教育

ふたつの気質

アンジェラ・ダックワースの研究を受けて、では「気質を育てること」について、学業不振の生徒から大学進学を目指す学者の卵に変身させてみせるとKIPPアカデミーを進めたディビット・レヴィンやエリートの卵が通うリバーデール・カントリー・スクールのドミニク・ランドルフは情報交換をする中で、その内容にすぐに納得しました。生徒たちに不可欠な性格の強みは自制心とやり抜く力であるとしたのです。しかし、当然それだけではないという思いもあるのですが、だからといって、セリグマンとピーターソンのリストにある24項目すべてを実際の教育システムに取り入れようというのは多すぎて難しかったのです。そこで二人はもう少し、扱いやすい長さになるように絞り込むようにピーターソンに尋ねます。ピーターソンは研究を基に、その後の人生の満足度や達成度ととくに深くかかわる強みを割り出しました。そして、何度か微調整を重ねた後、最終的に7つの項目を含むリストに落ち着いたのです。それは「やり抜く力・自制心・意欲・社会的知性・感謝の気持ち・オプティミズム・好奇心」です。

 

このような要素を受け、質問表や評価の仕組みを作っていくのですが、レヴィンはこの評価基準を性格評定平均値(CPA)を持ったらどうかと思いました。しかし、果たして「性格における成績表を作ることは大切なことなのでしょうか」とランドルフは考えます。そして、「こういった通知表のようなものを作ったとたんに、そのためのテスト勉強をしようとする生徒たちが大勢現れる。順位を争うなら、気質に点数などつけたくない」というのです。そして、ランドルフはリバーデールで性格を評価し改善する方法やそれを実施するための新しい手段をいかに素早く取り入れるかについての議論だけではなく、そもそも「性格」とは本当のところなんなのかにまで疑問が及んできます。

 

もともと、リバーデールのスクールにはCARE(リバーデールの道徳を知ろう)とよばれる性格教育プログラムらしいものがありました。これはお行儀のよい、良い人間になるための設計図のようなもので、「誰にでも敬意をもって接しましょう」「他の人の気持ちを思いやりましょう。悲しんでいる人がいたら慰める方法を探しましょう」といったことを生徒に命じる内容でした。廊下にポスターが貼ってあり、生徒たちはそれを見ていつもCAREで言われる道徳を思い出したのです。そして、このプログラムはリバーデールの重要な教育の一つであると、多くの職員は誇らしそうにいいます。ランドルフは「性格の強みの話は、CAREの新しいバージョンだと」説明し「基本的には、気質に関する新しい考えかたを全部取り込んで、これが次世代のCAREだ、という風にしたい」と言っています。しかし、実際にはセリグマンとピーターソンのアプローチはCAREのようなプログラムの拡張版ではないのです。むしろ、どちらかというと相反するものです。

 

2008年「性格教育パートナーシップ」という名の全国大会が性格教育を二つのカテゴリーに分かる論説を発表しました。一つは「道徳に関する気質」を育てるプログラムで、公正、寛大、高潔といった論理を教えるもの。もう一つは「行動に関する気質」を扱うプログラムで努力、勤勉、粘り強さなどの価値をえるものでした。この分け方で言うとCAREプログラムは完全に前者であり、ランドルフとレヴィンが学校のために選んだ7つの強みのプログラムは後者になります。道徳的な要素もないわけではないが、意欲、オプティミズム、社会的知性、好奇心といった強みは特に高潔さと関わりがあるわけではないのです。

 

このことをタフ氏は二つの例を出して示しています。前者がマーティン・ルーサーキング・ジュニアやガンジーであり、後者がスティーブジョブズやビル・クリントンを連想させるというのです。なるほど、この二つを見るとなんとなくわかる気がしますね。

やり抜く

自制心が大切だと言っているアンジェラ・ダックワースでさえ、自制心だけでは限界があることを認めています。誰が高校を卒業するか予測する際には役に立つかもしれないが、誰が新しいテクノロジーを発明するか、あるいは誰がアカデミー賞をとるような映画監督になるかを見分けることはできないといっています。そこで改めて「成功の原動力とは何か?」を考えます。そして、その答えは正確には自制心ではないと思うようになったのです。

 

