教育
アメリカでは保守派が性格が重要であるという主張が正しいことが科学的に示されたのですが、貧困に関する典型的な保守派の議論が一歩及んでいないことがあるそうです。なぜなら保守派の主張が「性格が重要である・・以上」で止まってしまうからです。彼ら自身の力でそうなってもらうしかない。言って聞かせることはできるし、罰則を設けることもできるが、我々の責任はそこまでだ、というわけなのです。つまり、「性格が重要である」とは言っているものの、それは生まれながらであり、そこに関するアプローチは何もできていないのです。
しかし、実際のところ、科学によって、和解人々の成功にとって極めて重要な役割を果たす性格の強みは、生まれながらのものではないということが分かってきました。そのため、幸福や良質な遺伝子の結果として魔法のように現れるものではないのです。脳内の化学反応に根差し、子どもが育つ環境によって形づくられるため、ある程度は計測、予測が可能です。つまり、社会全体としての私たちにも多大な影響力があるというのです。誕生から大学を出るまでのあいだ、どういう種類の支援策が強みやスキルを伸ばすかについてはいまやたくさんのことがわかっています。親は格好の媒体ですが、唯一の媒体ではない。強みの形成を助ける力はソーシャルワーカーからも、教員からも、聖職者からも、小児科医からも、近隣の住人からも発することができる。たすけとなる支援策はどこから提供されるべきか、政府からか、非営利団体からか、またはそのどれもの組み合わせかを議論することができます。どちらにしても、我々にはできることは何もないとはいえないことが分かってきました。
このことは日本においてももっと主張されてもいいのではないかと思います。日本においては「母親神話」とでも言われるほど、「母親が子どもを見なければいけない」と言われる風潮があまりにも強いように思います。いまだ、育児休暇の取得率は女性にくらべ、男性の取得率は低いままであったり、まだまだ女性と子どもとの関係が限定されて見られる風潮が残っているように思います。確かに母親との愛着は非常に子どもにとっての影響は少なくはありません。しかし、それだけではなく、父親にしても、社会においても、子どもを取り囲む環境にこそ、影響を受けているのを忘れてはいけません。また、これは保育現場においても、言える内容であり、未だ保護者の目線は子どもに影響を及ぼすのは先生や教職員であるという意見も多くあります。そのため、親からしても「あの先生は当たり」と言われてあり、逆に「あの先生ははずれ」というように見られることが多くあります。確かに一人の先生に限定した保育で行われるのであれば、一人の先生の影響は大きいのかもしれません。しかし、子どもたちが様々な環境のなかで性格の強みを持っていくのであれば、その環境はもっと多様性があったほうが良いのかもしれません。
現在私の園では職員が複数で保育をするようにしています。それは子どもたちが社会の中で生きていくという意味合いも多くあります。いろいろな人と関わる中で、自分を知り、自分をコントロールする力を見つけてほしいと思っています。今は「子どもたちを大切にする。」「丁寧な保育」という見方がかえって過保護な環境になっているのかもしれません。そして、その目線はすべて子どもたちにばかり目がいきがちです。それよりも子どもを取り囲む環境こそ本来目を向けるべきで、それは家庭や教育現場だけではなく、地域や社会においても子どもを中心に見ていく必要があるのだと思います。
2020年4月11日 5:00 PM |
カテゴリー:教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
「成功する子・失敗する子」の著者ポール・タフ氏は教育改革の関係者は、成功への主な障害は学校のシステムのなかにあると思いたがると言っています。そして、障害を克服留守ための解決策もまた教室の中で見つかるとしているというのです。これに比べて、改革に懐疑的な人々は、低所得層の子どもの成績が悪い原因を学校の外に求めたがると言っています。
実際に、彼らがその原因だとするリストを見ると、食の安全が保たれていないだとか、ヘルスケアや公営住宅が不十分であるといったこと、人種差別や個人の力を超えたものだとか、そういったものが低所得層の子どもの成績に影響していると言っています。確かにそういった問題は現実的にあります。しかし、それらが貧しい子どもたちの直面する最大の障壁ではないとタフ氏は言っています。本当の障害は高レベルのストレスを生み出す家庭やコミュニティであり、そのストレスに子どもがうまく対処するのを助けるはずのアタッチメントが欠けていることだと言っています。
