教育

将来に必要な力

現在、世界の教育機関や研究機関、国際的な組織において、子どもの実行機能が非常に注目されています。実行機能とはポール・タフ氏の著書にも何度も出てきましたが、「目標を達成するために、自分の欲求や考えをコントロールする力」です。ポール・タフ氏の著書では自制心という言葉でよく出てきましたね。この実行機能ですが、子どものときにこの能力が高いと、学力や社会性が高くなり、さらに、大人になったときに経済的に成功し、健康状態も良い可能性が高いことが示されています。逆に言うと、幼い頃に実行機能に問題を抱えると、子ども期だけではなく、将来にも様々な問題を抱える可能性があるのです。

 

実行機能は、子供の将来を占ううえで、極めて重要な能力なのですが、日本では、実行機能という言葉自体ほとんど知られていません。実際、実行機能が子どもの将来に重要だといわれても、「実行機能なんて聞いたことがない」とか「IQのほうが大事でしょ」と思われる人が多いのではないかと森口氏は言っています。もちろん、IQは重要です。しかし、最近の研究では、実行機能は、IQよりも子どもの将来に影響を与える可能性があることが示されているのです。さらに、より重要なこととして、実行機能は、IQよりも、良くも悪くも家庭環境や教育の影響を受けやすいのです。もちろん、一つの能力だけで子どもの将来が決まるわけではありません。しかし、一貫して実行機能や自制心が子どもの将来に影響を与えることが示されていることは事実であり、その重要性も明らかになっています。

 

では、人間は実行機能をどのように身につけるでしょうか。森口氏は実行機能は人間を特徴づける能力の一つではないかと考えています。とはいえ、実行機能が生まれてきたばかりの赤ちゃんにこの能力が備わっているとは思えませんし、赤ちゃんどころか、若者ですらこの能力は十分に発達していないように思ったそうです。なぜなら、20世紀末に若者がキレやすいという社会問題がマスコミを賑わしました。1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件をはじめ、未成年者によるさまざまな凶悪犯罪が起き、当時未成年だった森口氏たちの世代は、マスコミから「キレる若者」といるレッテルを貼られたのです。ここで言われている「キレる」ということは、誘惑や困難に打ち勝つ力が足りないことを意味しています。実際のところは、マスコミが過剰に騒いだだけであり、直接の因果関係があるかどうかは分かりませんが、このことと実行機能は繋がって見えます。

 

以前紹介したポール・タフ氏の著書では、対象は中学生や高校生から社会人につながるないようでした。森口氏の著書においてはこの実行機能の始まり、幼稚園や保育園、そして小学校において、どのように身につけていくかが紹介されています。

必要な資質

以前、ポール・タフ氏の「失敗する子・成功する子」を取り上げました。そこにはマシュマロ実験などをはじめ、非認知的能力を中心に、実行機能や自制心を持っていることが、社会にIQ以上に必要な力になるということが言われていました。非認知的能力というのは最近の保育の研修では非常にホットな話題でもあります。そして、保育という教育の分野では、この非認知能力というものに焦点を当てることが大切なことなのではないかと私は思いっています。なぜなら、保育においては、小学校などの学校教育とは違い、成績目標というものがまずないということが言えます。つまり、成績がつくような教育形態ではないのです。

 

保育園や幼稚園においても、重要とされるものがあります。幼保連携型認定こども園においては教育及び保育の基本が書かれています。そこには「乳幼児期の教育及び保育は、子どもの健全な心身の発達を図りつつ生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なもの」とあります。「人格形成」というものに重きが置かれています。そして、そのために「乳幼児期を通して、その特性および保護者や地域の実態を踏まえ、環境を通して行うものであることを基本とし、家庭や地域での生活を含めた園児の生活全体が豊かなものとなるように努めなければならない」と書いています。

 

しかし、未だに画一的に子どもたちに一斉の保育をしていると、子どもたちは主体的に動くことをしなくなり、他律になっていきます。以前、このブログでも取り上げましたが、麴町中学校の工藤先生は指示されて動いていた子どもたちは、自分で考えることをしないので、何か失敗したときにその指示をした人のせいにする、いわば「他責」になると言っていました。果たして、それがグローバルになっていくこれからの社会で通用していくのでしょうか。

 

他責にならないためには、自分で考えるようになる必要があります。そして、そのためには「主体性」が保たれる環境でなければいけません。また、主体的に活動するにあたって、自分の感情や情動をコントロールしていくことも求められています。この感情のコントロールができなければ、他の仲間と関わっていくことができません。社会で生きるためには他者と関わることは非常に重要なことです。しかし、このコミュニケーション能力が低下しているのではないかと最近では言われています。

 

今回、自分をコントロールする力を非認知スキルの心理学に合わせて書いている森口佑介氏の本をもとに、どのように実行機能を持ち、非認知スキルを得ていくのかを見ていこうと思います。

