社会の変化

期待を示す

前回、「期待する」ことと「期待を示す」ということの違いにおいて、「期待する」ということは自分の考えを相手に委ねるといった他責な行為であるということを紹介しました。では、「期待を示す」ということはどういうことをいうのでしょうか。

 

「はなす技術」を持っている人は「期待を示す」のみを行っていると言います。この「期待を示す」というのは「期待する」ということと同じ自主的な行為ですが、あくまで「期待をしめす」だけです。そのため、相手の責任にするものはないのです。どういうことかというと、重要なことは自分が期待を示したときに、相手が「期待に応えるかどうか」ということは問題ではなく、相手が「その期待に応えたいと思うかどうか」ということです。人は期待されたとしても、知らない人や好きでもない人からでは煩わしいだけです。しかし、尊敬している上司から期待を示されたら人は自発的に期待に応えようと思うものです。つまり、示された期待に応えようとするかどうかは、自分と相手の関係性のなかで成り立っているのです。相手のことを尊敬していたり、大切に思っていれば相手は期待に応えようとしてくれるでしょうし、良好な関係性でなければ相手は期待に応えようと思いません。こういったことを捉えると、期待を示すということはあくまで自分と相手との関係性の積み重ねであり、それは自分の責任なのです。そのため、「自責」の行為と言えるのです。

 

「はなす技術」には期待するというだけではなく、その裏には相手との関係性も大切になってきます。そのため、もし、相手が自分の期待に応えてくらなかったとしても、責任は相手にはなく、自分と相手との関係性に問題があるのです。相手が期待に応えてくれなかった場合、相手との関係性を改めて構築していくことから始めていかなければいけないのです。期待を示して相手に主体性が生まれたところで任せて、小さな成功体験を積ませる、それによって相手の主体性がどんどん膨らんでいきます。そして、その成功体験は自分に自信を持たせることにつながり、結果として、メンタルヘルス不調には至らないだけではなく、人材としても育つことになるのです。「はなす技術」を持っている人はこういったことをしているのです。

 

人の生産性というは安心できる環境、安全でポジティブな環境の中で非常にのびると武神氏は言っています。反対にネガティブな感情が渦巻いているようなところでは人の生産性や能力は伸びません。「はなす技術」を持っている人はポジティブな環境を作ることができるというのです。

 

このことは職場のみならず、保育現場でも同じことが言えます。人はポジティブな環境の中で生きることがやはり心地よく、のびのびとできる環境なのでしょうね。そして、そういった空間にいることで自分のポテンシャルも生きてくるのだと思います。そして、ポジティブな環境の中だからこそ、自分を出すことも認められ、より益々の主体性が生まれる。環境とはそれほど大きな影響を人に与えるということが分かります。

 

子どもの保育環境や養育環境でも同じことが言われています。よく「安心基地」というものがあることで子どもの主体性は発揮されるということが言われます。そして、そのためには「見守る」といった子どもがある程度自由にできる距離感も必要だと言われています。それは個々で言われる「任せる」という関係性と似ています。保育で言うと「委ねる」は「放任」であり、「任せる」は「見守る」というのと同じではないかと感じました。職場にも環境構成といったものの重要性がいえるのですね。

「期待」の落とし穴

「はなす」という技術は決して「話をする」という意味だけではなく、部下に対して「任せる」という意味での「放す」や「離す」ということを前回紹介しました。できるリーダーほど、「はなす技術」というのが上手であり、それによって相手が主体的で自主的な動きをするようになるというのです。

 

他にも、メンタルヘルス不調者やハラスメント被害者を出さない上司、リーダーシップのある上司は、3つの「はなす」のほかに、もう一つの「はなす」ができていると紹介しています。その4つめの「はなす」は「花をもたせるという意味での華す」です。これは相手に任せて成功体験を積んでもらうことが、部下の成長につながるという意味です。しかし、これは「放す」と「離す」ができて初めて「華す」ということが可能になるのです。リーダーシップのある上司、ハラスメント被害者やメンタルヘルス不調者をださない部署のコミュニケーションが上手な上司というのは、部下に仕事をただ任せるだけではなく、小さいながらも成功体験を積ませるということを繰り返し経験させています。このように「はなす技術」がある人たちは共通して「はなす」ことによって「期待を示す」ことと「任せる」こと、すなわち主体性を持たせることができると分かっているのでしょう。このことから見えてくるのは「はなす技術」は「期待を示す×任せる(主体性を持たせる)」と定義できると武神氏は言っています。

 

この「期待を示す」ということはどういったことなのでしょうか。武神氏は「期待を示す」と「期待をすること」とは違うと言っています。武神氏は面談の中でメンタルヘルス不調で休職になった人の上司と話をすると「〇〇さんには期待してたんだけどなぁ」と言われることがあるそうです。これは本心かもしれませんが、もしかしたらその上司は「休職者を放っておいたわけではない」と主張したくて、そう言っているかもしれません。では、「はなす技術」を持っている人はどうなのでしょうか。

