教育

早生まれへの対策

東京大学大学院教授の山口教授は「早生まれの不利」によって非認知能力が育たたないことに警鐘をならしています。そして、その影響は学力や就職、所得に限らないといっています。非認知能力はそれ以外にも、対人関係に大きな影響を与えるというのです。早生まれの子どもは学校の教師や友人と良好な関係を結べないと感じていることが多く、対人関係の苦手意識は年齢を重ねるにつれて悪化していく傾向にあると言っています。そのため、他愛のない子ども同士の遊びやスポーツは、子どもの成長に決して無駄ではないというのです。

 

そのため、親が「良かれ」と思って、遊びの時間やスポーツの時間を削ってまで、習い事や塾といった“対策”をすることは、子どもたちにとってかえって不利にしていくということにつながるのです。

 

「生まれ月によって生じた差は、入試制度によって固定化されてしまうのです。遅生まれの子どもは偏差値の高い高校に進み、優秀な教師や友人と出会い、レベルの高い大学に入学し、一流会社に入社するといった正のスパイラルに乗りやすく、早生まれの子どもは負のスパイラルに陥りがちになります。だから、成人になっても差が続くと考えられます」と山口氏は言うのです。

 

では、何も対策はないのでしょうか。山口教授はこう言っています。

「制度的には、入試などの重要な場面において、生まれ月ごとの合格枠や、影響を補正した点数や評価の導入といった方法が考えられます。今からでもできる対策としては、教職員の皆さんは早生まれの子どもは不利であることを認識し、子どもたちの力関係に任せず、早生まれの子どもにリーダーシップを取らせたりしてみてはどうでしょう。親御さんは学業だけに目を向けず、非認知能力を高めることを意識してほしいと思います」と教育制度について話しています。

 

私は常々、海外のように「留年」などの措置を取れるようにしたほうが良いのではないかと考えています。ドイツでは小学校に入学する前に進級・進学するかどうかは親に確認するそうです。「進学しますか」「それとも留まりますか」と聞くそうです。そこで、学び足りないところや分からないところがあるとstay(留まる)ことができるのです。また、オランダのイエナプランでは3学年で異年齢の学級がつくられており、3学年進級するともう一度異年齢の一番年下を体験するという方法を取っていました。そうすることで、一番上の年齢になることと、一番下の年齢になることを体験すると言っていました。そして、それは異年齢による「学び合い」があるからであると言っていました。

 

今、自分のいる園では年齢別ではなく、異年齢で過ごしています。そうすることで、子どもたちは自分の友だちを「発達」に合わせて遊んでいるのが分かります。決して、「5歳児だから5歳児で遊ぶ」わけではないのです。子どもたちは「年齢別」で遊ぶのではなく、「発達別」で遊んでいます。大人が勝手に決めた4月という区切りで困っている子どもは意外に多くいるのかもしれません。大人が勝手に決めた、「教育」に子どもたちは振り回されている子どもも多いのかもしれません。一体何のために教育があり、誰のための教育なのか、そして、その力はいつ発揮されるべきもので、どういった力なのか、さまざまな研究が起こっている中で、本質を見つめることの重要性をとても感じます。

早生まれが不利な原因

山口教授は「近年の研究で、社会的に成功する人は非認知能力が高いことがわかってきています。非認知能力の低い人は犯罪で逮捕される率が高く、収入も少ないという統計もあります。今まで認知能力に比べて軽視されてきましたが、実は非認知能力は非常に重要です。早生まれの子どもは同じ学年の遅生まれの子どもに比べて認知能力と非認知能力がともに低い傾向が強いのですが、親御さんは目につきやすく対策しやすい認知の力の向上に偏重した投資をしてしまうケースが多いのです。」と言っています。

 

山口教授の調査によると、中学3年生の早生まれの生徒は、遅生まれの生徒に比べて週に0.3時間多く学校外で勉強し、読書時間も0.25時間多く、塾に通っている率が3.9%高かったという。その一方で、早生まれの生徒は、スポーツや外遊びに費やす時間が最大で週に0.52時間少なく、学校以外の美術、音楽、スポーツ活動に費やす時間が最大で0.19時間少なかった。こうやって見ると遊ぶ時間や自分の趣味に使う時間というのは遅生まれの子どもたちに比べて、少ない傾向にあるんですね。山口教授はこういった子どもたちの学業における「不利」な部分を塾や勉強・読書当てることで、遊ぶ時間やスポーツをする時間がすくなくなり、その結果、非認知能力が育ていにくくなってる可能性があると言っています。

 

