教育
アンドレアス氏は教育者は2つの目的を認識してきたと言っています。それは「過去の意義や重要性を伝えることと若者が未来の課題に備えられるようにすること」だといいます。学校で学んだことが障害にわたり長持ちするとされた時代には、知識や型通りの認知能力を教えることが教育の中心でした。しかし、検索エンジンを介してコンテンツにアクセスし、定型的な認知課題がデジタル化されてアウトソーシングされる現在では、これまでの認知的に覚えるだけの教育は意味が無くなってしまいます。それはデジタル化によって情報は取り出すことが容易になってくるのです。そのため、生涯学習者となれるように焦点を当てていかなければいけないとアンドレアス氏は言っています。
では、生涯教育者とはどういった人を言うのかというとアンドレアス氏は「障害学習とは、絶えず学び、状況が変化したときに知識を調整し学び直すことであり、振り返り、見通し、行動の連続したプロセスを意味する」と言っています。ただ、「知識を得る」ということではなく、「知識を調整し学び直す」といった柔軟な姿勢を求められ、状況にあった行動を取れることが求められてくる。そして、そのためには学び続け、調整することがこれからの教育によって必要なことだというのです。
アンドレアス氏は「振り返りとは意思決定や選択、行動する際に既知のものや想定されているものから一歩引き、異なる視点を持って批判的なスタンスをとる必要があり、見通しには将来何が必要か、今日取った行動が将来の結果に及ぼす影響を見越すため、分析的思考や批判的思考といった認知能力を結集する。情勢を作り変化させるのは私たちすべての人間にかかっていると信じるからこそ、振り返り、見通し共に、責任ある行動を進んで取るようになる」といい、このことで「主体性が育つ」というのです。そして、こういいます。「現代の学校とは、生徒が絶えず進化、成長し、変化する世界で適切な場所を見つけて順応するための場である」
このことから見ても、従来の保育や教育といったもののありかたが変わっており、求められる能力も時代の変化とともに大きく変わってきているということが分かります。しかし、実際、教育や保育の現場においては、未だに大きく変化が起きておらず、画一的な保育や教育が行われていることも多くあります。「こどもの主体性」という言葉も、「子どもの言う通りにする」というように勘違いされていることがあり、未だ現場においては理解が進んでいないところが多くあります。アンドレアス氏は「振り返り、見通しともに、責任ある行動を進んで取るようになる」ということを「主体性」と言っています。そこに「責任」があるのが大切なのです。「責任」がないというのはただの我儘なのかもしれません。今一度、どういった保育が必要で、どういった環境を作っていくことが必要なのか。子どもたちが自分たちで意思決定や選択ができ、自分の行動や他者の動きを見通すような動きができるような環境なのか。活動なのか。アンドレアス氏の言葉から、今の保育の根本的に大切にしなければいけない視点が見えてきます。
2020年10月15日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
これからの30年後の社会において、人のする仕事の多くがAIを搭載した機械に代替されると言われています。このように社会はつねに新しい技術を備え、新しい形態へと変貌を遂げていきます。アンドレアス氏も「社会がどのように人々の知識や技能を使い発展していくかは、繁栄の決定要件の一つ」と言っています。OECDの国際成人力調査PIAACによるとスキルの低い人はより良い報酬や報われる仕事に従事することが非常に難しいと言っています。新しい産業が産まれれば、その反面、古い産業は衰退していくのです。そして、デジタル化はこの傾向を拡散しているといいます。そして、その差を埋めるのが「教育」なのです。
2016年スウェーデンのステファン・ロヴェーン首相は「今後自分の仕事が消えるかもしれないことを人々が受け入れるためには、知識やスキルを持って、新しいものを想像するという自信を持つことの重要性を何度も強調していたそうです。「スキルが低い」というのは当然生産性は下がりますし、技術力の活用にもおよびません。結果、収入や雇用以上に生活水準を上げる障壁となります。PIAACによるとスキルが低い人は雇用市場で脆弱なだけではなく、社会から遮断され政治的なプロセスにとって無力だと感じることが多いのだそうです。まるで社会に取り残されたように感じるというのでしょうか。
