社会

温かさ

ヒトが相手に「好感」をもつときというのはどういった時なのでしょうか。クリスティーン氏は世界中の研究者が調査していると言っています。その中で「人間の200種類を超える行動特性が調査の対象となっている中で、特に重要なのは『温かさ』と『有能さ』の2つ」と言っています。むしろ、この2つが他人に与える印象をあたえるほぼすべてといってもいいとすら言っています。つまり、この2つの印象さえ与えることができれば、信頼される可能性が高いのです。

 

しかし、ここで注意しなくてはいけないことがあるとクリスティーン氏は言っています。それは「温かさ」と「有能さ」は相反する特性と思われがちということです。「優秀だけれども、あの人のためには働きたくない」とか「親切だけれども、さほど頭は良くない」といったことです。しかし、「礼節」が備わっていれば、礼儀正しく振る舞うことができれば「有能な上に、温かい」と思ってもらうことは可能だとクリスティーン氏は言います。

 

このときについ自分が有能であることを早く証明したくなります。実際そういった人は多いというのです。しかし、一度、温かい人だと感じると、その人に対する評価は上がりやすくなるのです。つまり、温かい人になることは、自分の影響力を高めるための早道ということなのです。温かい人は信頼を得やすい、信頼が得られると、自然に周囲から情報やアイデアが多く集まってくるのです。そのためには、非言語的コミュニケーションが必要だとクリスティーン氏は言っています。微笑みかけることや人の話にうなずくことなども含めて、相手を受け入れようとしていることを態度で示す。また、周囲の人たちにも、その気持ちにも常に気を配っているということを伝わるようにする必要があるというのです。

 

「温かさ」と「有能さ」特に「温かさ」が必要となるのは、わかってはいてもなかなか実践に移すのは難しいものです。しかし、確かに信頼を得なければ、物事はポジティブには動きませんし、「信頼」には『有能さ』よりも「温かさ」のほうが意味があるように思います。つい、自分の有能さを知らしめたいという気持ちが出てしまいます。しかし、それは焦りであるのかもしれません。こういったことが起きるときは急いで行わなければいけない時や、物事がうまく進んでいない時など、特にこういったマインドになっているときに陥っているようにも思います。

 

「礼儀の正しさ」は「誠実」であることや「真摯に向き合っている」ということと同義でもあると思います。どうしても、誰しもが「認められたい」といった承認欲求を求めるがゆえに焦ることがあります。そして、自分の有能さを伝えることに終始してしまいます。しかし、それは信頼を得ることには繋がらないのです。自分を客観視することと同時に、「温かさをもつ」ということも同時に持ちながら人と関わることを考えなければいけませんね。

 

そして、このことは同様に保育において、子どもと向き合うことにも繋がります。子どもに対しても、信頼関係があれば、子どもも答えてくれるように思います。いくら、楽しいことをやろうとも、いくら絵本を読むのが上手であっても、ピアノを弾くのが上手でも、その人柄は子どもたちに伝わります。ついいうことを聞かせようと怒ってしまうことがありますが、それよりも、日ごろの子どもとの関わりを見直すことの方が必要であり、その時の自分を客観的に見ることの方が大切なのだろうと思います。この本の初めに、「自分はどんな人になりたいのかということを思い浮かべてほしい」とあります。こういった自分自身がそのモデルに近いのかどうか、初心を思い、今を見つめなおすことも含めて、自分が高まっていくことに力を入れることが結局、仕事にしても、人との関わりにおいても、大切なことなのだろうということをこの本を読んでいると強く感じます。

振り返る力

相手にとって礼節ある態度を持つことはなかなかに難しいことです。このクリスティーン氏の「THINK CIVILITY」を読んでいても、では無礼ではなく、礼節のある態度とはどういったものなのだろうかと思います。人は意図せずに相手を傷つけることもあるのです。良かれと思っていったことが図星過ぎて、かえって相手を見下しているような印象を持たせてしまうのです。クリスティーン氏は「あなたは他人と接するときの自分の些細な振る舞いにどの程度、自覚的になっているだろうか」と言っています。確かにこのことを考えた時に、ふと自分は「笑っていないな」とか、気づけば「結構言葉が厳しかったかもしれない」と思うことがあります。クリスティーン氏は「自分の振る舞いに自覚的になるためには、どうしても他人の協力が必要になる。つまり、周りの人に自分の行動にフィードバックをもらうことを勧めています。

