すること、グループ間のいがみ合いなど、中学校頃の思春期の時代にこういった複雑な人間関係を理解していこいうとします。それは空想の友だちが反事実による心の探求であったように、空想世界は反事実による人間社会の探求に役立っていくのです。

 

このことを考えていくとなぜ「ごっこ遊び」や「見立て遊び」が実行機能を育てるということにつながるのかがだんだんわかってきました。子どもたちはごっこ遊びの中で、相手の動きを予測したり、どういったことをすることがごっこ遊びを成立させるのかを理解しようとします。それは「こうすれば、相手はこう思う」といった予測のものとに成り立ちます。そして、その裏には「こうすれはこう思うだろう」とう相手の気持ちの因果関係を理解していくことにほかなりません。こういったやり取りを通して、相手の気持ちを理解していきます。そして、そのやりとりにおいては、トラブルもあるだろうし、我慢も同時に起きるでしょう。こういった紆余曲折を通して、関わりを理解し深めていくことは、結果として、自分の感情を理解し、自分の感情をコントロールする想定もできるようになってくることで、自分の感情をコントロールするということにもできるようになってくるだろうということが見えてきます。

 

人の心の理論というのは非常に興味深く、子どもたちがその時、その年代で起きる遊びにおいて、様々なやりとりが行われ、その経験によって、心においても発達していく過程があるということが見えてきます。しかし、この経験というのもやはり大人にすべてがコントロールされたもので、お膳立てがされた環境であると、自分で予測する必要が無くなってしまうので、傍観者になってしまい結果、自ら学ぶ経験にはつながっていかないのでしょう。やはり、遊びにおいていかに「自分で考え」「自分で克服」し、「自分で経験していく」といった自主性や自発性が必要とされるのかということが子どもの実行機能であったり、心の理論の習得に意味があるのかということが見えてきました。

自分の心の制御

子どもが自分の心を制御する「実行制御」ということを紹介しています。このことは以前、森口佑介さんの著書でも紹介した「実行機能」のことであり、1960年代に行われたウォルター・ミシェルが行った「マシュマロ実験」が紹介されています。マシュマロやチョコチップクッキーを使って、実験者は実験室から出ていきます。その際、「クッキーを一枚食べるか、それとも、数分我慢することで二枚のクッキーを食べるか」ということを選択させるというものでした。そうすると、子どもは目をつぶったり、中には眠ってしまう子がいたりと、子どもたちの待つ様子であったり、気をそらす様子が見られます。そして、この実行機能が備わっているかどうかは、将来の子どもの生活について影響があるということも言われています。

 

また、この実験からは3~5歳にかけて、自制が聞くようになるということも分かってきました。ゴプニックはこういった研究において「子どもは成長するにつれ行儀がよくなるというのではなく、ある時期から行儀がよくなる理由も明らかにしています。」と言っています。それと同時に「子どもは単に意思が強くなるというよりも、自分の心に働きかけ、自分の行動を変えることを覚えるのです。」と言っています。子どもたちはマシュマロを我慢する時に「このマシュマロはただの雲で、お菓子じゃない」と自分に言い聞かせたり、見ないようにしたりします。それは大人も一緒で、手の届かない棚に置いたり、このブログを書くまで食べるのはやめておこうと考えたり、自分に約束をします。

 

何かを想定することで、自分の行動を制御、修正する実行制御(実行機能)は進化戦略としても優れているとゴプニックは言います。子どもは世界の仕組みを知ることで別の世界を創造できるようになるというのはこれまでの内容でした。他人の心を理解することで他人の行動を想像し、変えることを覚えるということも紹介しました。これらの能力は自分の行動を想像し、自分を制御するためにも使えるのです。

 