また、「PIAACによるとスキルの低い人ほど、他者や制度に不信感を持っていると言っています。一方で、教育、アイデンティティ、信頼の関係性の根源は複雑だが、これらは現在の社会どうしを結びつけるのに重要だ。人や公共機関、十分に規制や整備さえた市場への信頼無くして、特に短期的な犠牲があり、長期的なメリットが直ちに明らかにならない場合、革新的な政策のための公的支援の結集は困難となる。」と言っています。そのうえ「教育者は元来、道徳的な見地から教育を主張することを好むが、教育の質と経済実績との関連性は低い」と言っています。そして、「教育システムの欠陥は大きな景気後退と同等の影響を永久的に持つことになる」というのです。これは私も保育を考える上で、考えなければいけないことだと思っています。
教育や信頼といったものがスキルと大きな影響があるのですね。低いスキルを持つ人というのはある意味で、自分に対する「自信」にも影響があるということのように感じます。ステファン・ロヴェーン首相のいうような「自信を持つことの重要性」というのはこれからの社会にとっては非常に強い動機を持つのでしょう。では、現在の日本において、どれほどの人に「自分に自信がある」とはっきり言いきれる人がいるでしょうか。以前、この「自信」ということに対して、イギリスの見学者から「自信を持つことが果たして良いことでしょうか?」と質問を受けたことを覚えています。「ただ自分に自信をもっているだけでだと、周りと調和がとれない。独りよがりになる」と言われたのです。そのときに私は「確かに、そういうことはあります。だからこそ、本当の自信というのは周りとの調和を含めて、自分のできることをしっかりできること」ということを話しました。その時に教育者が考えなければいけないのは、『自尊心』や「自己肯定感」というものをただ語るのではなく、それが社会にとってどういった生かし方ができなければいけないかということを考えなければいけないと思うのです。つい、保育においても、社会など、長いスパンでの見通しを見なければいけないのではないかと思います。次の社会を見据えた保育や教育を現場自体も意識する必要があるのでしょうね。
2020年10月14日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
PISAが国際的な調査を行ったことで、各国の中で、さまざまな議論が起きました。東アジア諸国が教育に関心が強いことが見えてきました。それはアメリカでも同様で、最初の頃のPISAにはあまり関心がありませんでした。しかし、2006年の調査結果発表と共に風向きが変わります。2008年アンドレアス氏は全米知事協会冬季会議でPISAについて講演し、その時、国際比較に向けられた州知事たちの大きな関心を目の当たりにしたと言っています。そして、2009年~2015年までアメリカ教育長官を務めたアーン・ダンカン氏の主導によって、「トップへの競争」がおこなわれます。これはアメリカ各州の取り組みがアメリカで各州間の構想を推進するだけではなく、ワールドクラスの教育システムに注目し、外部は目をむけるよう各州に促しました。その後、コモンケア教育スタンダードの検証委員を務めたときは、アメリカの子どもたちが21世紀に習得するべき目標を設定するにあたり、世界最高レベルの教育システムとの比較が大きく影響していたそうです。
このように政府がPISAの結果を、同様の課題を持ちながら成功している他国と比較し、政策と実行を検証するピアレビューの会視点として利用してきた国もあるのです。そして、これは政策立案者や研究者だけではなく、教員の組織や組合を含む現場の教員たちのピアラーニングも活発になったのです。そして、その影響は保護者にも影響を与えていきます。それは一般国民がより良い教育サービスを求めて声を上げるきっかけにもなったというのです。このように様々な組織や企業の経営者は含め、多くの人が教育を単に自分たちの会社の将来の働き手を生産する工場としてではなく、自分たちが暮らし働く社会を形成するにあたり重要な役割をもたらすものであることを理解しているという表れでもあるのです。
