教育

乗り越える

思考にともなう習慣を身につけさせるためにはどういったことをしたらいいのでしょうか。自分の間違いを理解することや思考の過程をもっとよく自覚するためにはどういったことを伝えればいいのでしょうか。IS318でチェスのコーチをしているスピーゲルもチェスの専属コーチになるまえは英語の上級クラスの担当をしていたそうです。しかし、そこではあまりうまくいかなかったと言います。

 

スピーゲルは生徒に対して提出された課題を毎回一文一文点検し「ほんとうにこれがあなたの言いたいことをいう最良の方法だと思うの?」と尋ねたそうです。すると「生徒たちは“この人頭がおかしいんじゃないの?”という目でわたしを見た。生徒が書いてきたことについて長い手紙を返したりもした。一晩掛けても6人か7人分しか見られなかった」と言います。スピーゲルの教え方は英語の授業には向かなかったのかもしれません。しかし、この経験はチェスのクラスでどう教えたいかを考える助けになったと言います。1年の間決まったカリキュラムをなぞるよりも、教えながら独自の日程を組むことに決め、生徒たちが何を知っているか、そして何を知らないかに基づいて授業の計画を立てたのです。

 

たとえば、週末に試合に連れていき、多くの生徒が駒を無防備な状態にしているせいで駒を取られることに気づきます。そこで次の月曜日に別の駒で守る方法を中心に授業を組み立てる。そして、その欠点だらけの試合を再現し、生徒たちの試合を当人に対してもクラス全体に対しても繰り返し検討して見せるというのです。そして、プレーヤーが間違いを犯したのは性格にはどの手か、他にどう動かしたらよかったか、より良い手を指していたらどうなったかを分析し、シナリオに沿って数手動かしてから間違いの瞬間に戻るというのです。

 

これは理にかなっているように見えて、実はかなり異例の方法だそうです。なぜなら自分の悪手をしつこく注目されるのは居心地のわることだからです。確かに、自分の欠点を徹底的に言われるのはつらいことですね。スピーゲルはこのことについて「普通はチェスの勉強といえば本を読むの。楽しいし、知的なおもしろさもあるから、でもそれはスキルに直結しない。本当にうまくなりたいなら、自分の試合を見てどこが悪いのかを考えなければ」と言っています。この方法は心理療法に似ているとスピーゲルは言います。自分がした間違い、し続けている間違いを見直し、根本にある理由を探る。そして最良のセラピストのように、スピーゲルも生徒がせまく困難な道を何とか通り抜けるのを助けようするのです。そうすることで、間違いに対する責任を自覚させ、気に病んだり打ちのめされたりすることなく間違いから学べるように仕向けるのです。

 

結局のところは自分が自覚していないと本来の意味としてつぎに生きてこないのです。そして、こういった困難を乗り越える力をつけるためには、自分自身で問題に向き合い、乗り越える経験が必要なのです。そして、そのために大人は子どもたちが乗り越えていけるように手助けをしていかなければいけません。大人が越えさせることが良いことではなく、子どもが越えることが必要なのです。

 

スピーゲルは一連の子どものチェスでの失敗を自覚することに対して「完全に自分でコントロールできる範囲の物事でまけるというのは、子どもたちにとってすごく稀な経験なのよ。チェスの試合で負けた場合には、責めるべき人間は自分しかないとはっきりわかっている。勝つために必要なものはすべて持っていたはずなのに、負けてしまった。一度きりのことならいいわけでも探すか、あるいはもう考えないことにしたっていい。だけでそれが毎週のこととして暮らしの一部になると、まちがいや負けから自分を切り離す方法を見つけるしかなくなる。負けというのはその場その場の行動の結果であって、永続する状態ではないことを生徒たちに教えたいの」

 

自分の力で問題に向き合い、乗り越えていく力があれば、今社会で起きている様々な問題は解決するのかもしれません。

問題と向き合う

思考にともなう習慣を身につけさせるためにはどういったことをしたらいいのでしょうか。自分の間違いを理解することや思考の過程をもっとよく自覚するためにはどういったことを伝えればいいのでしょうか。IS318でチェスのコーチをしているスピーゲルもチェスの専属コーチになるまえは英語の上級クラスの担当をしていたそうです。しかし、そこではあまりうまくいかなかったと言います。

 

スピーゲルは生徒に対して提出された課題を毎回一文一文点検し「ほんとうにこれがあなたの言いたいことをいう最良の方法だと思うの?」と尋ねたそうです。すると「生徒たちは“この人頭がおかしいんじゃないの?”という目でわたしを見た。生徒が書いてきたことについて長い手紙を返したりもした。一晩掛けても6人か7人分しか見られなかった」と言います。スピーゲルの教え方は英語の授業には向かなかったのかもしれません。しかし、この経験はチェスのクラスでどう教えたいかを考える助けになったと言います。1年の間決まったカリキュラムをなぞるよりも、教えながら独自の日程を組むことに決め、生徒たちが何を知っているか、そして何を知らないかに基づいて授業の計画を立てたのです。