 

「はなす技術」を持っている人は、相手に期待するのではなく、期待を“示す”というのです。「期待する」というのは単に自分(上司)が期待するという行為なのです。そして、その期待に応えるか否かという責任は相手に委ねられます。しかし、よく考えると自分が期待しているからといって「相手がやらなければならない」という道理はなにもありません。本来、「期待する」というのは自分の勝手な行為であり、何かあったときの責任は自分にあります。しかし、いつのまにかその責任まで相手の責任になってしまうのが「期待する」という行為なのです。期待をするというのは、自分の行為に見えますが、実は最終的には「他責」の行為なのです。

 

このことはよく考えておかなければいけません。特に人事などを司る役職にある場合はなおのことこのことを意識しておかなければいけないと常々感じます。では、「期待する」というのではなく、「期待を示す」というのはどういったことをいうのでしょうか。

はなす

「みる」「きく」と進めてきました。最後は「はなす技術」です。「はなす」は漢字で書くと、①言葉で相手に伝える「話す」②手放す、握っているものを解き放つという意味の「放す」③距離や空間を分離するという意味の「離す」の三つの意味があります。

 

そして、このうち、「放す」と「離す」は時間空間的距離を話すということで、リーダーや上司にとって、部下との距離感として意識してもらいたい「はなす」だと言っています。そして、これは部下との単なる物理的・空間的距離感だけではなく、接する時間という意味での適切な時間的距離感も含みます。できるリーダーは適切な距離を持って上手に「はなす」ことによって、相手に自主的に動いてもらっているのです。ここで意外だったのが、「はなす」というと「話す」しか出てこなかったのですが、「放す」や「離す」といった意味合いが確かにあることが分かります。そして、読んでいくうちにこの「はなす」ということが意外と自主性や主体性につながるということがよくわかるようになります。このことは保育にも通じる内容で、子どもと保育者との関わりにおいても重要な距離感を示しています。では、それはどういった距離感なのでしょうか。

 

武神氏は「はなして相手に任せることが、相手に主体性を持って動いてもらうことにつながる」と言っています。しかし、ここで注意しなければいけないのは、「任せる」ことと「委ねる」ことを混同してはいけないということです。よく「任せる」というとすべてを任せっきりでそのあとは放置という人がいますが、それは任せたとは言わないのです。ましてや、自分がよくわからない業務があって、それを部下に丸投げしたとすれば、それは「任せた」のではなく、無責任に「委ねた」ということになるのです。しかし、この「任せる」というのと「委ねる」というのは周りから見るとわかりにくいところがあります。そのようなときは上司の部下に対する「会話の言葉=話し言葉」に注意すると分かるときもあります。どういったことかというと、部下にかける言葉で“はなす”ができている上司は部下に「頑張って“いる”ね」と言います。それに対して、できない上司は「頑張ってね」と言います。

 

「頑張る」こと自体を求めるのではなく、「頑張っている」姿勢を見ているということが必要なのでしょうね。これは参考になります。つい、物事を見ているときに「頑張る」ことを求めがちです。そして、もしそれが思っているほどの成果をあげれていない場合はよりそこに近づくように煽るように声を掛けがちですが、もしその人自体が限界まで頑張った状態でそれなのであればとてもつらいことでしょう。こういった双方の思惑の違いによって、片方にプレッシャーがのしかかってしまうことは珍しいことではありません。そのためにも、その人自体の頑張りに目を向けるほうが、モチベーションが上がるのは言うまでもありませんし、次の意欲や主体的な取り組みにつながるだろうことは想像がつきます。ある程度の余裕がマネジメント側にも求められますね。結局は「急がば回れ」ということなのでしょう。

 

きく技術

武神氏は「人間は言っても変わりません。だからアドバイスということは考えません」と言っています。つまり、「アドバイスはしない」ということなのでしょうが、では、どうやって相手に伝えていくのでしょうか。そもそも「アドバイス」とはどういったものなのでしょうか。辞書にはアドバイスは「助言」「忠告」「勧告」であると記載しています。しかし、こういった意味でつかわれる「アドバイス」はどちらかというと「自分から気付く」ではなく、人から「気づかされる」といった意味合いが強いです。ましてや、メンタル不調を持っている人からするとその指摘は実につらいものになるかもしれません。

 

では、自分で気づくためにはどの「きく技術」が必要なのでしょうか。それは質問するという意味の「訊く」であると言えます。そして、この「訊く」は相手の視点を変え、自分で気づかせるために有効な場合が少なくないと言っています。また、この「訊く」はあえて答えが分かっていることや、もしかしたら相手も分かっているかもしれないことを「きく」というために使われることもあります。そうして相手に再認識してもらうためです。というのも、悩みや迷いのある人には目の前のことしか見えていないことや、事実と想像がごちゃ混ぜになっていることがよくあるからです。

 

