教育
これまでの子ども研究によって出てきた説は、ひとつは「生得説」。これはデカルトやアーノルド・ルーカス・ゲゼルらが唱えた説で、遺伝説(成熟優位説)とも言われています。発達の諸要因に関して、個体の発達は固体内の遺伝的素質によって規定されるという考え方です。つぎに「経験説」これはロックやジョン・ワトソンらが唱え、環境説(学習優位説)ともいわれています。発達の諸要因に関して、環境の影響が子どもの発達にとって決定的な力を持っているという考え方です。そして、「輻輳説」これはシュテルン、ルクセンブルガーらが唱えた説で、人間の発達の諸要因は遺伝的要因のみによるものでも、環境的要因のみによるものでもなく、両者の加算的な影響によるものであるという考え方です。そして、現在では、遺伝と環境の相互作用を重視する「相互作用説」が広く採用されています。この考えは「輻輳説」のように遺伝と環境の影響を切り分けて考えることできないとし、遺伝が環境に、環境が遺伝に影響を与え、相互作用する中で心の発達が生じるとしています。つまり最近の説では「遺伝なのか環境なのか」という問い自体が無意味になっており、どちらも影響し合いながら発達しているということなのです。
「生得説」から「経験説」、「輻輳説」、「相互作用」といった子ども研究を通して、数々の研究者が子どもの発達に対する説を見出してきたのですね。では、日本における乳幼児観はどうだったのでしょうか。柳田国男氏は日本の社会が7歳までの子どもに神性を見出し、特別な価値を与えていると指摘しました。それに対して、近世史学者の柴田純さんは「日本幼児史―こどもへのまなざし―」の中で、日本においては中世までは乳幼児は疎外や無関心の対象であり、保護するという考えが生じたのは近代に入ってから一部の知識のみで見られたものにすぎないと論じています。
江戸時代の儒学者 荻生徂徠(おぎゅうそらい)の言葉に「7歳以下は知も力もなき」というものがあるそうですが、その考えがロックの「無能な乳幼児」といった考え方に通じるところは面白いですね。荻生徂徠とロックは同時代の人だそうなので、その時代では、さまざまな文化で乳幼児は無能だという考えが一般的だったようです。また、疎外された存在であることと併せて、古代から近世に至るまで、捨て子は非常に多かったとされています。柴田さんによれば、江戸時代に入り、疎外される対象であった幼児が保護すべき対象に変化していったようです。政治的な要因としては、江戸幕府第5将軍 徳川綱吉の「生類憐みの令」と、その法令のうちのひとつである「捨子禁令」によって捨て子が禁じられたこと。社会的には、庶民においても継続性のある家制度が確立し、子どもを「子宝」と見て、教育する対象として捉えるようになったことをあげています。
日本において、乳幼児は神聖なものとしてみなされていたのか、それとも無関心の対象であったのかは、それほど簡単に決着がつくような問題ではないと思いますが、古く万葉集においても子どもを慈しむ歌があるように、古代や中世の人間のすべてが乳幼児を疎外していたわけではないのでしょう。
時代においてもやはり「子どもは無能」と思われていたということはどの地域でも一度は議論の中に出てくることなのですね。しかも、だいたい同じような時期にこういった議論が出てきたというのは社会情勢的なものも含まれているのでしょうか。こういった子ども研究の変遷を見ていくことで見えてくるものがあります。そして、こういった流れの中から、日本でも子どもの見方が変わってくることになります。それはどういった変化なのでしょうか。
2019年10月28日 5:00 PM |
カテゴリー:教育, 社会の変化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
「人が知識を持ち、その知識はどこからくるのか」ということは、ギリシア哲学の時代から問題にされていました。プラトンは「学ぶということは、以前から持っているその概念、そして、生まれるときに忘れてしまうその概念を想起することにほかならない」という「想起説」を説いています。近代では「生まれながらにしてある概念や知識を備えている」と考える生得主義の代表がフランスの哲学者ルネ・デカルトです。
それに対応して、経験主義の代表は、ジョン・ロック。フランシス・ベーコンに端を発するイギリス経験主義の確立者とされるロックは「人間知性論」において、知識の起源を求め、生得的な心のあり方を強く否定し、乳幼児を「白紙」だとみなしていました。彼の「タブラ・ラサ」という言葉が有名で「拭われた石板」という意味です。つまり、何も書かれていない書板の意味で、ロックは「人間知識論」の草稿でこの語を用い、「人間知識論」では「白紙(white paper)」という語を用いました。彼は「子どもがこの世に生まれたばかりの状態を注意深く考察する者は、子どもが将来の知識の材料になるような観念を多量に蓄えていると思う理由を全く持たないだろう。子どもはそうした概念をだんだんに備えるようになるのである」と述べています。ロックは乳児を白紙の状態と捉え、知覚の始まりは観念の始まりであり、知覚経験が不足している乳幼児は、観念も不足していると考えました。乳幼児を、知識や思考、観念の不足した無能な存在だとみなしていたのです。
