教育

失敗の回避

2010年に経済問題を論じるブロガーであり法科の教授でもあるジェームス・クワックは「有能であっても自信がない」というアメリカの若者の問題について示唆に富んだ投稿をしている。「ハーバードの学生はなぜウォール街を目指すのか?」クワック自身もハーバード大学を卒業した後、多くのクラスメートと同様に経営コンサルタントとして働き始めました。多くのクラスメートと同様に経営コンサルタントとして働き始めた。その道を通るのは、収入がいいからではない。本当の理由は、選ぶことが容易で抗うことの困難な道を会社側が用意するからだと彼は言っています。

 

現在の典型的なハーバード学部生は「とくにこれをやりたいという確固たる願いよりも、成功者になれないことへの恐怖に突き動かされている」とクワックは書いています。アイビー・リーグの学生の卒業後の選択は「おもに二つのルールによって方向づけがなされる。(1)できるかぎり選択の余地を残すこと、(2)先々、標準以上の成果につながる可能性を増やすことだけをする」そして、投資銀行やコンサルティング会社の採用担当者たちはこの心理を熟知しており利用します。仕事は競争が激しく、地位も高いが、応募から入社までのプロセスは画一的で予測がつきやすいのです。

 

採用担当者は学部の3年生に対してこういいます。もしゴールドマンサックスあるいはマッキンゼー・アンド・カンパニー、あるいはほかの同種の会社に入っても、本当に何かを選んでいることにはならない。ただお金を稼いで数年を過ごし、もしかしたらいくらかは世の中のためになったあと、将来のどこかの時点で何をしたいか、何になりたいかについて本当の決断をすればいい。開かれた市場でどうやって仕事についたらいいか分からない人々、人生のある段階からテストを受けることによって次の段階に(可能な限り最高の者を選びながら)進んできた人々にとって、これはすべてごく自然な流れである。

 

社会に出てから、将来何をしたいのか、どうしたいのかを考える人が多いということがわかります。そして、そこの段階に行くまではできるだけ失敗したくない。失敗のない人生を送りたくないという思考になってくるのでしょう。投資銀行や経営コンサルティングの仕事においては、自分のある程度、予想のつく困難が待ち受けており、そこで数年修行をすることで、新しい道を選ぶことができる力を養うのですね。つまり、会社に入ることで失敗を経験する機会を得る。そこにはある程度の保証があることが重要なのでしょう。それも一種の失敗の回避の形なのかもしれません。

 

これらの学生の動きに関しては、私も分かるところです。できるだけ失敗はしたくありませんし、順風満帆の中で進んでいきたいのは当然のことです。しかし、どこかの時点で壁にぶち当たります。私も大きな挫折を感じることがありましたが、その時は周りにいる仲間や先輩や恩師が支えてくれ、自分を見返す機会をもらいました。そして、その機会は自分の人間性を見直すとても大きなターニングポイントにもなったとおもいます。それが、思春期や乳幼児期のころに養えるのであればそれに越したことはなく、大人になって壁にぶち当たったときに、私のような周りに出会いがなかったら、もしかしたら、気持ちを切り替えられず、鬱などの精神疾患にかかっていたかもしれません。そういったことを考えていくと非認知的能力は、今の時代を物語る「生きる力」なのだろうと思います。

日本の若者意識

ポール・タフ氏はアメリカで勉強ができる若者たちは勉強を懸命にしたが難しい決断をする必要の無く、あるいは本物の難題に直面する必要の無かった。そういった子どもたちが実社会に出たときには、有能ではあっても自信がないというのです。こういった傾向は日本でも同様のことが言えるように思います。では、実際のところ日本はどうなのでしょうか。

 

内閣府の「子ども・若者白書」の中にある「特集1 日本の若者意識の現状」で紹介されていました。この調査のポイントの一つに日本の若者は、諸外国の若者と比べて、自信を肯定的に捉えているものの割合が低い傾向にあるが、日本の若者の自己肯定感の低さには自分が役に立たないと感じる自己有用感の低さが関わっていることが紹介されています。そして、そういった内容を諸外国の若者と比べることで今の日本がよくわかります。

 

この若者の意識の特徴及び問題などを把握し、子ども・若者の育成支援に関する施策の参考とするために平成30(2018)年度に「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」を実施しました。その内容を見ていくと日本の若者の現状が見えてきます。まず、「自分自身に満足している」という割合を見ていくとそう思うは10.4%、どちらかといえばそう思うが34.7%でした。足しても45%しかおらず、半数にも満たしていません。これを高いと見るか低いと見るかですが、これを諸外国と比べるとどう見えるでしょうか。お隣の韓国は「自分自身に満足している」の質問に対し、そう思うは36.3%、どちらかといえばそう思うは37.2%で、「そう思う」が日本の約3倍となっています。ポール・タフ氏のいるアメリカはどうなのでしょうか。アメリカは「そう思う」は57.9%とほぼ6倍とかなり違います。日本の「そう思う」と「どちらかと言えばそう思う」を足しても、アメリカには満たないのです。その他にも「自分には長所がある」という質問に対して「そう思う」というのが16.3%でほかの諸外国に対して1/2の数字になっていました。

