社会

与える人

「礼節を持っている人」というのは「笑顔がある人」「尊重する人」「「相手の話を聞く人」とクリスティーン氏は言っています。その上によりワンランク上の礼節を身につけるためには5つの心得も必要であると言っています。それは「①与える人になる。②成果を共有する。③ほめ上手な人になる。④フィードバック上手になる。⑤意義を共有する。」ということを挙げています。

 

まず、一つ目の「与える人」です。多くの人は人に貴重なリソースを分け与えるというのはナンセンスのように感じます。しかし、その目的に焦点を与えるのであれば「与える人」の意味が分かってくるでしょう。ペンシルベニア大学のアダム・グランドは、著書『GIVE&TAKE与える人こそ成功する時代』の中でこういっています。「たとえば、自分が営業職だとして、自分の売り上げ目標の達成と、より安い価格を求める顧客のニーズのどちらを優先すべきだろうかと考えます。『与える人』であるなら、顧客のニーズを優先するというのです。また、医学部生であるなら、自分の勉強に集中するのと、困っている友人の手助けに時間とエネルギーを割くのであれば、『与える人』は自分の時間を犠牲にして、友人を助けるだろうというのです。そして、『与える人』であった場合、営業職を1年間続けた場合は多くの収益を上げ、医学部生も、卒業時には他の学生より、優秀な成績を取っていたということが分かりました。」

 

なぜこのような結果になるのかというと、その要素には大きな2つの要素があるといます。それは「人間関係と意欲」です。グランド氏は「『与える人』は周囲の人たちと深く広い人間関係を築くことなる」といっており、その人間関係は長期にわたっても損なわれず、長期的な成果にもつながると言っています。そのうえ、自分のリソースを他人と共有するひとは自分の存在に意味を感ずることができるし、目的意識を持つ子こともできるのです。つまり、人に教える、伝えるというのは一つの「自分の存在意義」として感じることにも繋がるのです。そのため、自分の他人に対する貢献が重要であると感じていれば、苦しい状況になっても、簡単にくじけることはないのです。

 

ただ一つの問題があります。それは「何も考えずに持っているものをすべて分け与えたらいい」というものではないのです。では、どういったリソースを与えればいいのでしょうか。ロブ・クロス、レブ・レベル、アダム・グランドら三人は共有して生み出す可能性のあるリソースとそうではないリソースがあると言っています。そして、リソースには大きく分けて情報的リソース、社会的リソース、個人的リソースの三つの種類があります。

 

情報的リソースとは「他人に伝えることができる専門知識、専門技術」です。社会的リソースとは「その人のもつ意識や、立場のこと」です。たとえば、何かを入手しやすい立場にいることや、豊かな人的ネットワークの中にいることなどです。個人的リソースは「その人が持つ時間とエネルギー」のことをさします。先の情報的リソースと社会的リソースについては効率的に共有することができますが、個人的リソースは有限であり、他人に分け与えてしまうと、もとの持ち主の分は減ってしまいます。この個人的リソースを分け与える場合は慎重に対応しなくてはいけないと言います。個人的リソースを求められるままに分け与えるのは思慮に欠けると言わざるを得ないと言います。なぜなら、相手の言いなりになり重荷を引き受ける人が多く、その結果、精神的に消耗しつくしてしまう場合が多いからです。よくあるのが、「困っている人がいると、その人の代わりに何かをしてしまう」ということで、特に女性が多いようです。こういった場合、リソースの種類を変えるべきだとクリスティーン氏は言っています。その場合、情報的リソースや社会的リソースを分け与えれば、相手の要求を満たせることが多いので、必要な情報を提供したり、適切な人を誰か紹介するといったことをすればいいのです。

 

確かに、「おせっかい」を焼いてしまう人がいます。しかし、そうしてしまうと、自身の所望も大きいうえに、周りの成長が止まってしまうこともあります。どう行動するのかは常に考えておかなければいけません。自分の行動が周囲の人たちの感情、考え方、健康状態にどう影響するかに気を配ることが重要になってくるのです。