一方で、フランスの哲学者であり、教育思想家であるジャン=ジャック・ルソーの子どもに対する見方はかなり違っており、かれは子どもを植物に例えました。植物はアスファルトの上にぽつんと置かれていたら、枯れてしまいます。成長のために水や土などが欠かせません。そうはいっても、水をやりすぎても、植物は枯れてしまうというのです。ルソーは「子どもは素晴らしい力を秘めた存在ですが、教育なしでは堕落した存在になり、教育のし過ぎでも堕落してしまう」と言います。このころ彼はヨーロッパで蔓延していた管理的な教育方法や過剰なまでの早期教育について反感を抱いていました。彼にとって子どもは自分で生き抜く生命力を持った存在で、教師や周りの大人がしなければならないのは、その成長を見守ることだというのです。
その意味ではルソーは生得性を強調した立場であるみなされることがあると言えます。しかし、彼は生得性を強調する一方で、乳幼児に知識や観念があるとはみなしていなかったようです。ある架空の子どもの成長記録として書かれた彼の主著「エミール」の中で、「私たちは学ぶ能力があるものとして生まれる。しかし、生まれたばかりの時は何一つ知らない。何一つ認識しない。不完全な、半ば形作られた器官のうちに閉じ込められている魂は、自己が存在するという意識さえ持たない。生まれたばかりの子どもの運動や叫び声は純粋に機械的なもので、認識と意志を欠いている」と書いています。彼のこういった成長をテーマとしたこの著書は、後世に大きな影響を与えます。
子どもの研究はそもそも、「人がどのように知識をつけていくのか」というところから端を発しているのですね。現在では脳科学が発展してくることで白紙論が否定されてきていますが、この議論の始まりでは白紙論ではなかったのですね。そして、様々な説の下、白紙論が出始め、管理的な教育方法や早期教育が出る中で、ルソーのようなアンチテーゼを出す人が出てくるというように、常にその考えは紆余曲折しているということがわかります。そして、白紙論か生得論かという議論の時代を経て、また新たに乳幼児観や発達心理学に影響を与える論調が出てきます。
2019年10月26日 5:07 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
東洋経済オンラインの2019年10月10日の記事にこんなことが書かれていました。「『子どもが嫌がる勉強』を続けさせる親の大問題」この記事を書いた 教育デザインラボ代表理事、都留文化大学特任教授 石田勝紀さんが書かれたコラムです。そこで書かれた内容には考えさせられるものがあります。
今回の内容は石田氏が相談者の相談を基に書かれています。そこには「自分の娘が、3歳から塾で3教科習っていますが、小学校一年生になって塾を嫌がるようになった。」という相談がありました。そこでは塾に通う子どもがだんだんと英語や算数が難しくなってきており、わからないところが出てきていることや宿題の量が多いこと、苦手な算数はとくに苦手であり苦戦し、これからどうしたらいいのかということに悩んでいる相談です。
このように石田氏に全国から勉強量に対する相談がよく寄せられてくるそうです。そして、そのなかでも「多くの人が子どもたちの勉強量が少なくて困っている」という相談が多いそうです。その結果、塾や学校に「もっと宿題を出してください」という人も少なくはないようです。しかし、その一方で、学校や塾の宿題の量が多く、子どもたちが塾に行くのを嫌がること勉強が嫌いになっているという相談も同時にあるようです。つまり、実際の子どもの学力水準と学校や塾から出される勉強量があっていないことで、子どものキャパシティーを超えてしまうことがあるのではないかというのです。
しかし、石田氏は問題の本質は「嫌になった原因は塾や学校のやり方にある」のではないと言っています。その本質は「子どもが嫌がり続けているのに、親はなぜそれをまだ続けさせるのか」にあると言っています。特に今回の相談は学校ではなく、塾の話です。そのため、合わないならやめるという選択も取れ、親に選択権があるのです。そして、問題の根本が親のある心理状態に問題があるのではないかというのです。
石田氏は「子どもが嫌がっているのに、親が継続させようとするのはなぜなのでしょうか?」と質問をすると次のような回答がだいたい返ってくるのではないでしょうかと言います。例えば、「根気強い子にならないのではないか心配」「勉強ができなくなるのが心配」「子どもの将来が心配」といったものです。しかし、これらは本当の理由ではなく、次のことが本音の理由だったりするというのです。それは「子どもがやるべきことをやらない人間になっていくと、親である自分が困るから」ということであり、その本質には「子どものためではなく、親が自分の心を安定させたいからということ」が背景にある可能性があり、実際それが実像ということが少なくないそうです。そのため、空回りしている自分に気づくのが大切であると言います。自分の心の安定は、子どもを使うのではなく、自分で自分を安定させていく方が良いということに気づかなければいけないと言います。子どもの教育に一生懸命になるがゆえに空回りになっている自分に気づくことで正しい判断ができるようになるのです。