以前のブログにも「遊ぶが学びにつながる」ということにも書きましたが、まさにそこで書いたことと同様のことを指摘しています。M・ウェンナー氏は自由遊びが社会性を育てることにも繋がっていると話していました。そのうえ、思考力や想像力にも遊びは影響すると話しています。そうすると、読書や塾通い、読書に充てられることが子どもの学力につながってこないというのは紹介した通りのことが日本でも同様におきているのですね。

 

山口教授は「親が子どもを思うための“対策”によって、“より不利になっていく”」と警鐘を鳴らしています。そして、他愛のない子ども同士の遊びやスポーツは、子どもの成長に決して無駄ではないと言っています。

 

「生まれ月によって生じた差は、入試制度によって固定化されてしまうのです。遅生まれの子どもは偏差値の高い高校に進み、優秀な教師や友人と出会い、レベルの高い大学に入学し、一流会社に入社するといった正のスパイラルに乗りやすく、早生まれの子どもは負のスパイラルに陥りがちになります。だから成人になっても差が続くと考えらえる」と言っています。これが30歳になってもこの差が埋まらない大きな要因であるというのです。

 

では、このことに対して何か対策をすることはできないのでしょうか。

山口教授はあることを提案しています。

早生まれは不利?

2020年8月18日のyahooニュースに「早生まれの不利は大人まで続く」という研究発表が紹介されていました。これまで早生まれつまり「1月~3月生まれ」の子どもたちは学校生活では損をすると言われてきました。これは保育をしていれば特に感じるのですが、この「月齢」は特に乳幼児期は大きく差がでます。では、小学校ではどうかというと記事には「幼少期では生まれた月の違いによる成長差は大きく、学年内で“最年長”の4月生まれの子どもは相対的に体格がよく、勉強やスポーツに秀で、リーダー的な存在になりやすい一方で、“最年少”の3月生まれは何事にも遅れがちになる」と書かれています。乳幼児期においても、児童期においてもどうやらこの「月齢」というのは何かしらの影響が出ているということが分かります。

 

そして、ここからが重要です。一般的にこうした差は小学校までの間だけで、年齢を重ねることなくなると言われていました。しかし、東京大学大学院経済研究科の山口慎太郎教授は

7月11日に公表した論文で、生まれ月による差は想像以上に長く続くとする研究結果を発表しました。

 

「早生まれの不利は、高校入試にもあらわれています。3月生まれと4月生まれで入学した高校の偏差値を比べると4.5も違います。大学の進学率も早生まれのほうが低く、これは日本に限らず、アメリカやカナダでも同じ傾向があります。さらに早生まれの不利は大人になっても消えず、早生まれの人は30~34歳の所得が4%低くなるという研究報告が出ています。」と書かれています。その影響は30歳の頃にまで影響してくるというのは衝撃です。

 

なぜそんなことが起きるのでしょうか。山口教授によると、そのキーワードになるのは「認知能力」と「非認知能力」と話しています。これはこれまでもこのブログの中で取り上げてきた内容です。認知能力は、IQや学力テストなどの頭の良さを指します。それに対し、非認知能力は「最後までやり抜く力」や「感情をコントロールする自制心」「ルールや約束を守ろうとする心」「他人と良い関係を築く力」など、社会性・情緒・内面の能力を指すとここでは紹介されています。

 

これまでも、宮口幸治氏の著書「ケーキの切れない非行少年たち」では軽度発達障害にも入らない境界知能の少年たちがこれにあたっているということが言われており、非認知能力である実行機能の低さに問題があるということを言っていました。今回は非行少年ではなく、一般的な子どもたちの実態が現実的にあることが示されています。つまり、「早生まれ」の子どもたちを大きく見るとかなりの人数がそこに該当していきます。このことを考えると日本の年度の考え方も大きく影響しているのかもしれません。

 

では、実態的に早生まれの子どもはなぜ、遅れることが多いのでしょうか。

遊びと質

私には趣味があります。その趣味自体は大阪の園に戻ってきたときから始めたもので、始まりは非常にシンプルに「誘われた」ことがきかっけです。それまで運動ということをそれほど、真剣にやってきたこともなく、「打ち込む」というほどやっていなかったのですが、どうやらその趣味は私の性にあっていたようで、今で6年くらいなるほど続いています。

 

これまで「遊び」ということを取り上げていましたが、大人になっても「遊ぶ」ということの大事さは身に染みて今感じているところです。職場ではいろんなことが起きます。それこそ、どうにもならない問題から、長期的に考えなければいけないパターン、逆に短期的に考えなければいけないパターン、自分自身の間違いなど、その問題は多種多様であり、仕事にはつきものです。

 

