教育

影響力

人が持つ「影響力」というのはどういったことをいうのでしょうか。ゴールマンは「社会的相互作用の結果を生み出す能力」を影響力と呼んでいます。つまり、他人と付き合って、コミュニケーションする場合、様々な考え、理屈が飛び交います。それらをどのように調整し、良い結論を導き出すのか、そこで働くのが影響力という社会的才覚であるというのです。

 

例えば、相手の怒りを鎮め、事態を収めるためには相手との関係を建設的に処理しなくてはなりません。このとき権威を持っている人、地位の高い人、年長者などはともすると強い力を発揮し押さえつけようとしがちになります。しかし、それは強制的な押し付けになってしまいます。相手を見てどの程度の力の行使が必要かを見極める社会認知能力を発揮し、強い力を発揮したい衝動を抑える自制力が無くては適切な影響力を発揮することができないのです。そして、組織の中でのリーダーシップとは肩書ではなく、リーダーについていこうとする気持ちが人を動かすというのです。影響力のある人は言葉や行動に、人を納得させる力があるというのです。

 

そして、人に影響を与えるためには、自己表現力が必要になります。この能力は、自らが希望する自分の印象を他人に与えるように自分自身を演出する能力です。よくカリスマ性と言いますが、このカリスマ性を持った人というのは、他者を自分のリズムに同調させ、自分の感情に染め上げる自己表現力があると言われています。つまり、自然と他者と自分自身が同調していくことができる人がカリスマ性がある人というのでしょうね。そして、そのためには他人が同調したいと思える自己表現ができる人でなければいけないということなのでしょう。しかし、それは相手を何がなんでも説得しよう、そのためになんでもわかってもらおうとすることが、自己表現ではないのです。自己表現力の発揮には「抑制し、隠す」能力も必要だと言われています。どの立場にある人がどの程度まで感情を表現すべきかという微妙な規範をすることも、自己表現力の大切な要素だと言われています。

 

カリスマ性を持った人というのは自己表現ばかりではなく、他者のとの関わりのなかで抑制することもできなければいけないのですね。このことを受けて考えてみると「主体性」のとらえ方もこれに近いのかもしれません。「子どもが主体」だから「なんでもやっていいわけではない」のです。そこには必ず、状況や環境、時間など様々な規範があります。そういった規範と自分の自己表現との兼ね合いを調整していかなければいけません。ときには我慢することも必要です。実現する機会を得ることもあるでしょう。そういった一つ一つの経験がその子どもにとって社会と自分とを調整する力を養っていく機会になるのだと思います。そのために大人は子どもたちのサポートやフォローをしてあげなければいけなく、子どもたちのトラブルや経験に介入することは時としてかえって子どもたちの学ぶ機会を阻害しかねないように思います。その距離感は時にちかく、時に遠くあるようによく考えていかなければいけません。

 

こういった人的・物的な環境の下、子どもたちは主体的に感じ、考え、活動をとおすことで、社会と自分とを調整する力を養っていくのでしょうね。そして、こういった力をつけていくことが結果としてカリスマ性を生むことにつながることや、社会において重要な生きる力につながっていくのだと思います。そのために、保育者や養育者がどうあるべきか、それこそが「保育」なのかもしれません。

IQからEQへ

知能指数というとまず思い浮かぶのがIQ(intelligence Quotient :知能指数)だと思うのですが、ここ20~30年の間に非常に注目されるようになってきたのが、EI(Emotional Intelligence)という概念です。それはどういった概念化というと「情動状態を知覚し、思考の助けとなるよう情動に近づき、情動を生み出し、情動や情動的知識を理解し、情動面や知的側面での成長を促すよう情動を思慮深く調整する能力」と定義されているもので、米国の心理学者で科学ジャーナリストのダニエル・ゴールマンの著書がEIに着目し、ベストセラーになることで広く知られるようになりました。

 

