教育

アジアの子育て事情

日本では世代を超えて、比較的「祖父母の子育て」に肯定的な認識を持っている人が多いように見えるというのは韓国の国際交流コーディネーターで通訳のリ・ナオルです。韓国では「子育ての作業の終わり、そして、子どもの子どもを育てる作業の始まり」というCMが流れるくらい孫育ては祖父母が行っているのです。そのため、孫を持つ世代には負担の重さを、そして、子どもの世話を親に任せている世代には「親に申し訳ない」という罪悪感を思い起こさせるようなCMが生まれるのです。こうした祖父母から何らかの育児支援を受けている家庭37.8%であったと2018年全国保育実態調査で表されていました。こうした祖父母の孫育ては祖父母世代にとって生きがいになる一方で、負担やストレス、教育方針の違いからくる子どもとの摩擦などネガティブな影響も話題に上がっています。

 

では、日本ではどうなのでしょうか。日本では世代を超えて、比較的「祖父母の子育て」に肯定的な認識を持っている人が多いように見えるとリ・ナオルは言います。内閣府の「家族と地域における子育てに関する意識調査」(2014年)によれば、子どもが小学校に入学するまでの間、祖父母が育児の手助けをすることが望ましいかとの設問に「望ましい」と答えた割合が78.7%に達しています。

 

これを韓国との比較で考えてみると、日本では韓国に比べ同居しながら孫育てをするケースが少ないということも、負担感の低さにつながっているのかもしれないということが見えてきました。韓国の場合は祖父母と孫の同居率は20%を超えるが(2015年韓国統計庁調査)、日本は6.7%(2015年第一生命経済研究調査)というデータもあります。当然、同居のほうが祖父母世代、父母世代ともにストレスを感じる可能性は高まるでしょう。ちなみに韓国でも、同居での子育ての割合は減少傾向にあるそうです。

 

また、日本では韓国人よりも日本人のほうが、家族といえども一定の距離を置きながら付き合うということに慣れている面があるように見えます。

 

では、次に中国はどうなのでしょうか。女性の就業率が日本は51%、韓国では53%と同程度なのに対し、中国は61%と高い推移があります。社会主義の仕組みの中で、夫婦共働きが一般的だったためと考えられます。しかし、0~3歳児をもつ中国人女性の悩みは比較、「産休は半年しかもらえず、父母は退職前で面倒を見てくれず、幼稚園は3歳から。どうすればいいのでしょうか。仕事をやめなければいけないのでしょうか」といった若い母親のインターネットの書き込みが目立つといいます。中国も子育て関連の公的支援が充実しているとは言えないようです。多くは祖父母に頼ったり、ベビーシッターを雇ったりしているそうです。

 

リ・ナオルはこうした中国の実態を受け、1990年だにヒラリー・クリントン米大統領夫人(当時)が書いた『(子育てには)村全体が関わる必要がある』という本を思い起こされると言っています。子育ては両親はもちろん、祖父母、そして保育所などの教育機関と、多くの大人が関わってやっとできるものだというのです。曽部母に過重な負担がかからない形を探ってこそうまくいくのではないかとリ・ナオルは言っています。

 

確かに、祖父母が子育てに参加するのは有益な部分があるのだろうことはわかりました。しかし、その反面、同居など近すぎるのは双方にとってもストレスにもなるようなことがアジアの子育ての実態から見えてきます。最終的には、祖父母においても一つの「人的環境」であり、子どもを取り囲む、地域や教育機関においても、各々の役割があり、その中で子どもたちを育てることの必要性が見えてきます。その過程は、人は社会の中にこそ、子育ての本質があるということが同様に見えてくる気がします。「誰が育てる」ではなく「みんなで育てる」という意識は、子どもの育ちだけではなく、両親や祖父母にとってもいい作用を生むのですね。

それぞれの役割

 

高齢者が孫との交流で起きる身体機能の向上があげられるといわれています。一つは社会参加の機会が増えることです。そして、社会参加の機会が増えることで、幸福感や認知機能の向上をもたらすことにつながるというのです。これはオーストラリア在住のジャーナリスト、デボラ・ホジソンの記事ですが、オーストラリアの「女性の健康的な加齢プロジェクト」の報告では、約200人の女性について、認知症リスクの検査結果を20年にわたり追跡調査したら、定期的に孫の世話をする人のほうが認知力は高かったというのです。

