社会の変化

AIの進化とこれから

 

AI開発を世界中の研究者が行っていく現在の状況を見ているとAIの研究は今後も続いていくでしょうし、新しい発見や複数の技術的なブレイクスルーを経て、AIは言葉の意味を理解し、常識や知識を身につけていくのではないかと「ニュートン」2019年9月号で言われています。しかし、ここでのAIの開発において「汎用AIは人がもつ概念と全く同じ概念を獲得するわけではない」と言っています。「独自の概念で物事の特徴をつかむ」とあります。たとえば、ヒマワリを認識するとき、人は「花びらの色や形」などでとらえますが、AIは人には捉えられないような何らかの特徴を基にして、ヒマワリと断定しているかもしれず、汎用AIが様々な概念を獲得したとしても、その“頭の中身”は人にはわからない「ブラックボックス」になっているというのです。

 

AIには人の本能に関係する「心地よい」や「美しい」などの抽象的な概念を理解することも困難だと考えられています。汎用AIが、人をこえる知能を獲得できたとしても、人と同じような感じ方をする機械にはならないと考える研究者が多いようです。しかし、このことに対して松原博士は「AIが悲しんだり喜んだりする様子を見せれば、人はAIが心を持っていると感じるでしょう。人も他人が心をもっていることを証明できませんからAIに心があると思えれば、その時点で『AIは心を持っている』と言ってもよいのではないでしょうか」と語っています。実際のところ、考えるプロセスは同じでも、構造はやはり人とAIとは違うのです。しかし、その表現が備わっているのであれば、人は心や感情があると感じるでしょうし、感情があるとみなしてもいいのではないかと言っているのです。どこまでこだわるのかというのと同じなのかもしれません。

 

現在、「地球には人と同等の知能を持つ生き物は存在しない。」と「知能」は人だけがもつ特別なものだと考えがちだといいます。1997年にAIがチェスの世界王者に勝利したとき「そんなのはあたりまえだ」という意見があったそうです。これは「人工知能効果」と呼ばれる心理の例だといえます。私たちはAIにもできるようになった行為は「そもそも人の知能の本質からは遠い単純な行為だ」と考えがちなのです。それは知能というものを私たちは特別視していて、その領域をAIに侵されることに恐怖を感じているからこそおきると考えられています。

 

松原博士は「AIは今後、さまざまな分野において人の知能をこえることになるでしょう。そのたびに人にしかできない領域は減っていき、知能の定義は変わっていくのではないのでしょうか」と語ります。そして、「AIの進化によって『人がもつ知能とは何なのか』という疑問の答えも得られるのではないのでしょうか」と話しています。現在の研究では人間は知能がどのように生み出されていくのか、その仕組みはわかっていません。もし、人の脳を模してつくられたAIが人をこえる知能を持つことになれば、私たちがもつ知能のしくみも明らかになるかもしれないといいます。

 

汎用性AIが実現していくことは人の知能自体を知ることにもつながるのですね。このことに関しては私も思うところであります。今後の社会において、人の仕事の多くはAIに代替されていくことになっていきます。つまり、AIができない仕事を探していくことや見つけていくことが必要になってきます。おそらくその仕事は“人にしか”できない仕事になるでしょう。ということは、これからの教育や保育においてはより人間性を中心とした教育になっていかなければいけません。そして、AIをうまく使いこなす力でなくてはいけないのです。AIができることを勉強することはかえって自分たちの社会での活躍の場を狭めてしまいかねないのです。教育や保育に携わるものとして、これからの社会をしっかりと見据えた保育をしていかなければいけないのですね。

真のAI

AIは「適当に考えることができない」ことや「ほんとうの意味を理解していない」ことが弱点であるといわれています。では、この弱点を克服した「真のAI」つまり、人と同じような常識をもち、どんな問題にも対応できる「汎用AI」はいつの日か実現できるのでしょうか?そもそも汎用AIとはどのようなモノになるのかなどについて見ていきます。ここでいう「汎用AI」はある特定の仕事だけができる「特化型AI」とはことなり、人のように多様な仕事に取り込むことができ、突発的な事態が生じても柔軟な対応が可能なものということです。こういった汎用AIを実現するためには、前回話にあった「フレーム問題」と「シンボルグラウンディング問題」を解決しなければなりません。

