教育

笑顔

相手からの信頼を得るためには「有能さ」を見せるよりも「温かさ」を持つ方が信頼を得やすいようです。そして、その後に「有能さ」を見せることが、集団内での影響力を高めることができるとクリスティーン氏は言います。

 

プリンストン大学のアレクサンダー・トドロフ教授らは、人が他人の顔を見て相手について瞬時に判断を下す際、その背後で認知機構や神経機構がどのように働いているかを調査しました。その結果、人間が一貫して、相手がどれほど有能かより、どのくらい温かいかを知ろうとするという結果がでました。相手が温かさに欠ける人だということ、無礼な人だということを人は一瞬の間に感じ取るし、一度そういう判断を下すと、その人を簡単には許さないのです。たとえ、「有能である」ことに気づいても「温かくない」ことの方を本質だとみなしてしまうのです。いくら一生懸命で頑張っていることが分かっていても、そのための言葉だとしても、人は本人が温かい人だと思っていなければ、着いてきてはくれないのです。

 

では、礼儀正しい人になるためにはどういったことをしていけばいいのでしょうか。クリスティーン氏は3つの基本動作を紹介しています。その一つ目は「笑顔」です。クリスティーン氏は「子どもは平均して、1日に400回くらい笑う。しかし、大人になると1日に20回超える大人は30%ほど。1日たった5回も笑わない大人が14%もいる。」と言っています。

 

そして、笑うことは自分自身を高揚させるだけではなく、免疫システムを活性化させ、ストレスを軽減し、血圧を下げ、心臓発作を起こす危険性を低下させるとも言われています。笑うことは寿命を延ばす効果もあるというのです。このことはがん治療や医療においても注目されていますね。小児病棟にクラウンが遊びに行くというのもテレビでよく放送されていますが、それも楽しむことだけではなく、笑うことが健康にも良いということがあるからなのでしょう。1952年、メジャーリーグ選手のカードにのった写真を見て、笑顔の選手とそうではない選手の寿命を比べると、笑っている選手は79歳まで生きたのに対し、あまり笑っていない選手は寿命が72歳にとどまるという結果が出ました。

 

また、笑うことは自分だけではなく、周りいるすべての人に影響を与えます。何も言わなくても、笑っているだけで、人を安心させますし、親近感も抱かせます。スウェーデンの研究者の調査によれば、誰かの笑顔の絵を見るだけでも、その瞬間、口のまわりの筋肉は笑う時のように上がるのといっています。リーダーシップを教えるコーチは、電話で話すときにも笑顔でいるようアドバイスをするのです。顔は見えなくても笑っていれば、より明るく親しみの持てる声が出るからです。

 

以前、イラクに赴任した米兵が現地の人との混乱を治めるために、銃を下ろさせ、隊員たちに笑顔を見せるようにしたという話があります。その部隊の隊長は「笑顔はひとつの意味しかない。笑顔を見せたら、少なくとも対話が始まる。」と言っています。笑顔が多い部隊は、雰囲気が明るく、人員同士の交流が活発という特徴があると解りました。皆が感情表現豊かで、行動も素早い。互いへの態度は温かく、穏やかです。隊長たちには、普通の戦隊の隊長に比べて、退院への感謝の気持ちを分かりやすく表現していて、どの隊員に対しても優しいという特徴があったのです。

 

笑顔というのは周りにポジティブな影響を与えるのですね。確かに考えてみると、焦りや追い詰められた時ほど、笑えていないように思います。意識的に考えてみるのも必要かもしれません。

ドイツの保育とコロナウィルス

これまでも紹介した通り、ドイツではオープン園を導入する保育施設が多くなってきています。しかし、現在、今世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルスによって、保育形態も変わらざるを得ない状況になっているそうです。

 

ドイツでは2月にイタリアで発症したことを受け、3月初めには国境を閉鎖したそうです。そして、都市閉鎖(ロックダウン)になり、幼稚園などすべて閉鎖されるという事態になりました。しかし、実際のところは、子どもは来なくても職員は掃除をしにきたり、作業を市に来たりすることで出勤はしていたようです。しかし、そのうち、園での作業はなくなったことと、1.5mのソーシャルディスタンスを確保するためには会議もできないということで、ホームオフィス(日本で言うテレワーク)にし、順番で少人数の勤務になります。どこの国でも行われることは同じですね。そして、それは1ヶ月ほど続いたそうです。

 

その後、4月からインフラ関係の子どもから受け入れるという措置により、保育が徐々に再開され始めます。5月にはその年度で卒園する年長児だけ登園できるようになり、6月にはロックダウンも解かれることになりました。

 