 

たとえば、週末に試合に連れていき、多くの生徒が駒を無防備な状態にしているせいで駒を取られることに気づきます。そこで次の月曜日に別の駒で守る方法を中心に授業を組み立てる。そして、その欠点だらけの試合を再現し、生徒たちの試合を当人に対してもクラス全体に対しても繰り返し検討して見せるというのです。そして、プレーヤーが間違いを犯したのは性格にはどの手か、他にどう動かしたらよかったか、より良い手を指していたらどうなったかを分析し、シナリオに沿って数手動かしてから間違いの瞬間に戻るというのです。

 

これは理にかなっているように見えて、実はかなり異例の方法だそうです。なぜなら自分の悪手をしつこく注目されるのは居心地のわることだからです。確かに、自分の欠点を徹底的に言われるのはつらいことですね。スピーゲルはこのことについて「普通はチェスの勉強といえば本を読むの。楽しいし、知的なおもしろさもあるから、でもそれはスキルに直結しない。本当にうまくなりたいなら、自分の試合を見てどこが悪いのかを考えなければ」と言っています。この方法は心理療法に似ているとスピーゲルは言います。自分がした間違い、し続けている間違いを見直し、根本にある理由を探る。そして最良のセラピストのように、スピーゲルも生徒がせまく困難な道を何とか通り抜けるのを助けようするのです。そうすることで、間違いに対する責任を自覚させ、気に病んだり打ちのめされたりすることなく間違いから学べるように仕向けるのです。

 

結局のところは自分が自覚していないと本来の意味としてつぎに生きてこないのです。そして、こういった困難を乗り越える力をつけるためには、自分自身で問題に向き合い、乗り越える経験が必要なのです。そして、そのために大人は子どもたちが乗り越えていけるように手助けをしていかなければいけません。大人が越えさせることが良いことではなく、子どもが越えることが必要なのです。

 

スピーゲルは一連の子どものチェスでの失敗を自覚することに対して「完全に自分でコントロールできる範囲の物事でまけるというのは、子どもたちにとってすごく稀な経験なのよ。チェスの試合で負けた場合には、責めるべき人間は自分しかないとはっきりわかっている。勝つために必要なものはすべて持っていたはずなのに、負けてしまった。一度きりのことならいいわけでも探すか、あるいはもう考えないことにしたっていい。だけでそれが毎週のこととして暮らしの一部になると、まちがいや負けから自分を切り離す方法を見つけるしかなくなる。負けというのはその場その場の行動の結果であって、永続する状態ではないことを生徒たちに教えたいの」

 

自分の力で問題に向き合い、乗り越えていく力があれば、今社会で起きている様々な問題は解決するのかもしれません。

IQとチェスの強さ

最近、AIの進化は目覚ましいものがあります。少し前に「変なホテル」というものが流行っていましたが、そこでは訪れるお客さんのアテンドをロボットが行っています。また、ベネッセの出した「2020年 教育改革」という文部科学省今日表資料による2018年に発行された情報によるとあと10~20年で49%の職業が機械に代替される可能性があると言われていました。そして、それと同時に2011年にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は今は存在していない職業に就くだろうと予測までされています。AIの進化や社会に与える影響というのはかなり驚くべきものとなっています。

 

以前、AIについてブログでも取り上げましたが、1997年当時AIが当時の世界チャンピオンに勝利するということが起きました。そして、その出来事が人間いとってこれがどういう意味を持つのかという不安に満ちた議論が起こったのです。当時の世界チャンピオン がルリ・カスパロフは試合後にこんなことを言っています。「私は人間だ。自分の理解を超えたものを目にすれば、それを怖いと思う」

 

多くの人にとって、AI「ディープブルー」の勝利はチェスにおける人間の優劣を脅かすだけでなく、人間特有の知性そのものを脅かしました。知能が高ければそれだけチェスの巧拙は単純に頭の良し悪しを表すものとして考えられてきたからです。しかし、チェスのスキルが密接にIQだけと関係があるという前提に疑問を持った人がいます。スコットランド人のジョナサン・ローソンですが、彼はチェスのグランドマスターでいたが、このことについて「見当違いも甚だしい」というのです。

 

ローソンはチェスにおいて最も大事な才能は知能ではなく、心理と感情にかかわるものだと主張しています。「チェスに関する学術的な研究のほとんどが本質(つまり、選手がどう考え何を感じるか)を捉え損ねている」と自著「チェスにおける7つの大罪」に書いています。「彼らは、チェスを純粋に知的な追求であるとみなす罪を犯している。記憶したパターンと推理のみにもとづいて駒の動きが選ばれ、盤面が理解される、と誤解している。しかし、現実にはチェスの達人、あるいは上達したいなら自分の感情を認識し利用する能力が、差し手を考える能力に負けず劣らず重要になる」と言っています。