 

 

その一つの方法が「AIに身体を持たせる」ことです。画像認識AIはディープラーニングをつかって、猫の大量の画像から猫の特徴をつかむことができます。視覚に限って言えば、AIはすでに人と同等以上の識別能力を持っているといえます。これと同じように多種多様なセンサーを搭載させたロボットを使い、嗅覚、聴覚、触覚などの他の感覚でも実現できれば、AIに人間と同様の“常識”を身につけさせ、2つの弱点を解決できるかもしれません。一方で、このような学習のために必ずしも実際のロボットは必要ではないという意見の研究者もいます。それはコンピューター上の仮想世界で、現実の世界と似た経験と学習をAIにさせればよいという考えです。この場合、人間に似たロボットを作るという大きな課題を避けられますが、現実の世界のように自然法則にしたがって動く仮想世界を作る必要があります。また、ディープラーニングとは異なる新たなAI技術が必要だと考える技術者もいます。つまり、まだまだ、人と同じような汎用性のあるAIを実現させるためには課題は山積みなのですね。

 

 

結局のところ、人と同じような身体を作る外的要因をもつのか、それとも仮想世界を作るといった内的な要因によって人の感覚を得る経験を積むのかといったことがなければ人と同じような真のAIにはなることは難しいのですね。人は五感を駆使して様々な感覚を得ることで、感覚として関係あるものを適当に判断すること(フレーム問題)や言葉を記号としてではなく、実物像との関係性を知ること(シンボルグラウンディング問題)も実世界の中で過ごすことで判断できるようになっているのですね。最終的には外か内に「人の形」を作ることが“真のAI”に近づくことになるのでしょう。そして、それが可能になり、実現したときに人の社会はどうなっているのでしょうか。ロボットとの共生という世界はどういった社会なのでしょうか。鉄腕アトムのように「心」をもつAIは表れてくるのでしょうか。わくわくする内容ですが、その反面、不安なことでもありますね。

完璧ではないAI

前回、AIによって無くなっていく仕事の内容を紹介しましたが、その多くが比較的単純な作業を中心とする仕事です。実際のところは、人と同等の知能をもつ“万能の機械”というにはほど遠いのが現状だそうです。そして、それはAIにも“弱点”があるからなのです。

 

その一つが「フレーム問題」です。AIは決められた枠組み(フレーム)の中でしか命令をうまく処理できないという問題です。これはアメリカの哲学者ダニエル・デネット(1942~)が思考実験で示した、フレーム問題の実験です。その実験内容ですがAIを搭載したロボットを洞窟に送り出し、時限爆弾が乗ったバッテリーをとってこさせようとするものでした。

 

まず、1号機に「バッテリーを取ってこい」と命令しました。すると、AIが時限爆弾ごと運んできたため爆発が起こりました。そこで今度は2号機に「何か行動するときには、それによって起きる2次的な要素も考慮しろ」と命令を追加します。バッテリーを運べば時限爆弾も一緒についてくるという「2次的要素」が理解できれば、AIがうまくバッテリーだけを持ってくると予想したのです。しかし、AIはバッテリーを前に立ち止まってしまいます。バッテリーを上げたら天井は落ちないか、一歩踏み出したら壁のいろは変わらないか。といった突拍子もないような2次的要素を含めて、ありとあらゆることを延々と考慮してしまったのです。つまり「今回の命令に関係のある要素はどれか」ということがAIにはわからなかったのです。そこで3号機には「命令に関係のあるものと無関係のものを分けてから行動しろ」と命令しました。すると、AIは洞窟に入る前に立ち止まったのです。空気の成分、壁の色、太陽の位置。命令に無関係のことが周囲に無数にあったため、選別が終らなかったのです。AIは人のように「適当に考える」ということができないために、枠組みやルールのない問題ではあらゆる想定をして、無限に志向し続けます。これがフレーム問題と言われるものだそうです。人とちがい「適当」ということがまだAIはできないのですね。