 

なぜ、こういった認知力が高くなったのでしょうか。同プロジェクトに参加するメルボルン大学医学部のカサンドラ・サーケ准教授は「子どもの世話をすると、人は幸せな気持ちになる。それが認知症リスクの低減につながる」といっています。認知症リスクとなるのは喫煙や肥満と同様、孤独や孤立は認知症のリスク要因となるといわれており、家族と触れ合える喜びが意識を鮮明に保ってくれるから、認知力が高くなったのではないかと言われているのです。

 

子どもたちにとっても、祖父母は自分を幸せにしてくれる力を持つ存在としてあるようです。孫育てに関するベストセラーのある精神科医のアーサー・コーンヘイバーによると、祖父母による孫への「無条件の受容」は大きな意味を持つといっています。そして、高齢者と子どもはお互いに必要とし合い、「孫育て」こそもっとも純粋な無条件の愛のカタチだと言っています。実際、家族のカウンセリングに(両親だけではなく)祖父母も参加すると、子どもが急に心を開いてくれることがあったとコーンヘイバー自体もそういった経験をしたそうです。

 

また、赤ちゃんの発達に必要な多くのものと同様に、祖父母との関わりも0~3歳くらいまでの時期が最も重要だとコーンヘイバーは言っています。この段階は赤ちゃんが想像力豊かな子どもに育つうえで大切な時期です。その過程で祖父母にできることは、「遊び心と想像力の持ち主として孫に接すること。」共働きの両親に比べ、祖父母は時間的に余裕があります。だから子どもが新しい経験をし、それを消化し、記憶に刻み込むまで、じっくり待ってあげられるのです。つまり、祖父母は子どの想像力を養う良き「魔法使い」の役割を果たせるのです。

 

もう一つの役割として、「無償のインストラクター」としての役割です。子どもにとって、祖父母は自分(子ども)の両親の生い立ちや先祖の歴史を知っている人です。そのため、子どもが両親から自立したがる年齢になると祖父母は孫の「大切な秘密」を守ってくれる信頼できる友、あるいは共犯者の役を担うようになれるのです。ほかにも孫が釣りや編み物など趣味を見つけるようになると忙しい両親に変わって、関わることができます。これが「無償のインストラクター」ということになるのです。

これらのように祖父母ができることはたくさんあります。とはいえ、子育ての中心は両親であり、子育ての中核に手を出すのは控えたほうが良いとコーンヘイバーは言います。

 

子どものケアにはいくつもの「層」があり、それぞれが別な役割を果たしている。だから、その層を突き破ることは望ましくないというのです。親が不在でない限り、祖父母は親の層を侵害するべきではない。祖父母に親の代わりをしてほしいと願う子はいない。むしろ(親に内緒で)冒険の仲間になってほしいと思っている」というのです。

 

確かに、考えてみると祖父母は親の代わりになることはありません。しかし、親に秘密でおもちゃを買ってもらったり、特別な役割として祖父母の存在は子どもにとってはありがたい存在でもあります。逆に両親とだけ一緒であると、それはそれで窮屈な部分はあるのかもしれません。

育児と高齢者

少子高齢化は今の社会において、かなり大きな問題になっています。子どもが少なくなってくるというのは非常に問題です。それは社会を維持できなくなってくるからです。増えていく高齢者、その人たちを支えるためにある年金制度、今でもこれから社会に出ていく若者たちは年金がもらえるのだろうかということが先を見た問題として挙がってきていますが、その一方で、高齢者が孫と関わる機会というものに大きな意味があるということも言われています。このことについて「News Week 3月号」に紹介されていました。

 

まず、これまでの祖父母の役割といえば、家族の「長老」としての役割です。一族の歴史を語り、処世術を教え、小さな子に楽しい時間を過ごさせ、時には内緒ばなしを聞いてあげる、一方で、孫の親(自分の子ども)に対しては頼れる相談役となり、子育てを応援するといった役割です。それと同時に、孫の世話をするということは、乳幼児のケアから育児全般にわたって知識を更新しなければいけないのです。安全、しつけ、栄養、テレビやゲームの制限などなど。今の時代はこれまでの時代より、社会の変化も大きく、孫と関わることにおいても学ぶことも多ければ、アップデートしなければいけない部分も多くあるといいます。