そこでダックワースは自分自身を振り返ってみたとき、ディビット・レヴィンのような人物と比べると、様々な場所を渡り歩いてきた自分の初期のキャリアはあまりにもねらいが定まっていないような気がしてきたのです。ダックワース自身は自制心も強ければ、知性も高く、成功もしています。しかし、レヴィンはというと、22歳で天職を見つけ、以来ずっと同じゴールを目指し、多くの障害を乗り越えてマイケル・ファインバーグとともに大勢の生徒をかかえるチャータースクールを築いていきます。年齢が同じでもあるダックワースとレヴィンでしたが、なにか自分にない資質を持っているのではないかとダックワースは思ったのです。ひとつの仕事に情熱を持ってかかわり、揺らぐことなく専念できる資質。ダックワースはその資質に「やり抜く力(グリット)」という名前を付けることにしました。

 

ダックワースはクリストファー・ピーターソンとともにやり抜く力を測定するテストを考案し、グリット・スケールと名付けました。それは12の短い文章が並んでおり、回答者がそれぞれについて自己評価をするというものです。たとえば「新しいアイディアやきかくによって気が散ることがある」「失敗でくじけることはない」「仕事は一所懸命にする」「一度始めたことは最後までやり通す」などです。それぞれの文章について自分にどの程度当てはまるか、回答者は五段階で評価をする。テストは3分もあれば終わる。しかも完全に自己申告です。それでもやってみると大いに成功を予測する指標になることがわかりました。ダックワースの発見によれば、やり抜く力は知能指数とはほとんど関係がない。IQが高くてやり抜く力のある人もいれば、IQが低くてもやり抜く力のある人もいたのです。

 

ペンシルベニア大学では、入学時の成績が比較的低くても、やり抜く力のスコアが高い生徒はその後のGPA(評定平均)が高かったそうです。英単語の全国スペリングコンテストでは、やり抜く力の高い子どもが最終ラウンドまで残る確率が高かった。そして、陸軍士官学校でも新入士官候補生を対象として、過酷な夏期訓練のまえにテストを実施しました。陸軍には独自に開発した複雑な評価システムがあり、どの候補生が厳しい要求にこたえて生き残れるかを予測していました。しかし、どの候補生が過酷な訓練を乗り切り、脱落するかを正確に予測したのは、ダックワースのシンプルな12の設問によるグリッド・スケールのほうだったのです。

 

やり抜く力というのは、粘り強さということにもつながります。確かにこのことは知能指数とは違った力です。最終的な目的に向かってやり抜くということは成功の条件としてはかなり重要なものということは否定できないことです。そして、それは「自制心」とはまた違った別のものとしての力であるのですね。

勤勉性と自制心

パーソナリティ心理学の領域で、勤勉性における第一人者のブレント・ロバーツによると、勤勉性の数値が高い人々の性格にはいくつかの共通点があると言っています。それは几帳面である、よく働く、人望がある、社会通念を尊重するといった傾向があるというのです。しかし、もっとも大切な共通要素は自制心が強いことだろうというのです。

自制心といえば、その価値において疑いをもっているのは、前回紹介した、マルクス派の経済学者たちだけではないそうです。しかし、『性格の強みと美徳』のなかで、ピーターソンとセリグマンは「自制心が強すぎたとしても、ほんとうのところ不都合なことなど何一つない」と論じています。自制心は強さや美しさや知性のように才能の一種であり、マイナス面などない。つまり、自制心はあるほど良いものであるということなのです。

しかし、カリフォルニア大学の心理学者 故ジャック・ブロックを中心とする反対派は過剰な自制心は過小な場合と同じように問題になりうると主張しました。自己抑制の強すぎる人々は「過度に圧迫されている」のではないかというのです。そういう人々は「決断に困難を覚え、必要もないのに満足を後まで我慢したり、喜ぶことを自らに禁じたりする」というのです。つまり、おとなしい人は自分から動くことをあまりしたがらない人もいますし、引っ込み思案な人は自制心がありすぎるのではないかというのです。こういった研究者たちによると、勤勉性の高い人々は古臭く堅苦しい、神経症的で心配症で抑圧されているというのです。以前の「学校は労働者階級の人を作る」というのと同じですね。