無意識の偏見

社会神経学者のジェイ・ヴァン・バヴェル、ウィル・カニンガムが無意識の偏見を抑制する方法を紹介しています。それは「相手と自分の共通点に注目することが有効」と言っています。つまり、相手と自分と共通するアイデンティティがないかを探すことです。

 

このことでバヴェルとカニンガムはある実験をします。それはいくつかの言葉を提示し、それをできるだけ速く「良い」と「悪い」に振り分けるという作業です。そして、そこで個々の言葉を提示する前には必ず、ごく短時間、人の顔を見せることをしました。

 

被験者は白人の男性の顔か黒人の男性の顔か、必ずどちらかを見てから言葉を提示されることになります。すると、被験者の多くは、無意識の偏見を露呈されます。白人の顔を見た後は「良い」、黒人の顔を見た後は「悪い」に無意識に振り分けられがちであることが分かったのです。その後、バヴェルとカニンガムは、前回と同じことをするのですが、この実験の作業にあたって、その作業の開始前に被験者にある情報を与えます。それはすべていずれかのチームに属しているという情報を伝えます。そうすると、白人、黒人を問わず、どの被検者も同じチームであるか、あるいは敵対するチームに属しているということになります。すると、たとえ黒人男性であっても、「良い」といった方に振り分けがちになりました。つまり。自分と同じチームに属していると解ると、人種に対する六時期の偏見を打ち消してしまったのです。クリスティーン氏は無意識の偏見をなくしていくために重要なのは、個々の人の共通のアイデンティティ、グループを見つけることであると言っています。

 

また、あえて自分の偏見が表に出そうな環境に身を置いてみることも必要だとも言っています。自分と異質の人と交流をし、相手への理解を深めれば、偏見は少なくなっていく。互いへの感情はよくなっていくだろうというのです。そのために、具体的な証拠を判断材料にし、特定の材料のみを重要視することを避けます。そうすることで、判断に主観が入り込む余地をなくすのです。なによりも、偏見を減らすには、他人の意見を積極的に取り入れる姿勢も大切です。何か重要な決断を下すときにはひとりで考えず、必ず他人の意見を聞く。調査によると、多様な意見の出るチームの方が、そうでないチームより、より良い、より偏見のない決断を下せることが分かっているそうです。

 

これはリーダーシップにおいて重要な観点だと思います。どうしても、意識や理想が高いとその理想に一つでも近づけようとして、主観的な考え方になり、自分の考えに合わない人を排他的になってしまいます。結果として、変化が起きず、風土が固定化されてしまうように思います。多様なアイデンティティが組織の中であるのは仕方のないことですが、そこでの共有や議論、コミュニケーションといったものがあって、初めて理念が強固なものに近づいていくのだろうと思います。偏見をなくすことは非常に難しい、ですが、共有することや当事者意識を持つことはできます。そうすることで、一人一人の意識の高まりが見えてくることにつながり、結果として良い組織風土が起きてくるのでしょう。

偏見

偏見は知らずしらず起きていることがあります。それを「無意識の偏見」とクリスティーン氏は言っています。そして、気を付けなければ知らず知らずのうちに誰かに無礼な態度をとる恐れがあるのです。そうなってしまうと、当然、とても悪い結果がもたらされますし、職場内の無意識の偏見を放置すれば、それは不平等へとつながり、業績に悪影響を及ぼしかねないのです。しかし、多くの人は自然と無意識の偏見をしていると言います。

 

クリスティーン氏がある法律事務所に頼まれて、社員間の直接のフィードバックについて講義した時にアフリカ系アメリカ人の社員から「マイノリティ(少数)は、正直なフィードバックを得られにくい、同僚たちがマイノリティを保護するべき存在と感じ、何か良くないところを見つけても正直に言いにくいからだ」という発言があったそうです。つまり、「悪いところがあっても、気を使って言わないのは、その人を下に見ることであり、侮辱であるばかりか、必然的に失敗へと導くことでもある。自分より下だと思っている人には、初めから期待をしない。だから、正しいフィードバックもしない。その結果、相手が何か失敗をすれば、自分より本当に下であることが証明されたと感じてしまう。いわゆる「予言の自己成就」が起きるというわけだ」というのです。要は相手を下に見ているがゆえに、失敗するのを分かっていながら見てみぬふりをするというのだ。しかし、そんなことをしていると業績が上がってこないのは当然であるし、働く職員のレベルアップにもつながらない。