 

こういった自分の思考を思考するという行為は、マーティン・セリグマンが研究し、アンジェラ・ダックワースが教えたようなメタ認知に非常に近いと言えます。そして、ポール・タフ氏はこのことを、神経学者たちの実行機能に関する研究とも関係があるように思えたと言います。そして、それは一部の科学者が脳の航空管制に喩えた高次の機能であるというのです。

 

実行機能のうち最も重要なものは、認知における柔軟性と自制の二つです。認知の柔軟性はある問題に対しこれまでとは別の解決を見つける能力、既存の枠組みにとらわれずに考える能力、なじみのない状況に対処する能力であると言われています。認知の自制は、本能あるいは習慣による反応を抑制し、代わりにもっと効果の高い行動をとる能力です。

 

そのため、チェスにおいては、新しい今までとは違ったアイディアを見分ける能力を高める必要があります。独創的な決め手を見逃してはいないか?対戦相手の命取りとなる可能性を秘めた一手を見落としてはいないか?そして、もう一つ、目先を追いたい誘惑にあらがうことも教える必要があるというのです。そして、そのためには思考にともなう習慣を身につけさせるのと同じようなことをします。圧倒的に不利な状況や障害に直面している第318インターミディエート・スクール(IS318)でチェスのコーチをしているエリザベス・スピーゲルはこのことを「自分の間違いをどう理解するか、思考の過程をもっとよく自覚するにはどうしたらいいか。それを教えるといこと」をしていると言っています。

 

このことは保育においても、必要なことだと思います。子どもたちにどれだけ、自分のことを振り返る機会を与えているでしょうか。子どもが考える機会を大人は奪ってはいないでしょうか。どう感じ、どう自覚するのか。その方法はどうしたらいいのでしょうか。スピーゲルはチェスをコーチングするにあたって、さまざまな工夫をしています。

苦労と気質

保育をしていく中で、どうしても難しいクラスがあります。子ども同士がけんかばかりしているクラス。暴れまわるクラス。過去にもそういったクラスはいくつかありました。いわゆる「荒れている」というクラスです。そして、そこにいる子どもたちの姿を見ていて多くの保育者がよく言うのが、「頭はいいのに・・」といった言葉だったりします。知能自体はきっと高いのだと思います。しかし、気質や性格によって我慢できなかったり、衝動的だったりする行動が目立ってしまうのです。そして、そういった子どもたちの影響がクラス全体に波及効果を起こすこともしばしばあります。

 

それはKIPPでも同様のことがおきていました。2007年のクラスで、そのクラスはそれ以前のクラスよりも学業面で素質に恵まれていたと言います。進学先の大学のリストには名門大学もありました。KIPPの卒業生をサポートするダウリングは「素晴らしい知力を持ちながら、かなずしもそれを正しい方向に向けられない生徒たちがいる」と言っています。その生徒たちは課題を終える能力はあるのに、先延ばしにする癖のせいで苦闘している子どもや、深刻な対人関係の問題、精神面の問題を抱えている子どもたちもいる。さらに、57人の卒業生のうち7人が大学で深刻な鬱にかかっているというのです。そして、ダウリングはこれらの一部の生徒については気質の問題だと分かったと説明します。

 

ここで出てきた生徒たちは家族の問題に悩む子や同級生とのつきあいが苦手な子もおり、それが学業への妨げになっていたと言います。そして、ダウリングは「みんないい子です。だけど、貧困の影響は甚大で、粘り強い子どもたちにさえ悪い結果をもたらす」と言っています。まさに、保育現場でも、出てくる子どもの様子は違っていても起きている問題に似ています。KIPPでは卒業生と助言者が月に一度連絡を取り合うのですが、そこでは4つのカテゴリー「学業への備え」「経済的安定」「社会生活を送るうえでの心の健康」「非認知的スキルの習得度」について持続的に評価を受けます。このように卒業生の様子を定点的に見ていくことで、それぞれの生徒の問題になりそうな赤のエリアがすぐに分かるようになり、そうして支援してきました。そうすることで「学士援助の申請書類の〆きり」「勉強の習慣を改善するためのヒント」「ルームメイトや教授と良い関係を築くための提案」などをしていました。そして、そのどれもリバーデールの卒業生ならとっくの昔から親や友人や年上のきょうだいに聞いてきた情報であり、生まれてからどっぷりつかってきたような情報です。

 