 

しかし、医学の進歩や生活スタイルが昔とは異なり、今の時代の高齢者は元気な方が多いです。そのため、これらすべての役を元気にこなせる賢い高齢世代が多くこれは人類史上初の時代ではないだろうかと言われています。今の高齢者は孫とサッカーに興じれる人もいれば、たいていは親世代より裕福だから、我が子の住宅購入を援助することもできる。孫のピアノ教室代も払えるかもしれない。今の時代だと離れていても、インターネット通信アプリを使い、子どもたちとリアルタイムにつながることにも繋がることすらできます。

 

初めて孫を持つ年齢は年々上昇しているが、退職年齢を過ぎても仕事を続ける人が増える一方で、単身家庭の子育てを献身的に支える人も増えています。とはいえ、祖父母の立場は千差万別で、フルタイムで孫の面倒を見る人もいれば、すっかり疎遠になって孫と顔を併せない人もいるのです。

 

保育の現場を見ていても、お迎えは保護者ではなく祖父母を頼る保護者は多くいます。女性の社会進出が進められていく中で、祖父母の協力というのは大きな余裕とゆとりを家庭にもたらしてくれているのを感じます。そして、これは保護者側だけではないようです。孫の世話をすることは、祖父母世代にとっても、孫との交流は非常に意味のあることが分かってきているそうです。

非行少年と脳機能障害

米国のエイドリアン・レインらは、殺人者に脳PET(SPECTと同様の脳血流断層撮影)を行い、脳血流量を調査した結果、殺人者の前頭葉機能が低下(特に前頭前皮質、それに隣接する上部頭頂回、左縁上回、脳梁)していること、また偏桃体、視床、内側側頭葉、において東半球の機能低下があったことを報告しています。米国ではこれらの脳機能の異常所見が責任能力の減免の根拠となることもあり得るのです。

 

国内に目を向けると、福島章が、精神鑑定で行った殺人犯48例の脳MRIや脳CT検査(コンピューター断層撮影)などの画像診断の結果をまとめ、半数の24名に脳の質的異常や量的異常などの異常所見を確認しました。さらに被害者が2人以上の大量殺人にかぎっては

62%に異常所見を認めたのです。

 

宮口氏もこれまで殺人事件や強盗致傷事件の司法精神鑑定でも、脳CTスキャン検査にて明白に前頭側頭葉の委縮、脳波検査にて前頭葉の異常波が認められたものがありました。しかし、日本では脳機能障害が裁判の焦点となる事例は、まだまだ少ないのが現状だそうです。当然のことながら、たとえ犯人に脳機能の異常があったにせよ、重大な事件に対しては慎重な議論が必要なことなのですが、これら脳機能障害に対応した何らかの認知機能へのトレーニングは、矯正現場でも必要であることは間違いないですし、それは再犯率を下げるうえで重要な意味を持つものと思われると宮口氏は言っています。

 

また、こういった認知機能や脳機能において、性犯罪者においても見解は統一されてはいませんがいくつかの報告がされています。様々な研究結果がある一方で、宮口氏らが行った研究では知的障害を持った性非行少年、知的障害を持った性以外の非行を行った少年、知的障害を持たない性非行少年、知的障害を持たない性以外の非行を行った少年、の4パターンについて日本版BADS(遂行機能障害症候群の行動評価)などを用い実行機能の検査を行い、各群の違いについて調べました。その結果、知的障害を持った性非行少年は、注意の転換、処理速度、ワーキングメモリ、展望記憶において、知的障害をもった性非行以外の非行少年よりも有意に低得点でした。一方で、知的障害を持たない性非行少年においては性非行とそれ以外の非行を行った少年の間で検査結果に有意な差はみられませんでした。

 

これらの結果により、①性非行少年の神経心理学的な特徴は低IQのときのみ現れること②それらの特徴(機能障害)は脳のある特定領域の障害ではなく複数の領域の障害(ネットワーク不全)が想定されること③彼らはまだ年齢の浅い低IQの少年であり、IQが高くなればそれらの特徴が消えることから、何らかの発達上の問題が関係している可能性があることが考えられました。つまり、「性犯罪はある種の発達上の問題ではないか」という仮説です。それを裏付ける報告もいくつかあるそうです。