そして、「人が伸びていく原則」を紹介しています。それは「人財」育成の原則と石田氏は呼んでいるそうですが、それは「良い部分をさらに伸ばしていく」ということです。「苦手な科目に時間を使いなさい」といった状態で行うと、勉強に対するイメージはさらに悪化する可能性があるというのです。それよりは好きな科目に時間を使うことで、勉強に対する心の状態を安定させるようにするというのです。そして、それを続けることで、他教科にも自信を取り戻し、できない領域を自己修正していくようになると言います。無理に勉強量を増やすのではなく「やっていて楽しい」「面白い」と思える心を作っていくことが大切だというのです。
今回は親と子どもにおいての話でしたが、私は「保育者と園児」に置き換えることもできれば、「管理者と職員」にも言えますし、「上司と部下」といった構図においても同じことが言えるのではないかと思うのです。私は「無いとこねだりではなく、あるとこ探しをしよう」というのを心掛ける必要があると思います。石田氏の言う原則と似ているところがありますね。大人も子どもも、やはり意欲や自信というものが原動力になりますし、自信があるからこそ、意欲にもつながっていくのだと思います。そして、そのためには、当人自身が当事者意識を持つ必要があり、自分で行動したことが成功するから達成感につながるのです。人はそうして、学ぶことに貪欲になっていくのだろうと思います。そして、そのプロセスは大人も子どもも変わらないと思います。そして、そういった環境を作ることがなによりも重要なのです。
2019年10月25日 5:06 PM |
カテゴリー:教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
人類が霊長類の中で大きな脳を持っています。その脳を支えるために直立歩行をするようになりました。そして、結果として手がつかえるようになり、様々な利点が生まれます。しかし、それと同時に産道が狭くなります。産道が狭くなることで人は胎内で(脳で言うと)大人の4分の1程度に育て、誕生後、残りの脳を発達させる戦略を取ります。そのため子どもの脳は生まれもそのまま同時に発達を続けます。そのため、様々な研究の中で幼少期から様々な脳機能を発達させる環境を充実させ。、質の高いECEC(Early Childhood Education and Care:早い時期からの教育とケア)の機会を提供することが極めて重要であるという研究がされています。では、質の高いECECとはどういった環境のことをいうのでしょうか?それは環境や大人との関わり以上に、なによりも子ども集団の役割が重要であると藤森氏は言います。
1970年代に、人間の脳の神経細胞であるニューロンや神経回路であるシナプスは生まれてから数年間が最も多く、それ以降は減っていくだけであるということがわかってきました。そのため、子どもの脳を成長させること、つまり育児はこのニューロンやシナプスを上手に減らしていくことであるということが発見されました。このように人間の脳は、遺伝子に従って神経回路をつくり、その後の子育ての環境が、つくられた神経回路を(適切に整理し)壊していくのです。そして、脳はこの減っていく過程で子どもの人格を作っていくのです。そのために、人間にとって生まれてからの8年間が非常に大切な時期であると言われるようになりました。このことを踏まえ、1990年代以降、国際社会では乳幼児期の発達と学習が初等教育を含む、その後の人生の経験や生活の質にきわめて重要な意味を持つと問題意識の下、ECECと呼ばれる分野へ政策的な関心が高まっていきます。
脳の神経細胞をうまく減らすことから乳幼児期の環境の大切さ、そして、ECECという乳幼児期の教育のあり方が見直されてきたのですね。しかし、その神経細胞は「脳が育つ」ということでは数だけの問題ではないと言います。脳の質を高めることも必要だというのです。そして、その「質」とは「心を育てる」ことであり、脳の中の社会脳と言われる領域の問題であるということも分かってきました。その社会脳は以前も紹介した通り、社会のネットワークの中で育ちます。そのため、なるべく早く子どもを社会のネットワークに参加させることが重要であると認識されるようになりました。
つまり、人類の心は、一個人の脳神経内に限定して機能するものではなく、さまざまな社会を構成している人同士が相互に影響し合って個人の脳も発達させていった結果なのです。知識も人格も周囲の社会から学び取るものなので、その方法として(特に乳児期から)顔と顔を見合って会話し、相手の行動を見るということが行われていました。見て、共感して、模倣して、その結果、知識が伝授されていくというのが基本的な伝達方法なのです。教育においてもまさに、子ども集団の中で人間関係を学習し、人類に蓄積された知識・教養・人格の遺産を受け継ぐことが必要であり、それ以外の教育方法は現在のところ困難を伴うと(理論的には)言われています。