こういった状況下において、オープン園の保育方法は後退していくことになります。これまでは、子どもたちが自由に園内を動くことができるというようにクラスがなかったのですが、新型コロナウィルスが起きてからはクラス別に変わります。50人在籍していた子どもたちは、16人~17人の3クラスの編成になりました。幼稚園と学童の行き来もできなくなり、初めは園庭も3等分にするという話まであったそうですが、それはなかなか難しく、外では全員で遊ぶということになります。ビュッフェ形式の食事の提供も無くなっているそうです。しかし、マスクに関しては表情が見えなくなるということで、保育者も子どもも園内ではマスクをつけるという措置は取っていないそうです。環境はこれまで、さまざまな場所にあったスペースを各保育室にコーナー化することになったそうです。

 

しかし、ネガティブな部分だけではなく、異年齢での少人数でのクラスは落ち着いているそうです。というのも、クラス分けは子ども同士相性のいい子、職員間も相性のいい人同士で分けたことで結果として、落ち付くことになったといいます。今後は新型コロナウィルスが落ち着くまではクラス制になるようですが、落ち着いたらもとのオープン保育に戻っていくのではないかとベルガー氏は言います。

 

新型コロナウィルスは日本に限らず、世界中で起きていますが、それにおける保育園や幼稚園の対応はやはり似ています。ドイツでは2週間スパンで新しい対応が報告され、それをガイドラインに変わっていくようです。かなりスピード感がありますね。

変化と気づき

オープン園にするにあたっては3年を通して終日研修が4日間、閉園後の2時間研修が15回ほど行われた。終日研修ではミュンヘン市学校スポーツ局の担当専門職員が講師として研修を行います。最初の研修において職員の一人一人の子ども観について丁寧なすり合わせが行われ、子ども像に対する一致した認識を確認する作業に時間をかけたそうです。そして、子どもの権利という観点から保育の見直しを行い、徐々に無理のない範囲での変化を遂げていきました。

 

こういった子ども観から研修を行うというのも日本では珍しいことかもしれません。どちらかというと、子ども観というよりはどういった保育形態か、どういった活動をするのかということのほうが先にでて、その意図の部分に触れる説明は比較的に薄いように思います。そして、子ども観を重視するよりも、保育観や保育技術、カリキュラムに目が向きやすい印象がまだまだ日本では強いように思います。

 

オープン園にあたっては、はじめ職員の過半数は懐疑的であったようです。というのも、「子どもと先生とのつながりが弱くなるのではないか」とか「年少児がとまどうのではないか?」という点が憂慮されていたのです。しかし、活動が軌道にのり、1年半ほどたったところで、考えが改まってきます。それは子どもの表情が変わってきたからだとベルガー氏は言っています。

 

子どもたちの表情や活動への取り組み姿勢が目に見えてポジティブに変わってきたのです。特に一斉保育において消極的な立場の子どもたちが変わったといいます。遊びの選択肢、遊び相手の選択肢、関わる先生の選択肢などが広がることにより、園がより心地よい場所に変わっていることが実感できたといいます。この気付きによって、子どもと先生との絆が弱まる可能性は、実は子どもの側からの問題ではなく、先生側の視点だったことということを理解したといいます。先生の「子どもとつながっていたい」という気持ちや、「子どもの行動のすべてを把握しているのが良い先生である」という考えに縛られていたのではと思うとベルガー氏は言っています。

 

そして、「オープン園」は目指すべき完成形がないといいます。そして、それは在籍する子どもたちや職員の一部交代もあり、社会的環境も変化するからで、環境が変化すると親の要望や子どもの欲求も変化し、それによって園のあり方も改善していくことが望まれるのです。そのため、オープン園運営の基本は「変化への柔軟な対応」であるとベルガー氏は言います。

 

この「柔軟性」というのは保育をする上で非常に大切なことです。子どもはそれぞれ違います。毎年同じことを行っていても、それが今の子にあっているかというとそうではないのです。そのため、それぞれの子どもたちにあった環境を作らなければいけません。しかし、先生主導ではそれを設定するのは難しいのです。だから、子どもたちが選択できるだけの環境を作らなければいけないのです。そこには保育の視点の変更が求められます。ベルガー氏がいうように「実は子どもの側からの問題ではなく、先生側の視点だったことということを理解したといいます。」といったことに気づくことが重要になってきます。主体がいつの間にか、子どもではなく先生の側になっていることはよくあります。そうなっている自分に気づくことが柔軟性を持つ大きな一歩なのかもしれません。

変化

バイエルン州ミュンヘン市では「オープン園」に徐々に移行しているそうです。しかし、この保育形態は園長自身が「オープン園」にするかどうかを一任されているそうです。また、それによって変化する働き方になじめない職員は希望転園することもあるそうです。ベルガー氏のいる幼稚園でも、オープン園になる家庭では様々なことがあったそうです。

 