 

そのため、無意識の偏見と闘うには、隠れている偏見を表に出し、目に見えるようにすることです。「自分にはどういう偏見があるのか」「その偏見によって影響を受けているのは誰か」「それによってどのような結果がもたらされるのか」まず、自分の偏見を持っているといった客観視が必要になってくるのです。

 

保育でも、子どもたちに対して「この子はこういう子」というように悪く言えば「レッテル」を貼る人がいます。確かに子どもの様子や発達を見ることが仕事ですが、それが固定概念化されるとその子自体へのアプローチや関わり方に偏りが出てくるようにも思います。だからこそ、今自園で行っているような「チーム」で子どもたちを見るということは必要なことだと常々思います。一人だけの目線であると、偏見を持った見方に偏ることが起きてしまいいます。そのため、他の人の目線からも子どもを見ることで、偏りが緩和されます。その人にはその人の視点、自分には自分の視点といったように偏らず、複数の視点を持つことで子どもの発達をより多角的に見ていくことができます。しかし、そのためにはそもそものチームを組んでいる職員間も風通しがよく、関わりが持てていなければ、新たな子どもの見方が産まれてきません。最終的には職員間の子どもに対する見方をすり合わせ、尊重しあわなければ、より良い見方にはなりません。やはり大人にっても、子どもにとっても、偏見以上にその人そのものを見つめなければいけませんし、そういった人であるようにしていなければいけませんね。

多様性と偏見

話をさえぎってしまうというのはどうも、相手の話を聞いていない人の癖でもあるのかもしれません。こういった場合、もっともよく相手の話を聞いている人の話すことと聞くことのバランスは「1:2」がベストであるそうです。そして、それと同時に、「質問する」ということも一つの聞くことのテクニックであるとクリスティーン氏は言っています。

 

つまり、どうしても自分が話したくなってしまう人、他人の話に割り込みたい衝動といつも闘っている人は、逆に「あなたはどう思いますか?」と質問するほうが良いというのです。そうすることで、なかなか自分からは口を開くことのない人が話をしてくれるというのです。自分が話すのではなく、謙虚な態度で他人に質問をすることが大切なのです。このように、「笑顔」「相手の存在を認める」「相手の話を聞く」ということが、礼節ある行動につながるといい、こういった態度が相手にとって温かい人といった印象を与え、そのうえで有能さが見えてくるのです。

 

これら三つの心がけは、人との関わりの中で必要なことであるということは疑いようがありません。また、こういったコミュニケーションの取り組みはこれからの社会においても重要な力です。様々な国や地域の人と関わることが求められる時代です。意見や感覚などは今以上に多種多様な時代になってくることだと思います。そんな時代に変化していく中で、多様な気質を持った人をつなげ、お互いが認め合うような集団を作っていかなければいけません。

 

クリスティーン氏は多様性について「ただ多様性があるだけでは期待するような利益は得られない。多様性が真に価値を持つかどうかは、企業の文化や、その構成員の態度によってきまる」と言っています。当然、ただ多様な人材があったとしても、それぞれが自分に自信がなく、価値があると思えなければ、あまり力を発揮することはできません。そういった人材が力を発揮するためには自分が尊重されていると感じれなければいけないのです。そこで重要になるのが礼節であり、礼儀の正しさだとクリスティーン氏は言っています。つまり、相手を打いけ入れ、無意識の偏見や、その偏見による態度、行動をでないようにすることです。しかし、それは困難なことだということが言われています。

 