では、なぜ、貧困が関わる学業不振の根本的な原因を探すときに、間違った犯人に焦点を合わせ、科学が教えてくれる最大のダメージを無視してしまうのか。理由は3つあるとタフ氏は言います。一つ目に、当の科学的な見解そのものがあまりよく知られていない。あるいはあまりよく理解されていないという点です。いいたいことを説明するときに「HPA軸」のような用語をつかうときにはいつも苦労すると言っています。確かに、こういった貧困やそれにおける子どもの様子が話されるときにデータから読み解くことはあっても、アタッチメントや心情、内面の部分は非常に感情論で話されることが多いように思います。しかし、タフ氏が著書の中にあるように、最近では様々な研究や脳科学の進歩によって、科学的にその影響というものが読み取れるエビデンスが出てきました。こういったことはもっとこれからの子どもたちの教育現場や保育現場にももっと取り入れられるべきものではないかと思います。そして、こういった理屈であったり、理論というものにもっと目を向けることは今後の保育や教育においても非常に重要な意味合いがあるようにも思います。
そして、第2に低所得の家庭に暮らしていないものは、貧困家庭における家族の機能不全いついて話すことに、落ち着かないものを感じるという点です。他人の家庭を取り上げて公然と批判的に議論するのは無礼であり、特に自分が持っているものを相手が持っていない場合、その相手のことを話すのは失礼にあたるのではないかという点があります。
第3は新しい逆境の科学は複雑に絡み合ったもので、その中には根深い政治信念に反する難題が含まれるという点です。アメリカにおいてリベラル(自由主義)にとっては、保守派がある大事な一点において正しいことが科学的に示されてしまった。性格が重要であるという点においてである。貧困に対抗する手段として、不利な状況にある若者たちに私たちが差し出せる最も価値あるツールは「性格の強み」をおいてほかにないというのはこれまでのタフ氏の紹介した話の中でもたびたび言われています。つまり、誠実さ、やり抜く力、レジリエンス、粘り強さ、オプティミズムです。
日本においては、子どもたちの育ちよりも、成績や学歴といったものがまだまだ重視され、性格の強みといったものはまだまだ、それほど注目されていないようにも思います。これから「道徳」の教科化がされましたが、それがどれほど、効果があるのか、私は教科化以上にもっと乳幼児からの積み重ねこそが、「道徳」の教科の中で最も教えたいことにつながるようにも思います。そして、こういったことの積み重ねを小学校やその先の中学校以上の教育においても連携していくことが最も重要な意味を持っていくとも思います。学歴や成績はその前提がなければいけないようにも思います。
2020年4月10日 5:00 PM |
カテゴリー:教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
前回、政府の機関やプログラムによって、その場しのぎのバラバラなシステムにより、子ども時代の一部や思春期の一部を断片的にしか支援することができず、それらの管轄がそれぞれ連携不足になることによって、かえって、ストレスがたまったり、疎外感や屈辱を感じることにつながるということが言われました。では、どうしたら低所得層の子どもたちは成功や幸福を手に入れることができるようになるのでしょうか。
タフ氏はこういったシステムとは別のものを作り出すこともできたのではないかと言っています。初めは総合的な子ども健康センターだとしても、心的外傷に焦点を合わせ、社会福祉による支援も盛り込んだケアがすべての患者に行われる場所。これは望ましいアタッチメントを築くための親への支援策にもつながっていくことになります。就園前なら、幼い子どもの実行機能の能力と自制心を育てる「心の道具」のようなプログラムなどを使うことも必要です。その後子どもたちを矯正クラスに追い込むような学校ではなく、かれらにあえてレベルの高い課題を課す学校に勧めるようにする必要があります。そこでは教室内で受けている学力向上への助けがどんなものであれ、それを補う形で教室の外からの社会福祉、心理学的な指導、性格形成のための指導による支援策が必要になります。それはポール・タフ氏が紹介したフェンガー高校などで取り入れられたものなど低所得地区の学校に提供されているものが近い形態のものです。高校ではワンゴールやKIPPが実施しているプログラムのようなものであれば恩恵を受けられるだろうとタフ氏は言います。彼らをより高い教育へと導くプログラム、学業面だけでなく感情面、精神面でも大学進学への準備を察せてくれるプログラムが良いのではないかと言っています。