そもそも、このEL(感情指数)というのは1990年イェール大学のピーター・サロベイ博士とニューハンプシャー大学のジョン・メイヤー博士による研究で、IQの高さとビジネスの成功度合い(年収や役職など)との関連性を調べたところ「IQの高さとビジネスでの成功に関連性はない」という結論に達しました。では、「ビジネスでの成功者たちに共通する要因は何か?」と成功者たちの能力、性格、ビジネススタイルなどを調査していくと、成功するための能力として、「自身の感情を的確に把握し、感情のコントロールがうまいだけでなく、他者の感情の状態を感じ取る能力にも長けている。それによって、周りの人間と良好な関係を築くことができ、結果として優秀な成果を上げていた」という結果がでました。つまり「対人関係能力に優れていた」というのです。そこで、この能力をEL(感情指数)と名付けました。この研究を受けて、ゴールマンはEIがIQよりも重要ということに着目し、それを受けて米国の「TIME」誌がIQに対するEQ(Emotional Intelligence Quotient:こころの知能指数)という特集を組んだことでEQという言葉が一躍注目を浴びます。当時、米国はIQ偏重社会でありましが、この報告を受けて、これまでの学歴重視であった微シネス界から約8割の企業がEQを人事制度に採用していくというほど、大きな影響を与えたのです。

 

EQとは「心の力」であり、「人間性を示すもの」です。IQは表の道、EQは裏の道と言えるかもしれませんと藤森氏は言います。そして、EQを構成する要素は①自分の感情を感じ取る能力、②最適な感情を作り出す能力、③他者の感情を把握し、相手の言動の中での感情の位置づけを理解する能力、④自己成長を促すために感情をコントロールする能力です。これらの能力が優れているほど周囲の人間と円滑なコミュニケーションができるようになると言われています。また、この能力はビジネスの分野だけではなく、「職種や役職に関係なくすべての人間に必要とされる能力」です。学力においても大切なのは「コミュニケーション能力」であると言われています。

 

こういったEQ(感情指数)を上げていくためには、学校の学問といった知識を得る表の道だけでは養うことができません。人との関りを通したコミュニケーションを土台とした裏の道を中心に養っていかなければ向上はしていきません。そして、その能力はIQ以上に将来の社会にも大きく影響していきます。これからの社会、AI(人工知能)が世の中でもっと活用してくると、ロボットができないことを人間がするような時代になります。そして、それはこのEQが求められる職業なのではないかと考えられます。今後、大学の入試内容が変わってくるなど、社会的に見ても、知識偏重社会から意欲や発想力、対話力といったものへの教育にシフトしていくのはこのEQを培うことが中心になってくるからなのでしょう。こういった社会が大きくシフトしていく中、教育の大きな目標は一体何なのかを見つめなおさなければいけない時代でもあると思います。その時、乳幼児教育において、EQにつながる保育や教育をどう見据えていくのかが試されているように感じます。

社会脳と教育

共感が意識されることなく伝染していくことがあります。集団心理などはまさにそれにあたるもので、集団の中心になる人間の激情が、その場にいる人々に集団感染した場合、個人の感情が全員の共通した感情となり、最初に共感した内容とは別の感情を持ってしまい暴走してしまうことがあると藤森氏は言います。共感とは、他者とつながりを持つうえで大切な能力なのですが、そのためには相手に意識を向け、事態をしっかり理解し判断することが必要になってきます。それは脳の前頭前野の役目だと言われているのですが、この部分が十分に発達していなければ、共感によって、行動までそっくりまねてしまいます。前頭前野がしっかりと働くことで、事態を理解する能力は、学習や経験によって得られる知識や他人の人権を認め、思いやることのできる心に支えられ十分に発揮することできるのです。つまり、感情や激情にただ共感し、衝動的に判断してしまうと社会は作れません。それと同時に知識や他人の人権などのバランスをとれるようにならなければいけないのです。そして、そのためには脳の前頭前野を発達させる必要があるのですね。

 

他人と共感するとき、人が他者と対するとき、即座に好意などの感情的な親近感をもたらすものが「裏の道」とすると、より洗練された社会的感覚をもたらし、適切な反応を導き出すのが「表の道」です。

 

ミラーニューロンの働きは裏の道で、この能力は人と人がうまく同調するために必要です。同調には、お互いが考えるのではなく、非言語的ヒントを即座に読み取って円滑に反応することが必要です。一方で社会における自己存在の位置の自覚、社会の潮流の把握、必要な情報を収集して冷静に解決策を練る能力は表の道であり、それらを支えるのは教育、学習によって得られる多くの知識です。社会でうまくやっていけるための社会的意識が能力を発揮するにはこれらの裏の道と表の道が補い合う必要があると藤森氏は言います。