 

一方で「自分は役に立たないと強く感じる」という質問では「そう思う」または「どちらかといえばそう思う」と回答したものの割合は51.8%であり、これはドイツ、フランス、スウェーデンに比べると高いのですが、アメリカイギリスよりは若干低く、韓国と同程度であった。この「自分は役に立たないと強く感じる」という質問ですが、これに「そう思う」または「どちらかといえばそう思う」と回答した者ほど、「自分自身に満足している」に「そう思う」または「どちらかといえばそう思う」と回答した者の割合が低かったが、諸外国の若者に同様の関係は見られなかった。この関係性からはどういったことが見えてくるのでしょうか。

 

ほかにも「自分の親から愛されている(大切にされている)と思う」という質問は「そう思う」と「どちらかというとそう思う」を足すと79%と非常に高い数値になっています。これが何を意味しているのでしょうか。初めに書いたようにタフ氏は「有能であっても、自信がない」ということに親の距離感の話がありました。高LGのラットのように子どもを愛することはあっても、失敗をして逆境を乗り越える経験をする子どもが多いのかもしれません。そして、それが自己有用感を高めることにもつながっていないようにも思います。それだけ今の時代、子どもが自分で決断し、考え実行するという機会が減ってきており、おのずと自身で失敗することもなければ、成功することも少なくなってきているのかもしれません。

有能であっても・・・

本当の成功者になるためにはどういったことが必要なのでしょうか。タフ氏は本当に成功者になってほしいならまずは失敗させる必要があると言っています。もっと正確に言えば、失敗を何とかすることを学ばせる必要があるのです。失敗をどう扱い、失敗からどう学ぶかを知ることの重要性はこれまでも紹介されていました。

 

中でもチェスのコーチ、エリザベル・スピーゲルはそれ(失敗からどう学ぶかを知る)を教える専門家です。彼女は生徒たちがたくさん失敗するのを当たり前のこととして受け止めていました。彼女の仕事は生徒が失敗することを防ぐことではなく、それぞれの失敗から学ぶ方法、自分の失敗を瞬きもせずまっすぐに見つめる方法、自分がしくじった理由と真正面から向き合う方法を教えることでした。それができれば次の時はもっとうまくいくというのです。「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」のタフ氏の記事を読んで連絡してきたリバーデールの教員や理事、さらに多くの私立学校の教員や親や卒業生と話をしていても、彼らが一番心配していたのもまさにこの問題でした。つまり、子どもたちが逆境から過度に守られているせいで、失敗を克服したり、失敗から学んだりする能力を伸ばせずにいることだったのです。

 

タフ氏はリバーデールの記事を書きながら、現在社会の豊かさゆえの不安をたびたび感じ取ったと言います。能力主義の追求という、アメリカがたどってきた道筋の中で何かがうまくいかなくなってしまったという感覚。若い人々がアメリカで最高の高等教育機関を卒業しながら、素晴らしい卒業証書と研ぎ澄まされた受験テクニックのほかには世の中で道を切り開いていけるだけのものを持っていないという現実。昨今ではアメリカ最良の大学を卒業した起業家というのは減ってきているそうです。急進的な改革者も、アーティストも、誰も彼もが減っているのです。例外は投資銀行家と経営コンサルタントで、ニューヨーク・タイムズ紙の最近の報告によれば、2010年のプリンストン大学の新卒者の36%が金融業界に就職し、26%がプリンストン大学が突出して強い職種、つまり経営コンサルティングの仕事についています。言い換えるとクラスの半分が投資かコンサルティングの世界に入るということが言えます。

 

アメリカでもっとも頭のいい部類の若者の多くが、個人の満足度や社会的貢献度が高いことで有名な「わけではない」職種に送り込まれている事実はリバーデールの教員がタフ氏に話した内容とつながっていると言っています。つまり、勉強は懸命にしたが難しい決断をする必要の無かった、あるいは本物の難題に直面する必要の無かった子どもたちが実社会に出たときには、有能ではあっても自信がないというのです。

 

「有能であっても自分に自信がない」これは日本でも同じことが言えるように思います。

失敗と距離感

タフ氏は自分の息子がまだ小さかったころに一番影響を受けたのはマイケル・ミニーのラットの実験だったと言います。これは以前にブログに書いた高LG(子どもをよく毛づくろいしたり、なめたりしたグループ)と低LGのグループのラットの比較から子どもに親の影響がどれくらい出るかという研究です。

 

タフ氏は赤ん坊だった息子と遊んでいるときにミニーの実験の子ラットのことを思い出していたそうです。そして、高LGの母ラットとは人間ではどういったものだろうかと考えたのです。それは常に心配そうに子どものまわりにいるヘリコプターペアレンツとは違いますし、絶えず毛づくろいやなめまわしたりもしません。母ラットがそうするのはある特別な状況。それは子ラットがストレスを感じたときだ。まるで大事なスキルを教え込もうとしているかのようだったのです。刺激を受けたストレス対応システムをうまく管理して休止状態に戻す方法だ。人間の幼児でこのスキルにあたるのは、癇癪を起したあとやひどくおびえた後に落ち着きを取り戻すことだとタフ氏は思い、それを息子にエリントンに覚えさせようと集中します。