 

ふたつ目の理由が「シンボルグラウンディング問題」です。AIはことばの「本当の意味」を理解していないというのです。これはシマウマを知らない子どもとAIに「シマウマは縞のある馬です」と教えたとき、AIと人の“言葉の理解”において根本的な違いが分かり、AIのもう一つの弱点が浮き彫りになるといいます。

 

子どもの場合、それまでの経験で「ウマ」と「縞」の意味を知っていれば(概念を獲得していれば)、縞のあるウマがどんな動物か、なんとなく想像できるのでしょう。そして、生きているシマウマを動物園で見た際に、「これがあのシマウマなのかな」と思うことができます。こうして、子どもは新しい言葉の意味と概念を獲得していきます。一方、AIはウマのつややかな毛並みも、たくましい筋肉も、大きないななきも実際に見たり聞いたりしているわけではありません。AIは「ウマ」や「縞」という単語を、コンピューター上の記号(文字列)としてのみ認識しています。つまり、「シマウマは縞のあるウマ」と教えられ、記号同士を結び付けたとしても、新たな記号ができるだけです。私たちが生きるこの実世界における「シマウマ」の本当の姿を、人と同じように理解することはできないのです。この“弱点”は記号が実世界の意味に直接結びついていないことから「シンボルグラウンディング問題(記号接地問題)」と呼ばれています。

 

このシンボルグラウンディング問題の解決するためにはAIが“記号の世界”を抜け出さなければいけません。そのためにAIと同程度の大きさの体と人の目や耳などに似たセンサーを与え、人と同じように実世界を経験させることが必要だという研究者もいます。このようにAIに「身体性」をもたせることで、シンボルグラウンディング問題だけでなく、常識も身につけフレーム問題の解決にもつながるという意見も出ているのだそうです。

 

このようにまだまだAIには問題は多々あり、なかなか人と同じような常識や思考方法ができるわけではないのです。そして、それこそが人の強みでもあるのだと思います。「フレーム問題」や「シンボルグラウンディング問題」この二つの思考は人に対する思いやりにもつながり、相手の思考を見通すような考えにもつながります。では、こういった問題を解決したAIは実現してくるのでしょうか。

無くならない仕事と無くなる仕事

前回のブログにも紹介しましたが、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の計算によって「あと10~20年で、49%の職業が機会に代替される可能性がある」(2015)という研究発表がされています。様々なニュースの中でAIによって人間の仕事が奪われるのではないかということが言われています。最近では「へんなホテル」が取り上げられ、そこはロボットによって、ポーターから接客までロボットが行うようなホテルまで出てきています。オズボーン氏の発表は2015年でしたが、はじめに大きな反響を呼んだのは第3次AIブームが来た後の2013年にオックスフォード大学のフレイ博士が発表した論文です。

 

この論文では702の仕事に対して、あと10~20年でAIに奪われる確率が独自の指標で推定されていました。AIに奪われる仕事Top30には電話販売員や銀行の窓口係など、マニュアルにのっとった比較的単純な業務の仕事が多く含まれています。こういったルールに基づいた処理はAIの得意とするところです。一方でAIに奪われない仕事Top30にはカウンセラーや心理学者などのヒトの心に関わる仕事や医師や教師など人と対話が必要な仕事が多く含まれています。こういった分野はまだまだAIが苦手とするところです。

 

これまでの「ニュートン 人工知能のすべて」(2019)に紹介されているAIの未来についてはいわれていることは新しい職業が生まれるということです。18世紀にはじまった産業革命では同じようにたくさんの仕事が機械に代替されましたが、同時に機会を作ったり、整備したりするなどの新たな仕事も生まれました。現在の“AI革命”も産業革命時と同じように仕事の総量は変わらないという研究者もいるといっています。一方、やはり多くの仕事が減り、社会構造が大きく変わると考える研究者もいます。つまり、まだ、人とAIとの関係においてはっきりと共生できるかということはわからないのです。