きちんとパイプのつながったこうしたシステムを、失敗のリスクの最も高い10から15%の生徒を対象としてつくったら、間違いなくかなりの費用がかかるでしょうが、現行のその場しのぎのシステムよりは安く上がるのではないだろうかとタフ氏は言います。いくつもの人生を救えるだけでなく、資金の節約にもなるというのです。
こういったところに関して、日本では「学習指導」と「生活指導」があり、それが実際のところ、多くの学校教育現場において、教育者の負担になっているというのですが、この生徒指導というのが、KIPPのシステムのような大学進学における一つの相談窓口のような意味合いがあるように思います。しかし、大きく違うのが先の学校を見つけることや進むまでのフォローはしても、言った後のアフターケアのようなものはしないのです。しかし、そういったことをしているだけでも、日本の場合は大きく違うのかもしれません。「生活指導」があるおかげで日本の学校教育はAI化されないのかもしれないとも言われています。現在、コロナウィルスで遠隔教育が叫ばれていますが、一方的に教えるだけではAIでできる時代です。タフ氏の話でも「学業面だけでなく、感情面、精神面でも大学進学への準備を察せてくれるプログラムのほうが良いのではないか」というように「感情面、精神面」にももっと目線を持っていかなければいけないように思います。そして、そのためには各教育現場においても、しっかりとした連携が求められるように思います。そして、その連携は「発達」など、「感情面」や「精神面」といった「人格形成」の面にももっと目をかけていかなければいけないのではないかとおもうのです。
2020年4月9日 5:00 PM |
カテゴリー:教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
教員の質にばらつきがあることが生徒たちの成績の差に及ぼす影響はせいぜい10%以下だと結論付けられています。そして、教育改革の中で大きな成果を上げている多くが、低所得者層の中でも上層の子どもたちの間でうまく機能しているがそれよりも下の層の子どもたちにはあまり機能していないのです。結果的にその場しのぎのシステムにすぎず、子どもの時代の一部、思春期の一部を断片的に支援することしかできていないのが現状だとタフ氏は言います。
こういったとぎれとぎれの子どもたちのシステムの問題は結果的に児童福祉局を含む様々な社会福祉事業や学校においても影響があり、まともなスキルを身につけないまま高校を卒業してしまうようなことも起きてしまいます。低所得者層の子どもたちは救われる手立てから漏れてしまっているのです。このシステムには里親家庭や少年院、保護観察官なども含まれています。
こうした機関がうまく運営されていたり、力のあるスタッフが集められていたりすることはほとんどないと言います。そして、彼らの仕事ではたいてい連携不足も起こっていると言います。子どもやその家族についていえば、これらの機関と関わることでストレスがたまり、疎外感を覚え、屈辱すら感じるというのはよくあることです。システム全体を眺めても、莫大な費用がかかるわりにひどく効率が悪く、成功の度合いは極めて低い。このシステムを通過して育った子どもに大卒者はまずいなく、幸福と成功に満ちた人生を示す他のしるし(やりがいのある仕事や健全な家族。安定した家庭など)もほとんど見られない。
このことは日本に置き換えてみるとどうなのでしょうか。日本においても貧困と虐待などの子どもの逆境との関連は無縁ではなく、全国児童相談所長会の「全国児童相談所における家庭支援の取り組み状況調査」(2009)によれば、虐待につながると思われる家庭・家族の状況として、「経済的な困難」33.6%「不安定な就労」16.2%であり、約半数が貧困家庭であり、社会保障審議会児童部会の報告では、児童虐待による死亡事例として都道府県を判断したケースを対象に家庭の経済状況を調査しています。そこには虐待で児童が死亡したケースのうち、「生活保護世帯」「市町村民税非課税世帯」を合計した割合が2005年で66.7%2006年で84.2%とされています。様々なデータから親の労働や貧困の問題が児童虐待にも深く結びついていることが見えてきます。