ベルガー氏が幼稚園で働き始めたころ15年前では、一クラス複数担任制で3~6歳の異年齢児25人を常時2人の先生で見ていました。ドイツの幼稚園の開園時間は午前7時~午後5時までの保育時間なので、クラスの先生は3~4人でシフト制を取っていました。当時のクラス活動はドアが閉鎖された状態であり、保育内容はクラス内の担任同士で話し合います。様々な活動はありますが、2つのクラスが一緒に遊ぶ機会は庭で遊ぶときのみです。その状態からオープン園への移行が始まります。まずは、廊下スペースの有効利用が注目されます。これにより庭だけではなく、廊下がほかのクラスの子どもたちが出会う場となるように、積み木コーナーと読書コーナーを作りました。

 

つぎに担任制のとりやめです。先生の持ち場と持ち時間は週案により、月曜日に決まります。そして、それぞれの先生の持ち寄る保育内容についても話し合いが行われます。毎朝50名の子どもたちが「朝のお集り」として多目的室に集合するが、その最後に数名の先生がその日の設定保育について紹介します。このときに製作や体操に内容が偏らないように、あらかじめ各自の保育内容を月曜日に申告しておくのです。毎日複数の設定保育が提案できるように調整されます。

 

朝のお集り時に設定保育を紹介された子どもたちは自分のしたい製作や、遊びを選んで、担当の先生とともに、場所を移動することになります。遠足やお散歩については、希望者のみでの移動となり、保護者に対して個別の連絡など煩雑になることも多いが、あくまで子どもの希望に応じて実行されます。

 

このように大人の動線が軌道に乗ってきたときに、今度は園児50人が園内で自由に動き回れるようになったそうです。幼稚園内であれば、どこで誰とどのくらい遊んでもよい。というように、クラスのドアは常に開かれた状態になりました。ほかにも学童の保育も同様に変化させていくことで、より部屋や環境を有効活用できるようになります。

 

このようにドイツでは、クラスの壁と関係性を無くすことで、園全体の子どもたちを園全体の先生で見ていこうという「オープン園」化がなされていきました。しかし、それも順風満帆ではなく、さまざまな議論の基、変化させていったといいます。

子どもの主体性、自立性

ドイツでは、子どもたちの個性、自立性を尊重し、多種多様性を受け入れることができ、困難を乗り越える力も養うことができる保育形態が「オープン園」であるのだとベルガー氏は言います。これはドイツにおける「子ども観」が中心にあるからなのですね。そして、「オープン園」が広がっていく背景にはドイツの風土があるからなのだとベルガー氏は言います。その風土とはどういったものかというとそれは遊びを大切な学びの機会ととらえている点です。

 

遊びの重要性については、陶冶保育プランでも重ねて指摘されている。従来のように先生が前に立って指導する保育方法と違って、「オープン園」には、子どもが自由に選び遊ぶ時間が十分あります。先生によって計画、指導される保育ももちろん必要であるが、ドイツではそれよりも子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであることを強調しています。陶冶保育プランの中にも自由に遊ぶ中で、さまざまな生きる力を身につけていく理論的裏付けや、実例が記載されているのです。

 

これは日本においても、同様のことが言えますね。保育所保育指針、幼稚園保育要領、こども園保育要領においても、「自主性」「自発性」という言葉は多く入ってきます。しかし、ドイツの陶冶保育プランと違うのが「自由遊び」の重要性というのはあまり語られていないように思います。以前にもブログに書きましたが、自由遊びというのは非常に大きな影響を与えるものが多くあります。思考力や社会性、ストレス緩和に想像性と上げていくととても多くあります。しかし、日本ではまだまだカリキュラムによる、先生主導の活動の方に重きが置かれているような印象があります。その割合が日本の場合とドイツの場合では大きく違っています。そして、その根底にはドイツとの「子ども観」の違いが見え隠れします。特に「自主性」「主体性」といった取り方は日本とドイツではとても大きな違いがあるのを見学に行ったときに感じました。日本はどちらかというと「子どもたちと一緒に遊ぶ」ことや「子どもと仲良くしている」のが良い先生なイメージがあるのに対して、ドイツの先生は「子どもたちの動きを尊重する」、「無駄な関わりを一切しない」といった印象がありました。園庭遊び中も紅茶を飲んで子どもを遠巻きに見ている様子が多かったです。無駄な介入はしないのです。しかし、子どもからのアプローチには、応答的に反応していました。一見、日本においては「放任」ではないかと思うほどです。しかし、その行動の裏には「子どもには生きる力があるということを信じる」という気概が非常に強くあるということを感じました。

 

日本は「先生主導が良し」とされ、「先生の力量」が求められることがまだまだ多いです。そのため、「子どもたちがどう考えたか」よりも「子どもたちが何をしたか」に目が行きがちです。過程よりも結果をみてしまうのです。ドイツを見学していく中で、改めて、書類を通して子どもを見るのではなく、ありのままに子どもを見ることの必要性を感じたのを思い出しました。