マシュマロ実験で子どもたちが学んだのは重要な心の理論ですとゴプニックは言います。それは欲しいものに気持ちを集中すればするほど、余計に欲しくなる。逆に別のことを考えるようにすれば、欲しい気持ちを抑えられるということを学んだというのです。子どもは心の理論に基づき自分の心を制御する方法を学びます。そして、これは他人についての知識をもとに人を操ったり、様々な予測をもとに装置を作動させたりする反事実の使うのと同じメカニズムであるとゴプニックは言っています。

 

この「気をそらす」というのは保育においても、よく使われます。この時期、新入園児が入園してくると子どもたちは親と離れるのを嫌がり、泣いてしまう子どもたちがたくさんいます。その中で、先生は抱っこをしたり、まず落ち着かせます。落ち着いている子どもの様子を見ていると、どこかぼーっと周りの様子を観察しているように見えます。しかし、それは他のものに目を移して、眺めることで、保護者と分かれたことから気をそらし、考えないようにしているのでしょう。それを証拠に、思い出すとまた泣いてしまいます。子どもたちは自分たちが環境に適応していくために、こういった心の理論を使っているのです。そして、こういった心の理論をうまく使えないことで、子どもたちに悪い影響が出るということも分かります。この実行機能が使えないというのは環境にうまく適応できないことでもあるのです。子どもたちにおいて、無駄な発達がないというのは保育をしていて感じますが、そもそもある能力を失わせてしまう環境を作らないように保育を考えていかないければいけないということを改めて感じます。

人の心、自分の心

子どもはこれまで紹介したように、心の部分においても因果マップを作っていきます。そして、この因果マップは相手を理解して行動するということ以外にも、身の回りの人を操るためにも使うことができるとゴプニックは言っています。

 

たとえば、相手の好きなものを理解できていれば、それを利用して「買収」したり、出し惜しみすることで困らせたり、大盛りで気を引くようなこともできます。しかし、相手の欲しいものが理解できていなければ、こういった行動は無駄になります。つまり相手が何が好きで、何をしたいかを理解していないと相手に対して交渉はできないのです。心の理論をもとに人の行為を説明できるようになると、良くも悪くも、人の心に働きかけることが巧みになってきます。この様子は喧嘩であったり、ままごとなどで、関わっている様子を見ると分かります。巧妙に自分のやりたいことを相手に納得させるために、様々な妥協点を提案します。それは相手が我慢してくれそうな内容を提示し、予測していないとできないことです。これ自体は確かに、4歳後半や5歳頃でなければいけません。確かに考えてみると因果マップがしっかりと作られる時期と同じです。

 

人の心がよくわかる子は、そうでない子より社会に上手に溶け込みます。しかし、その反面嘘をつくことも上手になると言います。同じように同情心の厚い子は人の心を捉えるのもまた上手です。人の心を理解することは人を幸せにすることにも役に立ちます。しかし、それと同時に目的のために人を操ることにも利用できてしまうのです。このようにあからさまな反事実である「うそ」は、心の理論が分かっているからできるのです。こういった嘘を利用して他者を欺く能力は、複雑な社会生活を営む上で大きな利点になります。

 

幼児の嘘についての実験も行われています。実験者は箱を前に「この箱には玩具が入っているから覗いちゃダメ」と言って実験室から出ていきます。しかし、子どもたちの好奇心は強く衝動的であるため、その衝動に勝てません。その後、実験者が帰ってきて箱の中を覗いたかどうかを尋ねます。すると、箱の中を覗いたことは否定したものの、中に何が入っているかを思わず口にしてしまうことがあります。うまく嘘をつけるのは5歳頃からであるとゴプニックは言います。

 

このように心の動きが分かってきた子どもたちは、他者の心を理解できるようになるのと同時に、自分の心にも働きかけることができるようになります。つまり、自分の心を操るのです。これを「実行制御」とゴプニックは言ってます。それは「自分の行動、思考、感情をコントロールする力」であり、これは因果マップを持つのと同時に発達するというのです。

 