PISA型の達成目標に向けて多くの国が対策を行いました。各国は、もはや過去の調査結果と学習到達度を比較するだけで自国の教育制度を検証するのではなく、世界最高レベルの教育システムが達成した得点をもとに目標を設定し、その目標への到達度を測っているのです。
ブラジルでは、子どもたちが「低レベルな教育水準の学校に通っているにもかかわらずいい点を取る」ことを問題にしていました。そこで、世界基準のPISAの結果を見ることで国民に真実を理解してもらうといって実施し、得点の公表だけではなく、成績向上のため何が必要かをすべての中等学校に説明することで、PISAにおける結果の改善が目覚ましかったのです。メキシコではPISAの調査を受けたことで、PISAの到達度基準最低レベル以下の学校に通うっているデータにも関わらず、保護者の77%が教育の質について良い又は大変いいと回答したということが分かったのです。
PISAの学力調査は様々な国の教育について様々な一石を投じ、改善を必要とさせたのです。このことこそがPISAが望んでいたことなのでしょう。各国それぞれの動きだけではなく、全世界を含めた子どもたちの教育への利益。それはそれぞれの国にとっても利益になるということなのだと考えてのことなのだろうと思います。グローバルな世の中において、世界規模で子どもの教育に関心を向け、各国の教育を比較し合い、少しでも最適解を見つけるべく、PISAの学力調査が行われているというのです。そして、実際、改善されている国があるのです。
私も、いくつかの国を海外研修ということで行かせてもらいました。そのときに海外の保育を学ぶ以上に、自国の保育を改めて考える機会になることが多くあります。PISAの調査はそういった意味合いもあり、世界において教育の刺激を与えることになったのですね。
2020年10月13日 5:00 PM |
カテゴリー:教育, 社会 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
PISAの学力調査では丸暗記だけでは不十分です。なぜなら、以前も紹介したように、PISAの学力調査では、知識を持っているかどうかよりも、その学んだことで実際に何ができるかを測定するものだからです。そんな中でも2012年にPISAが最初の創造的問題解決スキルの評価を行ったとき、東アジアの得点はかなり低くなると予想していました。しかし、そんな中、シンガポールがトップになったのです。シンガポールは一世代で開発途上国から最新の工業経済圏へと変容を遂げた国です。
2014年当時の教育大臣ヘング・スウィー・キート氏はシンガポールが創造的で批判的な思考、社会情動スキル、人格形成にいかに重点を置いているか強調したそうです。シンガポールは教育機関の質においても、革新的な教育政策の立案や実施における教育者の関与の深さについても一歩先を行っているといアンドレアス氏は言っています。
昨年、シンガポールに行かせていただきましたが、その時の感想は「非常に貪欲な姿勢」でした。そして、「若くても有能な人の多さ」に驚きました。そして、何より「教育への関心」が強いのです。それについてシンガポールは自国の資源がないことがということが挙げられると言っていました。そのため、自国が発展していく仕組みとして「人材・建築・金融」ということを言っています。確かにシンガポールはユニークな建物が多くありました。人材育成に関しては非常に深い関心があり、施設においても、保育においても、いかに情動スキルや人格形成が重要かということを現地の方々から聞くことが多くありました。
では、日本ではどうかというと、アンドレアス氏は「日本はこれまで一貫してPISA最上位国の一つだが、各教科の履修内容の再現を要求する問題には強くても、習得した知識を道の状況に応用する自由記述形式での成績は芳しくないことが判明した。」と言っています。そして、「その結果について、多岐選択式の大学入試になれている親世代や世論の理解を得るのは容易ではなかった」と言っています。これは今でもそうかもしれません。「学力が落ちている」という言葉だけが独り歩きし、詰込み型教育が見直されました。しかし、戻したところでPISAが示す日本の教育の弱いところを取り戻すことにはつながらないかもしれないのです。実際のところでは「アクティブ・ラーニング」が導入されるように、現在の日本では、そうはいっても、詰込み型ではなく、大学入試が自由記述式になるように「PISA型」になる政策がとられています。2006年や2009年の間に日本は、OECD加盟国の中で、自由記述においても最も足早の改善を見せたのです。アンドレアス氏は「この改善は、弱点に対応するための公共政策の変化が、いかにして教室の現場での変化をもたらせるかを示している点で大きな意義がある」と言っています。