 

つまり、自分のことが見えないのであれば、信頼する他者からの意見をもらうということです。そして、それに関してはしっかりと耳を傾け、言い訳、自己弁護はしないということが条件としてあり、客観視されたものを受け入れるというものでした。これは自分にとっては耳が痛いことではありますが、他者の言葉は貴重です。他意の無い言葉を受けとめることが必要ですね。だからこそ、「信頼する他者」である必要があるのでしょう。

 

また、「できるコーチ」という人の指導というのも必要だそうです。自分の姿を見て、「どうすれば言動を改善できるか」、また、「良い言動を続けられるか」を見てもらうというのです。もし、そういった人がいない場合、職場の同僚とともに改善することもできるといいます。カードを交換することも良いと言っています。片面には良いところ、もう片面には言動の修正するところ、改善するところといったように。

 

ほかにも「自分が無礼な態度を取ると合図を送る」といったことや「ロールモデルを探すことで、そのモデルとなった人の言動や態度を分析し、なぜ、彼らの態度は感じがよく、接した人が皆、自分は尊重されていると思うのかを考えてみる」ことや「毎日、日記を書く」ということを勧めています。

 

つまり、自分の態度を改めるためにはいかに自分を「客観視できるか」ということが重要なようです。そして、できない場合、他者にお願いすることで、自分でも気づかない機微の部分において、指摘してもらうということが重要になるようです。現在、社会問題など様々な問題を見ていると、この「客観視」ができない人が多く、情動的に反応する人が多いと言われています。そして、それは「非認知能力」に問題があるといいます。そして、それは小さい頃からの経験や体験によることも多いと言われています。私も人との付き合いの中で、うまくいかないことがあったときに、自分を振り返ることは多々ありますが、もしかすると、生きていく中でこういった経験が少なかったというのもあるのかもしれません。

 

保育をしていると、子どもたちは様々な喧嘩や言い争いを毎日しています。ある意味で、利害なく、ぶつかり合っています。そして、その中で折り合いを見つけていくのですが、こういったやり取りの中で、人を学び、人を知り、自分を知ることにも繋がっているのかもしれません。大人になると、上下関係や役職など、さまざまな利害が発生すると、権力や力で、相手を黙らせてしまう場合もあります。こういったことを含めて考えると、子ども期のトラブルというのはより純粋な人とのやりとりのように見えます。そして、その時に、自分を自己評価できる術を持つことができれば、将来に生かせるスキルを持つことができるのだろうと思います。なぜ、乳幼児期に能力が育つのかというのを考えると、そこには純粋な関係性があるからなのかもしれません。

言葉の影響力

クリスティーン氏はクリケットチームを対象にした調査で、チーム内の選手のひとりが幸福な気分でいると、それがチームメイトに影響するという結果が得られていると言っています。クリスティーン氏は「チームメイトの多くが幸福になれば、当然チーム全体の成績も向上するのです。そして、この場合の「幸福感」には必ずしも、関わる人たちの間の深い、個人的な人間関係は必要なく、頻繁に顔を合わせ、表面的な付き合いをしている人たちとの関わり方次第で、幸福感が大きく変わるのです。しかし、このことは良いことだけではなく、悪い態度も、その影響は全く同じように広がるのです。ちょっとした優しさ、ちょっとした無礼が付き合いの中にあると、その人たちが属する組織、集団の中にさざ波のように広がっていくのです。同じネットワーク内にいる人ならば、その態度を取った人に直接かかわらない人たちも影響を受けるのです。」と言っています。これこそが、リーダーとなる人が組織の風土や文化を作るということにつながっている要因なのでしょう。

 