これから必要なもの

これからの社会はどうなっていくのでしょうか。今回の新型コロナウィルスで、教育の現場も大きく変わってくるようです。リモートでの授業の推進、パソコンやスマートフォンを使った授業形態に変わっていくことなど、授業のあり方も新しいものになってきます。保育でも動画を子どもたちが見えるように配信することが多くなりました。ただ、こういった新しい方法において非常に危惧していることもあります。その一つはヒトと関わることが極端に少なくなるということです。社会性を養う機会が少なくなることは非常に危惧するところです。また、最近、教育や保育の分野において「非認知スキル」が注目されています。これは以前ポール・タフ氏の本にも取り上げられていた内容でした。

 

森口佑介氏は自身の著書「自分をコントロールする力」で非認知スキルは「将来の目標のために、目の前の困難や誘惑を乗り越える力」と表しています。そして、そのためには自分をコントロールする力が必要になってくると言っています。そして、この力はいわゆる「頭の良さ」とは違ったタイプの能力であると言っています。一般的に頭の良さとはどういったことを意味するのでしょうか。多くはどれだけ知識を持っているのか、どれだけ早く問題を解けるのか。与えられたじょうほうからどれだけ推測することができるのか、などを指すのではないでしょうか。こういった頭の良さは専門的には「認知的スキル」と呼ばれ、いわゆるIQ(知能指数)はこの典型的なものです。

 

一方で、目標のために自分をコントロールする力は、頭のよさとは直接的に関係はしません。そのため、認知的スキルとは異なる能力という意味で「非認知スキル」と言われるのです。そして、これは「社会情緒的スキル」とも言われます。非認知スキルは、自分をコントロールする力のほかに、忍耐力、自信、真面目さ、社交性など、さまざまなスキルを含みます。

 

私はこの非認知スキルというのは学業ではなかなか身につくことが難しい分野であると思いっています。小学校が道徳の授業化がされていますが、座学だけで差別はなくなるのでしょうか。道徳の授業を受けたからといって、道徳的な人間になるのでしょうか。私はこういったコミュニケーション能力というのはやはり人との関わりの中で養われてくるものだと思います。そして、このコミュニケーション能力というものも非認知スキルの一つであると思っています。そして、この考えこそが、リモート学習や保育における一斉保育の危険な部分ではないかと思うのです。なぜなら、そこには対話はなく、一方的な情報の伝達になる可能性があることや、先生と子どもといった限られたコミュニケーションになりがちからです。

 

しかし、実際のところ、非認知スキルの中には、IQとは異なり、測定することができないものも多数含まれます。そのため、大事とは言いながらも、科学的な研究に裏付けられているとは限らないのです。その中でも、森口氏は自分をコントロールする力が将来にとって大事な力だと言っています。

寿命をのばす

祖父母世代が孫の育児に関わることで、心身の健康にはどういった効果があるのでしょうか。これについて孫への育児参加が祖父母にとってどう影響するのかについて、中高年のメンタルケアなどを専門にしている大阪大学人間科学科招聘教授の石蔵文信医師が紹介されています。孫との育児にかかわることは、体力的にも経済的にもきついものがあり、自由時間が奪われることもあり、「孫疲れ」という言葉も出てきています。このように孫と関わることはいいことだけではなく、悪い部分もあります。しかし、見方を変えると違った見え方もあります。60歳以上の患者に一番多い悩みはどういったことがあるかというと、食欲がわかない、睡眠がしっかりとれないというものが多く上がってきます。じっとしているばかりでは当然、食べる気も起きないし、睡眠もそれほど必要になってきません。そうすると結局、食欲増進剤や睡眠薬などを服薬し、さらに体調が悪くなったりします。世話で疲れることによって食事も睡眠もしっかりとれるというメリットも裏を返せばあるということがいわれています。

 

では、どういった関わりを孫としたらいいのでしょうか。子どもが小さいうちは体を使う遊びが多いが、祖父母が遊び方を提案しても、子どもはその通りにはしてくれません。子どもに合わせて、呼ばれたら近くに行き、やってといわれたらやるという方法でいいと石蔵氏は言います。悪い疲れ方は子どもに対してイライラすること。時間に追われて、子どもをせかし、イライラすることも多い働く世代の両親と違い、祖父母は時間に余裕があるのがメリットであるのであって、時には子どもの寄り道に付き添い、余裕を持った行動を見てやればいいというのです。

 

また、以前にも紹介したように、孫育てが「認知症」の予防にもつながる可能性があるというのです。小さい子どもは視力も聴力も記憶力も優れています。興味のあるものを見つければ追いつけないような速さで走り出すのです。たかが、子どもと考えず、一人の人間として接することは、祖父母にとってもいい刺激になるのです。また、最近では高度経済成長期に子どもの育児は妻にまかせっきりで自分は仕事ばかりしていたというケースが今の祖父たちに多いが、祖母たちにとっては自分の育児期の恨み辛みが熟年離婚や「夫源病」(夫の言動や束縛がストレスになり、妻が不調をきたす状態、石蔵氏が命名し、話題を呼んだ)につながる現象も起きているのです。そのため、これまでは忙しくて育児を支えられなかった分、男性は孫育てを支えるといい。孫を世話することで家族の予定を把握し、連絡を密にとるので、家族の絆の深まりや会話も多くなるというのです。孫が来ると強制的に動くようになり、億劫であり、何もしない状態ではなくなります。それ自体が、祖父母世代にとってはいい刺激につながるのです。

