教育

愛着理論

保護者と話していると、英語教育や体操教室をしてほしいと言われることがあります。まだまだ、課外教室への需要とはかなり多いのですが、私はそういったことを乳幼児からやることにそれほど重要があるとは思っていません。「それをやったからできるようになる」と思う親は多くいます。そして、いろんなことを「させる」ことで好きなことを見つけてほしいということを言われるのですが、わたしはその反面、その「させられた」ことで「嫌いになる」ものも少なくないのではないかとも思います。私の知り合いに小さい頃ピアノを習わされていた子がいたのですが、その頃はそこそこ弾いていましたが、結果的にピアノを弾いたのはその頃だけで、それ以来ピアノを弾くことはなくなったのです。そこに本当にピアノをやらせる意味はあったのでしょうか。

 

タフ氏は子どもに対する親の関わりの重要性を考えるとき、つい両極端に走る傾向があるといいます。暴力を受けて育った子どもは無視されたりやる気を挫かれたりしただけの子どもよりはるかに苦労するだとか、特別な家庭教師や個人指導をたくさんさせる親の子どもは普通に愛されて育っただけの子どもよりずっとうまくやるだろう、と想像します。つまり親の関わり方において子どもの経験に重きを置くことに注目しがちであるが果たしてそれが適しているのかというのです。かえって、ブレアとエヴァンズの研究によってわかってきたことは、たとえばジェンガをやっている間、手助けをしたり気づかいを示したりといった、ごく普通の適切な親の関わり方のほうが、子どもの将来に大きく影響するということが事実的に分かってきたのです。

 

普段から日常的に行われる子どもと大人との関わりや関係性というものが子どもにとって将来に影響が与えられるということが見えてきたのです。ではラットの毛づくろいに一番近い人間の行動というはどういったものでしょうか。一部の心理学者たちはそれは「愛着(アタッチメント)」と呼ばれる事象の中に見つかると考えているようです。

 

愛着理論は(アタッチメント・セオリー)は1950年代から1960年代にかけて、イギリスの精神分析医ジョン・ボウルヴィとトロント大学の研究者メアリー・エインズワースが発展させたものです。当時、児童発育の分野では行動主義が主流で、子どもの発達は肯定の反応を受けたか、否定の反応を受けたかによって行動を選ぶことで進むと信じられていました。乳児が母親を慕うのは栄養や快適さを求める生物としての必要性としてからで、それ以上の意味はないといったのです。それほど子どもの内的な世界はたいして深くないと行動主義心理学者たちは考えていたようです。そのため、親へのアドバイスとしては、子どもが泣いたときに抱き上げたり、慰めたりして「甘やかす」のはやめなさいといった、行動理論に基づくものが大半であったのです。

 

これは海外における子どもの様子では根強くあるということがみえてきます。以前、オランダに行ったときに見たものなのですが、赤ちゃんの寝るところはまるで檻のような柵があり、赤ちゃんが泣いても10分間は泣かしたままということを言っていました。その方が、子どもたちは自分の力で生きていこうとする自律する力がつくと考えられているようです。海外では親と一緒に寝るよりも早い段階で子ども部屋が用意され、そこで一人で寝ることがほとんどです。

 

しかし、こういった行動理論の考え方に対し、エインズワースはある研究において、幼少期の愛情を込めた育児は行動主義者たちが思っているのと正反対の効果を生むということを示しました。

緩衝材としての大人

ニューヨーク大学の心理学者クランシー・ブレアは、1万2千人をこえる幼児を生後まもないころから追跡するという大規模な実験を行いました。子どもが生後7か月のころから初めて毎年、ストレスのある状況に反応してコルチゾールのレベルがどれだけ上がるかを計測したのです。そして、この実験はアロスタティック負荷がわかる必要最低限の数値、つまりストレスにいかに対処しているかを評価するシンプルな方法です。家庭内の騒動や混乱、人の出入りといった環境上のリスクが子どものコルチゾールの値に大きな影響を及ぼすことをブレアは発見しました。しかし、それは母親が無関心であったり、無反応だったりした場合だけであった。つまり、母親の反応が高ければ、環境上の要因が子どもに与える衝撃はほぼ消えてなくなるようだった。いいかえれば、質の高い育児は逆境による子どものストレス対応システムへのダメージをやわらげる強力な緩衝材として働くのです。

 