 

そして「しかし、表の道は裏の道がきちんと整備されていなければ、開通が困難になります。そのために学校教育は社会的認知能力に役立つ知識である表の道を子どもたちに与えるためにあるといわれ、乳幼児教育は豊かな人間関係を築くための、原共感、情動チューニング、共感的正確性、社会認知能力からなる社会脳(社会の一員であるという意識)である裏の道を育てる期間ともいえる。ですから、乳幼児期こそ、生きた人間同士が顔と顔を直接向き合わせることが必要になるのです。」ということを言っています。

 

つまり、人が社会で生きる力をつけるためには乳幼児期と児童期とでは、教育の目的や目標となるものが違うのですね。乳幼児期は特に社会脳の裏の道をしっかりと土台として育てる必要がある時期なのです。とするのであれば「生きた人間同士が顔と顔を直接向き合わせる」環境がより必要になってきます。そして、逆に大人が一方的に教えることやプレ小学校のようなことはかえって子どもたちの発達を阻害する可能性もあるのかもしれません。それよりも子どもたちが関わり合いながら、物事を考えていくことが重要になってくるのですね。本質として乳幼児教育の目的がどういったところにあるのかを「ヒト」を知ることでより明確になってきます。そして、その情報を基に保育を進めることは社会につながる生きる力にそのままつながるというのはとても身が引き締まる思いです。

脳と社会、そして学び 2

なぜ、これほどまで「脳と社会」の研究がされるのでしょうか。その背景として、これからの社会、人と人が直接結びつくことが、持続する社会を構築するうえで必要であることの証なのではないかと藤森平司氏は言います。

 

社会脳は子どもの知識・教養・人格の形成に不可欠なものであると言われています。そして、ミラーニューロンという神経細胞によって、心の中で他者になりきり、その仮想体験を持ちに他者の気持ちや意図を理解したり、他者の行動を予測したりします。そして、その行動こそが、他者から知識・教養・人格を受け取るうえで重要であると同時に、他者理解を通じて、共感・同情・相互利益・相互扶助を行う「共生脳」においても中心的な役割を演じているのです。このように社会脳を育てることは共生脳を鍛えることになり、それが子育てをすることで非常に重要になってくるのだそうです。

 

そして、それらを鍛えるためには子どもに教えるとか、しつけるといったやり方ではなく、子どもが自然に周りからよい知識・教養・人格を吸収するように、よい社会脳やよい共生脳が育つ環境を作ることが、早期教育で最優先される課題だというのです。では、そんな環境はどのように作っていけばいいのでしょうか。今の時代の環境では核家族化や地域社会のコミュニティの欠如、少子化などの理由で困難な時代なのではないでしょうか。子ども同士が関わる中で「他者の気持ちや意図を理解する環境」というのはつまりは「顔と顔を突き合わせてお互いの感情を理解する」といった環境です。今や保育施設でしかこういった関わりのある子ども環境は作れなくなっています。

 

米国の教育心理学者の創始者とされるエドワード・ソーンダイクはこの一連の中で育った能力を「社会的知性」と名付け、「人々を理解し管理する能力であり、人間世界でうまく生きていくために誰もが必要とするスキルである」と定義しました。この知性は人間関係についての知識の発揮だけではなく、実践できる能力でもあると言い、この能力と脳の働きの関係を考えるうえで出てきたのが「社会脳」です。そして、これは脳の特定の部位を示すことや神経細胞のことでもなく、他人との関係に対する思考や感情などを統括する神経メカニズムの総称であるとされています。他者の心的状態に合わせることや逆に影響を受けるプロセスのことを言います。

 

そして、社会脳の能力は書物の上での学習で高めらえれるような能力ではなく、乳幼児における養育者との関りによって目覚め、以後の人間関係の積み重ねによって、発達してく能力です。この社会脳の能力は、社会生活を行う上で必要であり、社会生活の中で能力を高め、最終的には人間社会の平和維持にも役立つ能力であるので、いじめ、少年犯罪などの根源に、この「社会的知性」の欠如、社会脳の未成熟があるのではないかと推測されているそうです。