「気質については、こんな風に考えることもできる」とタフ氏は言います。気質はリバーデールの生徒が享受している社会的なセーフティネット(家族や学校からのサポート、回り道やミスや間違った決断が生む結果から子どもを守ろうとする文化)の代用品として機能しうるというのです。低所得層の家庭の子どもは当然のごとくセーフティネットを持っていない。だから何か別の方法で補うしかないのです。成功するためには、やり抜く力や社会的知性や自制心が、裕福な家の子どもよりもさらに必要になります。

 

こうした性格の強みを伸ばすには大変な労力がかかります。しかし、とにもかくにもこの能力を身につけ、地雷原を渡り切って大学を卒業したKIPPの生徒なら、同年代のリバーデールの卒業生よりもずっと有利な条件で大人として出発できると実感することだろうと言います。そして、それは経済的な優位ではなく、気質的な優位です。KIPPの生徒が大学を卒業したときに手にしているのは学士号だけではなく、もっと価値のあるものを手に入れているというのです。

 

「苦労は買ってでもしろ」とはよくいったもので、粘り強く物事に取り組むためには自分で悩み、決断をし、失敗や成功をしていく中で、気質は磨かれていくものなのだということが言えるのですね。確かに、私から見ていると乳幼児期の子どもたちを見ていても、保育園の子どもと幼稚園の子どもとでは多少なりとも発達の違いが見られるように思います。これはあくまでも私の主観的な見解ですが、保育園の子どもたちのほうがたくましいようにも見えます。それは、もしかすると子どもたちなりに環境に対応するために様々なことを考え、迷いながらも自ら得ていってるからなのかもしれません。

しなやかな心

「知能は影響を受けやすい」というのは、前回の内容でも紹介されました。しかし、ここで面白いのは様々なことに知能が影響を受けやすいという問題を心理学や神経科学者の間で議論の的になっていることだと言います。もちろん、学力テストのスコアはさまざまな訓練によって左右されるが、知能そのものはそんなに変わるものではないというのです。しかし、スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックが目覚ましい発見をしました。

 

それは実際のところ知能がどこまで影響を受けるのかという問題はいったん置いておいて、知能は影響を受けやすいものだと「信じている」生徒のほうが成績がはるかによかったという点です。そこでドゥエックは人々を二つのタイプに分けました。それは「凝り固まった人々」と「しなやかな心の人々」です。前者は知能や他の能力は本質的に生まれつき変わらなかったものであると思っていて、後者は知能は改善できると信じているというのです。生徒の心のありようを見れば成績の伸びがだいたい予測できるというのです。そして、知能は伸ばすことができると信じている生徒は実際に成績も伸びています。知能そのものが変わろうが変わるまいが、心のありようは確実に変えられます。そのため、正しい対策によって生徒の心のありようを凝り固まったものからしなやかなものへ変えることはできるし、結果としてその方が成績もあがるのです。

 

ジョシュア・アロンソンは心のありようを変えるための対策の効果を比較研究しました。対象は低所得層の7年生(中学1年生)で、一年の間に対象の生徒に大学生の助言者が付きます。そして、一度につき9分、2回顔を合わせた後、定期的に電子メールで連絡を取り合いました。このように無作為に選ばれた1部の生徒にはしなやかな心のありようを作るためのメッセージ、たとえば「知能とは限定された資質ではなく、心の訓練によって拡張できる能力である」といったような事柄で助言者からあたえられます。それとは対照のグループには「薬物の使用は成績にも悪影響を及ぼす」といったありきたりなメッセージを与えました。その学年の終わりに、アロンソンとその同僚は二つのグループを標準学力テストのスコアによって比較しました。その結果、しなやかな心を作るメッセージを聞いた生徒のほうがアンチ・ドラックのメッセージを聞いた生徒よりもはるかにいい成績をあげていました。

 

特に顕著だったのが女子生徒のスコアで、女性の数学のスコアは特にステレオタイプの脅威の影響が表れやすかった。それは女子は数学が苦手であるという典型をなぞる結果になったらどうしようと心配している生徒が大勢いるということが見て取れます。実際の点数を見るとアンチ・ドラックのメッセージを受けた女子生徒の平均点は74点、男子生徒のものより8点低かったそうです。そして、しなやかな心を作るメッセージを受けた女子生徒の平均点は84点で男子生徒の差が完全になくなっていたそうです。

 

これは「しなやかな心」ということで紹介されていますが、これは子どもたちにとって「夢はかなう」ということと同じような内容でもあるように思います。今の社会、「どうせそうは言っても・・・」ということが多いように思います。それはある意味、「自分の今の能力は改善することは無理」と言っているようにも思えます。今の日本で夢を持っている人は他の海外に食らえると比較的に少ないとも言われています。それは人生における成功にも少なからず影響しているのかもしれません。保育者や教育者はここで紹介されている助言者のように子どもたちに関わる必要がありますね。そして、それは結果として、子どもたちの知能の変化や「しなやかな心」にもつながっていくのだということが分かります。