なぜ人は偏見を持ってしまうのでしょうか。どうして、その偏見を崩すことができないのでしょうか。そこで重要になるのが「認知的過負荷」だとクリスティーン氏は言っています。人間の脳には絶えず大量の情報が入ってきています。しかし、その情報のほとんどは処理されていません。そのため、取り入れた情報のほとんどは無意識のうちに処理されるのです。無意識の情報の処理はよく「ショートカット」されます。ショートカットの際に頼るのが「ステレオタイプ」です。つまり、先入観や固定概念といった、一つのフォーマットを作ることです。こういった概念を作ることで、さほど重要でない情報や、初めから正しいはずのない考えを除去することができ、限られた情報をもとに短時間で判断を下すことができるのです。しかし、この固定概念や先入観のせいで間違いをしてしまう恐れもあるのです。

聞く態勢とは・・

「聞く」ことを効果的に行うためには「聞く態勢」を作らなければいけないということが世界中の多くの人の共通する答えだったとクリスティーン氏は言っています。相手のいうことをただ受け身的に聞くのではなく、相手に対してしっかりと意識を向けること、相手の意図にあった質問をすることなど、相手のことを見通し、共感することが重要なようです。前回の内容をこう要約していくと、保育における子どもとの向き合い方と同じことが言えるように思います。「共感する」というのは相手を意識していないといけませんし、一人の人間として向き合わなければできないことでもあるように思います。

 

クリスティーン氏は音をテーマにコンサルティングをしているジュリアン・トレジャーさんの聞くときの4つの留意すべき点を紹介しています。1つ目は相手の話をそのまま「受け止める(Receive)」、2つ目は「尊重する(Appreciate)」相手を尊重し、余計な合いの手を入れて話を妨げない。3つ目は相手の話したことをうまくまとめる「要約(Summarize)」、4つ目は「質問(Ask questions)」の4つです。これらの4つを心掛ける必要があると言っています。

 

そして、「どれだけ熱心に話を集中して聞いたか、話す相手によって聞き方を変えていないか、地位や能力、知性、性別、文化的背景によって最初から熱心に話を聞かないことはないか。場所や状況によって話を聞かなくなったりしていないか。自分によって都合の良くない話になり、不愉快な情報を伝えられ始めると、途端に聞かなくなる人がいる。そんな人になっていないか」と問いかけます。ありのままの相手を見て、偏見なく話を聞く姿勢が必要なのです。

 

そして、それは態度に現れてくるのです。「まだ相手の話が続いているのに、自分の考えを話したりして、遮ってはいないか。話の途中で話題を強引に変えさせたりしてはいないか。相手の言っていることに興味を示さず、より自分にとって興味の持てる話に変えてしまっていないか。自分と違う意見を持っていると感じたときに、必要以上に身構え敵対的な態度になっていないか。相手と口論にならないか。会話の途中で注意がほかに向いてしまい、相手に同じことを言わせていないか。話を聞くよりも話すことが多くなっていないか。」といった態度になっていると、相手とのコミュニケーションはうまく測れないのです。つい、人の話を聞くよりも、人の話に割って入りたい衝動にかられます。それでは相手は話せなくなります。

 

しかし、これは訓練すれば改善できるとクリスティーン氏は言っています。その方法は単純です。相手が考えをすべて言い終わるまで待つように努力するのです。しばらく続けていくと、自分の衝動を抑えることが当たり前になるというのです。初めは常に緊張することもあるだろうが、次第に自分の態度を監視する必要もなくなってきます。その行動を当たり前にし、習慣づけることが必要なようです。

 

大切なことは「話すこと」よりも「聞く」ことがコミュニケーションにおいては需要なことがよくわかります。そして、それは態度として表れ、礼節として相手に伝わっていくのです。イノベーションを起こすためには自分の言葉を強く言うだけでは新しいことは生まれません。相手の話していることを聞くからこそ、自分の持っていない視点の見方を知るのです。そして、それは結果として、周囲にいるメンバーや同僚、部下にとっても自信をつけるプロセスにもつながるのです。そうすることで、集団はまとまり、より良い風通しがよく、より良い環境になっていくのでしょう。そして、それは子どもたちが相手の保育においても心掛けなければいけない共通の事柄であるように思います。