現在に日本でも様々な事件や問題が起こっていますが、よく聞くのが「衝動」による事件の増加であります。そのほかにもうつ病、いじめ、ひきこもりといった社会問題が後を絶ちません。もしかするとそれはこの「社会的知性」に原因があるのかもしれません。ここにも書かれていたように乳幼児施設はとりわけ、その重要さは高いように思います。子ども集団の重要性や養育者との関係性、子どもたちにとって本当に必要な環境は何なのか。小学校に向かって遅れないことが目的なのか、重要なのは教育を受けることではなく、教育を受けることでどう社会に生かす力にするのかを考えなければいけない時代なのだと思います。脳科学の証明は教育の本質や社会を見直すきっかけになるように思います。

共に生き、共に育つ

これまでの脳科学の内容で人間を人間たらしめる最大の要素が大脳新皮質にあるということを紹介してきました。そして、その進化は人間が厳しい自然状況や環境を乗り越えるため生存戦略として脳が進化してきたのです。しかし、そのためには社会を形成しなければいけないく、その中で起こる諍いや軋轢といたトラブルを乗り越えるためにより高度な社会的フリーによる「社会的知性仮説」です。そして、1990年、英国の進化人類学者レスリー・ブラザーズが初めて人を対象にした「社会脳」(social brain)という言葉を使い、「ヒトの脳の大脳皮質が極端に発達しているのは社会集団の中で生き抜く社会性を身につけるためだった」とい「社会脳仮説」を提唱したのです。一方、同じく1990年代英国の人類学者ロビン・ダンバーは様々な霊長類を比較し、大脳新皮質の大きさは群れ(集団)の大きさと相関関係があることを見出した。そして、その研究の中でも、「共感」の研究は最先端のテーマの一つなのです。

 

ここで藤森氏は「日本では、バブル期における経済市場原理、個人主義の進行によって『共感』『信頼』『公共性』という感覚を後回しにしてきた。私は、経済成長は過去の物語となり、2度の大震災と幾多の災害に見舞われている現在の日本においては、もう一度『共感』『信頼』『信頼』『公共性』の機能と、それが育つ環境を見直す必要がある」と言っています。

 

そして、「人類において知識・教養・人格は、いずれも個人から社会全体へと拡大し、また逆に社会全体から個人の内部へと浸透し、拡大と収縮を繰り返しながら柔軟に発育・発達しているので「自分の子どもだけはよい子に育つように」というのは親心として無理ないことですが、社会脳としての観点からはそのように考えることはプラスにはなりません」と言っています。では、現在社会で子育てで最優先されなければならないものは何か。それは「自分の子どもが人類社会の一員であり、社会全体の知識・教養・人格と共同体を構成しているのだという『共に生き、共に育つ』意識を、社会全体と養育に関わる全ての人たちが共通の認識として持つことであり、同時にその意識を子どもたち自身にも持たせることなのです。」

 

確かに現在の社会の様子を見ていても、地域環境の希薄化や地域の子育て力といっ事柄は社会問題になっていますし、そういった問題が子どもに与える影響もも課題になっていることが多いです。そして、教育環境を見ていても、年齢別での学級が日本はまだ主流ということや兄弟が少ないということもあり、子ども集団の環境も同年齢といった限定された子ども集団の中で遊んでいること多いように思います。それによっておこる弊害も保育をしていると見えてくるように感じます。子どもたちを社会の中にいる個人というとらえ方ではなく、個人と社会が分けられている社会でもあるように思います。その中で子ども自身が「社会の一員」として自分を認識するのはなかなか難しいのかもしれません。

 

藤森氏はこの内容をこう締めています。「『他人のことは関係ない』という考え方や人生観は、子供の成長や、社会脳にとって最も有害であり、今後の生きていく上で子どもたちには最も好ましくない考え方であるということをすべての人々が強く認識することが、人類の遺伝子を未来につないでいくことになるのです」まず、自分自身がそうなっていないか考えてみるのが子どもを育てる第一歩なのかもしれませんね。