確かにブロックの発見にも一理あるとタフ氏は言います。勤勉性が強迫神経症につながる可能性があることは確かにあります。しかし、そうは言っても、ものごとの良好な結果と自制心との相関を示すデータを無視することができないのです。その後、ニュージーランドで2011年に1000人を超える若者を30年にわたって追跡した研究の結果が発表されるとさらにその根拠は強化されていきます。この研究結果は、子ども時代の自制心と成人してからの成果の明確なつながりを改めて詳細に示すものでした。

心理学者アヴシャロム・カスピ、テリー・モフィット、ブレント・ロバーツをリーダーとする研究者のチームは、対象が3才から11歳の間にあらゆる種類のテストやアンケートを実施して子どもたちの自制心を測定し、その結果をまとめてそれぞれの子どもの評価を割り出しました。そして、対象が32歳になったときの調査で、子どもの頃の自制心のスコアがさまざまな面で成人後の成果の予測になっていたことが分かったのです。子どものころの自制心のスコアが弱いほど、32歳の時点で喫煙率が高く、健康に問題を抱えている割合が高く、信用度が低く、法律上の問題を抱えている確率が高かった。影響が甚大なケースもいくつかあったのです。

子どもの頃の自制心のスコアが最も低かった人々は、もっとも高かった人々に比べて3倍の確率で犯罪に関わっていました。アルコールやドラッグの依存症である確率も3倍。一人で子どもを育てている確率は2倍だったのです。

確かにいくら強迫神経症につながる可能性があるとはいえ、それにあまりある影響が自制心がないことで起きてしまうのであれば考えものです。どのように自制心を考えていくことが大切なのでしょうか。

内なるモチベーション

主体性という言葉は保育においては非常に重要なキーワードになっています。そのため、保育者はいつもどういった保育を進めることができるのかを子どもたちの様子を見ながら保育を進めていきます。そして、子どもたちが主体的に物事を進めていくためには「活動がしたい」という動機がなければ物事にとりくむことにはつながりません。そのため、保育でも「動議付け」というのは非常に大切な意味を持ちます。しかし、これまでの話で褒美や報酬による動機によって起きるプログラムは大きな成果を得ることができなかったということが紹介されていました。では、本人がやる気になる動機づけをするときにはどういったことをすればうまくいくのでしょうか。

 

一つは気質によって動機となるかが異なるということが言えるというのを2006年カーミット・シーガルがいくつかの実験によってわかってきました。気質によって動機が異なるとはどういったことなのかというと、シーガルは気質とインセンティブ(意欲向上や目標達成のための刺激策)の関係を調べようとして、思いつく限り最も簡単なテストをしました。それは基本的な事務処理能力を評価する、読替スピード・テストです。まず、受験者は回答の鍵となる表を与えられます。それは様々な単語と四桁の識別番号の並んだリストです。次に、選択式の問題があり、それぞれの単語に対し、正解を含む5つの数字が並んでいます。受験生は鍵となるうえの表をみながら同じ数字となる正解を見つけて印をつければいいといった問題です。

 

シーガルは大勢の若者の読替えスピード・テストのスコアと標準的な認知能力テストのスコアを含む二つの大きなデータ群を見つけました。一つは、1979年から1万2千人を超える若者を追跡し始めた青年全国縦断調査(NLSY)と呼ばれる大規模調査。もう一つはアメリカ軍の新人のもの。彼らは軍に入るための試験の一環として読替えスピード・テストを受けていました。NLSYの高校生や大学生にはこのテストで全力を尽くすインセンティブはありませんでした。あくまで調査目的のためのスコアであり、成績には関係がなかったからです。しかし、軍の新人にとってはこのテストは大きな意味を持っていました。スコアが悪ければ入隊できなかったのです。

 

それぞれのテストを比較していくと、認知能力テストの平均は高校生・大学生のほうが軍の新人を上回りました。しかし、読替えスピード・テストでは軍の新人の方が上回りました。この結果を見て、シーガルはこの読替えスピード・テストによって本当に測定されたのは軍の新人が生まれつき数字と言葉を結びつける才能や事務処理能力があるかないかではなく、もっと根本的な何かではないかと気づいたのです。その何かとは、世界中で一番退屈なテストに気持ちを集中するための気質と能力であるということです。このテストで進退のかかっている軍の新人はNLSYの若者よりも熱意を持って取り組んだのです。このようなシンプルなテストの場合、少し余分に熱意があるだけで学歴の高い同年代の若者を超えるのには十分だったとシーガルは言っています。