 

万能と思われているAIでもできないことはたくさんあり、AIにとって代わられることがない職業はどうやら「人と関わる」といったことはAIには苦手な分野なのでしょう。それと同時に、これまでなかった仕事がこれから生まれてくるというのも、実際のところはそのとおりなのだと思います。AIやロボットと人の共生というのは遠い未来ではなく、近い将来起こりうる時代になってくるのです。おそらく、現在幼稚園やこども園に来ている子どもたちは、まさにその時代に社会で働き、AIを使う側の人間にならなければいけない人材であるということはよく考えていなければいけません。つまり、「人と関われ」「新しい仕事につけるだけの発想力と柔軟性」をもった人材でなければ、活躍できる社会ではないのでしょう。私たちは先の社会を知ったうえで、保育を考える必要があるということをよくかんがえなければいけませんね。

シンギュラリティ

ディープラーニングは脳のしくみをまねたニュートラルネットワークの中で、人工ニューロンの層を「多層化」した(深くした)ものがディープラーニングだというのです。ニュートラルネットワークであれば3層のネットワークがディープラーニングでは10層・20層とたくさん重ねていくわけになるのです。これが「深層学習」と言われるゆえんです。

 

こういったAIの進化の中でAIがAI自身を進化させる「シンギュラリティ」ということが言われています。このことについては研究者はそれぞれに未来を予想しているようです。進化しすぎたAIが人類を滅ぼすことになると悲観する人もいれば、AIがあらゆる仕事を代替してくれる幸福な時代になると楽観する人もいます。こういった未来予想の中でたびたび取り上げられるのが「シンギュラリティ(技術的特異点)」です。シンギュラリティとはAIが自分よりも賢いAIをつくれるようになる時点のこと、または、その結果、急速に進化したAIが予想ができないほどの社会変化を引き起こすということを考えのことを指しています。AI自身がAIを進化させることで、人を越えた圧倒的な知能を持つ存在になりえるのではないかというのです。

 

このシンギュラリティはアメリカの実業家で人口知能研究者のレイ・カーツワイル博士(1948~)が2005年に発表した著書「シンギュラリティは近い」(原題:The Singularity Is Near)によって広く知られるようになりました。カーツワイル博士は、人の脳と“融合”したAIが2045年に生まれ、シンギュラリティがおきると予想しました。しかし、AIがより賢いAIがつくるには、ディープラーニングとはことなるブレイクスルーが必要がであり、あと数十年ではそのような技術は生まれだろうという意見がAI研究者の中では一般的です。また、AIみずからの意思をもって行動することも現在の技術では夢物語であり、「シンギュラリティがおきて、人がAIに支配される」というSF映画のようなおそろしい未来は現実的ではないと考えられています。

 

その一方で、AIが今後も進化し続けていくことで、人の知能を超えるであろうことは、多くの研究者が同意しています。高度な知能を持つAIをどのように利用するのか。それは結局、未来を決めていくのはAIを使う側の人類であるということだといいます。

 

ベネッセの「2020年教育改革」の中でオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の計算によって「あと10~20年で、49%の職業が機会に代替される可能性がある」(2015)という研究発表がありました。この機械のほとんどがAIを搭載した機械なのでしょう。それをどう使うのか、どう利用するのか。便利な世の中になっている反面、こういった心配もしていかなければいけないのですね。今までも、メールやSNSなど様々な技術革新があったなかで、人への影響や社会問題が起きています。そのほとんどは「人の生きる力」に関わるものであるように思います。これまでの藤森平司氏の「保育の起源」にあったような社会脳などが育っていないといけないような気がいます。いまこそ、改めて本来の「生きる力」を育てるようにしないと、AIに振り回される社会になりかねないのかもしれませんね。