 

しかし、人間の場合、ラットのようになめたり、毛づくろいすることがその行為ではありません。人間の場合、高LGに相当する行為があるとすれば、慰めたり、ハグをしたり、話しかけたりして安心させることのはずです。タフ氏は妻と一緒に息子に対し、そういった行為をたくさんしました。それが息子の性格に、そして、最終的な幸福と成功に、他の何をするよりも大きな違いを生むはずだと予測していたからです。

 

しかし、息子が大きくなるにつれ、大多数の親たち同様に気づいたのが、愛情やハグ以上のものが必要になってきました。それは規律、規則、限度などです。はっきりとノーと言える人間が要るようになったのです。そして、なによりも必要だったのが子どもに見合った大きな逆境、転んでも一人で、助けもなく起き上がる機会でした。タフ氏にとってはこのことの方が難しかったと言います。子どもにすべてを与えたい、子どもをすべての害悪から守りたいという衝動と、本当に成功者になってほしいならまずは失敗させる必要があるという知識との葛藤です。もっと正確に言えば、失敗を何とかすることを学ばせる必要があるのです。失敗をどう扱い、失敗からどう学ぶかを知ることの重要性はポール・タフ氏の本からこれまでのブログで紹介してきたところです。

 

この葛藤は親としては当然なのだと思います。子どもを大切にしたいからこそ、さまざまな困難から子どもを守ってあげたい。自分が苦労した人間であればなおさら子どもにそんな苦労を味あわせたくないという気持ちは親として当然の感情です。しかし、その失敗を持たないことが子どもの自制心や自律心を阻害し、結果として子どもたちの将来のためにならないのであれば、大人はどう子どもとの距離感を取ればいいのでしょうか。保育においても、子育てにおいても、このことはよく考えなければいけません。今の時代、少子高齢化が進み、子どもの数よりもそれを取り囲む大人の数のほうが多くなっています。そのため、子どもの自由というものに対して、大人の管理が行き届きすぎているのかもしれません。

親子関係と成功

ポール・タフ氏が息子エリントンが生まれた当時は「知能至上主義」がまだまだ強い時代でした。そのため、彼自身も他の親同様の心配を持っていました。もし脳の力を育成する教育用のカードを使わなかったら、あるいは分娩室でモーツァルトのCDをかけることや、曽於語も幼稚園の入学テストで満点をとるまでモーツァルトを浴びせ続けることを怠ったせいで、息子が成功者になれなかったらどうしようと考えたそうです。しかし、彼はその後読み始めた様々な脳科学者たちの研究は違う方向を示していました。確かに、最初の数年は子どもの脳の発達にとって決定的に重要ではあるのですが、その間に子どもが獲得する寛容なスキルは教育用カードで教えられるものではないと科学者たちは言います。

 

タフ氏は息子が読み書きができるようになるかどうかは、これを知ったからといって、突如心配もしなくなったというわけではないが、そうした特定のスキルは私が何をしようと遅かれ早かれ身につくだろうと思うようになった。なぜなら、本に囲まれ、読書が好きで計算も容易にできる両親と暮らしているのだからというのです。それよりもタフ氏が自信が持てなかったのは、性格についてでした。

 

もちろん、個人の性格は文化や家族、遺伝子、自由意志、運などのあいだで起こります。はっきりとは特定できないあらゆる種類の相互作用によって発達するのです。しかし、新世代の神経科学者たちが成し遂げた最も深遠な発見は、子どもの脳の化学作用と成人の心理の間に強力につながることなのです。私たちが性格と呼ぶ崇高で複雑な人間の性質の奥底にあるものは、科学者たちの発見によれば、発達段階にある幼児の脳内、胎内の特定の化学物質による平凡で機械的な相互作用です。もちろん、化学作用は運命ではありません。しかし、勇敢で好奇心が強く親切で賢明な成人を生み出す一番確かな方法は、幼児の頃にHPA軸(ストレス対応システム)をうまく機能させることであると実証されています。

 

では、このHPA軸をうまく機能させるにはどうしたらいいのでしょうか?まず、深刻な心的外傷と慢性的なストレスから可能な限り子どもを守ること。次に、これがさらに重要だが、少なくとも一人の親(理想的には2人)と安定した、愛情深い関係を築くこと、これが成功の秘訣のすべてではないが、とても大きな一部であると言われています。

 

そして、タフ氏はマイケル・ミニーのラットの研究を息子に当てはめて、実践していく中で一つのことを見つけていきます。そこには親と子ども、大人と子どもの関係性において一つの大切なことを示しており、このことはまさに「見守る保育」においても通じるものであるように思います。

 

それはいったいどういったところなのでしょうか。