日本においても、低所得層と子どもたちの幸福と成功に満ちた人生への取り組みは非常に重要な意味を持つようにもおもいます。保幼小中の連携においても、ずいぶんと前からそこにおける連携には大きく課題があり、それぞれが分断された教育のあり方に固執するあまり、子どもの様子や発達へのアプローチが置き去りになっているように思います。このことはどの国においても大きな課題になっているのですね。
2020年4月8日 5:00 PM |
カテゴリー:教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
様々な研究者の研究によって、教員の質にばらつきがあることが生徒たちの成績の差に及ぼす影響がせいぜい10%以下だろうと結論付けています。それはどういったことなのでしょうか。これは教育の議論と貧困の議論を一つにまとめることのマイナス面であるとタフ氏は言います。なぜなら「どうやって教員の質を改善するか?」が唯一の重要な問題であると考えたくなるからです。しかしそれははるかに大きくて深い問題(大勢の貧しい子どもたちがチャンスを得らえられ、現状を劇的に改善するために国家規模で何ができるのか)のほんの小さな一部に過ぎないからなのです。
貧困をめぐる議論が教育改革の議論へと融合して消えた課程で、もう一つ重要な事実を見失っているというのです。大きな成果をあげているチャーター・スクールを含め、最も復旧している学校改革の多くが、低所得者層の中でも上層の子どもたちの間でうまく機能し、最下層の子どもたちの場合には機能しないことがたびたびあるという点です。本当に貧困な家庭で育っている子どもたちがアメリカには700万人以上いるわけだが、そういった家庭の子どもたちは考えなくてすむような学業への障害に数えきれないほど直面することになります。
まず、そもそも経済上に問題があります。おそらくまともな場所に住めないだろうし、栄養のある食事もとれません。新しい服や本や教育効果のあるおもちゃが買えないことは言うまでもありません。しかし実際、直面する学習への障害の最たるものは、家族が何を買えるか買えないかといった問題を超えた深刻なものである可能性は高くあります。家族にそれだけしか収入がないとなると、家庭内にフルタイムで働いている大人がいないのはほぼ確実になります。それは単に仕事がないだけかもしれない。親、あるいは両親に障害があったり、うつ病だったり、何かの依存症だったりといった雇用の妨げになる原因があるかもしれません。アメリカにおいて、こういった家庭の保護者はあまり教育を受けておらず、一度も結婚したことのないシングルマザーである確率が高くあります。そして、統計的に見て、あなたの保護者は虐待、あるいは育児放棄の疑いがあるとして児童福祉局に報告されたことのある可能性も高くあります。
神経科学者や心理学者の研究からわかっているところによれば、こうした家庭に育っている生徒はACE(子ども時代の逆境)の数値が高く、保護者との安定した愛着(ストレスや心的外傷の緩衝材となるもの)を築いている可能性が低い。これによって実行機能の能力も平均より低くなる傾向が強く、ストレスの多い状況に対処するのに困難を覚えるケースが多い。教室では集中力が低く、対人スキルに欠け、じっと座っていられなかったり指示に従うことができなかったりするそうです。結果、教師の目には問題行動と映るのです。
こういった環境下におかれた子どもたちは助けを必要としているにも関わらず、アメリカンの学校改革で作り出された方策はきっちりと機能しているとはいえず、低所得層のなかでも比較的余裕のある、年収4万1千ドル前後の家庭の子どもに有効であっても、それより深刻な状況にある子どもたちにはまだ、有用性は至っていないのです。結果的に、その場しのぎのプログラムや政府の期間になり、子ども時代の一部、思春期の一部を断片的に支援することにしかならなかったのです。
2020年4月7日 5:00 PM |
カテゴリー:教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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