ワーキングメモリの実験をしたエヴァンズは、ブレアと似た実験を続けていました。ただし、その対象は中学生です。エヴァンズはそれぞれの子どもから3種類のデータを集めましたまずは①累積されたリスクの値。これは近所の騒音から家庭内の軋轢まであらゆるものを考慮に入れた値です。②アロスタティック負荷の測定値。血圧や尿中のストレスホルモンのレベル、肥満度、指数などを含んだもの。③母親に関する質問への子どもの回答と母子で一緒にジェンガで遊んでいるところを研究者が観察した結果を総合したもの。これらの3つデータを集めました。

 

すると、環境上のリスクの値が高いほどアロスタティック負荷の値も高いということが見えてきました。ただし、母親が子供に特別の関心を寄せているのでない限りです。では、逆に特別な関心が寄せられている場合にはどうだったかというと、その場合には家の中が過密であるとか、困窮しているとか、家庭内に騒動があるなどといった環境からくるストレス要因はすべてないものと同然になったのです。ジェンガのゲームの最中に母親が子どもの感情の動きに敏感であったら、子どもが人生で直面する苦境がアロスタティック負荷に影響を及ぼすことはほとんどないのである。

 

保育において「共感」は非常に重要な要素であることはいうまでもありません。しかし、少し手のかかる子どもとの関わりは時間がかかったりすることもあります。一人担任であればなおさら、そういった子どもとの関わりをじっくりするというのは難しくなります。しかし、先の子どもたちの育ちや発達、将来の影響を考えると大人も粘り強く共感したり、関心を持っているということを伝えていくことが子どもたちの「最善の利益」につながっていくのだと思います。面白いことに、こういった事例は自分が保育をしていく中でも多々巡り合う機会があります。保育をしているときはとても手がかかり、喧嘩も多い子どもだったのですが、その都度、うまく子どもの気持ちを汲み、共感を基とした関係性を作っていくと、小学校で見違えるような成長を見せてくれることがあります。保育をする上で大切なことは関わる中で「すぐの効果」を見るのではなく、「先伸びする力」を信じることなのだと思います。

大人の影響

マギル大学の神経科学者マイケル・ミーニーはラットを使った研究の中で、子ラットに毛づくろいやなめるといった行動をよくする母ラットには高LGのラベルを貼り、少ない母ラットには低LGのラベルを貼り、カテゴリー分けをし、その後、子ラットが成体になったときにどのような活動をするかの比較をしました。そして、親の行動の違いによって長期的にどういう影響が出るかを調べました。

 

評価はおもにオープンフィールドテストを用いて行います。動物行動科学の分野では一般的な実験で、ラットを広くて円い、仕切りのない箱に5分間入れ、自由に探索させるのです。神経質なラットは壁から離れようとせず、周辺部を回るように動きます。大胆なラットは壁から離れてフィールド全体を探検して歩くのです。それともう一つ、恐怖心を測定するテストも行われました。空腹のラットを新しいゲージに入れて食べ物をさしだし、10分間置いておく。不安の強いラットは場違いなディナー・パーティでびくびくしている客のように食べ物に手を出すまでに時間がかかる。落ち着いた大胆なラットに比べて食べる量も少ないのです。

 

この二つのテストのどちらにおいても、違いがはっきりしていました。低LGグループのラットが5分間のうちにフィールドの真ん中に探検にいった時間は平均して5秒を下回りました。それに比べて、高LGグループのラットは平均35秒をフィールドの真ん中ですごしたのです。7倍の時間です。食べ物を使った10分間のテストでは高LGのラットは平均4分ほどためらったあと、2分以上のあいだ食べていました。これに比べて低LGのラットは食べ始めるまでに平均9分以上かかり、食べたのもほんの数秒だけだったのです。

 

このように研究者たちは次々と実験やテストを行っていったのですが、どのテストでも高LGグループの子ラットの方が良い結果を出したのです。迷路を抜けるのもうまかったり、より社会性がありました。好奇心も強く、そのうえ攻撃性が低かった。自制がきき、より健康で長生きであった。ミーニーたちがおどろくほど、初期の母親の行動がほんの少し違うだけと思われていたもの、何十年も見過ごされた些細なこと(なめられたり、毛づくろいをされたり)が何カ月もあとの成体になったラットの脳を調べてみると、高LGグループと低グループではストレス対応システムに著しい相違が見られた。ストレスに対処する脳の部位の大きさやかたちや複雑さが大きく異なったのです。

 

しかし、ここで一つの疑問が出てきます。こういった母ラットの行為の頻度は母親から子どもに受け継がれる遺伝的な特性のようなものなのだろうかということです。おそらく神経質な母ラットは同じ気質の子ラットを生み、そういう母ラットはなめたり毛づくろいをしたりする頻度も低いのだろうと思ったのです。