 

最近では、少子高齢化社会につながった背景には何か意味があるのではないかということが言われています。そして、祖父母の存在、特に人間の場合、女性には「閉経」があります。それの意味は、赤ちゃんを育てるために閉経後から寿命までの期間があるのでないかという話もあります。そして、その役割は仕事をする両親世代からは非常に大きなサポートとなります。よく3歳までは母親が見なければいけないという風潮がまだまだありますが、本来のところ、人が3歳まで母親と一対一で一緒にいなければいけないという形態は、人の生存戦略から見ても、ここ数十年での話です。本来は赤ちゃんは家族を含め、社会の中で育てられてきたのです。結局のところ、そういったような環境下で子どもを育てることが健康においても、良い影響を及ぼすのですね。

アジアの子育て事情

日本では世代を超えて、比較的「祖父母の子育て」に肯定的な認識を持っている人が多いように見えるというのは韓国の国際交流コーディネーターで通訳のリ・ナオルです。韓国では「子育ての作業の終わり、そして、子どもの子どもを育てる作業の始まり」というCMが流れるくらい孫育ては祖父母が行っているのです。そのため、孫を持つ世代には負担の重さを、そして、子どもの世話を親に任せている世代には「親に申し訳ない」という罪悪感を思い起こさせるようなCMが生まれるのです。こうした祖父母から何らかの育児支援を受けている家庭37.8%であったと2018年全国保育実態調査で表されていました。こうした祖父母の孫育ては祖父母世代にとって生きがいになる一方で、負担やストレス、教育方針の違いからくる子どもとの摩擦などネガティブな影響も話題に上がっています。

 

では、日本ではどうなのでしょうか。日本では世代を超えて、比較的「祖父母の子育て」に肯定的な認識を持っている人が多いように見えるとリ・ナオルは言います。内閣府の「家族と地域における子育てに関する意識調査」(2014年)によれば、子どもが小学校に入学するまでの間、祖父母が育児の手助けをすることが望ましいかとの設問に「望ましい」と答えた割合が78.7%に達しています。

 

これを韓国との比較で考えてみると、日本では韓国に比べ同居しながら孫育てをするケースが少ないということも、負担感の低さにつながっているのかもしれないということが見えてきました。韓国の場合は祖父母と孫の同居率は20%を超えるが(2015年韓国統計庁調査)、日本は6.7%(2015年第一生命経済研究調査)というデータもあります。当然、同居のほうが祖父母世代、父母世代ともにストレスを感じる可能性は高まるでしょう。ちなみに韓国でも、同居での子育ての割合は減少傾向にあるそうです。

 

また、日本では韓国人よりも日本人のほうが、家族といえども一定の距離を置きながら付き合うということに慣れている面があるように見えます。

 

では、次に中国はどうなのでしょうか。女性の就業率が日本は51%、韓国では53%と同程度なのに対し、中国は61%と高い推移があります。社会主義の仕組みの中で、夫婦共働きが一般的だったためと考えられます。しかし、0~3歳児をもつ中国人女性の悩みは比較、「産休は半年しかもらえず、父母は退職前で面倒を見てくれず、幼稚園は3歳から。どうすればいいのでしょうか。仕事をやめなければいけないのでしょうか」といった若い母親のインターネットの書き込みが目立つといいます。中国も子育て関連の公的支援が充実しているとは言えないようです。多くは祖父母に頼ったり、ベビーシッターを雇ったりしているそうです。

 

リ・ナオルはこうした中国の実態を受け、1990年だにヒラリー・クリントン米大統領夫人(当時)が書いた『(子育てには)村全体が関わる必要がある』という本を思い起こされると言っています。子育ては両親はもちろん、祖父母、そして保育所などの教育機関と、多くの大人が関わってやっとできるものだというのです。曽部母に過重な負担がかからない形を探ってこそうまくいくのではないかとリ・ナオルは言っています。

 

確かに、祖父母が子育てに参加するのは有益な部分があるのだろうことはわかりました。しかし、その反面、同居など近すぎるのは双方にとってもストレスにもなるようなことがアジアの子育ての実態から見えてきます。最終的には、祖父母においても一つの「人的環境」であり、子どもを取り囲む、地域や教育機関においても、各々の役割があり、その中で子どもたちを育てることの必要性が見えてきます。その過程は、人は社会の中にこそ、子育ての本質があるということが同様に見えてくる気がします。「誰が育てる」ではなく「みんなで育てる」という意識は、子どもの育ちだけではなく、両親や祖父母にとってもいい作用を生むのですね。