 

ちなみにNLSYはその後も何年もあとまで若者たちを追っています。そのため、シーガルは1979年における認知能力テストと読替えスピード・テストの結果を20年後、受験者が40歳前後になったときの収入と比較します。すると予想通り、認知能力テストのよかったものはより多くの収入を得ていました。しかし、読替えスピード・テストの得点の高かった受験生も同様だったのです。実際、NLSYの参加者のうち大学を卒業しなかったものだけを見ると、読替えスピード・テストのスコアはあらゆる点で認知能力テストと同じくらい正確な予測指標になっていたのです。そして、スコアの高かったものの収入は低かったものよりも何千ドルも多かったのです。

 

それはなぜなのでしょうか。アメリカでは単語と数字のリストを単純比較する能力に重きが置かれているからでしょうか。そうではなく、彼らの得点が高かった理由は他の生徒よりも懸命に取り組んだからです。そして、実際労働市場で重きを置いているのは、見返りがなくてもテストに真剣に取り組むことができるような内なるモチベーションを持っていることです。だれも気付かないうちに、読替えスピード・テストは成人後の世界で重要な意味をもつ、認知能力とは関係ない技能を測定していたのです。

待つこと

ミシェルのマシュマロを使った研究からは面白い結果がいくつか出てきました。例えば、精神分析理論や行動理論が提示するところによれば、子どもにとってマシュマロを二つ手に入れるための最良の動議付けとなるのは、ご褒美を意識の中心に置き続けること、最終的にそれを食べられた時にどんなにおいしいかを強調することであるはずだったのですが、実際の結果は正反対だったのです。子どもたちはマシュマロが隠されていた時のほうが、目の前にあったときよりもずっと長く我慢できたのです。この実験で最良の結果を出した子どもたちは気をそらす方法独自に考えだしていました。一部の子どもは実験者がもどってくるのを待つ間、一人でしゃべったり歌ったりしていた。おやつから目をそらしたり、自分の手で目隠しをしていた子どももいた。昼寝を始める達人もいたのです。

 

ミシェルの発見によれば、子どもが時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについて違う考え方ができるような簡単な助言があった場合でした。頭に浮かぶのおやつが抽象的であればあるほど我慢できる時間も伸びたのです。マシュマロを菓子ではなく、円く膨らんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子どもたちは、7分ほど長く我慢することができました。本物のマシュマロを見ずに絵に描かれたマシュマロを見るよう勧められた子どもも比較的長く我慢することができたのです。仮に本物のマシュマロを見てはいても「絵みたいに額がついていると想像してごらん」といわれた子どもたちもいて、やはり18分ほどまつことができました。

 

しかし、ミシェルの発見を学校に取り入れようとすると、それは思ったより困難が多いことがすぐに分かりました。ダックワースは何人かの同僚とともにフィラデルフィアの学校で40人の5年生を対象とした6週間の実験を行い、自制心の訓練を通して指導し、宿題を終わらせたことに対して褒美を与えました。実験終了後、子どもたちは始めたころよりも今のほうが自制心がついたと思うと報告したが、実際のところはどういった尺度からみても、学校内の対照群の子どもたちと変わったところがなかったのです。自制心に関する教員の評価も、宿題の提出率も、標準学力テストの結果も、GPAも、遅刻の回数も比較はしたが、すべてにおいて効果はないことが分かりました。

 

というのも、一番長くマシュマロを我慢できた子どもたちが使っていたような自制のテクニックの問題点は、欲しいものがはっきりとわかっているときにしかうまくつかえないことである。とはいえ、ダックワースが五年生の子どもたちに目指してもらいたいと思う長期的な目標は20分後に貰えるマシュマロほどの実体があるわけでも、即効性があるわけでも、魅力的なわけでもなく、試験に合格する、高校を卒業する、大学で成功するといったより長期的なかたちのはっきりしない目標を達成するために必要な集中力や粘り強さをつけるにはどうしたらいいのでしょうか。