もし、相手の視野が狭くなっている、あるいは近視眼的になっていると思われたら、少し視点を変えて俯瞰的な視野が得られるような質問を考えましょう。また、相手が勝手に思い込んでいること、想像していること、実は違うということに気づくような質問もできるでしょう。相手の間違いを指摘して「違うよ、それは」などと言ったところで、相手には通じないのです。

 

たとえば、「最近どんどん仕事ができなくなっているんです。このままではクビになってしまうかもしれません」と相談されたとします。「仕事ができなくなっている」というのはその人の実感としてあるので、うそではないのですから「そんなことないよ」と否定しても話は続きません。そういったときには「誰かに叱られたり、成績が落ちて問題になったりしたの?」と質問してみると「そういうわけではないけれど」ということが多いのです。

 

悩みや迷いがあって不調の人の多くは「悪いのはすべて自分のせい」と思い込みがちです。そのため、こういったやりとりのなかで、自分ではそう思っているけれども、事実として何か言われたわけではないということがわかってきます。事実と事実ではないことの区別がついてくる。そうすると自分が一人で悪い方向に考えすぎていることに気づくことができる。それが「きく技術」のすごいところです。

 

このように「きく技術」は「きく」ことによって自分で気づかせる、認知させることができるのです。そもそも人は、はなすことによってすっきりするのです。厚生労働省の調査では悩みやストレスを感じている人は話すだけで約9割が楽になったというデータが出ています。そのため、そういった相手にきちんと向き合うことで、相手にサポートされているという安心感を与えることができます。そして、さらに気づき、つまり認知を相手にもたらすことができるのです。こういったことを「きく技術」を持っている人はやっているのです。どの「きく」でもいいから「存在を認めてもらったと相手が感じるような聞き方をしてみよう」と武神氏は言っています。そして、相手の視点を変えて気づいてもらうために、こういう質問を投げかけてみたいという具体的なことが思い浮かべば、なおいいと言っています。

 

武神氏はこれまでの面談の経験において、「きく技術」というものが「みる・きく・はなす」のなかで最も大切であると考えているそうです。それは実際、私自身も感じるところです。「相手を理解する」ということにおいて、「きく」というのはとても重要です。「みる」は相手との向き合い方であり、「きく」は相手を理解するということなのかなと思います。相手に安心感をもたらすためには話すことよりも「きく」ことが大切ですね。

相手に気づかせるには

人に注意をするときや悩んでいるとき、それを自分で気づき改善していく力を養っていくというのはなかなか簡単なことではありません。そして、質問に来たときに、何とか頑張ってもらおうとアドバイスを必死にしてしまいます。しかし、それでは人は育たないのかもしれません。以前、東京大学に子どもを入学させた親に共通の関わりがあり、その親のほとんどが子どもに対して、疑問形で返すという関わりを持っていたそうです。もちろん、そのためには相手の話に耳を傾け、「きく」ということが重要になってきます。まさに前回の「言うを忍ぶ」というところですね。

 

武神氏は前回までに紹介した「姿勢を向ける」「呼吸を合わせる」「順番に聞く」といった行動面、「言うを忍ぶ」「話よりも聞く」「存在を認める」といった意識面、これらのことが意識できると、あえて自分がアドバイスしなくても、ところどころ質問を織り交ぜていくだけで、この章で最初に挙げた「利く」と「効く」ができてくると言います。上手にきくことのできる人は、自分が話す少ない時間のなかでアドバイスはあまりしないのです。その代わり相手のためになる効果的な「質問」をします。自分の知りたいことを聞くことを「疑問」といいますが、相手のためになること(気づかせること)をきくことを「質問」と言います。

 

自分で気づかせるというのは言葉を変えれば、相手の視点を変える、新しい認知を与える、認知を変化させるということです。人は言っても変わらない。というのは以前の「みる技術」でも出ていました。ということは、いくらアドバイスを言っても変わらないのです。ひたすら聞いて、たまっているものを出させることも「きく技術」で、それだけで相手に自己重要感を与えることもできます。

 

思えば不思議なもので、おしゃべりな人よりも、あまり口数は多くなく、時に出てくる言葉が芯をついている人のほうが頼られる存在になっているように思います。自分自身もこれまでは自分の話したいことを話すことが多かったですが、相手の話の意図を聞いてから、アドバイスをいなければいけないと思うようになってからは、不思議と口数はこれまでよりも減ってきたように思います。「気づかせる」ということを考えると主体はアドバイスする側と考えがちですが、本来は主体は問題を抱えている側であります。そして、過度にアドバイスをしてしまうのはかえってその人本人の成長にとっては「お節介」なのかもしれません。本当にそのひとのことを信ずるのであれば、そこは一歩ひいた距離感にいることも重要なのかもしれません。そして、そう思えるだけの普段からのコミュニケーションや意思疎通は心がけていかなければいけないのでしょう。ここでは「自己重要感」という言葉が出てきましたが、それは相手にとっても、相手から見た自分にとっても、それが持てるような関係性を作る必要があり、そういったものが所属する部署の面々がそれぞれにつながっていればそれは理想の関係性であるのだろうと思います。