この影響というのは脳の部分の活動によるものだとクリスティーン氏は「脳のある部分が活動をすると、神経細胞のネットワークを通じ、その活動の影響は脳内の別の部分に広がる。」と言っています。そして、「以前に、直接、あるいは間接的に見聞きした無礼な行動の記憶と結びついた部分が活性化される。そうなると、通常よりも他人の無礼さに対する感受性が鋭くなる。脳の状態がこのように変化すれば、物事の判断や意思決定に必ず影響がおよぶ。通常とは違う判断、意志決定をするようになるということだ」よく言う「鼻につく」というのはこういった脳内のメカニズムに影響があるからなのでしょう。一度ついた印象を払拭するのはなかなかに難しいことです。

 

ここでクリスティーン氏は面白い実験を紹介しています。エリザベス・ロフタスとジョンパーマーが1970年代に行った実験です。この実験では被験者をグループ分けをし、自動車の衝突実験の映像を見せます。そして、その車の速度がどれくらいと思うのかを尋ねる実験です。そこでは映像と尋ねることは一緒ですが、質問に使う言葉をグループごとに変えました。一つのグループは「車が『ぶつかった』時、速度はどのくらいだったか」と尋ねます。ほかのグループには「ぶつかった」ところを「激突した」「衝突して大破した」などに変えて諮問しました。すると、予想通り、強い言葉を使って質問をされた被験者は、そうではない被験者より、車の速度を高く言うという傾向が見られたのです。つまり、強い言葉が使われると、人は無意識に車の速度を高めて、その言葉と調和するようにするという仮説が立てたのです。どのように言葉に触れたかが状況判断に影響を与えているということです。

 

これは保育においても、組織論においても同様に言えることです。人に対する口調によって、その人の状況判断に影響を与えてしまうのです。クリスティーン氏は「無礼な態度を見た直後に、そうではない場合に比べ、同じ態度を見ても、無礼と感じやすくなる可能性があるのです。無礼な態度を体験すると、無礼な態度への感受性がより高くなるのである。その人が元来、敏感な人かどうかは関係ない。直前に無礼な態度を見たことで、無礼な態度により注意が向くようになっているだけである。」

 

以前、担当制のクラスで保育をしていたときに、そのクラスカラーが先生によって違うということがありました。それは子どもたちにとってリーダーとなる担任の先生における言動ややり取りが子どもたちに一つの価値観としての「ものさし」となっていたのだろうとこの内容を見て思います。たった一つの言葉、たった一つの関わりにより、そこでの環境や状況は変わってくるのであり、リーダーはそれだけ影響力と意識が求められることになるのだろうことが分かります。

礼節と無礼

クリスティーン氏は「礼節」を持つことは組織に力を与え、仕事の効率や成績が上がると言っています。では、逆に「無礼」な人が多いとどうなるというのでしょうか。これについてクリスティーン氏は「職場で誰かに無礼な態度を取られていると感じた人は、例えば次のような行為に出ることが分かった」と言っています。これは驚きの内容でした。①48%の人が、仕事に欠ける労力を意図的に減らす。 ②47%の人が、仕事にかける時間を意図的に減らす。 ③38%の人が、仕事の質を意図的に減らす。 といったように、職場環境によっては、これだけの悪影響が出るというのです。

 

私は常々、職場における雰囲気や風土によって、人の仕事への向き合い方が変わると思っています。そして、そのことに対して、影響力を持つのが「リーダー」でもあると思っています。どうやら「無礼」ではうまく集団が影響し合うことはできないのでしょう。

 

では、礼節のある人とはどういった人なのでしょうか。これについて7万5000人以上を対象とした国際的な調査では、優れたリーダーとみなされている人の多くが、他人から「思いやりがある」「協力的」「公平」という評価をされていると解ったそうです。どうやら、礼節とはこういったところから見えてきます。そして、礼節ある人は発想、情報、人をつなぐ役割を果たすことができるとも言っています。

 