 

しかし、性非行少年には幼少期の虐待被害などといった、環境因や成育歴も脳機能に少なからずダメージを与える場合がありますし、性犯罪の種類も多様です。そのため、性犯罪を発達上の問題として扱うには、まだまだ調査・研究が必要です。しかし、もし、可塑性のある脳の問題が性非行・性犯罪につながっている可能性があるのであれば、彼らの治療に対しては従来から行われてきた認知行動療法を主とした各種の性非行防止プログラムに加え、処理速度やワーキングメモリ、注意の抑制などを向上させるような、認知機能トレーニングの併用も必要ではないのか宮口氏は言っています。

 

これまで宮口氏の本を中心に非行少年についてみていきましたが、その犯罪の裏には脳の知的障害というものが隠れているというのがかなりクローズアップされます。もちろん、ここで出てきた事例は一部のことであり、非行少年すべてに当てはまっていることではありません。しかし、こういった認知機能の遅れの内容を見ていると、乳幼児期の保育でも、まだまだやることややらなければいけないことが多いように思います。特に非認知機能におけるアプローチはもっと考えていかなければいけないのだろうことはこの本からも見えてきました。

脳の機能障害と凶悪犯罪

コグトレのような認知機能トレーニングは犯罪を減らすことにも繋がります。凶悪犯罪の中には、生活歴や性格の問題以外にも、脳機能障害の問題が避けて通れない事件もあるからです。

 

2001年に大阪教育大学池田小学校事件では、宅間守死刑囚は精神鑑定がされました。それによると脳MRIが施行され、中脳左外側部に星細胞腫が発見されたことや、他の検査(脳SPECT〈脳血流断層撮影〉など)で前頭葉機能の低下が指摘されました。また、前頭葉機能の実行機能のうち「変化する環境の下で認知的戦略を変化させていく能力」の障害の可能性も示唆され、「前頭葉に何らかの障害がある可能性を示唆する所見はある。人格や精神症状との関連については今後の精神医学的研究に期待したい」と書かれていました。

 

1966年米国テキサス大学の糖の上から銃を乱射して17人を射殺し、負傷者32人を出した凶悪殺傷事件の容疑者チャールズ・ホイットマンは当時25歳でしたが、事件の前日に手紙をタイプしていました。そこには恐怖と暴力的衝動に苛まれており、激しい頭痛にも悩まされていたこと、自分の死後、遺体を解剖して何か身体的な疾患がないか調べてほしいことが記されていました。遺体の解剖の結果。脳の深部に胡桃大の悪性腫瘍がはっけんされ、それによって暴力的衝動を抑制する能力が阻害されていた可能性が浮かび上がったのです。

 

また、他にも脳機能、特に機能低下と反社会的行動との関連性を考える上で有名なのが、フィニアス・ゲイジの症例です。彼は当時鉄道敷設の現場監督をしていた当時25歳の時は、働き者で人望もありました。しかし、火薬の不意の爆発事故で吹き飛ばされた鉄棒が、ゲイジの前頭葉を貫通しました。片方の眼球は損傷したものの一命をとりとめたゲイジは回復し、12年間生き永らえましたが、ゲイジの人格は一変し、気まぐれで、礼儀知らずで、ときには冒涜的な言葉を口にし、同僚にもほとんど敬意を示さなくなったのです。また、欲望に対する抑制もできず、しつこいほどに頑固で将来の計画もできなくなりました。彼の死後、ゲイジの頭蓋骨と標準的な人の脳MRI画像を重ねあわせると、左右の前頭前皮質の損傷と、それが引き起こす合理的意思決定や感情の課程に障害をもたらす可能性があったことが報告されたのです。

 

米国ジョージタウン大学医学部教授ジョナサン・」ピンカスはその著書「脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の秘密」の中で、殺人犯の神経学的損傷が疑われる具体的症例を多数挙げています。ピンカスは殺人犯の検査において、大多数に前頭葉に神経学的損傷が疑われる形跡があるとし、脳機能障害(特に前頭葉)だけで犯罪に結びつくわけではないものの、脳の「神経学的損傷」「被虐待体験」「精神疾患」の3要因がそろった場合、犯罪に結びつくリスクが高いことを警告しています。

 

こういった症例はほかにもいくつか出ています。