これまでの社会脳の説明でも人は社会のネットワークの中で生きてきたということがいわれていました。そして、何よりも重要なのは「相互に影響する」ということであり、一方的に影響を受けることはないのです。また、「様々な社会を構成している人同士」というのも、今の社会は非常に限定的な社会づくりがされているように思います。特に日本は4月で区切る年齢別をしており、子どもの発達で区切るということはあまり意識されていません。教育のあり方は人格の形成であることが学校基本法にあるように成績よりも上位目標になっているのです。だからこそ、改めて現在の教育現場がこういった目標に向かっているか見直す時代に来ているのかもしれません。
2019年10月22日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
マサビュオーは日本人の「空間の使用」について5つの技術があったと指摘します。そして、さらにこの技術を制御し変化させてきた3つの要因について考察します。1つ目は「自然環境」であり、日本の行動様式の中心には日本の過酷な自然環境に一つの要因があり、それが日本人の刹那的な不安定さのイメージにつながっているといいます。そして、2つ目は「数の重み」です。人口が増え、自然環境が厳しい土地環境の中で、どのくらいの空間をどのくらいの人口を保有するのかということを考えるということも日本の特殊な風土の産物だといいます。
そして、つぎの3つ目の要因は「異文化受容の方」を上げています。それについてマサビュオーはこう説明しています。《日本文明は、本質的に周縁的で求心的である。与えたものよりも、はるかに多くのものを受け入れてきた。したがって常に、外国の価値や技術をどのように吸収するかによって、日本文明がどれだけ有効に自然環境を支配し、独自の空間を建設するかが左右されてい》と言います。この指摘はある意味で「日本は物真似が得意だ」と評されたことでも納得がいくと藤森氏は言います。藤森氏はマサビュオーの説明を受けて「日本人の物真似は、私は素晴らしい能力だと思っています。なぜならそれは単なるコピーではないからです。日本では古来より多くの文化が中国から渡来し、明治になると西洋から様々な要素を取り入れてきました。彼は日本人の外来文化受容における特徴を《何らかの恐れを抱いて、何を受け入れるかを選択し、受けいれの規模も徐々にしか増大せず、慎重で、受け入れのどの段階でも合意の得られたものしか選択されないのだ》と指摘している」と言います。
日本人は外国では「物真似が得意」と言われているのですね。考えてみると、日本の文字も漢字を中国から得て、そこからカタカナ、ひらがなへと進化しています。ただ真似をしているのではなく発展させて、日本の文化に落とし込んでいるような真似のしかたをしているのがわかります。しかし、そういった発展ができるのも、真似する対象自体をしっかり理解しているからであって、その本質をしっかり理解できるという高度な理解力や状況にあった柔軟性も持っているからなのでしょう。そして、「何らかの恐れを抱いて、何を取り入れるかを選択する」といったしたたかさも持っていたからこそ、今日の技術大国としての日本ができたのでしょうね。
そして、最後の4つ目の次元ですが、それは「空間の構造化」です。マサビュオーはそれぞれの文明は自らの文明において、空間の中で大切にするもの、象徴するもの、こだわるものを持っているとしつつ、日本において大切にされてきたものは何かというと、それが日本の「伝統の家」だというのです。彼は森を背景にしていることが多い村落において、伝統的家の図式を容易に見出すことができるといいます。彼は《たいていの場合、村落は気の茂った斜面のふもとに位置していて、必ず神社がある。神社の入り口には、人目をひく「鳥居」と呼ばれる門がある。この入り口は、街道か道にのぞんでおり、その両側に住居が並んでいる。この入り口をくぐると、多少とも長く、曲がりくねった道がある。木が茂っていて薄暗く、見通しがきかない。この道は本殿まで続いている。本殿は、村のいわば「奥」であり、精神的な中心である。陰と神秘に満ちている。この本殿は、集団全体に存在の意義を与え、宗教的神秘の領域を確保している。ちょうど家の「奥」があることによって、家の真の空間が成立することに匹敵する》
日本の宗教において、「山岳信仰」があるように山は神秘に満ちた空間として、敬われていることが多くあります。そもそも日本の「よろずの神」の考え方も自然環境からの畏怖の念から始まっているのではないかと思います。こういった家における空間のとらえ方は日本人の精神性を表しているといっています。
このように4つの要因が日本の空間において大きな影響を与えてきたというのです。しかし、私はこういった自然の環境との共生というのは西洋文化が入ってきた現代社会においては薄れてきているのではないかと感じます。しかし、脈々と受け継がれてきた日本文化の精神性は大切にしていきたいものです。
2019年10月20日 5:00 PM |
カテゴリー:教育, 社会の変化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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