「リーダーがチームのメンバーに丁重な態度で公平に接すると、メンバーが個人としても、チーム全体としても、高い業績を上げることが分かった。リーダーが礼節があることで、創造性は高まり、誰かが何かミスをしてもそれが早く見つかること、そして、誰もが自分の意志で率先して行動を起こすこと、メンバーの精神的な消耗が少ないことがいえる」と言ってます。そして、「他人を丁重に扱っていれば、その人の助けを得られる可能性は高くなる」というのです。

 

逆に失敗するリーダーは無神経で、人を不快にさせる、弱いものいじめをするという共通の性質があると言われるそうです。また、その次に多いのがよそよそしく、傲慢であるといった性質が続きます。そうすると権力があれば人はついてくるが、無神経で、敬意の無い態度で接していると、特に重要な場面で部下は助けになってはくれないでしょうし、情報の共有を渋るかもしれない、できるはずの努力を怠り、使えるはずの資源を使わない可能性があるというのです。

 

それでは、なかなか、うまくチームは動いていきません。長い間私は、リーダーに必要な資質は強い理念であり、誇りや志が何よりも大切なのであろうと思っていました。しかし、それだけではいけないのでしょう。こういったように礼節や無礼な態度で、人と関わるうえで必要になるのです。ある意味でこういったことが自然とできることが「カリスマ」なのかもしれません。しかし、こういったことを踏まえ、自分を変えていける原動力になるのは、思いであり、理念や志なのだろうと思います。そのどちらも、持ち合わせることで、組織はよりよくなっていく力を持つのだと思います。

リーダーシップ

組織をまとめていく中で、人を使うことの難しさを感じることがあります。それは子どもにとっても同じことです。保育においても、子どもと大人の相性はあります。家族でも相性はあるように、人との関わりの中で、どう付き合っていくのかというのは非常に大きな問題であるのだろうと思うのです。

 

以前、「リーダーシップ」について話をする機会がありました。組織においても、リーダーシップをとることは大切なことです。そして、リーダーシップ論を考えていくと、保育において子どもとの関わり方は、リーダーシップ論に近いものを感じます。

 

クリスティーン・ポラス「Think CIVILITY 礼儀の正しさこそ、最強の生存戦略である」を今読んでいますが、そこには「リーダーは自分の欠点をよく認識し、また、自分の言動が他人にどう影響するかも自覚していなくてはならない。周囲から見て近づきやすく、また現実的にものが見られる人間であることもだいじだ」と言っています。リーダーはその言動をしっかりと考えなければいけないというのです。そして、その発言が人にどのように受け止められ、どういった影響を与えるのかを自覚していなければいけないというのです。組織におけるリーダーにおいてもこういった資質は必要です。そして、それはその組織において、風土であり、文化を作ることになります。リーダーの言動は他に影響を及ぼすのです。

 

では、これは保育ではどうでしょうか。やはり同じことが言えるのではないでしょうか。子どもにやさしくなかったり、高圧的な態度を取ると、子どもも顔色を伺ったり、子どもそのもののありようはどんどん無くなっていきます。また、子どもの情動的なものにも影響がでるかもしれません。

 

また、クリスティーン氏は「マキャベリズムの意見に賛成し、礼節が大事だと思わない人は、皆を丁重に扱ったら、自分の権威をもはや尊重しなくなるのではないかと恐れる」と言っています。実際、自分自身もそれが該当するような意識を持つときがあります。しかし、ある実験で、ある教授を選ぶときに、礼節ある人の方が有利なっているということが分かりました。能力は優れているが、気難しく態度は横柄という人よりも、能力がまずまずで礼節ある態度の人が選ばれることの方が多いのです。なかには能力は高く、横柄で気難しい人が教授になることもあります。しかし、その場合、その人はそれだけ「仕事ができた」だけであり、礼節が備わっていれば、無礼でなければ、より成功していたのではないかとクリスティーンは言います。

 

組織を作っていく中で、リーダーシップというのは非常に大切な心持であり、スキルであるとも思っています。しかし、よくみていくと、それは組織だけではなく、保育においても、同様に共通するスキルであるということが見えてきました。続けて読み解いていきたいと思います。