 

この仮説を検証するためにミーニーと研究者たちは親を交換する実験を行いました。高LGの母ラットから生まれた子ラットを生後すぐに引き離し、低LGの母ラットのゲージに移した。その反対も行います。あらゆる組み合わせで実験するのです。しかし、どう入れ替えてどんな実験をしても結果は同じでした。問題は生物学上の母親の習慣ではなく、育てた母親の習慣だったのです。生まれてすぐのころになめられたり毛づくろいされたりした快い経験を持つラットは、そういう経験のない子ラットよりも勇敢で大胆に育ち、環境にもうまく適応した。生物学上の母ラットのLGの高低は関係なかったのです。

 

このことは何を意味しているのでしょうか。つまりは遺伝的な要因ではなく、環境的な要因によって子どものLG値は変わるということなのです。母親の温かく応答的な関わりは子どもたちが外に向かう原動力にもなり、環境にもうまく適応できるようになるということなのです。逆に言えば、大人が乳幼児期の子どもと関わる環境や状況というものは子どもたちにとって社会までにもつながることが分かってきたというのです。そして、ここでは「育てる」とあります。つまり、子どもと関わる大人に言えることなのだということです。乳幼児期に関わる保育という仕事の重要さと大切さを改めて考えさせられる内容です。

逆境からの脱却

これまでの内容を見ていると、幼少期の受けた逆境はストレス反応システムに影響をあたえ、それは身体にまで影響を及ぼします(アロスタティック負荷)。そして、それだけではなくストレスに最も影響を受けるのが脳の前頭前野(自分をコントロールすることをつかさどる)に影響を与えます。それらは思考を制御する実行機能にまで影響し、将来的に大きな影響を受けるということが分かりました。では、幼少期のストレスや逆境がある状態だともう悪影響を受けることは避けられないのでしょうか。不利な条件のもとにおかれた子どもたちからよりよい結果を引き出すことは無理なのでしょうか。

 

幼少期のストレスや逆境があることで文字通り皮膚の内側に入り込み、一生続くダメージを引き起こす可能性があるということは判明しています。しかし、幼少期のストレスの悪影響に対して絶大な効果を発揮する解毒剤があることが分かりました。それは製薬会社でもなければ、早期教育の専門家でもないと言います。それは親なのです。子どもを育み、親密な関係を築ける親や養育者なら、子どもたちの持つレジリエンス(回復力、抵抗力などを含む弾性)を大きく伸ばすことができると言います。このことが幼い頃の過酷な環境の悪影響から身を守ることにつながるというのです。そして、これは科学的根拠から根差した考え方であり、よい親子関係は感情や精神だけでなく体にも効果を及ぼすのです。

 

マギル大学の神経科学者マイケル・ミーニーは、親の役割と子どものストレスの関係に関する私たちの考え方を大きく広げてくれたとタフ氏は言います。ミーニーはラットを使って研究の多くを行っていますが、それはラットの脳と人間の脳は構造が似ているからだそうです。ある日、ミーニーのラボの研究者が面白いことに気づきました。その日、ラットの検査や体重を計っていた研究者が子どものラットをゲージに戻すと、一部の母ラットは子どもに駆け寄り、数分かけてなめることや毛づくろいをしました。しかし、その一方では無視してやり過ごす母ラットもいます。その後、子ラットを検査してみると、このような一見なんということもないこの行為に実はめざましい心理的効果があることが分かったのです。

 

子ラットに対し何らかの処置をすると、その子ラットは不安を示すストレスホルモンを大量に分泌します。しかし、母ラットがなめたり毛づくろいをしたりすることでその不安が解消され、ストレスホルモンの波が引いたのです。この変化にミーニーと研究者たちは興味を持ちます。その後、ラットの観察を続けていくと新しい発見がありました。子ラットが取り出さなくても母ラットはそれぞれに異なったパターンでなめたり毛づくろいをしていたのです。そこでミーニーは新たな母ラットの一団を迎え入れ、子ラットが生まれてから10日間一回につき1時間。一日に8回観察します。そして、なめたり毛づくろいをする回数が多い母ラットには高リッキング&ルーミング(LG)、少ない母ラットには低LGのラベルを貼りカテゴリー分けをします。そして、子ラットが生後22日になると離乳させ、母親から引き離して、思春期の残りを同性のきょうだいと同じゲージに入れて育てました。生後約100日ほど経って、子ラットが完全に生体になったころ、ミーニーのチームは高LGの母ラットの子どもと低LGの母ラットの子どもを比較する実験を行ったのです。親の行動の違いによって長期的にどういう影響が出るのかを研究者たちは知るためにおこなったのですが、ここであるものが見えてきます。