おそらく、一日一日そのことを考えることも多くあり、ネガティブに考えていくとずぶずぶと深みにはまっていくことも多くあるように思います。以前、youtubeで東進ハイスクールの林修氏がモンスターペアレントに話をするテレビ番組が紹介されていました。その時に話していたことですが、「有名な学校の教師とそうでもない学校の教師には大きな違いがある。有名な学校の教師は大体3時には帰って、その後の時間は自分の趣味や余暇、教材研究につかう。そして、その場で得た知識や活動を通して魅力が増していく、魅力が増していくと生徒もその先生から学ぶことが楽しくなってくる。というように、ポジティブな展開になっていく。一方で、そうでもない学校の教師はなかなか帰れない。」と言っていました。

 

そして、「帰れない理由は、生徒指導に多くの時間を取られるからだ。」と言っていました。親の苦情や生徒の素行など、今学校で教師が行っている業務は非常に多岐に渡ると言っています。そこに時間が大きく使われているため、通常の教材研究に時間が割けなかったり、自分の趣味に時間がさけなかったりするそうです。結果として、学校の授業自体が停滞したものになるそうです。

 

どこかで、趣味をすることや何か新しいことを考える時間があることは非常に重要なことのようです。ニューズ番組においても、今の時代、学校の教師が行わなければいけない職務というものは非常に多いということが言われています。そして、そのために肝心の授業への準備の時間を削らなければいけないとも言われています。まだ、私はこういった趣味の時間を持つことができていますが、それができないとなると、もしかしたら、いまのような働きかたはできていないかもしれません。

 

働き方改革ということが叫ばれていますが、それはただ単なる「働き方を見直す」ことではなく、「働く意味」を考えなければいけないのだろうと思います。教師や保育士は「人を作る」「人材を作る」仕事であると思っています。そのために、それを伝える教師や保育士こそ、「にんげん」を知る必要もあるように感じます。そして、子どもたちにとって、「遊ぶ」ということは罪悪のように言われるときがありますが、その必要性を考えるとその意味合いもしっかりとどういった意味があるのかを考えていかなければいけないように思います。幸い、今の時代、これまでブログで紹介してきたように、さまざまな研究がいたるところで行われており、その内容を知ることもあります。こういった研究を知ることでより「人間」を知る機会が得やすいように思います。こういった情報を捉え、保育や教育を考えていきたいですね。

創造的思考

子どもたちの自由遊びはストレスの緩和と社会的スキルに影響を与えるのが分かってきました。ほかにも「遊ぶ」というのは創造的思考や問題解決能力にもつながるということが分かってきました。

 

これは1973年 Developmental Psychology誌に掲載された研究ですが、研究者は90人の就学前児童を3つのグループに分けました。そして、①ペーパータオルの山やドライバー、木の板、クリップの山といった日用品で自由に遊ばせるグループ ②その4種類の品物を使用する実験者の真似をさせるグループ ③テーブルに座って、何も見ずに自由に絵をかかせたグループ とそれぞれ違った遊びをさせました。10分ほどこの活動をした直後、これらの品物の一つを指して、それをどう使うかを子どもたちに考えてもらいました。

 

すると、品物で遊んだ子どもは平均すると他の2つのグループの子どもの倍も一風変わった創造的な使い方を挙げました。つまり、自由に遊ぶことで、子どもたちの創造的思考が伸びたのではないかというのです。

 

ほかにも戦闘ごっこも、問題解決能力を育てると言っています。1980年にペレグリーニが発表した論文によると、小学校の男児のうち、大暴れして遊んだこの方が、社会的な問題解決のテストでの得点が高かったのです。そのテストというのが、研究者が子どもたちに対して、「仲間の子どもからおもちゃを手に入れようとする子どもの写真5枚と、母親に叱られないようにしている子どもの写真5枚を被験者の子どもたちに見せ、それから被験者の子どもたちに、それぞれの社会的問題を解決できる方法をなるべくたくさん挙げてもらった。そして、その結果を戦略バラエティに基づいてスコアを決めたところ、戦闘ごっこをした子どもはスコアが高い傾向があったのです。

 

オモチャを自由に使うことや戦闘ごっこなどを子どもたちが自由に遊びながら進めていくことで、創造的思考にも大きな影響が出ていたのですね。そう考えると、普段現場で起きている子どもたちの遊びにはそれぞれ意味があるように思えてきてなりません。本当に無駄な活動をしていないだろうとも思います。自分が子ども時代においても、戦闘ごっこのようなものをしていました。そこでは特に創造的な思考を駆使した覚えは全くもって感じてはいませんでしたが、後々のひらめき力や創造的な思考というのはその時に養われていたのかもしれません。「遊ぶ」というのは一見単純に見えますが、その裏には子どもたちが社会に出るときに必要となる力を同時に遊びという活動を通して、培っているのですね。

 

では、逆に遊びが不足すると問題解決スキルの発達がさまたげられるのでしょうか。