このように日本を含め東アジアでは国民の生活向上のために、西欧諸国よりも大きく教育には力を注いでいるとアンドレアス氏は言っています。だからPISAの学力調査では上位のほとんどがアジア圏の国なのですね。
2020年10月12日 5:02 PM |
カテゴリー:教育, 社会 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
PISAの学力調査は各国々に多くの影響を与えることになります。そして、その国々の教育政策における問題を認識させることにもつながるのです。例えば、アンドレアス氏の出身のドイツでは2000年の調査において激しい教育政策議論が交わされました。なぜなら、その年のドイツの生徒の成績が予想を大きく下回ったからです。このことをドイツでは「PISAショック」というそうですが、これがきっかけに教育政策と改革に関する国民の議論が始まります。というのも、ドイツでは、どの学校も適切かつ平等に処遇するべく甚大な力がそそがれてきたのです。それだけに、国民はすべての学校の学習環境は当然一律だと認識していました。しかし、PISAの2000年の結果では学校が社会的経済的に恵まれているか否かによる大きな教育格差が明らかになったのです。このように生徒の成績の学校間での差が50%のドイツに対し、その差がわずか5%というフィンランドの学校の均質性を示すエビデンスは、ドイツに強い印象を与えたのです。つまり、ドイツではどの学校に入学させるかが重要な問題となったのです。
このことはドイツの学校制度によるものが大きいといえます。ドイツはマイスターの国でもあるように、子どもたちは10歳で知的労働者としてのキャリアとなる学問コースか、最終的に知的労働者の下で働く職業コースに分かれます。つまり、PISAの調査はこういった社会的経済的背景が有利なドイツの子どもたちは、より優秀な教育成果を残す社会的地位に高い進学校へ進めるが、あまり恵まれていない背景の子どもたちは、教育成果も社会的地位も高くない職業学校へと進んでいるということが生徒の成績の差が大きい原因であるということが分かったのです。
このことについてはドイツの教育者や専門家にとっては、この格差に関してはそれほど驚くことではなかったそうです。そのため、公共政策の一環として改善すべきこととはみなされていなかったのです。重要なのはこのPISAの調査から見えるのは、ドイツのように生徒の社会経済的背景が学校の成績に及ぼす影響は国によってさまざまで、ドイツよりも効果的にその影響を軽減している国々があったことだった。このことこそが、PISAによる狙いだったのです。
その後ドイツでは、PISAのおかげでエビデンスとデータへの新たな態勢が築かれたのです。そして、教育への国家支出を2倍に引き上げました。そして、お金よりも議論によって国内での幅広い改革の取り組みが始まり、中には革新的な改革も見られたのです。以前にも紹介したように、幼児教育に手厚い教育支援が盛り込まれ、全国教育スタンダードが学校に適応されるようになったり、移民や貧困層への支援も強化されます。そうした対策のもと、9年後の2009年にはドイツのPISAの結果はかなり改善し、質も公平性も共に大きな進展も見せました。このような各国の取り組みはドイツのみならず、韓国、ポーランド、コロンビアやペルー、エストニアやフィンランドなども、PISAの結果を受けて改善をしているのだそうです。
その中でも、PISAの開始当初、成績が良く、教育システムの急速な改善を見せていたのはほとんど東アジアの国々だったのです。
2020年10月11日 5:00 PM |
カテゴリー:教育, 社会 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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