この「実行制御」という力、これは以前にも京都大学の森口佑介さんの著書でも紹介した「実行機能」と同じ内容です。人の心の理論は他者の理解と自分の感情のコントロールと同時に発達していくとゴプニックは言っています。ここに他者との関わりがこういった心の理論を獲得することの大きな意味があるのだろうと思います。他者とのやり取りにおいて関わることが自分をコントロールすることにもつながるのだろうということが見えてきます。

考えと信念の理解

ヘンリー・ウェルマンは子どもが赤ちゃんからもう少し年長になると願望、知覚、感情の複雑な因果関係も分かってくると言っています。そして、それに合わせて、様々な心の状態の組み合わせに応じた行動を予測できるようになると言います。

 

ヘンリー・ウェルマンの実験では、2歳児に「僕の友だちのアンが箱からおやつを取ろうとしている。箱の中にはブロッコリーかお菓子が入っている」と教えました。箱には蓋がされています。アンは箱を覗き、それから子どもの前でいろいろな感情を表現して見せます。そのあと、このシナリオについて実験者が子どもにいろいろ質問すると、子どもはスラスラ答えます。「アンががっかりしたのはなぜ?」と聞くと「お菓子じゃなくてブロッコリーがあったから」と答えました。他にも「お菓子があったから。『いやだわ』と言ったのはなぜ?」と聞くと「ブロッコリーがあったから。」と答えました。「アンが喜ぶのはどんなとき?」と聞くと「お菓子を見つけたとき」。「それはなぜ?」「お菓子が欲しいから」。「アンが喜びもがっかりもしないのはなぜ?」「箱の中を見ていないから」といったように、アンの心の動きと過去や未来の出来事の因果関係が分かっていなければ、こういった返答はできません。

 

他にも3歳児に対し、子どもにキャンディの外箱を見せてから、中に入っている鉛筆を見せると、びっくりします。ところが「他の人は、この箱に何が入っていると思うかしら?」と聞くと、その子は自信たっぷりに「鉛筆だよ」と答えてしまうのです。これは中が見えなければ、間違って答えるだろうという想像ができないのです。このころの幼児は、人の言動はその人の考えや信念と関係をもつけれど、その考えや信念自体が間違っていることもあるということが分からないのです。それが分かるのは4歳前後です。そのころになると「みんなはあの人のことを意地悪だと思っているけど、本当は良い人なのよ」といったことを言うようになります。人間がもつ世界観は後にそれが誤りであったと判明することがあります。しかし、3歳児は、こういった人の信念は周囲の世界に直接対応していると思っています。そのため、両者には実はもっと複雑な関係があることを知らないのです。だから、鉛筆の事例のように、中身を聞かれた人が、実際にある鉛筆以外の答えを返すという想像ができないのです。

 

乳児期から幼児期にかけて、こういった心の発達が行われるのですね。幼稚園や保育園でいうまだ言葉を発せない1歳児クラスの子どもたちでさえ、大人が何が好きで、どういったことを求めているのかということを理解しているのです。決して、受動的に物事を受け入れているのではなく、思っている以上に周りに目を向け、理解をしているということが分かります。しかし、相手が見ているものが自身と感じているものが違うという理屈を理解するまでにはもう少し時間が必要になるのですね。相手の気持ちの奥底を推測するというのは3歳児では難しいのかもしれません。このことは子どもの喧嘩やトラブルに際して、参考になります。まだ、こういった相手にも考えがあることはわかっていても、どういった信念もって、話しているかの推測ができないというのを考えると、まだまだ、直観的なやりとりになってしまうのかもしれません。2歳児クラス~3歳児クラスにかけてはこういった相手との気持ちのやり取りを通して関わる機会が必要であり、なぜ、いやいや期と言われる時期なのかが分かります。相手も自分と考えていることが同じと思うからこそ、なぜわからないのかをサインとして出しているのかもしれません。だからこそ、2歳児には「共感」が重要なやりとりになってくるのでしょうね。子どもの発達段階的な関わりを通して見ると様々な様子が見えてきます。