思春期とストレス

 

社会に出たときに必要とされるワーキングメモリ、つまり実行機能が将来社会に出たときに、認知的スキルよりも柔軟であり、より役に立つということが分かってきました。そして、この実行機能は貧困層と富裕層との差に見られること、その中心となるのがアロスタティック負荷によるものが大きいというのです。そのため、アロスタティック負荷(幼少期に逆境の中で育ったか)において、それが少なかったらワーキングメモリのゲーム「サイモン」のスコアは場合に裕福な家庭の子どもと同程度のスコアを出す可能性はあるというのです。このように幼少期の環境を改善することは子どもの将来に劇的な影響を与えるというのです。

 

これらのことから見えるようにタフ氏は「私たちの脳と体がストレスや心的外傷に最も敏感なのは幼児期である」と言っています。しかし、「ストレスによるダメージが長期にわたる深刻な問題に直結するのは思春期である」とも言っています。それはなぜかというと、それは単に成長したせいだとタフ氏は言います。小学校のときは衝動を抑えられなかったとしても、その結果はたかが知れています。先生に怒られるか、友だちと喧嘩をするくらいでしょう。しかし、思春期に羽目を外すとその結果は一生ついて回りかねないというのです。たとえば、飲酒運転や無防備なセックス、高校をやめたり、財布を盗んだりと問題行動の規模が幼少期よりも大きくなってきます。

 

また、思春期の脳には独特にバランスに欠けたところがあり、そのせいで良くない衝動の影響がとくに出やすいことが判明しています。テンプル大学の心理学者ローレンス・スタインバーグの分析によると、思春期の頃の生活に強い影響を与える神経系は二つあるのですが、この二つの発達が連動していないところに問題があるというのです。

 

それは一つは刺激処理システムと呼ばれるもので、これによって人はより興奮を求め、感情的に反応し、周囲の情報に敏感になるというものです。そして、もう一方は認知制御システムと呼ばれるもので、あらゆる衝動を規制するというものです。十代が危険な時期であると言われてきたのは、刺激処理システムが思春期の早い段階で最大まで発達するのに対し、認知制御システムのほうは二十代になるまで成熟しきらないためだとスタインバーグは言っています。このため、数年の間は行動を抑えてくれる制御システムが不備なままで狂ったように刺激を処理していくしかないのです。こうした思春期に起きるこういったメカニズムによる衝動的な刺激に加え、酷使されたHPA軸の問題まで抱え込むのは、毒性の高い酒で悪酔いするようなものだとタフ氏は言います。

 

そして、ここではタフ氏は青少年支援プログラム(YAP)という非営利団体によって胃運営されている支援策の内容を紹介しています。ノースウェスタン大学の研究者たちはこのYAPの支援を受ける子どもたちが多くいくシカゴのクック群青少年拘置所の千人を超える若い種間者たちに精神医学の観点から評価を施したそうです。その結果、収監者の84%が子どものころに二つ以上の深刻な心的外傷をおっており、そのうちの大半の者が六つ以上負っていることがわかった。そして、四分の三が、誰かが殺されたり重傷を負わされたりする現場を目撃していたそうです。女子の40%以上が子どもの頃に性的な虐待を受けたことがあった。そして、男性の半数以上が、少なくとも1回は自分や近親者が死ぬか大怪我をすると思えるほど危険な目にあったことがあると答えた。そして、そういった繰り返し受けたトラウマは収監者の心の健康に甚大な影響を与えていたのです。男子の3分の2に精神疾患と診断される症状が一つ以上あり、学業面ではひどく後れを取っていた。標準語彙テストにおける収監者の平均スコアは下位5%で、それは国内の95%の同年代の若者よりも下だったのです。

 

思春期は非常に不安定な時期にあるのは脳内のシステムのせいでもあるのですね。そのうえで、アロスタティック負荷が加わると、もっと大きな問題を起こすことにつながります。その中でYAPのスティーブ・ゲイツは「こうした若者は恐るべきシステムに囚われており、耐え難い事態の中で様々な決断を強いられている」といっています。つまりは、そこには幼少期における環境やその地域での影響というものに子どもたちは影響されているのです。そのため、こういった社会的構造やシステムとは無縁ではいられません。経済学と社会学にも大きな意味があると言っているのです。子どもは環境から大きな影響を受けることが分かります。そして、その時大人はどういった役割があるのかよく考えていかなければいけません。